◇ハードボイルドの典型 「虚国」 著者:香納諒一 2010年3月小学館刊
出版直後市の図書館に予約をしていたが、漸く順番が回って来た。
廃墟に魅せられたカメラマンが、さる半島の地方都市にやってくる。
払暁の廃墟、廃業し荒れ果てたホテルを撮った主人公辰巳翔は、その一室
で女性の死体を発見する。
「それはちっぽけな町のちっぽけな事件のはずだった・・・」と本書の帯は書い
ているが、地方空港建設計画が進行中で観光ホテルがあるくらいなのだから
決して「ちっぽけな町」ではないだろう。
被害者はフリーライターで、辰巳とこの街に一緒に来た親しいやはりフリー
ライターの女性・上原が面談した相手だった。
そのうち上原が何者かに襲われ重傷を負う。
辰巳は過去にやらせ写真の濡れ衣を着せられて一時業界を干され興信所
調査員をしていたことがある。親しい上原が襲われたこともあって、辰巳は被
害者の元夫である地元の新聞記者と調査に乗り出す。
事情を探っていくと空港建設推進派と反対派、建設業者と暴力団、地方政財
界の黒幕などが浮かび上がる。地方都市のこととて関係者の数人がすべて同
じ高校の同級生といった粘っこい関係が事件を複雑にし、読む側としてはいさ
さかしんどくなる。
いかに田舎特有の閉鎖社会とはいえ被害者とその元夫(新聞記者)、市民
運動家、建設会社社長、警察の捜査担当刑事がみんな同級生というのは、
いかにも不自然な設定だ。
物語りの組み立ては精緻で複雑であるが、肝心の空港建設計画とか闇社会
と建設業界の癒着とか事件の背景ともいえる姿がさっぱり浮かび上がってこ
ない。単なる事件関係者の属性に止まっているのはどういうことか。
組織的ではないものの、警官がカネに汚染されていたり、カネのために職務
を枉げる場面が出てくるが、これとて最近のだらけきった職業観の一端と見れ
ば単に「己が欲得に溺れる人間たち」の一人に過ぎない。
「死にかけた海辺の町に持ち上がった空港建設計画」、「疲弊する共同体、
軽んじられる命、己が欲得に溺れる人間たち」、「公共事業は悪なのか」
「希望の光すら見えてこないこの国の断片を描く」・・・
本の帯に書かれた惹句は思わせぶりだがこの本の内容を反映していない。
この惹句は物語の本流に殆ど関係ない。読後最後に分かるのは「カネ」への
欲望なのだ。そうした意味では惹句の「軽んじられる命」と「己が欲得に溺れる
人間たち」だけは内容を正しく伝えている。
ハードボイルドの主人公によくあるキャラクターであるが、辰巳は育ちが薄幸
であったが故に家族の愛が信用できず、少しひねくれた人生観を持っている。
初めて普通の幸福な家庭を築けるかもしれないと思わせる女性上原に出会え
た。相思相愛の関係にあると思った女性が、実はほかの男の方を愛していた
と知って、失意のまま街を後にする。
ここだけがハードボイルドのスタイルを忠実に踏襲していて安心できる。
ところで本書の「虚国」とはいったい何を意味しているのか最後までわからな
かった。
虚国は造語だと思うが、言葉通りに解釈すれば「虚しい国」か。
本の帯にある「希望の光すら見えないこの国の事件を描く・・・」がヒントになり
そうであるが、前述のようにこのような日本国の恥部や暗部が事件の本質では
ない。そのような著者の嘆きや失望が伝わってこない。
本書は2005年から2007年にかけて「文芸ポスト」に連載された作品を、全面
改稿し342ページを書き下ろし付け加えたという。前の題名は「蒼ざめた眠り」。
この方がハードボイルっぽいし、分かりやすい。
(以上この項終わり)