読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

ゴールデンターム・もの皆な萌え出ずる春

2014年04月28日 | その他

柿の葉に見る春の息吹き
  このころは私が一年で最も愛する時期だ。
  もの皆な芽生え、一日と言わず成長が目に見えて、その息吹が肌に感じるほどだ。
  野を渡る風も和らぎ、柔らかく肌をなでる。日差しも薄いベールを通してふりそそぐ。
  道行けば何処からともなく押し寄せてくる花々の香りにこころ騒ぐ。

  二階のベランダに立つと、目の前には柿の枝が。ついこの間芽を出したと思ったら
  いつの間にか大きくなって、成長ぶりに驚く。
  柿の葉は何よりもその黄緑の色合いの柔らかさだ。夏の暑い日差しの中で実を育
  てるころは、濃い緑の厚い頼もしい姿になるのだが、今は実に可憐である。

  そうこうするうちにモッコウバラが花芽を付け、今を盛りと咲き競う。やがてスズラン
  がせつなくなるようなしかし妖艶な香りと共に花を開く(というより開いた状態で大き
  くなる)。
  
  近くの田んぼでは田起こしも終わり、これから田植えが始まる。

  
   4月8日の柿の葉

  
  4月25日の柿の葉

  
  4月15日のモッコウバラ

  
  4月26日のモッコウバラ

  
  4月26日のスズラン

  
  4月26日のスズラン

   

  (以上この項終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

只今の畑の作物

2014年04月20日 | 畑の作物

◇ 絹さやとじゃがいも
  4月下旬はトマトやナス、キュウリなどの植付け時。今は畝を耕して植付け準備に余念がない。
  今畑では絹さやがどんどん伸びて大きくなっていて、3月8日に播いたジャガイモ(男爵)が芽を
 出した。

         

  先週にトマト用の畝を作った。

   


  (以上この項終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新宿御苑」で桜を見る会

2014年04月18日 | 水彩画

◇ 桜が見事な「新宿御苑
 4月12日に政府が新宿御苑で開いた「桜を見る会」(時の首相が文化・芸能、スポーツなど各界
の著名人約1万人を招いて開く)と紛らわしいが、小生と同期に入社した連中が「桜を見る会」と称
して新宿御苑に集まった。
 すでに半世紀に及ぶ同期会。かつてはハイキングや山登りまでしたのに、いまやすべて老境に
入り、参加者も半数に減った。

 東京の桜は3月末が見頃だったので盛りのソメイヨシノは諦めていたが、新宿御苑は桜の種類が
多い。満開の八重の桜を堪能した。 
 時間だけはたっぷりある暇な人も、何とか時間をつくって集まった人も、外国人も、いろんな人
たちが花を愛で楽しんでいた。

 日差しも穏やかで、妖艶な八重桜にこころ惑わされた一日だった。

              


              


              


              


              


     

                                              (以上この項終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名勝「吹割の滝」はいま

2014年04月16日 | 里歩き

天然記念物「吹割の滝」群馬県・沼田市)を訪ねて
  春まだ浅き奥利根の地に、「吹割の滝」を訪ねた。
  ずいぶん昔に一度訪れたことがあるが、記憶がおぼろでこんなに規模が小さかった
 かと少しがっかりした。
  
  4月13日。上越線沿線は桜が満開だった。
  ここ沼田駅構内の桜も満開だったが、高台にある市街地に上り国道120号通称「ロ
 マンチック街道」で次第に高度を上げていくと桜はまだつぼみで全く咲いていなかった。

   
   沼田駅跨線橋から残雪の谷川岳を望む

  国道120号は昨年10月に椎坂トンネルが開通し、旧い羊腸の山道から比べ15分
 くらい時間が短縮された。
  桜はともかく、旧利根町「老神温泉」の先にある「湿地公園」の水芭蕉はやや遅かった。

            


         


  老神温泉から車で10分足らずで国の天然記念物・名勝「吹割の滝」に着く。
  まだ雪解けの水はそれほど多くはなく、水量が物足りない。
  杉林にはまだ早春の花福寿草が咲いていたのにはびっくり。

          
    吹割大橋からの吹割渓谷                      福寿草

  急な階段を下りると、吹割渓谷に到着。

            
    対岸にはまだ雪が残っています

            
    澄明な流れる水の色に見惚れます                                  吹割の滝

            
                              上流に浮島           浮島観音堂 

            
       千畳敷              夫婦岩             吹割橋
    
  3月までは路線バスも冬期運転。4月18日が滝開きです。

   (以上この項終わり)
  
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『新老人の思想』―五木寛之―

2014年04月13日 | 読書

◇ 『新老人の思想』 著者:五木寛之 2013.12 幻冬舎新書

   


  新聞の書評で知って市の図書館にリクエストしてようやく手にしたこの本、かねて
 この本は、新・老人の思想なのか、「新老人」の思想なのか、気になっていたが、読
 んでわかった。世界でも経験したことが内スピードで進む日本の高齢化の主人公を
 「新老人」としてとらえて、自らを含むこれら新老人が、併存する他の若年層、勤労層
 との関係において、どのように身を処すべきかを説いている、というより自分の考え
 をもって提言している本である。
  あとがきにあるが、本書の内容は日刊ゲンダイに連載していた随筆(本人いわく提
 言)を選んでまとめたものである。だから新老人の思想からかけ離れた話題も混じっ
 ている。

  著者五木寛之は現在81歳(昭和7年(1932)生まれ)、小生より幾分か年上である
 が直言居士であった焼跡闇市派野坂昭如氏(昭和5年10月生まれ)らとあまり違わ
 ない。いわゆる戦中派(1920年代に青春時代を過ごした年齢階層)と我が戦後派世
 代との中間に位置する人と見て良い。

  「豊かさについて考える」という章でカツ丼について触れている。著者が学生であっ
 昭和27年ころのこと、20円のコッペパンにピーナツバターを塗って25円の時代だっ
 た。アルバイト先製本屋で残業の後に社長の奥さんが取ってくれたのが熱々のカツ
 丼。こんなに旨いものがこの世にあったのかと、半ば呆然とした。「よし、いつか俺も
 朝昼晩カツ丼を食べられるようなブルジョア階級になってやるぞ」と固く心に誓った。
 という思い出を述べている。もう一度カツ丼を涙しながら食べる世に戻したいとは思
 わないが、今の日本は少し贅沢に堕していないかと懸念を示している。全く同感で
 ある。小生にも似た経験があり、どうやら吾輩も準五木派に属するとみた。

  ともあれ五木氏の思う「新老人」とは、各世代を若年階級、勤労階級、老人階級と
 してとらえ直し、いまや階級間対立状態にあるとみる。そして、団塊世代の参入で
 怒涛のごとく増えつつある老人階級は、いまやこれまでの老人と全く違うタイプの
 老人であるということだ。
   体力も意欲もまだ残した老人が一定の年齢になって、「老人」として放り出され、
 現役社会からは厄介者として扱われる。
  五木氏は新老人は若年階級、勤労階級に頼ることなく、独立と自立を旨として生
 きなければならないと説く。他の階級に依存することなく、老人階級内で、持てる人
 は持たざる人を助け、自立しなければならない。
  というにだが、果たしてどうか。輪総論的には分かるのだが、実際問題として老人
 階級内で互助的な内部完結的な仕組みが出来るのか、うまく想像できない面があ
 る。

 ともかく著者が提言している新老人についての理解と対処法についてポイントを
 いくつか挙げてみよう。
 
  人生50年といった時代では、長寿老人は祝福されたが、いまや90,100歳は当た
 り前になった。長生きは決しておめでたいことではない。実は恐ろしい世界で、なか
 なか死なない、死ねない世の中になった。医療の世界では死なないように努力を惜
 しまない。高齢者の8割は逝けないでただ生きている。これからは社会からリタイア
 を迫られているのに体力・気力・能力が衰えない人たちが増え続け、後進階級に負
 担を強いることになるのだ。
  だから自分のことは極力自分でやろう。国や行政に頼らない。勤労階級や若年階
 級に負担させないようにしよう。それが出来ること(健康であること)を感謝しよう。
  90,100歳を過ぎても元気で活躍している人をやたら紹介しているがあれは全くの
 例外の人(日野原さんや三浦雄一郎さんなどはお手本に出来そうもない)。

   著者は言う。超高齢者世代には三つの難関が待ち構えている。その一は病気、そ
 の二は介護、その三は経済的保障。80になったら8つの病を抱えていると覚悟すべ
 し。また老化すれば身体は不自由になり介護を受けねばならなくなる。そして経済
 的保障。今後高齢者が当然のごとく国や家族の保護を当てには出来なくなる。その
 心構えは高齢者のレッテルを貼られた時点ではもう遅い。せめて50歳を過ぎたら
 将来の見取り図を作っておくべきだというのである。
 (至極ごもっとも、真っ当すぎるほどの提言である。誰もが出来ることではないだろ
  うが…。)

  人は70歳を過ぎたころから生きることに疲れを感じ始める・・・、一日でも長く生き
 たいと願いつつ、心の底で「もうそろそろいいかな」思う時があるのではないか。
 (前にも書いたが、かつての下宿先のおじいさんは70過ぎたらよく「もういいや」と言
  っていた) 
  
  老化は自然のエントロピーである。生命の酸化と覚悟すべし。
  50になったら50らしく、80になったら80らしく見えるのが自然でなので、80であり
 ながら50に見せようとするのは不自然である。(その通り。無駄な抵抗は止めた方
 がいい。「アンチエイジング」は業界の悪だくみと思うべし)

  (以上この項終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする