◇詐欺にご用心・パリは魔窟?
10月4日(木曜日)7時に起き出す。外はまだ薄暗い。窓から見える隣の建物
は一見するとそうは見えないがオフィスで、こんなに早くからもう働いている人が
いる。昨日は徹夜だったのかも。
今日はルーブル美術館中心に周辺を歩くつもりで、9時半頃ホテルを出て、歩い
てルーヴルに向かった。途中のショウウィンドで、パリ名物「マカロン」を見つけて「忘れ
ないで買おう」なんて言いながら交差点近くまで来た。
歩道の右側にある大きな案内板の前で、スペイン人らしい男に呼び止められ
た。「自分が今どこにいるのか分からないので地図の上で教えてくれ」といっ
ている。つい親切心を出して一緒に地図に見入っていると、やおら一人の男
が寄ってき来た。件の「道聞き男」に対し「俺はポリスだ。パスポートを出して見
せろ」と言った。何んだ、いかがわしい男にチェックを入れているのかと見てい
たら、「金も見せろ」と言っている。
ちょっと妙だなと思っていたら、今度は我輩に対し「お前のパスポートも見せろ」
と言う。フランスの官憲がパスポートを見せろというのだから見せないわけにはい
くまい。そう思ってパスポートを出して見せた。ところがその警官、その際一緒
にしてあった紙幣を指して、「持っている金も見せろ。」という。なんで金も見
せなきゃいけないの? と思ったが、事の成り行きというものはおそろしいも
ので、見せないわけにはいかなくなった。そうしたら、やおら札を数え始めた。
いくら外国の官憲が汚れているからといって、パスポートと一緒に金を取り上
げるとは納得いかない。きっとニセ警官に違いないと結論し、「ノン!」と力強
く言って、男の手から我輩の札束(?)を取り返しさっさと逃げ出した。後ろも
振り返りもせずにどんどん歩いて現場から遠ざかった。
結局偽警官は追っては来なかった。多少ならず通行人はいたのだから、不
成功に終わった偽警官詐欺劇。深追いして本物の警官に追われたくなかっ
たのだろう。
旅行先のトラブル例は外国旅行ガイドにいろんなケースが紹介されていて、「なる
ほど、そんなときにはこんな対応をすればいいんだな。分かった、気をつけ
よう。」と思っていたが、よもや自分がこんな詐欺に引っかかるとは、思って
もいなかった。何よりも如何に巧みな演技とはいえ、自分がこんな詐欺にま
んまと引っかかったこと、鴨にされかかったことが悔しくて腹が立って仕方が
なかった。一緒の妻はしばらく足がガクガクして震えが止まらなかったと言っ
ていた。
おのおの方、くれぐれもご用心めされい。
さて、こんな早朝のハプニングのあと、パレ・ロワイヤルを左に見てルーブル美術館に
入る。さすがにパリで最高の観光スポット。広大な館内は多くの人が右往左往
していて、目が回る思い。しかも目指すジャンルのフロアに辿り着くのも容易じゃ
ない。移動時間に時間をとられて、見たい近代絵画まで辿り着くのに右往
左往してしまった。エレベータや階段を探し、階段を上り下りし、見る前に草臥
れ果てた。ここはツアーでは必ず見ることになっているので、とにかく「モナリザ」
や「ミロのヴィーナス」などの前は人だかりが多い。こうした著名な作品は、外国
の美術展に貸し出ししていることもあり、折角来ても鑑賞出来なかった人も
いるらしい。
パレ・ロワイヤル ルーブル美術館 モナリザ
ミロのヴィーナス
デジカメのメモリーが一杯になったので、昼食がてら一旦ホテルに戻り、ベランダ
で、途中で買った焼きたてのパリ式サンドイッチとビールで昼食をとった。
さて、次はシテ島。先ずはコンシェル・ジュリー(王室管理府)。ここは元々10~14
世紀のフランス王の居住・執務の館であった。その後ルーヴル宮に王宮が移っ
たことから王の執務部門特に司法・刑務所が残ることとなったという。革命
時ここに革命法廷が置かれ、監獄にもなった。およそ2,700人もの処刑者
が収監された。マリー・アントワネットはもちろんダントン・ロビスピエールもここから処刑
場に送られた。建物内にはマリー・アントワネットの独房が再現されている。また
処刑者が処刑場に送られる前の控室には遺髪や鋏が置かれていて、薄
暗いランプの光の影で、なお一縷の望みを残しながら処刑を待つ者の無念
が思い起こされ、一挙に当時にタイムスリップしかかってしまう。
ホテルのベランダから シテ島 コンシェルジュリー シテ島 ポンヌフ
マリー・アントワネットの独房 処刑者待機部屋
◇見逃せないノートルダム寺院
随分昔になるが、モノクロ映画時代に「ノートルダムのせむし男」という映画
があった(今は「せむし」は差別用語に当たるので使われない。)。1956年
の作品で、鐘楼守カシモドにはアンソニー・クインが、踊り子エスメラルダにはジーナ・
ロロブリジーダが扮した。美女に思い焦がれるせむし男の叶わぬ恋の切なさ
に妙に共感した記憶がある。パリの空から地上を睥睨するかのようなガー
ゴイルがひどく印象的だった。
塔に登るには並ばないといけない。1時間ほど並んで待った。これでは
ツアーではなかなか見られないだろう。387段ある階段を一気に上がる。後
ろから人が来るので休んでなどいられない。息が上がる。とても歳をとっ
てからはこんなしんどい観光は出来ないぞ。
塔に上がってみて人員制限の訳が分かった。40センチくらいしかない通
路を横になって通るしかないのだ。次のグループが待っているので写真撮
影もそこそこに追い出される。しかしここからの眺めはパリ市街をほぼ俯
瞰出来るので、欠かせないスポットである。
ノートルダム寺院 礼拝堂ステンドグラス 塔からセーヌ川・エッフェル塔方面
ガーゴイル モンパルナス方面 寺院尖塔基部
サン・ルイ島方面 パリ大学・パンテオン方面 ノートルダム寺院前の家
◇サン・ルイ島
シテ島と橋でつながるサン・ルイ島はこじんまりした島であるが、いまやパリ
っ子憧れの高級住宅地とみなされている。女優岸恵子もここに住まい
をお持ちとか。小じゃれたお店がさりげなく店を開いている。
評判のソフトクリームのお店が見つかったのでバニラソフトを買って食べなが
ら、トゥールネル橋を渡りカルチェラタンに向かった。
サンルイ島目抜き通り サン・ルイ・アン・リル教会 チーズのお店
◇カルチェラタンからパンテオンへ
左側にはパリ第三・第四大学(通称ソルボンヌ大学)がある。そのせいか街に
は学生らしき若者が多く歩いている。地図を見て方角を定めてパンテオン方
面に歩いたつもりだったが、一本通りがずれたらしく遠回りになってしまっ
た。おかげでパンテオンには入場出来るぎりぎりのところでシャットアウト。長身の
黒人のおじさんに冷たくあしらわれてしまった。ここは1758年にルイ15世が
再建した聖女ジュヌビイェーブの霊廟で、地下埋葬所にはジャン・ジャック・ルソー
ヴォルテール、ヴィクトル・ユーゴーやエミール・ゾラなどが埋葬されている。
仕方なく近くのリュクサンブール宮の庭園へ。パリで最も美しい公園の一つとさ
れている。既に6時を回っているが充分明るい。庭園内に自由の女神像が
あるというが時間も遅いので「オデオン座」( ヨーロッパ各地の演劇を上演して
いる。我輩などはつい新宿の映画館を思い出してしまう。)を経由して、
地下鉄「オデオン駅」から「コンコルド駅」へ。シャンゼリゼ大通りを歩いて何か食
べようと歩き出したが、全長1880mという距離を歩くといい加減疲れる。
木立ちにはイルミネーションの電球がついているので、これが点灯するまで我
慢しようと頑張って歩いた。フランクリン・ルーズベルト駅から本格的に著名なお
店が並んでいる。8時頃からイルミネーションが点灯し始めたが木立ちのはつ
いに点灯しなかった。一方食事の方はカフェらしきものばかりで何となく入
る気もせず、とうとうコンコルド駅まで戻ってしまった。
シャンゼリゼー大通りからコンコルド広場方向を見ると、最近出来た観覧車が
ライトアップして光り輝いている。エッフェル塔が出来たときも景観上物議をか
もし、ルーヴル美術館のガラスのピラミッドのときも散々その当否が問題にな
った記憶がある。この観覧車は果たして「花の都パリ」のイメージを壊して
いないのか疑問である。この大観覧車については景観との調和がつい
ぞ話題になったとも聞いていない。そういえば京都タワーが出来るときも
景観との調和を欠くか否かで論争喧しかった。今となってみれば多少
違和感があるものの、左程気にもならなくなった。慣れとは恐ろしい。
かつて中山道を歩いていて、関ヶ原を越えると途端に弁柄を塗った建物
が増えて「なるほど関西か。」と訳もなく納得したことがあるが、旧い煉瓦
造り駅舎を復元し首都にふさわしいものにしようとしている東京駅と、古都
の玄関口にしては大胆な超モダン駅舎を持つ京都駅。美的感覚に関東と関
西にそれほど極端な違いがあるとも思えないが、その時々の力関係で思
わぬ結果を招いてしまうことは間々あるので、仕方ないか。そのうち時間
が経てば景観に溶け込んで違和感がなくなるのかもしれない。
しかし、くどいようだが我輩はこれはやっぱりパリジャンの美的センスを疑わせ
るに充分な代物であると断ぜざるをえない。
カルチェラタンの一角 パンテオン(万神殿) リュクサンヴール宮庭園
オデオン座 コンコルド広場暮色 シャンゼリゼ大通り
シャンゼリゼ大通り コンコルド広場の大観覧車