◇ 『永遠の0(ゼロ)』 著者:百田尚樹
2009.7 講談社(文庫)
最初題名を読んで「?」。0(ゼロ)とはなんだ。数学の本?
しかし読み始めてすぐに分かった。我らが世代にとっては忘れもしない旧日本海軍の名戦闘機・
「ゼロ戦」こと零式戦闘機のことである(紀元2600年誕生の機として命名)。
話をリードするのは大石慶子と健太郎の姉弟。
フリーライターの慶子が、ニート状態にある弟に仕事を持ってきた。終戦60周年の新聞社のプロ
ジェクトの一環として戦争体験者の証言を集めるというのだ。実は姉弟の祖母が6年前に亡くなっ
た。祖母は再婚者で、最初の夫は写真も残されていないが、カミカゼで戦死した海軍航空兵だった
ということしかわかっていない。
姉弟には記憶にさえない祖父に係わりがあった人たちに話を聞いてまとめれば、その当時わずか
3歳だった母も喜んでくれるだろうと思う。
この小説の大部分はこの姉弟の聞き取りの記録が占める。
厚生労働省で調べ、祖父が宮部久蔵という戦闘機搭乗員だということがわかった。さらに旧海軍
関係者の集まり「水交社」を調べ、いくつかの戦友会を辿りながら祖父「宮部久蔵」の実像を探って
いく。作者はこの調査過程で、太平洋戦争初期には世界に冠たる名戦闘機であった「ゼロ戦」とその
搭乗員であった宮部とその同僚・部下など航空部隊の姿を描くことによって、日本国海軍の航空機、
艦船の実態と戦況の推移、過酷な戦場の実情と軍上層幹部の無能さといった太平洋戦争の実態
を読者に知ってもらうことが狙いの一つと思われる。また太平洋戦争に散った兵士たち、とりわけ神
風特攻隊、神雷特攻隊、桜花特攻隊のように、航空兵に十死零生という不条理を強いた海軍上層
幹部の冷酷無残さへの強烈な糾弾がある。更には家族と母国の幸せのためという思いを抱きなが
ら、この無常な命令に従容として死んでいった多くの兵士への鎮魂の綴りでもある。
滅私奉公が賛美され、「よろこんで」特攻に志願するよう強要される中で、一人「生きて帰りたい。
妻がいるから」と至極当たり前のことを敢然と述べた宮部久蔵の真の姿が次第に明らかにされてい
く。「無駄死にはするな」と部下を諭す「臆病者の宮部」は、実は天才的操縦技術を持ったゼロ戦熟
練搭乗員のひとりだった。彼に助けられた僚機は数知れない。
米軍は戦争初期、ゼロとは戦うなと指導された。とても太刀打ちできなかったからだ(しかしそのうち
グラマンF6Fというゼロ戦を上回る戦闘機を開発した)。物量に勝る米軍の航空機、銃弾、爆弾の前
に日本軍の爆撃機、戦闘機は戦果をあげる間もなく、なすすべもなく海に消えていった。無謀な攻撃
を強いる作戦指導者のせいで。
作中に慶子を好きだという東大出の新聞記者が登場する。彼は特攻隊搭乗員を9.11のテロリスト
と同根で、日本の為政者から洗脳を受け、天皇と国家のために命をささげる狂信的愛国者たちであ
ると言い放ち、健太郎は強い嫌悪感を抱く。読んでいる私も「このバカ!」と舌打ちする。こんな教条
的な認識しか持ちえないものがジャーナリストでございといって、浅薄な知識しかない一般大衆を教
導するのだと思いあがっている現状が嘆かわしい(と作者も思っていると思う)。
関係者からの話を聞き続ける姉弟は、ほとんど知らなかった宮部という祖父のために、日本軍の兵
士のために幾度も涙する。それはまたこの本を読み続ける読者の涙でもある。なぜならば、真の男ら
しさとは、真の人間らしさとは何か、それはどんな場でそうした本質が表れるか。明日の命がしれない
極限状況におかれた中での振る舞いこそが本来の人間性を示すことを、この本を読んで感じとったか
らである。
無類の読書好きという児玉清氏が本書の解説を書いている。『ただひたすら、すべての責任を他人に
押し付けようとする、総クレーマー化しつつある昨今の日本。利己主義が堂々と罷り通る現代日本を考
えるとき、太平洋戦争中に宮部久蔵のとった行動はどう評価されるのだろうか。男が女を愛する心と責
任。男らしさとは何なのか。愛するとは何なのか。宮部久蔵を通して様々な問いかけが聞こえてくる。』
この児玉清氏は終戦当時尋常小学校6年生だった。少年航空兵として一日も早くお国のために役立
つこと、零戦のパイロットとして戦うことが夢だったと書いている。ちなみに小生は終戦当時尋常小学校
1年生。愛国少年のとば口に差し掛かっていたが、先の大戦についてはB29の空襲や戦後の食糧難
の記憶しか残っていない。
まったくの余談ではあるが、小学校高学年のころか中学生のころか、進駐軍のさまざまな統制から解
放されたころ、ある少年雑誌に零戦の模型設計図が載った。早速軽いバルサ材、接続用アルミパイプ
などを手に入れ製作にかかった。機の胴と翼長およそ40センチ。道具は切り出し小刀とセメダインと
パラフィン紙。動力は20本ほどの細いゴムを束ねたもの。
模型のゼロ戦は本物そっくりに仕上がった。
「ゼロ戦」は立派に飛んだ。ただ動力がゴムでは飛距離15mが精いっぱいだった。
「ゼロ」は小生にとっても思い出の戦闘機である。
(以上この項終わり)
◇『夜の罪』原題:Night Sin 著者:タミー・ホウグ(Tami Hoag)
訳者:岡聖子 1996.1 扶桑社刊
ジョシュという8歳の少年が行方不明になった。医師の母と会計士の父を持つ
ジョシュは練習を終えたアイスホッケー場で母を待っていた。母は急救患者が運
び込まれたため迎えに遅れた。少年は父に電話するが出ない。
ミネソタ州犯罪捜査局から派遣された捜査官ミーガンは現場捜査官としては初の
女性捜査官。それでなくてさえ囁かれるやっかみと偏見のプレッシャーの中で、ミー
ガンは地元警察の署長ミッチに支えながらも、捜査方針ではことごとに反発しあう。
やがてジョシュの遺留品から犯人からのメッセージが発見された。「一人の子供
が消えた。無知は無邪気さではなく、罪だ」。一体犯人は誰だ。
事件は地元警察、州警、郡保安官を巻き込み、住民総出の捜索が続けられるが、
ジョシュは杳として行方がしれない。
警察官とはつき合わないと心に決めていたミーガンも、次第に誠実で男らしい
ミッチ署長に惹かれていく。ミッチには妻と子を麻薬中毒の男に殺された過去があ
る。自分が仕事にかまけて買い物を断ったために外出した彼らが殺されたというト
ラウマから逃れられない。
昔から知合ってきた住民を疑えないミッチと、合理的疑問からジョシュを取り巻く
人々を問いつめていくミーガン。アイスホッケーのリンク管理人は幼児性愛者だっ
た。服役の前歴が明らかになり逮捕された。しかし最も疑わしかった容疑者は潔白
を叫びながら自らの義眼で頸動脈を切り自殺する。真犯人は何処にいるのか。
ジョシュはどこにいるのか。はたして生きているのか。
事件は10日目を迎えた。この間犯人からいくつかの不気味なメッセージが届く。
母親のハナは精神的苦悩から半病人に。これを支える若い神父はハナへの愛に
苦悩する。近隣の主婦と不倫を重ねている父親のポールはこの誘拐事件の責任は
ハナにあるとわめきたてるだけ。夫婦の関係は危機的状態に陥る。
そして犯人のメッセージは続く「ゲームはまだ終わっていない」。
疑わしい人物は多い。しかし決定的な証拠は見つからない。
犯人は意外な人物だった。犯人に捕らわれて半死半生の目に遭わされるミーガン。
助けに現れたミッチ署長。銃撃戦の末犯人は逮捕された。
ジョシュは生きて帰ってきた。
ミーガンとミッチはわだかまりが溶けて…。
麻薬中毒の蔓延、幼児性愛犯罪、家庭内暴力、離婚による子供が受ける精神的障害、
不倫、根強い男尊社会等々アメリカ社会のいろんな問題がこのサスペンスに描かれて
いて、新鋭の全米ベストセラー作家らしい作品。
ミネソタ州は「ミネソタの卵売り」からのんびりした田舎と思っていたが、冬場はマイ
ナス31.7℃、体感温度マイナス51.1℃という酷寒の地だそうだ。
(以上この項終わり)
◇ 下呂温泉の合掌村の家
合掌村の家は合掌造りの家の集落で有名な白川郷から移設した家が数棟ある。
2泊目の午前中に、歩いて10分ほどの「下呂温泉合掌村」を訪ねた。この時期なのに積雪はないが
午後からは雪という予報で、気温はかなり低い。
一番大きな茅葺4階建ての家を描いた。1時間もしないうちに手がかじかんで、とても彩色までに
至らなかった。この家屋根を葺いたのは大分前らしく、屋根にはコケや草が生えていた。
ほんとはもっと落ち着いた色合いであったが、なかなか難しい。
COTMAN ROUGH F3
もう一軒の合掌造りの家は、屋根を葺いたのが比較的新しいのか萱の色をしていた。たまたま若い
二人連れが家の前を通りかかった時の写真があったので、人物入りの絵をと思っていたのにうっかり
人物なしの絵にしてしまった。反省。
この日3時ころから予報通り雪になった。
COTMAN ROUGH F3
5月には山梨県の富士五湖に茅葺の家を描きに行くことになっているので、今度こそ人物入りにし
よう。
(以上この項終わり)
◇ 熱川温泉と下呂温泉
先週の土曜から温泉のハシゴをした。
三女の婿さんが、自分が土・日をつぶしたり夜なべをして得た臨時収入(の一部)を使って、「一緒に温泉に
旅行しましょう」と言ってくれた。ありがたいことだ。
<熱川温泉>
そこでまず行ったのが熱川温泉。「幼児対応プランがある」という視点で選んだという「熱川館」では、最上階
6階のオーシャンフロントの部屋で「お部屋食」。我が家の嫁はんは明日が〇〇歳の誕生日とあって、孫のM
ちゃんから「ハッピーバースディートゥーユー」と祝福されたりしたので至極ご満悦だった。
眺望は満点。伊豆大島は伊豆半島からは最短で30キロほどというがここからは20キロそこそこに見える。
普段よく見えない新島、式根島、利島などが良く見えた。
大浴場で湯に浸かると、目の前の海原と湯面が同一化し、まるで海に浸かっているような錯覚に陥る。
夜になって露天風呂に浸かっていたら、小熊座のひしゃくの柄がまるで海に突き刺さっているように見えた。
食事ではこの辺の温泉地では定番の「イセエビの御造り・金目鯛の煮付け・アワビの踊り食い」が出た。
珍しかったのは「のれそれ」。鍋になっていたがアナゴの稚魚という。
日の出は6時半ころか。大島の上には厚い黒雲が掛かっていた。次第に雲の間から陽が差し始めた。
翌日は娘家族は「熱川バナナワニ園」と「いちご狩り」をするというので、我々は熱海から新幹線で名古屋に
出て、富山まで走る「ワイドビューひだ11号」に乗って下呂温泉に向かった。
少し雲が掛かっていたが、富士山が良く見えた。
高山線は飛騨川沿いに進む。思ったほど雪がなく、奥飛騨慕情の風情など遠くかすんでいる。急峻な山襞を
縫うように進み、時折トンネルをくぐる。鬼怒川温泉から会津田島に抜ける「野岩線」によく似ている。
<下呂温泉>
下呂温泉は、草津・有馬と並んで「日本三大名泉」といわれる(江戸の儒学者・林羅山の説)。柔らかく、やさし
い泉質(アルカリ度PH9.41のアルカリ単純泉)で肌がすべすべに。うちの嫁はんは日頃の肩・腕の痛みが消
えたと感動していた。やはり名泉なのか。しかし吾輩の五十肩の後遺症と腰痛は頑固なのか軽快はしなかっ
た。
宿は「KKRしらさぎ」。近くに野口雨情公園がある。また、坂を300M ほど登ると「合掌村」がある(有料)。
白川郷から移設した茅葺き4階建ての合掌造りの建物数棟があり、内部も公開している。旧い時代の生活
用具、雛飾り、柱時計に脚付き膳、旧いラジオなどが展示されていて、懐かしくしばし幼時に立ち返る。
「合掌村」の山腹を回り込んで2キロほど歩き、「縄文橋(歩行者専用道)」を渡ると「峰一合遺跡」がある。
縄文時代・弥生時代の古墳で、竪穴式住居跡などがある。
山を下ると温泉街。温泉寺は179段の石段の上と聞いて、汗をかくと風邪をひく元になると思って敬遠
した。そのかわりに「温泉神社」山形の鳥海山神社からの分社という。温泉組合の立派な5階建てのビル
の1階にあった。
下呂温泉は中山道大田宿(飛騨街道)と中津川宿(南北街道)の結節点で、伝馬宿:湯之島宿(下呂宿)
として重要な役割を担った。宿場特有の高札場が復元されていた。
下呂温泉発祥の湯「白鷺の湯」があり、足湯には若い女性たちが白い脚を惜しげもなくさらして興じてい
た。
駅南と「飛騨川」を挟んで駅北をつなぐ「下呂大橋」。河原に湯の沸くところがあり、無料の湯処になっている。
橋から丸見えで、余程度胸があるか、裸姿に自信がないとしり込みする(と思う)。
下呂温泉では連泊した。近頃は温泉といえば必ずと言ってよいくらい連泊する。温泉の良さを味わうには
一泊では無理だと今頃ようやく悟った次第。それに身辺整理をして時間的に余裕が出たこともある。
食事では飛騨牛のおいしさを堪能したし、何よりも岩魚の骨酒(3合)を賞味出来たことが満足感を高めた
(でも上高地でいただいた岩魚の骨酒の味は忘れられない。)。
不思議なことにこの山奥で鯛の兜煮、あわびまで出た。
昔新潟の我が家でもよく作った「朴葉味噌」が出て懐かしかった。
二日目は予報通り雪になった。温泉地の雪は風情がある。温泉に浸かり酒を片手に読書に耽り至福の時
を過ごした。
JR高山線の白川口辺りから奇岩・清流の渓谷美が始まる。益田街道(美濃四季彩街道)と高山線に沿って
上流では下呂辺りまでは「中山七里」と呼ばれる渓流の名所である。
(以上この項終わり)