読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

桜庭 一樹の『私の男』

2020年08月24日 | 読書

◇『私の男

 著者: 桜庭 一樹    2010.5 文芸春秋社 (文春文庫)

 

 直木賞受賞作品
 「私の男は、ぬすんだ傘をゆっくり広げながら、こちらに歩いてきた」
 冒頭の一文である。作品の題名になった怪しげな存在であるこいつがキーワード
だな。と見当はついていたが、だんだんこの得体のしれない男の存在が、この本の
中で重みを増していく。

 「私の男」という表現のニュアンスはステディな関係、つまりひも付きの関係を
示す。
 第1章、語りの主人公「花」はこの養子縁組をして父となった淳悟という男を
「私の男」と呼ぶ。父と子という関係からはこうした世間的な「私の男」という立
ち位置は生じないはずであるが、彼女がなぜそう呼ぶのか、だんだん明らかになっ
ていく。しかも彼女の結婚式に父親が遅れているときに「淳悟が来ないのなら結婚
しない!」と叫ぶあたりからこの親子の不気味な関係が十分に予見されるのである。
 ついには「他の女には絶対渡さない」、淳悟は私の父。私の男。「他の女に触れ
たらあなたを殺す」(280p)とまで言い放つに至って、この異様な親子関係が尋
常ならざるものであることが明確になる。

 物語は両親弟妹を北海道南西震災で亡くした当時9歳だった花が、遠縁の男24
歳の淳悟に引き取られた15年前に向けて順次遡っていく。
 外形標準的には近親相姦という重いテーマの物語である。当然父と娘のそうした
場面が再三登場し、なぜ花がそうしたことを当然と受け止め、待ち望んでいるかが
述べられ、読む側も必然性らしきものを受け入れようとするのだが、やはりこれは
R-15乃至R-18ものである。どろどろした二人の絡まり、睦み合い。淫靡で不快感を
伴うシーンのページが何枚も続くと、さすがに思春期の乙女に読ませるのは酷だと
思う。
 一般的には家庭内暴力、性的虐待といった形で仕分けされる世界である。常識的
な倫理観からすれば決して許されることではないはずであるが、考えようによって
は愛の表現形態は当人同士の問題で、親子の愛情がこのような淳悟と花のような形
で表現されることもありうるのかもしれない。しかし淳悟が養子縁組をした花9歳
のころからそれが始まっていたという事実は淳悟の性癖の異常さを疑わざるを得な
い。まさに幼児性的虐待の確信犯であろう。
 
  8年前のこと、花は淳悟との行為を盗み見られ、してはいけないこと、畜生道だ
と諫める大塩老人をオホーツクの流氷に置き去りに死に至らしめる。その半年後、
淳悟は花の犯行を疑い訪ねてきた刑事田沼を殺害する。死体はボロアパートの押し
入れに隠された。

 花は「親と子は、相手が、誰よりも大事なんだから、何をしてもいいのよ」とい
うがそんなものではあるまい。しかしこれが花の唯一の拠り処なのである。

 昔淳悟と結婚したかもしれなかった小町という女性が今も淳悟の住まいの近く
北千住に住んでいる。第5章では小町がまだ拓銀勤務の若かったころ、淳悟と花
のねっとりといちゃつく様を見て、異様な感じを覚えた場面が出てくる。
そして小町は淳悟との結婚はあきらめた。

 ところで花は本当は淳悟の娘ではないかと薄々気づいていたのであるが、第4
章の花の一言と最終章で淳悟の友人がはしなくも漏らした一語で確信となった。
そうなると淳悟がまだ高校生のころ、一時引き取られていた竹中家の、つまり花
の母親と過ちを犯し花が生まれたことになる。そうだとすると淳悟は実の娘と確
信的に人の道に外れた罪を犯したことになる。

 淳悟が津波避難所から花を抱っこして連れ出す場面がある。小学校4年生と言
えばかなり大きく、しかもすでに初潮を迎えた少女なのに、その後もまるで幼児
のような扱いで描かれている。傑作ではあるが、読んで浮かぶイメージとずれが
大きすぎてかなり気になるところである。
  
 また第2章では美郎というサラリーマンが花と結婚するに至る経緯が扱われて
いるが、この一種奇抜な女性を結婚相手に選んだ彼の心理的背景がいまひとつわ
からず、落ち着かない。

                         (以上この項終わり)

 

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葉室 麟の『秋月記』  

2020年08月19日 | 読書

◇『秋月記

著者: 葉室 麟    2011.1 角川書店 刊




 時代小説の名手葉室麟の長編小説。
 時代は寛政から弘化にかけて。舞台は九州は筑前秋月藩。五万石の小藩である。
藩祖黒田長政(如水)の三男長興が分知されて起こした福岡藩の支藩である。
 小説の主人公間余楽斎が弘化2年(1845)6月、本藩御納戸頭杉山文左衛門から
幽閉を告げられた場面から始まる。こののち玄海島に流罪の処分が決まった。

 余楽斎は43歳の身で長男幾之進に家督を譲り隠居の身分であったが、長く秋月藩
の藩政の黒幕と目されており「権勢に驕り天罰下る」などとみられたが、本人は何
一つ後悔もないと恬淡と流罪を受け入れた。彼の生涯はどうだったのか。

 余楽斎は幼名小四郎と言って、秋月藩馬廻役吉田家の次男として育った。幼少時
臆病で泣き虫小四郎と呼ばれたが藩校稽古館で剣術に励み何人もの剣友を得た。
 小四郎は元服後馬廻り役間篤の養子となった。そして書院番八十石の井上武左衛
門の娘もよを娶った。器量だけでなく気立ての良い娘で終生良き妻であり母だった。

 本藩福岡藩は常に秋月藩の吸収併呑を狙っている。秋月藩は宮崎織部筆頭家老を
はじめ、家老渡辺帯刀らが権勢をふるい、藩財政逼迫にありながら長崎の石橋に倣
い石橋営造を進めるなど、藩内怨嗟の的になっていた。
 小四郎らは宮崎織部、渡辺帯刀の責任追及と更迭を求め本藩中老村上大膳に直訴
する。訴えは成功し織部らは追放された。しかしこれは本藩の思うつぼ、小四郎は
郡奉行に栄進したものの、本藩のお目付け(秋月御用請持)の指図を受けることに
なった。
 そこに持ち上がったのはまたも借財の難問。京の中宮御所造立、仙洞御所修復を
幕府から命じられたのである。小四郎はこの難問を本藩に丸投げする戦略を練る。
その後も小四郎は機略をもって難題を処理する器量を買われ借財返済繰り延べの処
理などを成功させるのであるが、秋月藩には福岡藩から勘定方に姫野三弥という剣
の遣い手が送り込まれていた。
 実は姫野の父親は鷹匠頭で竹中半兵衛の遺した伏影という忍びの者の頭。三弥は
秋月藩内をかき回し騒動を起こすのが役目、結局は小四郎らに斬られた。

 本書の圧巻はその9年後の仇討の場面であろう。姫野三弥の父姫野弾正は仇討の
許しを得て手下の伏影16人を従えて小四郎を迎える。小四郎をかつての稽古館で
の剣友ら6人が助太刀し、見事姫野弾正らを返り討つ。鷹、鉤縄、棒手裏剣が舞う。
 秋月藩併呑を狙っていた村上大膳は失脚し、福岡藩は秋月藩支配を断念した。

 中老となった小四郎は或る日18年にわたり島流しになっていた先の家老宮崎織
部を訪ねる。そこで「虎穴に入らずんば虎児を得ず、捨て石を覚悟せねば政事はで
きない」と織部の真意を知る。

 私は本を読むと物語の舞台となる地を地図で探すのが習慣である。秋月の地はち
ゃんと地図にある。この本では城はなく藩の中枢は館であるとあるが、地図には秋
月城跡とあった。平城扱いなのだろうか。東には英彦山、北は白坂峠を経て長崎街
道、西は福岡を経甘木へ・・・。時代は下っても歴史の地は変わらない。地図をな
ぞって時代を生きた人々を偲ぶことができる。たとえそれがフィクションであって
も。
                         (以上この項終わり)

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古川真人の『背高泡立草』

2020年08月16日 | 読書

◇『背高泡立草

      著者:古川 真人   2020.1 集英社 刊



 第162回(2020.1)芥川賞受賞作品。

 平戸の島にある古びた納屋の草刈りに集まる一族の平凡な一日の物語。

 難解な九州の方言に幾分辟易するが、突然シーンが一変し唐突に3つの全
く時代をさかのぼるエピソードが語られる。この作家独特のスタイルらしい
が、タイムスリップのきっかけが不明で、本筋との脈絡もない。遭難者の釜
山港への流れ、鯨組のオホーツク海への旅出、少年のカヌー冒険譚などはそ
れぞれは想像力を掻き立てられるはするが、本筋との関連を探る手立てもな
くただ戸惑うばかりである。それがこの作家の魅力であるらしいのであるが、
そんな作品の構造にとらわれることなく、代々の吉川家の家系を象徴する古
びた納屋、すでに住む人とていない<古か家>、<新しい方の家>をきれい
に保つために、毎年一族の老若男女が集まって、草刈りをしながら互いの若
さや老いを確認し合う。そんな穏やかな時の流れを感じ取れればよいのかも
しれない。

 作品の題名「背高泡立草」は納屋を覆いつくす草々の主人公と思われるが、
合わせて生い茂る夥しい雑草の名前が羅列される。
                         (以上この項終わり)

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藤原伊織の『シリウスの道』

2020年08月14日 | 読書

◇ 『シリウスの道

       著者:藤原 伊織  2005.5 文芸春秋社 刊  

  

 サラリーマン・ハードボイルド。広告業界というあまり内部情報がない世界を
知りうる絶好の小説。生々しい実態が迫る。著者が一度は身を置いたその道の巨
象の実像が背景にあるからだろう。
   
 この小説には楽しみ方が二つある。一つは広告業界の仕事ぶりを知ること。大
手広告代理店同士の競合受注競争。社内部局間の協力と競争、弱肉強食の熾烈な
駆け引きが見せ場である。いま一つは主人公の少年時代に影を落とす記憶が亡霊
のように起き上がり脅迫事件として暗い影を落とす。この多重奏曲を藤原伊織流
ハードボイルドが快調に奏でる。

 大手広告代理店東邦広告有力顧客の大東電機から1件18億の競合発注があった。
競合他社は5社。の営業部署に入った戸塚と平野の二人の新人。この大型競合受注
競争を機に短期間で営業のプロとして鍛える京橋営業局部副部長の辰村祐介が主
人公である。女性上司の立花部長とは気になる関係。他部署幹部、役員との間で
妬み、恨みつらみの攻撃・反撃がたたかわれる。
 
  一般的組織論を超えた論理が支配する同社独特の職制、職階制のほかに、企業
内分社に加えて職能分化した独立独歩の世界が面白い。その中で営業部署がどう
いう位置づけで他部署と協調することになるのか実務を踏んでいないとなかなか
描けない世界である。そうした複雑系が面白さを増している。
 
 今一つの流れは蠢き出した辰村祐介の少年時代の暗い記憶。今は離ればなれに
なっているが25年前の3人の幼馴染。浜井勝哉と村松明子の3人だけの秘密。雄哉
と祐介は明子の父親殺害を決意し刃物も買い込んだ。明子の父親が日常的に娘に
性的暴行を加えていことを知ったからである。
 ある夜父親を陸軍墓地に呼び出したが、殺す前に彼は階段から足を滑らして転
落死した。警察は事故死と判断したが、祐介には殺意を抱いたという暗い記憶が
心の奥深くに沈潜していた。

 明子はなんと大東電機の常務半沢智之の妻となっていた。その半沢のもとに脅
迫状が舞い込んだ。明子は幼少時より父親を誘惑する希代の淫婦外道であり、断
固たる措置を取らねば天下公論に問う。半沢に問われるまでもなく祐介は文の調
子から勝哉を疑い、所在を探しているうちに2回・3回と脅迫状が届く。
 ようやく雄哉の居所が分かり、問い質す確かに勝哉が書いたことが分かったが、
その背景には意外な事実が潜んでいた。
 
 「どういう成り行きになっても、いざとなったら、私があなたを養ってあげる」
と、上司の女性部長に言わせる魅力があるニヒルな男辰村祐介。 
 多くの男に「俺も彼のように組織の論理に流されず、男らしく私見を貫き通す
男だったら、その後の人生も大いに変わっていたに違いない」と思わせる好漢で
ある。
     『テロリストのパラソル』で出てきた吾兵衛というバーの浅井という元やくざ
の主人も登場し辰村を助けたりする。
 ただし、小説としての難点を言えば、終盤に至っての脅迫状云々の設定と状況
の展開はいかにも無理があり不自然である。
                         (以上この項終わり)

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村岡理恵の『ラストダンスは私にー岩谷時子物語』

2020年08月12日 | 読書

 越路吹雪との運命的な出会い

          著者: 村岡 理恵  2019.7 光文社 刊

  

    本書は表題通り、作詞家岩谷時子の自伝的物語である。岩谷時子は表題のメイン
にある歌「ラストダンスは私に」の歌い手、畢生の友人であった越路吹雪の無報酬
のマネージャーだった。したがって本書の大半が岩谷時子と越路吹雪の話で終始し
ているといってよい。それは作詞家岩谷時子の人生のほとんどが越路との友情の路
程だったことの証である。

 岩谷時子は2013年(平成25年)10月、97歳という高齢で亡くなった。天寿を全う
したといってよい。青春時代を太平洋戦争の非常時に過ごし、ついに結婚すること
もなく年老いた母を看取り世を去った。本人も自覚していた通り、仕事だけが生き
がいであった。
 兵庫県西宮で宝塚歌劇に憧れを抱ち育った彼女は、神戸女学院卒業後も歌劇文芸
図書館に通い文学に親しみ、幸運にも宝塚歌劇文芸出版部の編集に職を得ることが
できた。昭和14年のことである。
 
 ここで時子は歌劇団員である8歳年下の越路吹雪と偶然巡り合う。これが二人の
心が結び合った運命的な出会いとなった。
 一人っ子であった時子は姉妹のような関係を築き、越路の才能の開花を確信し、
東宝映画への出演、帝劇のオペラ「モルガンお雪」への出演、シャンソンの母国
憧れのパリに送り出すといった次第で、時子は無報酬ながら進んで越路のマネージ
ャー役を務めた。
 越路吹雪は天衣無縫で浪費癖が治らず、借財の尻ぬぐいが絶えず、時に感情的齟
齬も生じるなど紆余曲折を経ながらも、終生かけがえのない友人であった。
 越路吹雪は時子に先立ち、1980年(昭和55年)11月、54歳の生涯を閉じた。

 時子は劇中越路が歌う英語の訳詞を手掛けたのが始まりで、のちに歌謡曲、ミュ
ージカル、演劇などの訳詞・作詞などを手掛け、文学的音楽的才能を発揮した。
 1952年(昭和27年)東宝映画「上海の女」の主題歌「故郷のない女」が最初の作
詞である。その後「愛の讃歌」、「ラストダンスは私に」など多くのヒット曲、
「月影のナポリ」などカバーポップスの訳詞、「ふりむかないで」の作詞などで名
声を博した。時子は生涯でほぼ1,000曲の作詞を行っている。中でも「君といつまで
も」、「旅人よ」、「海その愛」などで知られた加山雄三(弾厚作)の曲の作詞は
100曲に及んでいる。

 著者の村岡恵理はよほど岩谷時子に傾倒していたに違いない。時子の旧い日記を
初め、膨大な資料、参考文献を渉猟し、強い絆で結ばれた越路吹雪との二人三脚に
焦点を絞りながら、昭和の不世出の作詞家岩谷時子を生き生きと甦えらせた。

                          (以上この項終わり)
 

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