◇『私の男』
著者: 桜庭 一樹 2010.5 文芸春秋社 (文春文庫)
直木賞受賞作品
「私の男は、ぬすんだ傘をゆっくり広げながら、こちらに歩いてきた」
冒頭の一文である。作品の題名になった怪しげな存在であるこいつがキーワード
だな。と見当はついていたが、だんだんこの得体のしれない男の存在が、この本の
中で重みを増していく。
「私の男」という表現のニュアンスはステディな関係、つまりひも付きの関係を
示す。
第1章、語りの主人公「花」はこの養子縁組をして父となった淳悟という男を
「私の男」と呼ぶ。父と子という関係からはこうした世間的な「私の男」という立
ち位置は生じないはずであるが、彼女がなぜそう呼ぶのか、だんだん明らかになっ
ていく。しかも彼女の結婚式に父親が遅れているときに「淳悟が来ないのなら結婚
しない!」と叫ぶあたりからこの親子の不気味な関係が十分に予見されるのである。
ついには「他の女には絶対渡さない」、淳悟は私の父。私の男。「他の女に触れ
たらあなたを殺す」(280p)とまで言い放つに至って、この異様な親子関係が尋
常ならざるものであることが明確になる。
物語は両親弟妹を北海道南西震災で亡くした当時9歳だった花が、遠縁の男24
歳の淳悟に引き取られた15年前に向けて順次遡っていく。
外形標準的には近親相姦という重いテーマの物語である。当然父と娘のそうした
場面が再三登場し、なぜ花がそうしたことを当然と受け止め、待ち望んでいるかが
述べられ、読む側も必然性らしきものを受け入れようとするのだが、やはりこれは
R-15乃至R-18ものである。どろどろした二人の絡まり、睦み合い。淫靡で不快感を
伴うシーンのページが何枚も続くと、さすがに思春期の乙女に読ませるのは酷だと
思う。
一般的には家庭内暴力、性的虐待といった形で仕分けされる世界である。常識的
な倫理観からすれば決して許されることではないはずであるが、考えようによって
は愛の表現形態は当人同士の問題で、親子の愛情がこのような淳悟と花のような形
で表現されることもありうるのかもしれない。しかし淳悟が養子縁組をした花9歳
のころからそれが始まっていたという事実は淳悟の性癖の異常さを疑わざるを得な
い。まさに幼児性的虐待の確信犯であろう。
8年前のこと、花は淳悟との行為を盗み見られ、してはいけないこと、畜生道だ
と諫める大塩老人をオホーツクの流氷に置き去りに死に至らしめる。その半年後、
淳悟は花の犯行を疑い訪ねてきた刑事田沼を殺害する。死体はボロアパートの押し
入れに隠された。
花は「親と子は、相手が、誰よりも大事なんだから、何をしてもいいのよ」とい
うがそんなものではあるまい。しかしこれが花の唯一の拠り処なのである。
昔淳悟と結婚したかもしれなかった小町という女性が今も淳悟の住まいの近く
北千住に住んでいる。第5章では小町がまだ拓銀勤務の若かったころ、淳悟と花
のねっとりといちゃつく様を見て、異様な感じを覚えた場面が出てくる。
そして小町は淳悟との結婚はあきらめた。
ところで花は本当は淳悟の娘ではないかと薄々気づいていたのであるが、第4
章の花の一言と最終章で淳悟の友人がはしなくも漏らした一語で確信となった。
そうなると淳悟がまだ高校生のころ、一時引き取られていた竹中家の、つまり花
の母親と過ちを犯し花が生まれたことになる。そうだとすると淳悟は実の娘と確
信的に人の道に外れた罪を犯したことになる。
淳悟が津波避難所から花を抱っこして連れ出す場面がある。小学校4年生と言
えばかなり大きく、しかもすでに初潮を迎えた少女なのに、その後もまるで幼児
のような扱いで描かれている。傑作ではあるが、読んで浮かぶイメージとずれが
大きすぎてかなり気になるところである。
また第2章では美郎というサラリーマンが花と結婚するに至る経緯が扱われて
いるが、この一種奇抜な女性を結婚相手に選んだ彼の心理的背景がいまひとつわ
からず、落ち着かない。
(以上この項終わり)