読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

話題の「地下神殿」に入る

2011年07月29日 | その他

◇国土交通省の「首都圏外郭放水路」を見学
  一昨日、障害者ボランティアのグループで埼玉県春日部市(旧庄和町)にある「首都圏外
 郭放水路」
を見学した。その壮大な地下構築物の姿が西洋古代の神殿を思わせることか
 ら通称「地下神殿」と呼ばれている。
  施設は国土交通省(江戸川河川事務所首都圏外郭放水路支所)が建設管理している。

           
           庄和排水機場                 MAP                           龍Q館
   
  今年度の我がクラブの「メンバーの知見を広める見学会」は第1号としてこの地下神殿が
 選ばれた。
  見学希望者は多く、最近は外国人にも人気だとか。何しろこのような巨大地下構築物、地
 下水路はトップモードの土木技術と管理システムを誇り、規模も世界最大級で一見の価値
 十分である。

  見学は火曜から金曜まで(土日月祝祭日年末年始は休み)、一日3回(10:00,13:00,
 15:00)各25名まで。希望日の1カ月前から受け付けているが、申込み者が多くすぐに満
 杯になるようだ。何しろインターネットでも申し込みできるので、団体で申し込むとすぐに定
 員に達してしまう。
  この日も15:00の組でNET で申し込んだが、すぐに残り1名になった。
  もちろん見学はこの排水機場が稼働していないときだけ。台風や梅雨時の雨が多い時は
 先方の都合で見学中止になる。直近の中止は6号台風で大雨が降った7月19日午後から
 7月22日まで。

  江戸川、中川、荒川等に挟まれた地域は関東平野扇状地の中ほどにあり、総じて地盤が
 低く、台風などで中小河川が溢水するとすぐに床上、床下浸水するため、洪水対策の一環
 として放水路が検討されたが、地上開水路での建設は多大の障害があり、国道16号の地
 下に水路を設ける方式が採用され、平成4年度から着工、15年の歳月をかけて18年度に
 完成した。その後何度も起こった大雨に当たってもこの排水路の稼働で床下浸水等の被害
 は激減し、広範囲の水害被害を未然に防ぐことが出来た。
  総工費2,300億円というとかなりのものであるが、
 水害による多大の被害額を考えると、インフラとしては妥当な投資だろう。

  見学会では時間があれば映像ルームで事前に全体像をつかんでおいたほうが良い。およ
 そ10分ほどのビデオである。
  25名の見学者が一団となって2名の職員による地下水路、排水ポンプなど施設の事前説
 明の後、屋上から江戸川への排水機場など俯瞰し、案内に従って貯水槽に降りる。およそ
 22m階段で地下に降りる。116段の階段は普通のビルの4乃至5階に相当する。

        
        ビデオで紹介             巨大水流は龍に例えられる       江戸川周辺河川流域

        
       見学待ちの人             放水路の仕組み              排水ポンプの仕組み

        
       中央制御室               庄和排水機場・江戸川           この下が調水槽
                                                    左上の白い入口から地下へ

  
    巨大なシールドマシン

  一定の水位を超える洪水になると、水は中川、大落古利根川、倉松川、18号水路などの 
 中小河川に設けられた4本の立坑(地下50m)に落ち込み、直径10mの巨大な地下水路
 を経て「庄和排水機場」の調圧水槽に流れ込む。これが「地下神殿」と呼ばれる巨大な調圧
 水槽で、4台の排水ポンプで江戸川に汲み上げ排水される。1号立坑から排水機場までは
 6.3キロに及ぶ。

  地上から60mという立坑は我々には見せてもらえない。10m位手前でストップ。落ちた
 ら多分助からないし、あとが何かと大変だから。

        
    25m500トンの巨大な柱が59本並ぶ               映画・TVのロケもある

       
   広さは78×177m            第1号立坑 

  地下神殿は湿気が多く、霧が舞っていてややぼやっとしている(それがまた堪らなくいい雰
 囲気である。気温は20℃でひんやりとしていた。)。階段は湿っているし、今回のように調水
 後の底は、溜まった泥を清掃した後でまだ水が溜まっていて足元が悪い。お年寄りや子供は
 できたら避けた方が良い。
  余計なお節介であるが、中国人にお見せすると、最近は何でも一番になるのがお好きのよ
 うなので、すぐ真似るかもしれないし、航空機エンジンを使ったガスタービン排水ポンプなどは
 「うちが改良した最新技術」とおっしゃって、肝心の洪水の時に故障でもしようものなら、「元
 の技術が稚拙だから」などと責任転嫁される恐れがあるのでご遠慮願った方が良いかもしれ
 ない。 

  (以上この項終わり) 

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毛虫にご用心

2011年07月26日 | その他

クロシタアオイラガに刺された
  何十年も生きているので、これまで毛虫にも刺されたことは何度かある。
  しかし今度は正直言って、参った。

  ある日遊びに来た娘に言われて、柿の葉が虫に食われているのに気が付いた。よく見ると
 青い虫が葉っぱを食っている。何匹かいるので消毒薬(スミチオン乳剤)を入念に吹きつけた。
 これは退治したと思ったのだが、また別の葉についた。これは庭木剪定ばさみで葉を切り取っ
 て、毛虫は足でつぶした。

  さて、ある朝洋間のポーチを見ると虫の糞のようなものがたくさん落ちているのを発見。上を
 見ると、彼奴がいた!。「おのれ、逃がしてなるものか」と、脚立を持ち出して、その上から剪定
 ばさみでチョンと葉を切った。十分距離をとっていたはずなのに、折から吹いた風で毛虫のつ
 いた葉が我が腕に向かって…。犯人は「クロシタアオイラガ」。

   

  途端に腕に「バチツ!」というような痛みが走った。やられたと思って、すぐ消毒薬を吹き付け
 たが思い直して水道の流水をしばらくかけた。家人が「毛虫ならガムテープ」と、皮膚に入った
 毒針をガムテープで取ってくれた。
  しかし時すでに遅し。腕は刺された個所がこんもり腫れて、次第に腫れが広がってきて、熱を
 もってきた。
    余りひどくなると厄介なのでかかりつけのクリニックで診てもらった。詳しく聞きもしないで飲
 み薬(抗アレルギー剤:アレロック)と塗り薬(ステロイド入り:リンデロン)を処方してくれた。

  犯人のクロシタアオイラガ(もしかするとヒロヘリアオイラガ)は即刻「靴ひねりつぶしの刑」を
 執行した。

      

  毛虫は刺された翌日、3日目辺りがしんどいらしい。
  夜は腕がどんどん腫れて痛みさえ感じてよく眠れなかった。薬はほんとに効いているのか。
  朝ポーチを見るとまた糞が落ちている。見上げると「まだイタツ!」一体どこから出てくるのか。
 柿の木は6月の入梅に入る前に消毒を2回もやったのに。

      

  消毒や毛虫を退治するときには面倒でも長袖、長ズボンに履き替えて、メガネ、帽子も忘れ
 ないで作業に臨みましょう。(実はこのときは葉っぱが2枚ほどだったので横着を決め込んで
 半袖、半ズボンで立ち向かったわけで、またも反省しているところ。)

  みなさん。毛虫にはくれぐれもお気を付けを。
   
(以上この項終わり ) 

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夏の花・ひまわり

2011年07月24日 | 水彩画

観賞用ひまわりを描く
  絵の題材として夏の花といえば百合とひまわりが代表的だ。
  今年は普通に畑などで作っているヒマワリがまだ出回っていなくて、観賞用のひまわりと
 なった。
  観賞用と普通のひまわりでは葉っぱが違うし、観賞用の花も舌状花は異様に黄色い。種を採らない
 からか筒状花は細かい。
  余りに黄色いと気持ち悪いので色はやや濃いめにした。
  背景はヒマワリの巨匠ゴッホに真似て黄色でいこうかと思ったが、花が死んでしまいそうで
 ブルー系にした。しかしどうも色が濁ってしまって失敗だった。
  4号なので3時間ほどで仕上げたけれども、何となくやっつけ仕事のような仕上がりで公表
 をためらう作品となった。

   
    Clester F4

                                (以上この項終わり)
  

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西瓜つくりの終焉

2011年07月22日 | 畑の作物

孫の誕生
 
 去る7月18日、我が家に5人目の孫(男子)が誕生した。3650グラム、52センチ。
 母子とも健全で何よりのニュースであった。遠い南カリフォルニアでの出産で、まだ写真
 でしかお目にかかっていない。(これで男3、女2になった)
  
当日は「なでしこジャパン」の優勝で慶事が重なった。
  先方の父母からは男子誕生のお祝いと同時に、なでしこジャパン優勝の快事にお祝い
 を述べられ、勝った相手国だけに恐縮した。

残念・無念・また来年
  同じ18日に畑の西瓜を収穫した。もう枝が萎れてこれ以上置いておくのも意味がなく
  なったから。  
  今年のスイカ作りは少なくとも5個はちゃんとしたのが食べられると思った。
 しかし結果としては
これまでにない無様な有様である。 

  カラスの襲撃を防げなかったのは、想定外でも何でもなく、想定しておかなければな
 らないリスクだったのだし、暑い日が続いたのに、今日こそ勝つに違いないと、ひいき
 の球団のデーゲームにのこのこ出かけ、(予想通り勝ったけど)畑の水遣りをさぼって
 しまったのは、ただただ自らの怠慢の結果で、おかげで西瓜の枝があっという間に枯
 れてしまった。

  もうこのまま畑に置いておいても腐るだけと、泣く泣く期限前収穫をする始末。およそ
 30日では未熟児である。(1個は、あと5日か10日は欲しかった。もうひとつは10日か
 15日。)
  切ってみれば御覧の通り。
  来週は、はるばる広島から孫たちが「オージーのつくった西瓜」を食べに出かけてくる
 というのに。 面目ない。

  来年はしっかり管理しよう。

  <明るい未来を期待されていたころ>

        

  <突然成長が止まった>

        

  <無残な結果>   

   

      (以上この項終わり)

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丸山健二「眠れ、悪しき子よ(上/下)」を読む

2011年07月13日 | 読書

◇ 奇怪なる文体「眠れ、悪しき子よ」 著者:丸山健二  2011.4 文芸春秋社刊
 
  丸山健二なる文学者の存在は知識としてはあっても作品に触れたのは今度が初めて。
  購読紙の日曜日書評欄で紹介されていた本書の内容に惹かれ市の図書館にリクエストした。
 第1刷が4月ですぐリクエストしたが既に予約殺到で、順番が遅く6月もぎりぎりに漸く手にすることが
 出来た。梅雨の鬱陶しさを読書三昧で忘れようと伊豆の温泉宿に出かける前で、丁度間にあった。  

 丸山健二1943年生れ。長野県飯山市出身。「夏の流れ」で芥川賞を受賞した。当時23歳の同賞受賞
は、石原慎太郎・大江健三郎・平野啓一郎らと並び最年少であった。
 作品は、簡潔だが詩情に溢れる文体であったが、80年代以降男性的で硬質な文体を志向、90年代以
降は視点・人称 ・時法・題材に関して実験的な姿勢を強く打ち出すようになったという(Wikipediaから)。
小説は年1~2作、というと寡作の方かもしれない。

 さて、最近作「眠れ、悪しき子よ」は。最近の作家との比較では少々難解の部類に属する。例えば野坂
昭如氏の作品などは、句読点が連なって一つの文章が何行にもわたり、しかし文章としてきちんとまとま
っているという感嘆すべき不思議さがあったが、この作品はそれほど長文ではないものの、「 」を使って
の会話が殆どなく(わずかに1個だけあった)、文中説明的に扱われている。そんなこともあってかページ
全体が黒々としていて重く、ある意味読みにくい。かてて加えて難解な単語が多い。こんな言葉はいまど
きの読者は分からないだろうと思われる言葉を平気で使う。さすがに編集者の助言があったかルビが振
ってある。しかし漢和辞典でも引かないと正しい意味はつかめないだろう。最近の作家では稀有な存在
ではないだろうか。揶揄、睥睨、凋落、乖離、嘲弄などはパソコンでも変換してくれるが流謫(るてき)、痴
癡(おこ)、穹㝫(きゅうりゅう)、沈倫(ちんりん)、薫染(くんせん)となるとなかなかお目にかかることは少
ない。かと思うと限界集落とか自己環帰とか社会学、仏教用語かといぶかるような用語も出て来て、少な
い脳を見透かされる。

  作中の主人公「私」は、勤め人として平身低頭(営業マン)の30年に倦み、早期退職したバツ1の55
歳。買い集めたもののほとんど読んでいない哲学書を手に、生家にほど近い過疎の寒村に移り住む。
 「真の自分自身を取り戻す」ために。しかし、そこに待っていたのは兄夫婦と呆けが始まった母親、身重
の身体で郷里に帰ってきた妹が巻き起こす事件の連続。しかも移り住んだ村営住宅の好ましげな隣人が
別れた妻に堕胎させた息子に思えてきたりして、なかなか落ち着かない毎日。精神の開放と自由なる自
己の完成を目指す狙いからは次第に離れていく。(孤独によって授けられた低次の自由には満腹してし
まった。[上巻230p])
 その昔父親に抱いた殺意、呆けた母親への殺意、脅迫に来たクスリの売人が車ごと死体となって山中
の池に沈んでいるのを発見する。もしかして自分が殺してしまったのか…。
(・・・この50年の間に私は、少しずつ静かに狂っていたのかもしれない。[下巻20p])
(・・・事物の根底を見極め、進むべき新軌道を模索する気概は、怠惰によって拘束され、いかにゆるぎ
ない言葉も泥細工に思える。[下巻16p])
(・・・欲望を軽視してはならない。永遠の形成をもたらす本能の力があってこその命であり、・・・悪と
善の両面にわたる蕃性こそが世界全体を蘇生に導く原動力にほかならない。・・・だから哲学書も無用だ。
[下巻44p])

 とにかく感情の起伏が極端である。閑静な峡谷の木々の精に触れ意気軒昂になったかと思えば、
アルコールに沈殿し夢か現か幻か自分の真の姿が分からなくなると落ち込む。
 妹に冷たくあしらわれての帰り道、(無疵とはいえぬ魂が衰耗へと向かっている・・・。どうせなら身を裂
かれるほどの悲劇に巻き込まれてみたい。そのためならば精神の乱脈もやぬさかではない。真綿で首
を絞められる後半生と決別したい。[下巻 122p])
 この天野村こそ自分の住む終いの住処と思ったのに、(私に最もふさわしいのは、目先の便益に溢れ
かえった粗略な扱いを受ける人間の数が圧倒的な割合を占めた、悪臭と諸悪に満ちた大都会だ。[下巻
123p])といった具合である。

  「私」を巡る事態は混迷を深め、事件が立て続けに起こり、自由なる自己確立を目指した新しい生活も
おぼつかないものとなっていく。
 ただ地元の守り山、冥加岳(みょうがたけ)だけが厳しい問いかけをする。それは「私」の心を映す鏡だっ
たのかもしれない。

 とにかく不思議な魅力をもった小説である。人間が持つ善悪両面の要素と揺れ動く決心。時の流れ周
辺の出来ごとによって刻々と変わる心の頼りなさ。そんな人間の実態を赤裸々に見せつける作品である。
処女作「夏の流れ」を読むと、これが同一作家の作品かといぶかるほど作風が違う。これも面白い。
尤も4・50年も経てば人はそれなりに変わる。

               

                                                                                (以上この項終わり)

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