◇ シカゴ世界博覧会と連続大量殺人鬼を描く
『悪魔と博覧会』(原題:The DEVIL in the WHITE CITY)
著者:エリック・ラーソン(ERIK LARSON)
訳者:野中邦子 2006.4 文芸春秋刊
ノンフィクションの魅力は、事実のみが持つ圧倒的な迫力である。これは単に事実を羅列するだけでは得られ
ない。ポジションを変え、いろんな角度で事実をためつすがめつしながら描きだす筆力が求められる。歴史的
事実は資料比較・ルポルタージュ・インタビューなどの手法で不明瞭な状況が埋められていく。とくに有名な歴
史事実のノンフィクションとなったら、焼き直しではない何かが求められる。
「歴史を読む面白さは一種の俯瞰であり、小説を読む楽しみの一つは共感だろう。この本はこの二つの魅力
が混在している。」(訳者あとがき:507p)
著者E・ラーソンは、19世紀の終わりごろ超大国へのとば口にあった米国の、パリ大博覧会を凌ぐ「世界博」
への挑戦とイギリスで起きた連続殺人事件(1888年)、ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)を凌ぐ大量猟
奇殺人事件に焦点を当て、この時代を描く。
「(大博覧会を敢えて引き受けたシカゴの)プライドと底知れない悪(ホームズの連続大量殺人)を並べること
で人間の本質と野心をくっきりと描きだせるだろうと私は考えた。」(引用と資料:作者の言503p)
1889年パリ万博はアメリカ人を圧倒した。その大規模さとエッフェル塔を初め工学・科学技術と芸術・文化の
粋をを集約した世界博に、急速に成長し国際的な地位に自信を持ち始めたアメリカはプライドを傷つけられ、か
つてない愛国心が燃え上がった。
コロンブスのアメリカ大陸発見400年を記念しパリ万博に負けない世界博をやろう。何処が一番ふさわしいか。
首都ワシントンか。文化的にも経済的にも実力ナンバーワンのニューヨークか。歴史がありアメリカ第二の大都市
となりつつあるシカゴか。はたまた南部の大都市セントルイスか。
結局7度の投票の末シカゴが勝った。軟弱な地盤と過酷な気象条件を克服しながら巨大な博覧会場を切り開
き、いくつもの巨大な建築物を設計し構築していく一群の設計(景観と構造・建造物)技師と建築家、途中で亡くな
ったジョン・ウェルボン・ルート、最後まで博覧会の総合指揮者となったダニエル・ハドソン・バーナム、死ぬまで景
観維持にこだわったフレデリック・ロー・オームステッド。彼らはアメリカの威信と自らの建築家としての威信をかけ
てこの難事業に取り組み実現にこぎつけた。完成した通称「ホワイトシティ」は6カ月の博覧会期間中2,750万人
(最大一日に70万人)の入場者を数えた(当時米国の人口は6,500万人)。
シカゴ万博ではパリ万博のエッフェル塔を凌ぐシンボル施設が模索されていたがなかなか良いアイデアが出ず、
建築物工事が始まった1892年12月ジョージ・ワシントン・ゲール・フェリスのアイディア「直径75メートルの縦に回転
するホイール」(大観覧車)に決まった。これはアメリカはもちろん世界をあっと言わせ、会期中20万ドルを売り上
げた。
1893年10月に幕を閉じたころアメリカの経済はどんどん悪化し、失業者があふれていた。博覧会の従業員は
どっと町に溢れ、職と住まいにあぶれた人たちは、空き家となったビルに住みつき、博覧会場は荒廃し建物も火
災で焼失するものが増えた。最大の功労者バーナムはタイタニック号の沈没で親友を失った後間もなく亡くなった。
またシカゴ市長ハリソンは閉会式の前日、自分の貢献を正しく評価しなかったと市長を恨んだ狂信的な支持者
プレンダーガストに自宅において拳銃で射殺された。
一方アメリカの連続大量殺人鬼、通称「ホームズ」は本名ハーマン・ウェブスター・マジェット。1884年ミシガン大学
医学部(解剖学)を卒業。カレッジに入る前18歳でクララと結婚した。在学中から保険金詐欺など悪事に手を染めた。
彼が初めてシカゴに足を踏み入れたのは1886年8月のこと。年齢は26歳、髪は黒、パッチリとした大きな目、瞳は
驚くほど澄んだブルー、175センチ70キロで、薄い唇と黒い口髭、極めて繊細な体つきだった。
シカゴの郊外イングルウッドで言葉巧みにドラッグストアを乗っ取り、そこを担保に金を借り(債務は四の五の言っ
て払わない)、博覧会目当てのホテルを作る(家具調度品を入れるがこれも払わない)。どういうわけか人は皆この
おしゃれで、青い目でまっすぐに眼をのぞき込み、親しげに触って誠実そうな言葉で語りかける若い事業家の言い
なりになったという。人を思いのまま操る口舌はまさに天性のものだったらしい。
博覧会目当ての宿泊者向けホテル(3階建てで35室ある)は、1階は5軒入る店舗だった。いわゆる「ホームズの
館」は彼自身が設計したもので、次第に怪しげな構造の建物に変身していく。。窓のない小部屋、ガス噴出口のあ
る小部屋、窯がある地下室、次々と工事業者を代え大工なども金を払わず首を挿げ替えた。
一方ホームズは気に入った女性を見つけると言葉巧みに自分の店に雇い、口先だけで結婚する。そしてその財産
などを手に入れると秘かに館の秘密の部屋で処理し(地下には焼却窯、塩酸の入ったバケットもあった)。また次の
獲物を探す。このような異様な建物がどうして不審感をも持たれずに建設出来たのか。先ず次々と大工、左官、配管
工を代え、全体像を分からないようにしたことにある。市当局も防火施設や安全管理に全く関心を持っていなかった
ことなどがあげられよう。
ホテル宿泊者も男性はお断り、女性のうち気に入ったのは特別の部屋に泊め、夜密かに訪ね秘密の部屋に誘って
ガスで殺す。遺体は切断・解剖し、地下で解体処分する。骨格は高い値段で売れるので懇意の業者に売る。死に至
る過程が堪らない快感らしい。
しかしホームズの犯罪もフィラデルフィアのベテラン刑事フランク・ガイアの粘り強い捜査でぼろが出始める。
保険金詐欺でフィラデルフィアの刑務所に収監されたホームズを、殺人の罪で逮捕したい地方検事は、保険金詐欺
はホームズの助手ピッツェルの死をでっち上げたのではなく、ホームズ自身が殺害した疑いがあると断定。ガイア
刑事にピッツェルとその子供3人の行方を徹底捜査するよう指示した。1895年6月からホームズの足取りを追った
ガイア刑事はシンシナティ・インディアナポリス・シカゴ・デトロイトそしてトロントへ。ついにトロントの中心のホームズ
がかつて借りた家の地下室で2人の子供の遺骸を発見する。捜査開始から1カ月が経過していた。その後漸くシカゴ
警察の手が「ホームズの館」に及び、ついにおぞましい犯罪現場のすべてが暴かれることになった。
3人目の子供の遺骸はインディアナポリス近郊のアーヴィントンという小さな町の貸家の暖炉で見つかった。
博覧会の期間中数十人の女性がホームズの毒牙にかかったと思われる(200人とする説もあった)が、正確な数
は分からなかった。ホームズは獄中で回想録を3回出版したが、中身は自分の都合のいいように虚実取り交ぜてお
り、犯行の真相・実態は最後まで分からなかった。
ジャーナリストのウィリアム・マンチェスターは1932年から1972年までの政治・経済から芸能・風俗まで、アメリ
カの民衆の目で捉えたアメリカ現代史「栄光と夢」(全5巻)を書いた。膨大な資料調査と詳細な描写で綴った労作で
あるが、本書も切り取った一時期は短いものの、これに匹敵する大作といえるだろう。
(以上この項終わり)