◇ 『傷だらけのカミーユ』(原題:SACRIFICES)
著者:ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)
訳者:橘 明美 2016.10 文芸春秋社 刊(文春文庫)
カミーユ・ヴェルーヴェンシリーズ第三作目。(第1作『悲しみのイレーヌ』、第2作『その女アレックス』)
最愛の妻イレーヌを失って5年。運命的な出会いで得た恋人アンヌが宝石店襲撃の強盗犯に襲われ瀕死の重傷を
負った。カミーユはこの事件で身を切られるような心の痛手を負う。
実はこの小説は「第一日目」「第二日目」「第三日目」と三部構成となっていることで明らかなように、事件
発生から犯人逮捕までのわずか3日間の出来事である。その間手に汗を握る緊張感あふれる展開が続き気が抜け
ない。ノンストップサスペンスといってもよい。
カミーユはアンヌの大怪我(死体だといわれても仕方ない状態)を気遣いながらも犯人像解明に邁進する。
カミーユは被害者が自分の恋人だと明かすわけにはいかない。事件の担当を外されるから。右腕と頼む部下の
ルイは薄々気が付いているが、上司のミシャール部長、友人のル・グエンなどからの不信のまなざしや追及をか
わしながら、ひたすら犯人捜しに奔走する。
重傷を負ったアンヌに目撃された犯人は病院まで追いつめ執拗に殺そうと迫る。いまやかけがえのない存在と
なっているアンヌとの関係を失わないために(この事件が自分の人生を脅かすもののように思えた)(p48)
巧みにかつ強引に裏の情報網を使いながら真相に迫る。まさに傷だらけ状態となったカミーユの姿が痛々しい。
事件の犯人らは今年1月に起きた4件の宝石店襲撃事件との関連を疑い、3人組の一人宝石専門の大物ヴァンサ
ン・アフネルが首犯と断定、行方を捜す。
そして終盤。ようやくアフネルを探し当てた。しかしここに至り思わぬどんでん返し。あっという事件の真相
が明かされる。ルメートル独特のプロットの仕掛けが憎い。
第一日目の午前十時。本書の冒頭で強盗傷害事件の一部始終が詳細に描写される。実は思い返せば事の真相は
ここに隠されていた。そして時折一人称で語る「おれ」の存在。
原題の『Sacrifices(犠牲)]』の意味は。カミーユは「あの女性には嘘や裏切りがあったではないか」という
ルイの問い掛けに答える。「どん底に落ちることになっても、誰かのために何かを犠牲にできるっていうのは、
そういう誰かがいるっていうのは、悪くないと思う」(p375)
すでに現代では通用しないもっと古い時代の考え方、家族のために自分を犠牲にするということを重視した
い作者の意図がうかがえる部分である。
さて、侃々諤々(かんかんがくがく)と喧々囂々(けんけんごうごう)とを取り違えて使うのは昨今珍しくは
ないが、本作でも「喧々諤々」にお目にかかって「おお」と思った(p57)。編集者も良しとしたのであれば、
喧々諤々も市民権を得たというわけか。しかし四文字熟語でも意味が全然違うので、上下を勝手に組み合わせて
は意味が通じなくなる。
文脈からすると盛んに議論するさまを言っているが、であるとすれば「侃々諤々」であろう。喧々囂々では
「沢山の人がやかましく騒ぎ立てるさま」になってしまう。
ちなみにパソコンでも「けんけんがくがく」と入力すると「喧々諤々」と変換する。嗚呼。
(以上この項終わり)