◇ 『大罪』 著者 : 江上 剛 2006.4 徳間書店 刊
著者は1954年兵庫県生まれ。旧第一勧銀に入り、97年の第一勧銀総会屋事件では広報部次長として
混乱収拾に当たった。高杉良の『金融腐蝕列島 呪縛』のモデルという。
巻末には例によって「なお、本書はフィクションであり、実在の個人・団体等とは一切関係がありません。」
とある。
とはいうものの、こういう本に限って限りなくノンフィクションに近く、実在の個人・団体等がモデルとして存
在することを経験的に知っている吾輩は興味津々と読む。
高杉良や本書の著者江上剛もその辺の呼吸は相通じるものを持ち、実名を一字変えるなど、もじっては
いてもいくつかの事件や報道で推測が付く人物が続々登場するので迫真性がある。セミフィクションとでも
言ったらよいか、微妙な崖っぷちを歩む小説である。
キリスト教では人を罪に導く恐れのある欲望を七つ挙げ、これを避けるようにという教えがある。
「傲慢」・「嫉妬」・「暴食」・「色欲」・「怠惰」・「憤怒」・「貪欲」の七つである。
かつては「虚飾」と「憂鬱」が含まれていたが、グレゴリウスⅠ世の時に虚飾は傲慢に含め、憂鬱は怠惰と
一緒になって、新たに「嫉妬」が加えられた。虚飾は分かるがなぜ憂鬱が人の避けるべき欲望とされるのか
私にはわからない。
本書は大銀行の幹部による会社及び金融界における醜い権力争いの内幕を暴く内容であるが、著者は
権謀術数のだまし合いの流れを七つの大罪に巧みに取り込んで小説として成功している。さすが作家であ
る。財務大臣、金融庁長官、外資系投資会社、秘密探偵社と登場人物は多岐にわたる。
(一部R-15指定間違いなしのシーンがあるので本書を読む時と場所に十分お気を付け下さい。)
(以上この項終わり)
◇ 「白鹿クラシックス」から届いたしぼりたて原酒
夫の転勤で兵庫県西宮に住むこととなった長女が、銘酒「白鹿」の絞りたて原酒を送ってくれた。
江戸時代の時代小説を読んでいると「灘の下り酒」がよく出てくる。灘の生一本などといわれる酒どころ灘
五郷は神戸市灘区や東灘区に多いが、その北にある西宮も灘五郷のひとつ「西宮郷」として多くの名酒を生
み出している。
西宮郷の代表的な銘酒「白鹿」は創業が1662年(寛文2年)で350年の歴史がある。明治時代になって
建造された三つの蔵を観光資源として活用し「白鹿クラシックス」と称してレストラン&カフェ、ミュージアム
ショップを開いている。
贈ってもらった「しぼりたて原酒」は26日にしぼりあげた原酒を瓶詰めにしたものが27日に宅配された。
じつにすばやく、新酒の味わいが一段と高まる。
アルコール度数は19~20度(普通は薄めて14度くらいなのでかなり濃厚)。日本酒度は-5、酸度1.8
でかなり濃厚芳醇である。原酒から想像された甘さはすくなく、好みの辛さがあってクセになりそうである。
日本酒度3.5~5.9は辛口。6.0以上は大辛である。酸度1.8は淡麗といわれるすっきり口にあたり、普段
呑んでいる菊正は淡麗辛口であるが、この白鹿は濃醇辛口に当たる。
白鹿クラシックス限定とあるので多分ここでしか買えない(呑めない)。
(以上この項終わり)
◇『確証』 著者 : 今野 敏 2012.7 双葉社 刊
今野敏の警察もの。
今野敏の小説は前回は『逆風の街』、『TOKAGE』を読んだ。結構面白かった。
今回は警視庁刑事部捜査第三課もの。普通捜査第一課が舞台であるが、窃盗犯を担当する第三課
が舞台とは珍しい。
主役は三課の刑事萩尾秀一と相棒の武田秋穂。二人の会話・やり取りが、漫才のようなところもあっ
て面白い。
渋谷で立て続けに3件の宝石店を狙った窃盗事件、強盗殺人事件が起こった。この3件の事件に奇
妙な関連性を嗅ぎとった萩尾らは、元窃盗の情報屋迫田などを通じ独自の捜査を続けるが、強殺事件
の方を担当する捜査一課の菅井刑事と事ごとにぶつかり上司をこまらせる。
警視庁といえば捜査一課が花形。エリート意識が高く、我が物顔で振る舞い傲慢で縄張り意識がとく
に強い。事件解決には組織間の協力が必要とは言っても第一課が常に指導しようとする。他の課にも
鼻っ柱の強い萩尾のような捜査官もいてこうした一課のやり方に反発する。
この小説は第三課の捜査官がこうした鼻持ちならない第一課に一矢を報いる話である。
「娘っ子は黙っていろ」
「俺の相棒に、二度とそんな口をきくな」
「いわれるのがいやだったらちゃんと躾付けとけ」
「おれたち三課はあんたrと違って捜査員一人ひとりの意見を大事にするんだよ。俺の相棒は・・・それが
気に入らないなら好きにすればいい。おれたちは引き上げる。六郷文也を強盗殺人で引っ張って赤っ恥
をかけばいいさ。それとも、ごり押しして冤罪でぶちこむか?あんたらの得意な手だよな」
捜査第三課の萩尾刑事が捜査一課長の前で捜査第一課の菅井刑事に向かって啖呵を切る場面。ここで
はさすがにノンキャリ出身の一課長も顔色を変えた。
指紋照合金庫を破る手口が出てくる。「日本の製造業を支えているのはこうした中小企業の技術なのだ。」
今野敏もよくわかってる。
結局事件は萩尾の読み通り、一連の事件が窃盗と強盗とは関連があったものの、殺人事件は別筋のもの
ということが分かり、菅井が萩尾に頭を下げるということで決着をみる。
◇東福寺の紅葉はいま
京都の紅葉の名所は数多あるが、東山の紅葉名所のひとつ東福寺を訪ねた。
平日にもかかわらず多くの紅葉目当ての観光客が押し寄せていた。
見たところ紅葉度50%の感じではあるが、人気の「通天橋」と橋の周辺は写真を撮ろうとする
人々で押すな押すなの盛況であった。
完璧な紅葉も美しいが、そこまでの過程に見られる五分や七分の紅葉も美しい。
六波羅門から 通天橋から 通天橋の人気スポット
洗玉潤を望む 通天橋わきの紅葉 臥雲橋を望む
京都五山のひとつ「東福寺」は鎌倉時代に創建された臨済宗の大本山。南都・東大寺の「東」と
興福寺の「福」をとって東福寺としたといわれる。
見事な威容を示す三門を初め、本堂、書院、禅堂、殿鐘楼、愛染堂、開山堂、通天橋、偃月橋、
などほとんどが重文である(本堂は昭和9年の築造で重文ではない)。
今回は紅葉見物が主なので「通天橋」と境内を横断する川(鴨川へ)の周辺限定の参詣である。
三門 同左 開山堂
経堂 通天橋
方丈庭園
(以上この項終わり)
◇ 平城京と平城宮
近鉄大和西大寺駅から歩いて20分ほどで平城宮跡(世界遺産/特別史跡)に着く。
和銅3年(710)藤原宮(現在の奈良県橿原市)から都を移し奈良盆地北端につくられた平城京。
南北5キロ、東西6キロの平城京の北端に平城宮がおかれた。長岡京(現在の京都府長岡京市、
日向市、京都市西京区)に移るまで75年間日本の政治の中心であった。
昭和40年から発掘調査が進み、第一次大極殿(奈良時代前半)、第二次大極殿(奈良時代後半)
内裏、朝堂院、兵部省、式部省などの遺構が確認された。現在朱雀門、第一次大極殿が復元され
文化庁から公開されている(無料)。
平城宮跡ガイドマップ 南門から
すすき野や 大宮人が 夢のあと
佐伯門から 第一次外極殿
大極殿は天皇が即位の儀式や元日の朝賀、外国使節の謁見など家的行事を執り行う国の中心
施設で、中央に高御座が置かれ、玉座がある。英国などヨーロッパの王室なら、定めし金銀宝玉を
ちりばめた玉座を設けるところ、日本人の美意識ではきわめて簡素。屋根は鴟尾付きの入母屋造
り。高欄には五色の色玉を配した宝珠がある。
高御座 玉座 朱雀門
◇ 大和路の薬師寺と唐招提寺
<薬師寺>
大和西大寺から三つ目の駅西ノ京駅に立つ。
駅近くに南都七大寺のひとつ薬師寺がある。天武天皇の発願により創建、平城遷都に伴い現在地に
うつされた。
1300年の歴史の中で何度か兵火、災害に会い特に享禄元年(1528)の兵火では東塔を除くほとんど
の堂宇は灰燼に帰した。
昭和42年高田好胤管主により白鳳伽藍の再建が発願され、写経勧進により金堂、西塔(さいとう)、中門、
回廊、大講堂が復興された。45年かかった。白鳳時代(奈良時代のまえ飛鳥時代)の国宝・東塔(とうとう)
は現在解体修理中でこれは10年かけて2018年完成の予定。特別写経による勧進を行っていた。
薬師寺与楽門 金堂と西塔(左は修理中の東塔)
薬師寺は再興間もないことから極彩色の堂宇が並び、正直言って有難味が少ない。薬師寺と唐招提寺
は中学性などの修学絵旅行のメッカ。寒空の下中学生の群れがぞろぞろ移動し、お坊さんの勧進説教を
聞いていた。
<唐招提寺>
薬師寺から北へおよそ15分歩くと唐招提寺がある。
688年に中国揚州で誕生した鑑真和上は招かれて渡日を決意、五度の失敗を重ね盲目の身となった。
六度目に渡日を果たした鑑真和上は東大寺に戒壇を築き聖武天皇らに授戒した。759年戒律の専修道
場を創建した。これが唐招提寺の始まり。
国宝・金堂(本尊盧舎那仏座像・薬師如来立像・十一面観音立像なども国宝)、国宝・講堂、国宝・鼓楼
などなど薬師寺とは異なり穏やかで1300年の歴史を感じさせる。
とりわけ寄棟造りの金堂は、瓦葺屋根が豊かな量感と簡素な姿で見る者に迫り、感動を呼ぶ。
堂内に10年かけて大修理が行われ平成21年(2009)落慶した金堂とご本尊の仏像の大修理の様子が
詳細に説明されており興味を引いた。
唐招提寺南大門 金堂 講堂と鼓堂
(以上この項終わり)