◇『ある男』
著者: 平野 啓一郎 2018.9 文藝春秋社 刊
壮大な虚構の中に、言わんとすることを巧みに織り込み、登場人物を縦横に行き来させながら読者を翻
弄し最後にあっと言わせる結末に導く。これぞ作家のだいご味と言えよ う。
弱冠24歳で『日蝕』で芥川賞を受賞した作家であるが、先日友人のY氏から『ある男』を奨められて読み、
感銘を受けた。
物語の中心人物は城戸章良という弁護士である。あるバーで城戸と知り合った私(小説家)は、話してい
るうちに彼の真面目な性格に感じ入り親しい関係になる。彼のの告白めいた話を聞き、小説に書くことにな
る。これは戸籍交換で新しい自分を手に入れて4年足らずながら幸せな人生を味わった「ある男」の物語で
ある。
話は城戸さんが中心ではあるが、谷口里枝という女性がもう一人の重要な登場人物である。
理枝は前夫との間に男子2人を設けたが長男の難病の治療をどうするかで仲違いをして、城戸の手を借りて
離婚した。のちに谷口と出会い結婚したがその夫は山で事故死した。わずか3年9か月後のことだった。
ところが谷口が実家だといった伊香保の旅館に連絡したところ、jやってきた兄は「これは弟ではない」と言
った。つまり谷口は他人を騙っていたのである。仮にXと呼ぶこの男と谷口はどんな関係があるのか。一体誰
なのか。理枝は城戸に調査を依頼する。
城戸は昔谷口大祐の友人だったという美樹に会って谷口大祐の人となりを知ろうとしたが、Xとの関係性は
判然としない。色々調べるうちにXは「原誠」か「美野原義夫」という二人の男に絞られた。
作品中段では城戸が自分の在日韓国3世という出自に捉われていることや谷口の友人だったという美沙に
いつしか惹かれていくく様子が綴られるが、これが伏線なのかと思って思って読み進んでも一向にその気配
がなく落ち着かない。
城戸は里枝への同情心からX探しに奔走しているのだが、実は城戸自身自分の過去を捨て去って、全く
違う人生を生きたXにそこはかとない憧れを抱いている。そこには在日3世という自身の出自へのこだわりが
あるためかもしれない。
SNSを通じて城戸は谷口に会うことができた。原誠は田代昭蔵と言って殺人者を父に持つという過酷なj半
生を送ってきた。そして過去に決別しようと戸籍ブローカーから美野原の戸籍を買い、さらに谷口の戸籍と交
換したのだという。
旧姓に戻った谷口里枝は城戸からr報告書を貰い、Xと呼んだ夫の正体を知ったものの、見知らぬ谷口大
祐よりも、やさしくて誠実だった「谷口大祐」を想う。愛には過去はいらないのだ。
(以上この項終わり)