読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

をくづれ水仙郷を訪ねる

2009年01月31日 | 里歩き

鋸南町の水仙

 千葉県の水仙ロードといえば結構名が知られているが、これは「江月水仙ロード」のことかもしれない。同じ水仙ロードでも 内房線保田駅から入る「をくづれ水仙郷」のことは知らなかった。(この地区は「大崩」。なのになぜ「お」でなく「を」なのか。「くずれ」でなくなぜ「くづれ」なのか。売店の人に聞こうと思っていて機会がなかった。)

 今頃が最盛期ということで、ITクラブの有志など総勢12人で見学(鑑賞?)に出か
けた。先週の予定が雨模様ということで1週間延期。どうもわがクラブは木曜日は鬼
門らしい。この日も怪しげな雲行きで、保田駅のホームに降り立ったときも霧雨だった。
 バスはあるものの、日に何本というわけで、タクシーを使っておよそ20分。千葉県特有の小高い山々の裾をぬって進む。なるほど道端はもちろん家々の庭先や山裾、畑のような斜面といたるところに水仙が咲いている。やがてバスの終点「大崩」。しかし更に曲がりくねった道を登り、眺望が良いという津森山への登り口に着いた。

    
                                        この辺は猪が多い

 やがてこんな傾斜のきついところによくもまあという感じの「牧場」(ちょっと大げさか。「牛飼い農家」が正確かも。)が現れた。80歳くらいの爺さんが採りたての「水仙」の仕分けやら牛に飼い葉をやったりしており、ここが土産「水仙」の穴場だというのだ。(バス停辺りでは1束200円がここでは100円とのこと。しかしハイシーズンに入ったせいか150円になっていた。「でもこの前も買ってくれたから・・・。」というわけで1人に1束ずつおまけしてくれた。ありがとう。)

    

 この牧場の左手を上ると「津森山」標高336mの山頂に着く。折悪しくガスって来て、「富士山が見える」という案内板を見ただけで引き返した。

      

 お昼時ではあるが、山の斜面(カヤトの原)も湿っているし、今にも雨が落ちてき
そうな雰囲気でもあったので、お爺さんの配慮で小屋の軽トラの荷台で立食の昼
食となった。
 つい4・5m隔てて牛舎があり、遠慮も会釈もなく匂いが漂ってくるものの、格好の食事の場を提供してもらって助かった。
 この牧場ではなんとも狭いところに数えてみたら25頭もの牛を飼っていた。生後40日というかわいい仔牛もいた。頃合まで育てて、更に飼育業者に売るのだという。裏山には申し訳程度の牧草地しかないので、「飼い葉はどこから?」と聞こうと思っていて聞きそびれた。

 山を降りてから大崩バス停まで小1時間歩いた。手や背中に水仙を持って歩いていると、買ったんじゃなくてその辺からちょっと失敬したようにも見えて、気になる。
あたり一面水仙だらけで、つい写真を撮ったりして道草を食う。
段々畑の風景も良かった。

     

     
   
 この後バスは3時までないというので近くの人造湖「佐久間ダム」まで散策した。水仙だけでなく、ロウバイ、梅、河津桜などが咲き乱れ目を楽しませてくれた。
  
     

     

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春の息吹き

2009年01月30日 | その他

ふきのとうが出てきた
 春告げ野草の先駆け、「蕗の薹」が顔を出した。場所によってはまだ蕾状態。
 もう少しするとあちこちに顔を出すので頃合を見て採って、蕗味噌かてんぷら
 で賞味する。独特のほろ苦さがたまらない。つい酒が進んでしまうというのが
 欠点。しかしそれはふきのとうの与り知らぬところだ。

        
  (写真の上でクリックすると大きな画像で見られます。)



 ついでに、先頃ご紹介した「天豆(そらまめ)」のその後の成長振り。
 小さい鉢ではかわいそうなので少し大きめの鉢に移しました。
 どんどん大きくなってただ今はこんな状態です。本来なら2株にすべきところ、
 何ゆえにしっかり寄り添っているのか。移植のため鉢から抜いたらば、根が
 鉢の底に敷いた土漏れ防止用金網をしっかり捕らまえて、2本が絡みあって
 いるので、無理やり剥がすわけにもいかずそのまま移植。
 そらまめは主幹は真っ直ぐ、ほかの枝は横に伸びるので先が思いやられる。

   

 ちなみに1月7日生まれの孫(このそらまめはこの日に芽を出した。)は、
 今日3週間目で2,800グラムになりました(これで漸く標準体重?でも肌は
 ぱつぱつしていて、食べてしまいたいほどです。)(オイオイ食べるなよ!)。

銀木犀に実が

 銀木犀に実がなるのを発見したのが昨年のこと。
 さて今年は、とよく見たらやはり実がなっていた。
 金木犀も銀木犀も渡来種で雌雄異株ながら日本には雄株しか入っていない。
 (Wikipedia情報)とは言いながら現に実をつけているので、もしかしてこの樹は
 雌株で、裏にある金木犀の花粉を受けて実を付けたのかもしれない。

 どこかでやはり実を付けた株があるのではないかと調べたら・・・、
 ありました。
 散歩写真家の「せいいちろうのへや」さんのホームページ「ギンモクセイ」に載
 っていました。立派な実です(2005.2.11東京都薬用植物園)。

         
     ギンモクセイの実        木の下の実      これで実生の樹になる?

    
     ついでに「クリスマスローズ」の花芽

 

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上野鈴本で初笑い新年会

2009年01月21日 | その他

新年会は寄席で

 昨日(1月20日(月))は、吾輩が参加している「障害者施設支援グループ」の新年会。
 昨年は上野「黒門亭」(落語協会練成道場)。一昨年は「浅草演芸ホール」だった。半ば恒例化してきた。メンバーは10人いるが、今回はE女史が風邪で不参加で9人での新年会。

 都内には常設の寄席は4個所ある。ここ上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末広亭と池袋演芸場である。「次は末広亭かな」常任幹事のK氏はつぶやいた。

 「上野鈴本演芸場」は安政4年創設で150年という歴史がある。明治9年に創設者の鈴木さんの「鈴」と、別に設けられていた「軍談席本牧亭」の「本」をとって「鈴本」と名付けられたそうだ。

 開館は12:00であるがすでに何人もの人が並んでいる。裕福そうな爺さんの団体さんが並んでいた。彼らは「別途ご案内」であったが、大振りのお弁当に500mlの缶ビールが配られていて、ちょっと羨ましかった。

           
      団体さん集合   狛犬さん?も呵呵大笑   高校一年生みたいなお嬢さんが寄せ太鼓を

 上野鈴本はかつて火災にあって改造されたと聞いたが、ウナギの寝床か京都の家並みのように間口は狭いが奥行きがある。入るとすぐにエスカレーターで3階に上がる。客席は縦長に一杯一杯取ってあるので売店を取ってあとは余地なし。飲み物は2階まで行って自販機で買う。トイレは4階まで階段を上がるか、本物のお年寄りはエレベーターで上がるしかない。お客さんは年寄りが多いから火災にでもなったら大変だ。

     
      
     いよいよ開場ですぞ    公演中は撮ってはダメです  本日は楽日です。

 木戸銭は大人2,800円だが、シニアは400円負けてくれる。お得意さんだからね。
早くから並んだ甲斐あって前の方の程よい所に位置取りできた。感心したのは、ここでは新幹線のように前の座席に小テーブルが付いていて、お弁当を使うのにまことに便利。ありがたい。
 館内の自販機で買った冷たい「サッポロの黒生」でまず喉をうるおして、上野駅で買った「鯖寿司」を食べる。さらに紙パックの「淡麗・菊正」を楽しむ。
 そのうち12:15から前座が一席おうかがいをと始める。これが結構イケ面で、噺家にしておくのがもったいないくらい。隣のミヨちゃんにちょうど似合いの感じだ。

 番組は落語が5人、紙切り、三味線漫談、糸繰り(ニューマリオネット)、漫才、奇術とそれぞれ15分の出番でだが、大トリの馬風は30分しゃべる(実際は15分くらいかも)。
 最近人気の柳家三三(さんざ)、橘家文左衛門などもよかった。落語は話の間合いとかしぐさが決まっているとなんとも満足する。
 馬風はちょっと太りすぎた。話もそこそこに、やたら自作らしい歌を歌って、門下の若い連中に踊りを強要している(ように見える。特にまだ中三か高一かといった、いたいけなかわいい女の子にドリフのようなずっこけを平気でやらせている。親が見たら泣けてくるぜ、ほんとに。内弟子だからといってあんなドタバタをさせていいのか、と大いに悲憤慷慨した。)
 大体付き合っている友達がいけない。ケーシー高峰だ。
 こないだケーシー高峰が「絶対ガンで死なない方法を知ってるが聞きたいか。」というので「聞きたい。」といったら、「じゃ、1万円だせ。」と言うので1万円払ったら、「それはだ、絶対にガンで死なない方法は、ガンになる前に死ぬことだ。ガハハハハ・・・」なんて話をしてた

どっちもどっちだぜ。

 寄席がはねたら御徒町の「越後屋」に上がって、越後の銘酒(越乃寒梅、八海山、〆張り鶴、鶴の友など)の冷酒や燗酒を浴びるほど飲んで、「へぎそば」で締めるというのが新年会らしくていい。そこでちゃっかり本年度事業計画の変更案などを打ち合わせたりして、まことに抜かりがない。
 5時から飲み始めるので、2時間もするといい加減出来上がってくるが、余り羽目をはずしてはいけない。次回の飲み会の際、奥様方が美しき眉を顰めながらもしぶしぶ軍資金をお出しになる、そんな頃合いを見計らってお開きにするというのも常任幹事のK氏の腕前である。

 久しぶりに大笑いしたら、何となく寿命が延びた感じになった。
 笑う門には福が来る。笑いは諸病を払う。学問的にも証明できるそうだ。年に数回
寄席で腹を抱えて笑うことは健康維持の秘訣ではないか。
 世の奥様方は、旦那が「寄席に行ってくるよ。」などと言ったら、「寄席なんておよしなさいよ。今晩は御馳走で、お酒もいやというほど飲ませるから。」と止めるようになるに違いない。

(これ以上長生きされたらたまったもんじゃない。あたしの人生計画が狂っちゃう。)
 


 
 

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新年の水彩画初め

2009年01月17日 | 水彩画

水彩画初めは野菜
  次回は人物(モデルでコスチューム)ということなので、今回は練習で人物がらみかと
 思っていたら、先生は重そうな荷物を抱えて現れた。中身は大根、白菜、ニンジン、
 葱、ホーレンソウ。青物のオンパレード。
 重かったのは事務局のある4階から3階まで。事務局担当のS嬢に買ってもらっ
 たのだそうだ。

  今日は自作の竹ペンでさっと描いて、「勢いがあってよい。普段野菜を作ってい
 る人は観察が行き届いている。」と、いささか見当違いの評価を戴いた。大根も、
 白菜もそれぞれ主張があるので配置も難しい。位置取りをした後に自分の都合
 で変える人がいたりして、「あらあら」ということになったりする。
  さて、色をつけたが、同じ青物でも青の種類が違う。光の影の部分を強調する
 とすればどんな緑かな。何を混ぜたらいいかな。などと考えるときが悩ましくかつ
 楽しいひと時である。
  バックをどんな色にするか、毎度のことながら迷うところだ。

  案の定背景色はこの色では青や緑と余り合わない。緑オンパレードなので、背景
 にも緑がちょっと入ったほうがいいらしい。というような評価だった。ペインズグレー
 辺りがよかったかな。

      

    ところで、話は水彩画とまったく関係ありませんが、ちょっと面白い家があり
  ましたのでご紹介。

   たまに買い物などで通る隣の団地のお宅。
  「犬のトイレお断り」これは良く見かける張り紙。ところがこのお宅はいま少し
  念が入っていて、その下に
  「コーギーとマルチーズの飼い主」とある。特に注意を喚起している犬の飼い
  主を名指ししている。いかに頭にきているか、気持ちが伝わってきておかしい。
  面と向かっては言いにくいが、「特にお宅がわりーんだよ!」という訳だ。
  (コーギーというのは犬の種類ですか。)

  

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新しい生命の誕生

2009年01月14日 | その他

4人目の孫

 
既報の如く、1月7日水曜日に三女に女児が誕生した。小柄な妊婦だったので
 産科医も胎児があまり大きくならないように指導に苦労したようだ。
 おかげさまで 2,244gと小さく生まれた。それはいいが 2,500g未満の新生児は
 保育器に入る。温度を37℃とかに上げて様子を見ながら徐々に下げていくら
 しい。ガラス越しに見せてもらったときの保育器の温度表示は32℃だった。

 何しろ初産だから、事前に既に子持ちの2人の姉や、出産経験のある友達、
 インターネット、本などからたっぷりと出産時・その後の知識を仕入れたわけだが、
 何事も十人十色というくらいだから、ある程度の様子はわかっても、そのとおり
 というわけにはいかない。

 6日の朝産気づいた兆候があって昼頃産院に入った。陣痛が次第に間隔を狭
 めていって分娩室に入ることになるが、 三女の場合、この間の時間がほぼ
 一昼夜。父親になる予定の娘婿はもちろん、我々も夜もろくに眠れず、ドア越し
 に苦しい、苦しい泣き喚く声を耳にしながら、「もうすぐだから(そんな保障はど
 こにもないのに激励の気持ちだけ)しっかりがんばれ」と安産を祈るしかなか
 った。
  後から陣痛室に入る妊婦さんたちが、後から後から分娩室に入って出て行く。
 赤んぼの泣き声が聞こえるたびに「生まれた!」と思うが、
 人の赤ちゃんだった。

 陣痛が余り長引くと妊婦と胎児が力を消耗して、(胎児も生まれるための努力を
 しているが力尽きてしまうらしい)吸引とか、鉗子分娩、最悪の場合は帝王切開
 ということになる。
 今回も余り長引くため、自然分娩が無理となったらこれらの手だけをという準備
 もしていたが、妊婦が「まだがんばってみる!」といっているし、産院側も出来る
 だけ頑張ってみようということで、結局ちょっと吸引の手助けがあっただけで、何
 とか自然分娩に近い出産ができた。
 こんなときは男は何も出来ず、ただただ「うろうろ」、「はらはら」するだけ。
 こんな苦しい思いをして産んだ子は間違いなくかわいいに違いない。(こんな赤
 子を「母乳を飲んでくれないので憎らしくて畳に投げつけ
て」殺した。なんてこと
 は信じられない。) 

 越後から一年ぶりに弟が我が家を訪問することになっているので一旦家に帰ろ
 うと思って、駅に向かって歩いている途中にどうやら生まれたらしい。
 タッチの差だった。

 あれから1週間経った。初めての出産後検診では、順調な生育状態で乳幼児も
 きわめて健康体ということで先ずは安心した。

 娘の親は産後の肥立ちを実家で過ごすという美風(アメリカでは娘の母親が、娘
 の家に出かけて面倒を見るという慣わしとか。)があって、その間娘の連れ合い
 も一緒に来るからにわかに賑やかになる。
 おまけにといっては何だが、この1年間に3人の孫が生まれたので混乱の極み。
 さすがに娘の母親であるわが妻は目の回るような忙しさであった(まだ収束して
 いない)。父親だって無縁であるわけではない。常に傍から余計な口出しをして、
 適切な(と本人は信じ込んでいる)助言をしてうるさがられている。沐浴及びその
 指導。ミルクの授乳、哺乳瓶の消毒、おしめ換え、孫の機嫌がいいときだけの
 「抱っこ」。
 やることはいくらでもある。この間ブラジルの知人に、「近くまた孫が生まれるの
 で、忙しくなる・・・」とメールしたら、「奥さんが忙しくなるのは分かるけど、あなたが
 どうしていそがしくなるの?」と言われた(絶句)。

 どういうわけかこの月は誕生日が多い。1月2日(次女)、1月5日(次女の連れ
 合い)、1月7日(三女の娘)、1月23日(三女)、1月24日(三女の連れ合い)、
 1月25日(長女の娘)。
 この頃に誕生日会をやれば効率がいい。
 
 

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