◇『踏切の幽霊』
著者:高野 和明 2022.12 文芸春秋社 刊
作者11年ぶりの新作。まず題名がストレートでいい。読み始めてすぐに単純な心霊ものではない
ことがわかった。
踏切の心霊写真をきっ かけに、今は女性誌の取材記者だが、元社新聞社会部記者が踏切付
近の殺人事件との奇妙な符合を手掛かりに手堅く関連事実を追って行き、盛り場世界、裏社会、
政治家の汚職、殺人などを手繰りながら巧みにエピソードを織り交ぜ、読者を倦ませない手口が
憎い。
主人公の元新聞記者松田は愛する妻を亡くして2年、今は泣くことにも慣れた。心霊写真を初め
殺人事件の被害者でもある「髪の長い細身の女」を追跡するにつれて、作り笑いで周囲をはぐら
かして生きるしかなかったその女の哀れな育ち、過酷な人生に深い同情を覚えて彼女を死に追
いやった人非人に果敢に立ち向かう一徹さが好もしい。
幽霊写真が撮られた下北沢第三号踏切での証拠固めと、近くであった女性の殺人事件などを
調べていくうちに、殺人事件被害者が都内のキャバクラを転々と渡り歩いていたホステスらしいと
ころまでたどり着いたが、同僚らからは「暗い、作り笑いしかしない」女以上の実像はつかめない。
源氏名はともかく姓も名も偽名だった。
女を殺した島地という男は暴力団の一員で、被害者との関係は一向に解明されなかった。
ルームシェアしていたという岡島恵美という女性からも彼女はその後銀座の高級クラブに移ったと
いうこと以外新しい話は聞けなかった。しかしその話は自分の彼氏(暴力団の一員高田信吾)に
口止めされていることがようやく分かった。
政財界の連中が足しげく通う高級クラブには「枕稼ぎ」だけを任せる臨時雇いのホステスという
影のシステムがある。「シャブロン」という銀座高級クラブで先頃贈収賄容疑で騒がれた与党幹
部政治家野口が「髪の長い細身の女」を愛人として囲ってることが分かった。なぜなら田口が事
情を聴いたルームシェアの女「岡島恵美」が彼氏と無理心中のような形で踏切事故に遭ったか
ら。松田が事情を聴いてみると「シャブロン」経由で愛人契約した女の情報を漏らした廉で高田
が恵美と諍いになり踏切で高田だけ轢死したという。誰かに誘われるかのように踏切の中に進ん
でいった高田を恵美は必死で止めようとしたのだが…、間に合わなかったという。
某建設会社が野口代議士に銀座シャブロンのホステスを賄賂として提供した。これが明るみ
に出そうになったために暴力団の若手に愛人を消させて、この間の事情を知っている岡島恵
美も殺して賄賂のからくりを闇に葬らせるはずだったが高田だけ死んだのである。
髪の長い女を殺した男島地は、なぜか殺しの現場で狂乱状態に陥り、ろくに取調べも出来な
かった。松田が拘置所の島地に面会し被害者の写真を見せたところ、松田の背後に自分の殺
した髪の長い女の姿がいると再び錯乱状態になった。島地は医療刑務所で死亡したという。
女の出身地が分かった。意外なことに松田らが招聘した霊媒者が招霊実験で死者と交わした
言葉「つぐみの」が出生地の地名を示すことが判明、箱根と函南の境界に近い集落で探し当て
た母親から笑うことを知らずに育った彼女の過酷な少女時代を知る。そして松田は妻を亡くした
のちの喪失感を思い出し、涙するのだった。
松田は許し難い悪辣な政治家野口を懲らしめねばと、インタビューを口実に訪ね「人間のク
ズ、下衆野郎、地獄に落ちろ」と面罵、互いに殴る蹴るの騒動になって松田は逮捕される。
しかしそれから3時間ほどのち、1時3分頃異音と共に野口は心臓発作を起こし急死した。
天誅にも等しい亡霊の復讐であろう。
幽霊本(『踏切の幽霊』)だけにしっかりと幽霊の証拠写真2例を出しているし、最終段で殺人
の被害者「髪の長い女」の亡霊が「ラップ音」を伴いつつ主人公松田に向かってくる(感謝のた
め?)面妖な様子を書いている。また霊媒師も登場し、冥界にある死者との招霊・対話も出てく
る。
幽霊の出る1時3分は箱根方面に向かう電車の最終便が踏切を通過する時間だった。殺さ
れた髪の長い女は、瀕死の状態で望郷の念止みがたく踏切まで這って行ったのである。
幽霊中心ながらスリラー仕立てのノンストップストーリーで楽しんだ佳作であった。
(以上この項終わり)