読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

高野和明の『踏切の幽霊』

2023年08月28日 | 読書

◇『踏切の幽霊

   著者:高野 和明       2022.12 文芸春秋社 刊


 作者11年ぶりの新作。まず題名がストレートでいい。読み始めてすぐに単純な心霊ものではない
ことがわかった。
 踏切の心霊写真をきっ
かけに、今は女性誌の取材記者だが、元社新聞社会部記者が踏切付
近の殺人事件との奇妙な符合を手掛かりに手堅く関連事実を追って行き、盛り場世界、裏社会、
政治家の汚職、殺人などを手繰りながら巧みにエピソードを織り交ぜ、読者を倦ませない手口が
憎い。

 主人公の元新聞記者松田は愛する妻を亡くして2年、今は泣くことにも慣れた。心霊写真を初め
殺人事件の被害者でもある
「髪の長い細身の女」を追跡するにつれて、作り笑いで周囲をはぐら
かして生きるしかなかったその女の哀れな育ち、過酷な人生に深い同情を覚えて彼女を死に追
いやった人非人に果敢に立ち向かう一徹さが好もしい。

 幽霊写真が撮られた下北沢第三号踏切での証拠固めと、近くであった女性の殺人事件などを
調べていくうちに、殺人事件被害者が都内のキャバクラを転々と渡り歩いていたホステスらしいと
ころまでたどり着いたが、同僚らからは「暗い、作り笑いしかしない」女以上の実像はつかめない。
源氏名はともかく姓
も名も偽名だった。
 女を殺した島地という男は暴力団の一員で、被害者との関係は一向に解明されなかった。
ルームシェアしていたという岡島恵美という女性からも彼女はその後銀座の高級クラブに移ったと
いうこと以外新しい話は聞けなかった。しかしその話は自分の彼氏(暴力団の一員高田信吾)に
口止めされていることがようやく分かった。

 政財界の連中が足しげく通う高級クラブには「枕稼ぎ」だけを任せる臨時雇いのホステスという
影のシステムがある。「シャブロン」という銀座高級クラブで先頃贈収賄容疑で騒がれた与党幹
部政治家野口が「髪の長い細身の女」を愛人として囲ってることが分かった。なぜなら田口が事
情を聴いたルームシェアの女「岡島恵美」が彼氏と無理心中のような形で踏切事故に遭ったか
ら。松田が事情を聴いてみると「シャブロン」経由で愛人契約した女の情報を漏らした廉で高田
が恵美と諍いになり踏切で高田だけ轢死したという。誰かに誘われるかのように踏切の中に進ん
でいった高田を恵美は必死で止めようとしたのだが…、間に合わなかったという。
 
 某建設会社が野口代議士に銀座シャブロンのホステスを賄賂として提供した。これが明るみ
に出そうになったために暴力団の若手に愛人を消させて、この間の事情を知っている岡島恵
美も
殺して賄賂のからくりを闇に葬らせるはずだったが高田だけ死んだのである。
 髪の長い女を殺した男島地は、なぜか殺しの現場で狂乱状態に陥り、ろくに取調べも出来な
かった。松田が拘置所の島地に面会し被害者の写真を見せたところ、松田の背後に自分の殺
した髪の長い女の姿がいると再び錯乱状態になった。島地は医療刑務所で死亡したという。

 女の出身地が分かった。意外なことに松田らが招聘した霊媒者が招霊実験で死者と交わした
言葉「つぐみの
」が出生地の地名を示すことが判明、箱根と函南の境界に近い集落で探し当て
た母親から笑うことを知らずに育った彼女の過酷な少女時代を知る。そして松田は妻を亡くした
のちの喪失感を思い出し、涙す
るのだった。

 松田は許し難い悪辣な政治家野口を懲らしめねばと、インタビューを口実に訪ね「人間のク
ズ、下衆野郎、地獄に落ちろ」と面罵、互いに殴る蹴るの騒動になって松田は逮捕される。
 しかしそれから3時間ほどのち、1時3分頃異音と共に野口は心臓発作を起こし急死した。
天誅にも等しい亡霊の
復讐であろう。

 幽霊本(『踏切の幽霊』)だけにしっかりと幽霊の証拠写真2例を出しているし、最終段で殺人
の被害者「髪の長い女」の亡霊が「ラップ音」を伴いつつ主人公松田に向かってくる(感謝のた
め?
)面妖な様子を書いている。また霊媒師も登場し、冥界にある死者との招霊・対話も出てく
る。
 幽霊の出る1時3分は箱根方面に向かう電車の最終便が踏切を通過する時間だった。殺さ
れた髪の長い女は、瀕死の状態で望郷の念止みがたく踏切まで這って行ったのである。

 幽霊中心ながらスリラー仕立てのノンストップストーリーで楽しんだ佳作であった。
                                            (以上この項終わり

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ジョン・グリシャムの『大統領特赦(上・下)』

2023年08月24日 | 読書

◇ 『大統領特赦(上・下)』(原題:THE BROKER)

        著者:ジョン・グリシャム(JOHN GRISHAM)

        訳者: 白石 朗      2007.3 新潮社 刊  (新潮文庫)

     
  アメリカ議会の名うてのロビイスト(フィクサー))ジョエル・バックマ
ン。莫大な額の不正取引疑惑で逮捕され司法取引の末容疑を認め刑務所に入っ
ていた。
 刑期を6年ほど消化したある日、突然釈放された。格別の成果を上げること
もなくホワイトハウスを去る大統領アーサー・モーガンによる任期切れ直前大
統領特赦のおかげ。当然バックマンから莫大な買収金が払われたと取りざたさ
れた。しかし実は真の目的はバックマンをどこの国の誰がバックマンを殺すか
見定めるというCIAの企みだった。

 ジョン・グリシャムといえば、押しも押されぬ法廷もの作者。リーガル・ス
リラーの第一人者である。そのJ・グルシャムの最新作が本書。珍しくも「逃亡
者」が巻き起こすサスペンス中心の作品である。

 司法取引で刑務所に入っているとはいえ、バックマンは国家安全保障の観点
からいえば依然として爆弾的存在だった。偵察衛星、航法衛星、通信衛星など
あらゆる衛星を自在に操ることができる高機能運用システムを手に入れ、中国、
イスラエル、サウジアラビア、ロシアを相手に巧妙に立ち回り、高額な対価で
システムの管理ソフトを売り込んでいた。最も強い関心を示したのはサウジア
ラビアで、デモンストレーションを確認の上手付金1億ドルを払っっていた。

 CIAはバックマンが特赦で釈放されたのちは、国外に出て二度と米国に戻ら
ないこと、新しい名前と身分の下、誰にも見付けられない地で暮らすという条
件を告げられた。内実は常にCIAに生殺与奪の鍵を握られているということで
ある。CIAはバックマンに手玉をとられた各国のどこかが彼の命を狙うと踏
んでいた。

 バックマンの新しい名はマルコ・ラッツェーリ。当面CIAのルイージという
若い男が監視役として付いた。住まい食事、衣装など最低限必要なものを用
意してくれた。そして若い学生を付けてイタリア語を勉強させられることに
なった。落ち着き場所は作者もお気に入りのイタリアの中核都市ボローニャ。
 いつ誰に襲われるか分からないバックマンは常に周囲に目を配り、挙動不
審な人物がいないか気を配った。二番目のイタリア語教師はフランチェスカ。
旅行ガイドが本職だが、冬場の手隙の期間マルコの教師を受け持った。
フランチェスカは脚をねん挫した事故をきっかけにマルコと真から打ち解け
マルコのおかれた状況を理解し支援を惜しまない関係になった。

 上巻はほぼボローニャでの逃避行の描写に明け暮れる。ボローニャの旧跡
めぐりや料理の堪能、風光明媚な丘からの眺望など情景描写が見事。
 マルコはいつ襲われるか分からないので、細い路地迄歩いて知り尽くした。
コーヒーが、ビールが好きなのでカフェやパブはほぼ総なめにした。  

 そして下巻はスリリングな展開へ。電話やスマホでの他者との連絡を禁止
されていたマルコはルイージの目を盗み、電子メールで息子のニールと連絡
を取ることに成功、フランチェスカの手を借りてパスポートを入手し、変装
を手伝ってもらいボローニャからの脱出に成功する。
 ボローニヤからミラノ,ミラノからチューリッヒ、ニューヨークからワシ
ントンへと向かう。
 チューリッヒのラインラント銀行の貸金庫に預けていた衛星システムのソ
フトウェアの入った4枚のディスクを取り出したマルコはディスクを手にア
メリカのニールと連絡を取り合いNYからアムトラックでワシントンに渡り
逆襲に着手する。相手はCIA。
 世界の諜報活動に通じている元上院議員クレイバーンは国防総省国防情報
局ローランド少佐と取引することを勧めた。バックマンは身の安全保証と政
府がこの問題から一切手を引くことを要求し、問題のファイルを渡した。
 旧知のワシントンポストの記者に連絡し、独占記事となるビッグニュース
を告げ安全ネットを敷いた。

 今ではバックマンの楽しみは懐かしいボローニャでフランチェスカと語り
合うことだった。
                        (以上この項終わり)

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中西智佐乃の『狭間の者たちへ』

2023年08月16日 | 読書

◇『狭間の者たちへ

        著者:中西智佐乃    2023.6 新潮社 刊

   
  新潮新人賞受賞後第3作目。「狭間の者たちへ」、「尾を喰う蛇」2作の小説集。

<狭間の者たちへ>

 さえない、ダサいことを自認している中年男。妻と娘がいるが、妻を愛しているわ
けでもない。
 保険会社支店の営業担当であるが、成績も上がらず、年下の上司にコケにされてい
る日常の鬱憤が積もりに積もっている。二人目の子供を求める妻に迫られても必死に
拒む。

 結婚前には風俗店の「あーちゃん」という女性に入れ込んで通い詰めた。高価なプ
レゼントもしたのに結局逃げられた。彼女を「底辺から救ってやる」ような上から目
線が疎ましかったからだ。

 週2回、早番のある時間帯の電車で一緒になる女子高生。咲きたての花のような、青
みががかった甘い匂いがする。彼女の後ろに立ち息をつめてせい一杯吸い込む。元気を
分けてもらう。
 ある日間違いなくこうした邪な習性を見透かした男にズバリ指摘される。「触ったら
ガチでアウトです」その男もスマホで画像を撮って楽しんでいるらしい。
 「あの子が好きなのはわかるけど、ほどほどにしておいた方がいいよ、これ以上はヤ
バいって」その男にはバレバレだった。
 いつの間にか同類の仲間とみた男にはストーカー紛いの接近をそそのかされたが必死
で逃がれた。

 「彼女が無防備に臭いをふりまかなければ近くに立っていることはなかった」こんな
身勝手な言い訳はないだろう。責任回避、都合の悪いことは人のせいにする。こんな人
は結構どこにでもいるみたいだけど。触っていなければ痴漢ではない。そう思っている
だろうが犯罪構成要件は満たしていないにしても、頭の中で想像してることは痴漢行為
の温床ではないか。電車が揺れて彼女の背に急接近した際に下腹部が熱を帯びたり、女
子高生の硬い背中にあーちゃんを思い浮かべたりするのがその証拠だ。

 その女子高生は不審な挙動の男には気が付いていた。
 ある日彼女は「この人に痴漢されました!」と叫ぶ。近くには私服の三人の警官。
男はこう思っていた。”電車の彼女は自分を避けたことがない。彼女は自分を赦してくれ
ているのだ” 何という自分勝手な思い込みだろうか。

   この小説はリアルな犯罪とのあわいにうごめく者たちへの警告かもしれない。

<尾を喰う蛇>

 介護を担う人が直面する身近な諸問題、日常的に巻き起こる出来事に介護の当事者が
どう向き合っているか、相手となる当事者の患者はどう受け止めてるのか。権力を持つ
ものとこれを受け止めるしかない人たちが織りなすデリケートな問題を描いた短編。

 主人公小沢興毅は35歳、某総合病院の介護職員(介護福祉士)である。普通の大学は
無理だったので専門学校を出て介護職になった。ガタイが良いので職場では重宝がられ
て、本人も患者から感謝されると励みになって仕事に張り合いが出る方だった。興毅は
病院より介護施設のほうがやりがいがあると持っている。
 介護の仕事も多岐にわたる。食事や排泄の介助、入浴の世話、口腔ケア、入退院時の
ベッドメイク、権さリハビリの移動介助。排せつやおむつ替え時の便には息をつめて作
業をせざるを得ない。患者の口臭もつらい。まれにセクハラや暴力を振るう患者もいる。

 89歳になっても人間が出来ていないなと思って、興毅が89と心の中で呼んでいる患者
がいる。介助が必要なのに一人でできると頑張る、何か気に食わないことがあると言葉
がうまく出ずに手が出る。歳を取っているので何でも許されていると思っている甘えが
ある。
 89の隣のベッドの北口さんの話では最近入ったたばかりの若い女性介護士に触って
ばかりいるらしい。胸やお尻に。殴ることもあるらしい。見かねた興毅は抵抗する89に
は指に力を入れて押さえつける。非力な89は怯える。耄碌しているのに女に触る89。
やってはいけないのだが、咎め、懲らしめるためである。
 その後興毅を見ると89はおとなしくなった。89は夢の記憶をちょっと口にしたばかり
に興毅に聞きとがめられて、追及された結果、認知症の症状を悪化させてしまった。
 
 病院では医師、技師、看護師、介護士など職種によるヒエラルキーが厳しい。介護の
分野でも正規職員とパートさん、パートもフルタイムとショートでは違いがある。休憩
時間や休暇の取得などでは正規職員がしわ寄せを食らって割を食うことが多い。
 興毅は家族との間に確執が横たわる。妹は夫子ども共に実家から離れない。母親は興
毅に気遣うこともない、いら立つばかりである。
 2年ほど同棲し分かれた元カノの京子が興毅の友人と結婚するのだという。興毅のや
さしさに好意を示していた片岡さんは、別れを惜しみもせず嬉々として退院していった。
興毅の視界は荒涼として冴えない。これが患者への更なる加圧につながらなければよい
が。

 「尾を喰う蛇」は89の同室の患者北口の夢に現れる。北口はソ連兵の侵攻を逃れい
ち早く満州から帰国できたことを恥じている戦中派の老人である。

                            (以上この項終わり)

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陳思宏の『亡霊の地』

2023年08月07日 | 読書

◇ 『亡霊の地

   著者:陳 思 宏   
   訳者:三須 祐介 2023.5  早川書房 

    
   台湾中部台北近くの永靖の出身である作者が、故郷の地での思い出を背景に紡いだ、
陳一家9人の壮絶なエピソードである。

 作者はこの永靖の地を「亡霊の地」という(原作は『鬼地方』)。鬼の地である。
鬼には幽霊や亡霊という意味の外に劣悪な、どうしようもないという形容詞でもある。
だから作者は「鬼の地=くそったれの地」という意味も持たせた。保守的で結構どろ
どろした因習が根付いた田舎町の中で濃密すぎる人間関係が織りなす悲喜劇にふさわ
しい題名かもしれない。

 永靖という町の情景描写が優れ、作者がこの故郷の町に持つかぎりない愛着と哀切
あふれる思いが十分に伝わってくる。また日本統治下の台湾、毛沢東の中国を逃れた
国民党支配時代の台湾、そして民主化の道を選んだ今の台湾の姿を垣間見ることがで
きる。
 
 台湾の中元節(旧暦の7月15日)には亡くなった人たちが亡霊となって帰ってく
る。死者だけでなく生者も帰郷する。亡者たちと再会するためでもある。

 この小説の主人公は陳家の末子次男坊陳天宏。泣き虫と言われながら5人の姉に育
てら れた。小学生の頃から近くの王家の次男「赤い短パン」と仲が良かったし、長じ
てベルリンでTというドイツ人と恋人同士になった。ゲイを公にしている作家である。
天宏はTを殺害したかどで服役していた。そして中元節に帰郷した。

 この小説は第一部から第三部まで陳家の家族れぞれが要り替わり立ち代わり独特の
個性の下に自分と自分の周辺の人物との関係性を語るのである。次第に全体の相貌が
見えてくるが、第三部に衝撃的な事実が明らかになる。陳一族の悲劇を生んだ素地は
何なのだろうか。
 5女は自死した。甘やかされて育った長男の天一は中国へ行ったまま父の葬儀にも
帰ってこない。末子の次男坊は同性愛の相手と刃傷沙汰を起こし刑務所に入った。母
親は長い間隣家の主人と不倫関係にあった。同性愛罪悪視の社会意識がいまだに残っ
ているらしい台湾で、家父長制の残滓から抜けきらない家族意識を基礎に家族同士の
愛憎と葛藤、トラウマが醸し出した悲劇である。

 宏一がドイツから帰ってきて、父親の墓前で3人の姉がそれぞれなりの兄弟姉妹父
母の受け止め方を白状し合うところが大家族のリアリティを描き出していてよかった。
                               
                           (以上この項終わり)

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