読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

新刊:六人の容疑者

2010年12月27日 | 読書

6人の容疑者」(上・下) 
            著者:ヴィカース・スワループ 訳者:子安亜弥
 
            2010.9月㈱武田ランダムハウスジャパン刊
  
  一応ジャンルとしてはサスペンスの属するのかもしれないが、久々に面白い本を読んだ。

 柏市では この10月に図書館システムの更新があり、ときどきメールで新規蔵書到着の
お知らせがある。その中の一冊に興味をひかれリクエストしたら意外と早く順番が巡ってき
た。

 最初はちょっと退屈するようなテンポで読むのを止めようかと思った。読み進むうちに、まる
で異世界の6人の容疑者ごとの事情が章ごとに代わる代わる展開し、それがあまり知ること
の少ないインドが舞台とあって、次第に興味が増し、かつ二転三転ののち最後の最後にえっ
というところに落ちが来たので、結論としては「まあ面白い作品」と評価できた。

  この作家はインド北部ウッタル・プラデーション州生まれ。大学で歴史学、心理学、哲学を
 学んで外交官になった。トルコ、アメリカ、エチオピア、イギリス、南アフリカなどで外交官と
 して勤務、現在は在大阪インド総領事として日本に赴任している。そのうち大阪を舞台に
 した作品が誕生するかもしれない。

  デビュー作は「ぼくと1ルピーの神様」は40カ国語以上に翻訳され、映画化された。アカデ
 ミー賞を初め50以上の映画賞を受賞し話題となった。
  本書は第2作。早くもイギリスで映画化が予定されているらしい。

  パーティで殺人が起きる。その殺人現場という1点でまったく境遇を異にする6人の容疑者
 が交錯する。
  ①自分とそっくりの貧しい娘に人生を乗っ取られていく女優。
  ②偶然大金を拾ったことで、身分違いの恋に落ちたケチな泥棒。
  ③殺人を犯した息子のしりぬぐいに奔走する大物政治家。
  ④絶滅の危機に瀕する部族の少年。
  ⑤州の元高級官僚。
  ⑥文通相手のインドの女優に会いに来たアメリカ人。  
  
  容疑者がなぜそこにいたのか。そこに至る事情が長々と語られる。あまり知ることの少ない
 インド人の生活・インド社会の実情がが面白い。
  いまだに厳然と残るカースト社会、政治の腐敗、汚職、貧富の余りに大きな落差、ガンジス
 川の実像等々、小説としてのストーリーを超える興味津々たるものがある。
  面白いことにタリバンやオサマ・ビン・ラディンも登場する。

   

     (以上この項終わり)

 

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X'masも終わり・・・

2010年12月26日 | その他

しこの夜

  昔のクリスマスの夜の喧騒を知っている吾輩などには、最近の「清し」この夜は落ち着いたもの
 となって、宗教祭日にふさわしい。
  今年も三女の家にお呼ばれで「流山おおたかの森」へ。
 ショッピングモールのある広場は昨年よりも飾り付けが増えた。

            

  3時ころから X'mas song のメロディーが流れる中、5人だけのささやかなX'masパーティ
 が始まった。

  まずはプレゼント交換。
  パーティと言ったらシャンパンでしょう。次いでビール、ワイン。
  メインディッシュは鶏の丸焼き。
  鶏は2日間予備調理して寝かせるので、予約して時間に取りに行くらしい。娘婿は小さいころ
 からドイツ仕込みのうでまえなので調理もお任せ。ローズマリーやタイムなどのハーブやニンニ
 ク・レモン・バターなどを腹に詰め込んでじっくりとオーブンで焼く。今年も皮がこんがりと焼け、肉
 も適当に味が染みていておいしかった。
  鶏は七面鳥はなかなか手に入らないので地鶏。名古屋コーチンや比内鶏のような銘柄鶏は
 少々お値段が張るようだ。
  胸肉ともも肉は味が違うので肉の交換もやった。もも肉の方がうまい。

        


  昨年は孫のMちゃん(もうすぐ2歳)はクリスマスケーキの明かりを吹き消すこともままならな
 かったが、今度はしっかりとローソクの火の一気吹きができたし、ケーキの生クリームや大好き
 なイチゴも分け前があり、 祖父母からプレゼント(おままごとセット)を貰ったりで大満足。

            

 (以上この項終わり)

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南太平洋の楽園・バヌアツ共和国

2010年12月19日 | その他

幸福度指数ナンバーワン・バヌアツ
 「バヌアツ」
 ご存知でしたか?南太平洋の島国。

 柏市国際交流協会(KIRA)の国際理解委員会所属の柏市議K氏に誘われて、「フレンドシップ部会」主催の
講演会に参加しました。

 「南太平洋の楽園・バヌアツ共和国について」
 講師はJICA(独立行政法人:国際協力機構)の「シニア海外ボランティア」の一員として2004年から2年間
バヌアツ国の商工会議所で支援活動をされた白鳥貞夫氏。同世代ながら仕事柄もあって、五大陸諸国、米国
50州、日本47都道府県、日本百名山を征服されるなど身体頑健でバイタリティ溢れる、頼もしい偉丈夫シニア
でした。
(JICAのボランティア事業としては「シニア海外ボランティア」の外「海外青年協力隊」がよく知られています。)

  
  (講演中)



バヌアツ共和国とは
 昔(1966年)森村桂の「天国に一番近い島」という本がベストセラーになった。南太平洋のニューカレドニア
がその島だとされたが、「バヌアツ共和国」はそこからやや赤道より(南緯15度近辺)にある。映画「南太平洋」
のモデルとして知られる。それより太平洋戦争での激戦地ガダルカナル島(ソロモン諸島)の南隣の島といった
方が分かりやすいであろう。

  
  (バヌアツの位置は)

 真珠湾攻撃の翌年には米軍はバヌアツに十万の大軍を送り込んでソロモン諸島に進出する日本軍を待ち構
えていたという。(バヌアツの人たちがアメリカ軍と接した様子は白鳥氏のホームページ「バヌアツ通信」の「バ
ヌアツ人の戦争体験」が面白い。)
 日本軍が泥沼の戦いで、なすすべもなく、完膚なきまでに叩かれたガダルカナル島の隣が、今世界でもっと
も幸福度の高い国とされているという皮肉こ戸惑わざるをえない。 

 「国民の人生満足度」に「平均寿命」を掛け合わせ「環境負荷レベル」で割った数値を「国民幸福度指数」と名
付けランク付けすると(英国シンクタンク「NEF」発表)、ナンバーワンは「バヌアツ」。日本は178国中95位。
ちなみに世界の大国アメリカは150位、最下位はアフリカのジンバブエ。
(バヌアツの平均寿命は68.6歳(2006年))
もっともこの幸福度指数は、資源を乱費して快適な生活を手に入れた西洋文化圏の人が、反省の意味を込めて
本当の幸福とは何かを問い直すために考え出したものといえなくはない。西洋文明を垣間見たバヌアツの人は
「おれたちは幸せとは言えないよ」というかもしれない。

 何しろ食料はふんだんにあり、食うに困らない(この辺はアフリカの内陸国とは大いに違う)。白鳥氏は面白い方
で「できちゃった農業(種を蒔かなくても作物ができる)」、「獲れちゃった漁業(海へ行ったら魚が獲れた)」と表現
していた。また、心配事がない。一般の、普通の人は外部情報を得る手だて(新聞・TV・郵便・電話など)がない
ので他の文明社会と比較することがない。したがってストレスがない。着るものはいつもどこでも腰箕だけでいい
ので、余計な心配をしなくともよい。車など環境負荷の大きいものがない。等々羨ましい面が多々ある。

    
    (講演の中で流れた画像)


 人口はおよそ21万人。80余の島々(火山列島)に110ほどの種族が住む。陸地を合わせても新潟県ほどの面
積。最大の島はEspirituSantoであるが、Efate島に首都Port-Vilaがある。首都のあるエファテ島に全人口の
1/4が住んでいる。大半が先住民で、外国人は2,000人程度で旧共同統治国の英・仏のほか中国・ベトナム人。
英仏語が公用語であり、豪州英語がベースになったビスラマ語が共通語として用いることになってはいるがまだ
十分浸透していない。種族ごとに独自の言語があるらしいがその文字はない。
 パプア・ニューギニアといえば食人族が話題になるが、ここバヌアツも種族抗争の末、勝者は敗者種族の族長を
食べることによって勝者の証を立てる習わしであったが、1969年を最後に食人儀式の記録はないという。

◇バヌアツの歴史
 どうやらバヌアツ人はモンゴル系とアフリカ系の混血らしい。その証拠にバヌアツ人には蒙古斑がある。肌が
黒いのにどうして蒙古斑がわかるか。彼らも生まれた時は色白で、空気に触れて次第に黒くなるのだという。
お産婆さんに聞いた話ということなのでほんとだろう。これは新しい知識で聞かなければわからない。
 日本人とルーツが同じせいかどうか知らないが、伝承民話には「浦島伝説」、「竹取物語」、「因幡のしろうさぎ」
「羽衣伝説」に似たものがあり興味深いとのこと。(白鳥氏の「バヌアツの民話」参照)

 バヌアツに初めて接触した西洋人はポルトガル人のペドロ・フェルナンデス・デ・キロスと言われている。
その後フランス・イギリス人が入ってきたが天然資源に乏く余り興味をひかなかったようであるが、香料の白檀が
発見されて一時賑わった。白人が持ち込んだ疫病や人狩り(奴隷化)などで、一時100万人を数えた人口も20
世紀初頭には4万人程度まで減ったという。
 ドイツ人が植民的支配に乗り出し始めた19世紀半ばに英仏は共同統治に乗り出した。第2次大戦後畜産のた
めの放牧場化などで白人の収奪的土地買収が進み、トラブルが表面化して独立機運が高まり、的英仏の主導
権争いが水面下であったものの、1980年7月30日独立を果たした。現在は小党乱立の不安定な連合政権なが
ら比較的政情は安定しているという。

 終わりに
 1時間半程度の講演の後、更に1時間半も参加者から多くの質問が続きました。第二次大戦後急速に国際社
会の仲間入りを進めた国の持つ悩み・問題点について興味が尽きないのは当然です。
 教育の義務化など教育システム。教師の確保。医療体制。先住民自身の起業化。外国人の食生活。統治機構
の問題等々話題は尽きませんでした。
 
 白鳥さんは事業経営の指導が役割で商工会議所に派遣されたことから、現場が自分の仕事を考えるという方
法論を伝えるために「品質管理」を説明したそうです。「ろくに産業もないところで「品質管理」が役立ったんです
か」と質問がありました。方法論なので役所の仕事にも役立つと講演を求められたそうです。アメリカ生まれの品
質管理論ながら、日本が独自の手法で発展を遂げて世界標準となった標準化など「品質管理」野考え方がバヌ
アツで根付くことを願ってやみません。

 白人が入り込んで貨幣経済が持ち込まれた。独立も果たした。教育も義務化して金銭でやり取りすることが増え
て、何とかしなければならないと余計な心配が増えたようです。白鳥さんはバヌアツを去るにあたって、この国が
自分たちの手で産業をつくりだし育てていくには、どんな分野でどんな手立てがあるだろうか考えました。先進国
型の金儲けの手法ではなく、人間味豊かなバヌアツ型のビジネスモデルを創って、人類幸福のお手本にして欲し
いと願ったそうです。

(以上講演でのお話と白鳥氏のWebページを参考に綴りました。)

(以上この項終わり)

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ドライフラワーと蜜柑

2010年12月17日 | 水彩画
秋の絵のモチーフ(素材)は
 11月はドライフラワーを描くのが2回も続いた。素材不足なのだ。
 2回目は不覚にも風邪気味で欠席。

 生き生きとした花や果物はそれだけで絵心をくすぐるが、ドライフラワーも生あるものが命を
終えた後の静謐さのようなものが漂っていて、これを引き出すのも努力のうち。

 
   Clester 6号  

 12月に入って「みかん」。これはどうしても山のような姿で目の前にあって、うんざりしがちで
あるが、これがよく見るとなかなか一様ではなく、個性を見出すことが大切。
 

 
   Clester 6号

   (以上この項終わり)
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自家栽培の落花生を食べる

2010年12月16日 | 畑の作物

味は上々自家製の落花生
  5月に種を蒔いて11月に採り入れた落花生。
  そのまま干して12月7日にようやく枝から実をもぎ取って洗った。枝は生ゴミの日に出したが
 7束もあった。
  豆は大粒のものがおよそ1キロ。中粒がおよそ1.5キロ。
  洗った後ちゃんと実が入ったものと入っていないものを選別する。実が入っていないものは
 軽いし、振っても音がしない。これがまた結構多くて2割くらいはある。

        

  これは音がしないから入っていないのかなと思って割ってみると若干萎びたもの、小ぶりの
 ものが入っていたり、みっしりとした大粒のが入っていたりする。
 こんな試し割りしたのをフライパンで炒ってみた。

    

 昔は焙烙(ほうろく)といって網でできた炒る道具があったがいつの間にか姿を消した。豆を
 炒るようなことが少なくなったからか。
  もっとカラッとして欲しかったが結構味がいい(手前味噌)。

  今度は殻つきのままで炒ってみよう。
  実はまだ干す前に生の落花生を茹でて賞味すればよかったのに、すっかり忘れていた。
 来年は忘れないようにしよう。

 (以上この項終わり)

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