和田という画家が盗作したとして騒がれていますね。世間一般的な尺度で見たら、どうみても盗作でしょうが、彼は「全ては調書でお話します」って言っています。
あそこまでそっくりさんの絵を何枚も描くわけですから、おそらく彼の盗作の基準は世間一般とはかなりかけ離れているのでは?(笑)業界には「クリソツ」という言葉がありますが、音楽の世界ではそのクリソツはあちこちにあります。作曲の場合は、メロディーの形をそのままとってさえいなければいいという基準があるようです。4小節未満ならマンマでもオーケーという話も聞いたことがあります。本当かどうか知りませんが。
音楽には色んな要素があって、例えばハーモニー進行、リズム動機、テンポ、メロディ、アレンジなどがひとつの曲の個性を形作ります。従って、メロディそのものの形が異なっていても、それ以外を同じにしたら、元の楽曲の雰囲気はいくらでも醸し出すことができます。
よく使われたのが、エンターテインメントという曲。メロディの高低以外はハーモニー進行もリズム動機もテンポも全くいっしょのクリソツというかパクリが堂々とCMで流れていましたが、こういうのは著作権違反に問われないようです。こういうのって本当は結構タチが悪いと思うんですが、堂々と通っているんですよね。和田氏はこのあたりを見ていて、なら俺も絵で同じことをしても大丈夫だし、筋が通るって思ったのかも。
現行のCMでは、キ○○ビールの宣伝に使われている音楽。スーザ作曲のワシントン・ポストという行進曲を元にしている音楽が使われている感じがするんですよね。リズム動機の転用はマンマではなく、他も結構違う部分もあるんですが、ベースの音楽がワシントン・ポストじゃないかなってパッと思ってしまうんですよね。もっとも1932年死亡のスーザは著作権が消滅しているので、堂々と使ってもいいんでしょうけど。そういや昔、オーム真理教が経営していたパソコンショップで、同じくワシントン・ポストクリソツが店の中でガンガン流れていました。信者の中で作曲が得意な人がいたんでしょうけど、こっちはかなりマンマに近いモノでした。
エ○○ビールの宣伝の音楽も、第三の男のテーマのクリソツだし・・・これを書いていたら、テレビから流れてきました。(笑)というか、これはテーマそのものかも知れませんが、メロディの後半部が少し異なっているので、クリソツなんでしょう。
こういうのってクライアントの方で「○○」という曲と全く同じ雰囲気の曲を書いてくれっていう希望が作曲家の方にだされることがあるみたいです。職人肌の作曲家は依頼通り技術の粋を尽くしてクリソツ音楽を書く、という感じですね。ま、作曲上の一つの技法ではありますね。
昔は「定旋律」と呼ばれていたスタンダードみたいなメロディがあって、それに2つとか3つの別のメロディをつけてポリフォニックな楽曲を作るという技法がありましたし(15世紀頃)、もう少し後になるとラ・フォリアみたいなバスの定旋律(スタンダードな和音進行)に変奏曲を作るという技法がよく使われました。これらはみんなに共有の作曲素材ですね。
15世紀に著作権法はありませんでしたが、あえて著作権法の網をかけてみると、定旋律に別のメロディラインをつけるのはアウト。もしその定旋律の作者が死んで50年以上たっていればオーケーです。バス・ラインに定旋律がある場合は、著作権法では全てオーケーです。音楽著作権の盗作基準はメロディのラインがどうなのかにあり、それはそれで法律家にはわかりやすいのかも知れませんが、音楽家の側から見ると非常にへんてこなもので隙だらけです。メロディラインさえ替えれば、いくら似ていてもオーケー、メロディラインをそのまま使っていてもいくらでも全く異なる雰囲気の音楽は出来ますが、それはアウトです。
要するに著作権法の基準なんて、別に絶対的なものでもなんでもなく、現代の法律や金儲けの事情に合わせて作られているだけみたいですね。芸術家たるもの、そんな世事に合わせて仕事をしているわけではないなく、創造行為とは何かということを追求しているわけですから、現代の決めごととの軋轢は出てきて当然。和田さんはそのあたりの主張を展開するのかな?
日展に出している人でルノアールそっくりの絵を描く人がいるみたいですが(名前は忘れましたが、そういう絵を確かに見たことがあります)、和田さんが「あいつの絵だってルノアールの特定の絵と同じ物はないけど、ルノアールまんまじゃん。俺の絵なんかよく見てみろよ。細部は一杯違ってるじゃん。何であいつの絵がルノアールの盗作じゃなくて、俺の絵がスギの盗作になるん?」なんて泥仕合はおもしろそうですね。ちょっと次元が低い話ではありますが。(笑)
あそこまでそっくりさんの絵を何枚も描くわけですから、おそらく彼の盗作の基準は世間一般とはかなりかけ離れているのでは?(笑)業界には「クリソツ」という言葉がありますが、音楽の世界ではそのクリソツはあちこちにあります。作曲の場合は、メロディーの形をそのままとってさえいなければいいという基準があるようです。4小節未満ならマンマでもオーケーという話も聞いたことがあります。本当かどうか知りませんが。
音楽には色んな要素があって、例えばハーモニー進行、リズム動機、テンポ、メロディ、アレンジなどがひとつの曲の個性を形作ります。従って、メロディそのものの形が異なっていても、それ以外を同じにしたら、元の楽曲の雰囲気はいくらでも醸し出すことができます。
よく使われたのが、エンターテインメントという曲。メロディの高低以外はハーモニー進行もリズム動機もテンポも全くいっしょのクリソツというかパクリが堂々とCMで流れていましたが、こういうのは著作権違反に問われないようです。こういうのって本当は結構タチが悪いと思うんですが、堂々と通っているんですよね。和田氏はこのあたりを見ていて、なら俺も絵で同じことをしても大丈夫だし、筋が通るって思ったのかも。
現行のCMでは、キ○○ビールの宣伝に使われている音楽。スーザ作曲のワシントン・ポストという行進曲を元にしている音楽が使われている感じがするんですよね。リズム動機の転用はマンマではなく、他も結構違う部分もあるんですが、ベースの音楽がワシントン・ポストじゃないかなってパッと思ってしまうんですよね。もっとも1932年死亡のスーザは著作権が消滅しているので、堂々と使ってもいいんでしょうけど。そういや昔、オーム真理教が経営していたパソコンショップで、同じくワシントン・ポストクリソツが店の中でガンガン流れていました。信者の中で作曲が得意な人がいたんでしょうけど、こっちはかなりマンマに近いモノでした。
エ○○ビールの宣伝の音楽も、第三の男のテーマのクリソツだし・・・これを書いていたら、テレビから流れてきました。(笑)というか、これはテーマそのものかも知れませんが、メロディの後半部が少し異なっているので、クリソツなんでしょう。
こういうのってクライアントの方で「○○」という曲と全く同じ雰囲気の曲を書いてくれっていう希望が作曲家の方にだされることがあるみたいです。職人肌の作曲家は依頼通り技術の粋を尽くしてクリソツ音楽を書く、という感じですね。ま、作曲上の一つの技法ではありますね。
昔は「定旋律」と呼ばれていたスタンダードみたいなメロディがあって、それに2つとか3つの別のメロディをつけてポリフォニックな楽曲を作るという技法がありましたし(15世紀頃)、もう少し後になるとラ・フォリアみたいなバスの定旋律(スタンダードな和音進行)に変奏曲を作るという技法がよく使われました。これらはみんなに共有の作曲素材ですね。
15世紀に著作権法はありませんでしたが、あえて著作権法の網をかけてみると、定旋律に別のメロディラインをつけるのはアウト。もしその定旋律の作者が死んで50年以上たっていればオーケーです。バス・ラインに定旋律がある場合は、著作権法では全てオーケーです。音楽著作権の盗作基準はメロディのラインがどうなのかにあり、それはそれで法律家にはわかりやすいのかも知れませんが、音楽家の側から見ると非常にへんてこなもので隙だらけです。メロディラインさえ替えれば、いくら似ていてもオーケー、メロディラインをそのまま使っていてもいくらでも全く異なる雰囲気の音楽は出来ますが、それはアウトです。
要するに著作権法の基準なんて、別に絶対的なものでもなんでもなく、現代の法律や金儲けの事情に合わせて作られているだけみたいですね。芸術家たるもの、そんな世事に合わせて仕事をしているわけではないなく、創造行為とは何かということを追求しているわけですから、現代の決めごととの軋轢は出てきて当然。和田さんはそのあたりの主張を展開するのかな?
日展に出している人でルノアールそっくりの絵を描く人がいるみたいですが(名前は忘れましたが、そういう絵を確かに見たことがあります)、和田さんが「あいつの絵だってルノアールの特定の絵と同じ物はないけど、ルノアールまんまじゃん。俺の絵なんかよく見てみろよ。細部は一杯違ってるじゃん。何であいつの絵がルノアールの盗作じゃなくて、俺の絵がスギの盗作になるん?」なんて泥仕合はおもしろそうですね。ちょっと次元が低い話ではありますが。(笑)
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