リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

slweiss.com

2025年01月20日 11時49分36秒 | 音楽系

以前slweiss.comというサイトがあり、そこではヴァイスの作品のソースや作品番号などがきちんと整理されて掲載されていました。

ヴァイスのソナタの演奏プログラムを書くときに、何番だったっけ?に即答えてくれるなど重宝していたサイトで随分前から愛用していました。

それがコロナ禍の最中のことだっと思いますが突然アクセス出来なくなりました。コンピュータに詳しいヨーロッパ在住の若手に尋ねてもよく知らないとおっしゃる。

とても役に立つサイトだっただけにホントに惜しいことになったと思っていた矢先、最近ふと思い立ってslweiss.comにアクセスしたらあの懐かしいカバーページが出て来ました。復活したんですね!

ただ内容的にはヴァイスに特化したものではなく、現在残されているソース全般を対象にしたものです。もちろんヴァイス関連のソースも含まれていますが、以前のようにヴァイスに特化したページも復活してほしいところです。

再興なったサイトを見て見ますと、旧slweiss.comを運営していた方がお亡くなりになりサイトを閉じたらしいですが、篤志家の手により昨年復活したようです。

以前のような形での復活も望んでいますが、まずは再興されたことをお祝い申し上げましょう。


ルールを勝手に変える

2025年01月19日 11時59分49秒 | 日々のこと

1964年に発表された小説「楡家のひとびと」は北杜夫の代表作です。当時はテレビドラマ化もされなかなかの人気を誇った作品でした。私もその流れに乗って単行本を買って読んでみました。

新潮社から出版されたその単行本は今も持っていますが、箱に三島由紀夫の推薦文が書かれています。小説を絶賛する見事な文章なのですが字体と仮名遣いが昔のスタイルで書かれています。(小説自体は現代の字体、仮名遣いです)この三島の推薦文を読んだとき、勝手に自分のルールを押しつけるなよな、と思ったものですが、三島の立場でよく考えてみるといわゆる旧仮名遣いでずっときていたものを突然勝手に変えやがって!ということなんでしょう。

今も活躍していますが、「キンタロー。」という芸人が出て来た頃、なんで「。」がついてるの?なんか意味があるの?「キンタロー」ではだめなの?なんて思いましたが、そういうことを考えさせるために芸名の終わりに「。」を付けてみたのかもしれません。

アニメ「君の名は。」も同様の感じでしょうか。ただ「君の名は。」の場合は助詞がついていているので文(問いかけとか詠嘆の省略された文)の感じがするのはより明かです。「。」は文の終わりにつけるという点では別にルールを変えているわけではなく、句点をつけることによって「君の名は」が文に感じられ、タイトルとしては新鮮に見える効果を狙ったのかもしれません。

芸名の「キンタロー。」は固有名詞につけただけなのですが、「。」によって呼びかけの文みたいにも見え同様の心理的効果を与えているのかも知れません。このスタイルに後続する芸人はあまりいませんが、「りんたろー。」という芸人さんも出て来ていますよね。

この「キンタロー。」や「りんたろー。」という表記は単独ならそれほど問題は起こりませんが、より長めの文の中で使うと少々混乱を起こします。「りんたろー。とキンタロー。がナントカ番組で共演した。」だとちょっと気にはなります。でも彼らはよく知られたご人物なのでそれほど問題にならない感じがします。ただ一般的には句読点の用法を逸脱するのはよい傾向とは言えません。当ブログのタイトル、リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」のスリードットはまだいけそうですが、リュート奏者ナカガワ。の「その手はくわなの・・・、」なんて書いたらだめでしょう。

「。」の代わりにピリオドというのも見たことがありましたし、日本語の読点「、」の代わりに英語のコンマ「,」というのも何と公文書で見たことがありました。英語で使う読点「;」「:」を使ったり句点を全く使わず読点のみの文章も見たことがありますが、勝手なことをしてはいけません。


テンシ(2011-2025)

2025年01月18日 12時32分07秒 | 日々のこと

カリフォルニア州在住の娘一家と生活していた秋田犬のテンシ(天使)が今朝天に召されました。老齢で足腰が相当弱っていたものの昨晩は鶏肉をしっかりと食べたということでした。日本式にいうとピンピンコロリです。

テンシが娘一家にやってきたのは2011年頃でした。

それが一年経つとこんなにも成長しました。

私がテンシに初めて会ったのもこの頃でした。初対面なのに強風が来るくらい尻尾を振り、びしょびしょになるくらい顔をなめてくれました。

孫が5歳くらいの時に書いた絵です。原画をもとに私が着色しました。秋田犬は巨大ですから5歳の孫の視点ではこのようにそびえ立つ感じなんでしょうね。

今年の年賀状に描いたテンシが遺影となってしまいました。

アメリカには2017年以降一度も行っていません。2017年に行ったときはまだとても元気でした。コロナ禍の時期があって行けない時期が続いていたのでとても残念です。

テンシはとても賢く言うことは何でもよく聞きました。普段はとても物静かですが不審なもの音がするとすぐ戦闘態勢なり番犬としても申し分ありませんでした。

現在娘達一家は埋葬の準備をしているとのことです。私たちに大きな愛を与えてくれたテンシに合掌。

 


フレットを巻き替える

2025年01月17日 14時02分24秒 | 音楽系

2月のコンサートで新しいAttiorbatoを使ってスカルラッティのソナタK. 380を演奏する予定ですが、1コース10フレットの音が11フレット(木の張りフレット)に少し当たるみたいなので、フレットを交換してみました。

矢印の部分ですね。

リュートは9フレットまで巻きフレットというケースが多いのですが、新しい楽器は10フレットまで巻きフレットです。以前使っていた同じマテオ・セラスモデルのAttiorbatoは巻きは9フレットまででした。

ラースがここに0.72mmという結構細めのガットを巻いてきたので、1コース10フレットの音(f)をフォルテで出すと11フレットに少し当たってしまうのです。

でもここだけ太いのを巻いたら今度は9フレットがびびってしまいます。ということで10以下も全部巻き直しをすることにしました。1コースに1.28mmという妙に太いのを巻いていましたので、ここも1.20mmに交換しました。ここから順に細くしていく訳ですが10フレットには0.80mmを巻きましたところ音はびびらなくなりました。件の箇所は思い切り音を出したいところなので、これで忌憚なく強い音を出せます。

ちなみにこの曲は13フレット(タブの文字だと O になります)を使います。クラシック・ギターだとこのくらいのポジションはなんでもないところでしょうけど、リュートだと弦幅が広くなるわ、ボディが干渉して左手が押さえにくくなるわでなかなか大変な箇所です。新しい楽器では、シングル仕様で弦幅が多少は狭いし、ボディも少し小さめなので多少は楽ですが、弾きにくい箇所であるには違いありません。

 


較べてはいけない!(2)

2025年01月16日 15時02分08秒 | 音楽系

クラシック・ギターの神様?のアンドレス・セゴヴィアと同じ年代のギタリストで、アウグスチン・バリオスという人がいます。

私がギターを弾いていた当時(70年代の初め~1974)のアマチュアやギター教室の先生たちはこの二人を双璧を成すものだと見ていたように思えます。あくまでも私の印象ですけどね。

片やパリの楽壇で確固たる地位を築き、当時の著名演奏家、作曲家とも親交のあるギタリストが南米パラグアイの田舎でポップスまがいの曲を作曲・演奏していたギタリストと比較されるのもおかしな話ではあります。

当のセゴヴィアもバリオスのことなんか歯牙にもかけていなかったようです。そりゃそうでしょう。ルーセル、タンスマン、イベール、テデスコなど当代一流の作曲に作曲を依頼して演奏、あるいはバッハとかハイドンなの古典楽曲を編曲演奏をしてギターの価値を高めようとしているギタリストにとって、「なんで田舎ギタリストと私が較べられんとあかんの?」という感じだったんでしょう。

私自身の短いギタリスト期ではバリオスの作品に全く食指が動かず、コンサートで演奏することもありませんでした。大聖堂という曲がバッハへのオマージュだ、と言っている人もいましたが、どこが?という感じでした。でもアントニオ・ラウロのベネズェラ・ワルツ第3番を演奏していましたから、もう少しギターを長く弾いていたらバリオス作品を弾いていた可能性もあるかも知れません。


較べてはいけない!(1)

2025年01月15日 19時36分57秒 | 音楽系

60年代中頃の話ですから、もう60年近い昔です。私はその頃父親が購入した「セパレートタイプ」のステレオセットでLPやらAM、FMラジオを聴きまくっていました。

レコードではクラシック音楽を聴いていましたしたが、ラジオの方はもっぱらポップス。毎週火曜日と金曜日にそれぞれ前田武彦・木元教子と小島正雄がパーソナリティを務める洋楽ヒットチャート番組(2つとも確か2時間番組でした)を聴いていました。

ご丁寧にもそれぞれの番組の毎週の順位をノートに記録していたのですが、残念ながらそれはもうどこかに行ってしまって手元に残っていません。残っていたら結構面白い資料になっていたかも知れません。

当時の洋楽シーンはビートルズが出て来た頃です。ベンチャーズの曲もヒットしていました。私の印象ですが、その当時はビートルズとベンチャーズが横並びで比較されていたような感じでした。でも個人的にはビートルズは「本物感」を感じましたが、ベンチャーズの曲はなんか軽い感じがしていました。その後の音楽作品としての評価はご存じの通りです。今から思うとベンチャーズなんてアマチュアに毛が生えた程度のモノでしたが、リアルタイムの評価では、ビートルズとベンチャーズが双璧のような印象を受けました。

当時はビートルズをきちんと評価出来る人がほとんどいなかったので、ベンチャーズと較べてしまったんですね。

 


カステルヌオーヴォ=テデスコ

2025年01月14日 16時27分45秒 | 音楽系

60年代後半から70年代始めにかけてギターを弾いていましたが、今ではギター曲を聴くということはまずありません。(リュート曲も鑑賞として聴くことはありません)

ただテデスコの曲だけはときどき聴きたくなって聞くことがあります。彼はギター以外の曲も沢山書いていて、それらを聴くこともあります。

テデスコの曲で一番最初に聴いたのはギターコンチェルト第1番でしたが、楽譜を買って弾いてみたのはピアノとギターのためのファンタジアです。私が高校2年生のときです。今朝もなんとなく聴きたくなってナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴きながら朝食を頂きました。

購入した楽譜はたぶんセゴヴィアが手を入れていない素のままのものみたいで運指が何も書かれていませんでした。まだ指の技術もそれほどは身についていないのでとても苦労して運指を書き練習をしてみました。

ソロ曲ではないのでピアノを弾ける人を探す必要がありますが、その頃こんな高度な曲を弾ける人は周りには皆無でした。ふと思いついたのが中学校の恩師でした。事情を話してお宅をお邪魔することになりました。立派なグランドピアノが置いてありましたので、実際に曲全体が音になるかと思うと胸が高鳴りました。

では合わせましょう!ということで始めました。最初のピアノの和音が少し違うみたいでしたが、とりあえず続くギターのソロを弾いてみました。この部分くらいは弾けないといけないと思っていたのでよく練習しておいたところです。そのつぎに今度はピアノのソロフレーズが続くはずですがアレっ?音が全く聞こえません。先生がおっしゃるにはこの曲は難しすぎて全く弾けないとのことでガッカリでした。

先生はなぜかピアノを習いに来ている私の同級生について話し始めて「あいつは全然弾けんわ」なんておっしゃっていました。ひょっとして機嫌が悪くなったのかも知れないので適当に話を合わせて早めにお暇しました。(笑)


運行履歴

2025年01月13日 13時31分44秒 | 日々のこと

物品を購入して送ってもらうとき、今現在どこにあってどう処理されているかを見ることができるサービスが最近は普通になっています。国内ではすぐ到着するのであまり必要はないと思いますが、海外に発送したり海外から受け取ったりするときに状況がほぼリアルタイムで見ることができるのでとても便利です。といってそれを見ることで送付が早くなるというものではないので、そんな運行履歴(Tracking History)をリアルタイムで見ることなんてどうでもいいといえばどうでもいいのですが。

1月2日にドイツのサイトに注文したCD弦のDHLによる運行履歴です。CD弦はは現在川崎市に停滞?しています。3連休のため全く動いていないみたいです。明日には動き始め自宅に到着は明後日頃でしょうか。

50年ほど前、まだリュートは始めて間もなく手に入る楽譜(タブによるオリジナル手稿譜)が少なかった頃、大英博物館(図書館)やケンブリッジ大学図書館などからマイクロフィルムコピーを購入していましたが、大英だと約1ヶ月くらい、他の図書館でも3ヶ月もすればマイクロフィルムコピーが届きました。遙か彼方の外つ国に紹介の手紙を出し、1~3ヶ月後、少し忘れかけていた頃にビッグサプライズが届くというのはとても嬉しいものでした。

こういった海外からのお取り寄せから活用までは50年前と今とではやり方がすっかり変わってしまいました。50年前だと、紹介の手紙を出しモノが到着後代金送金のために桑名郵便局に出かけ郵便為替の書類に記入して然るべき金額を送金します。(ポンドがまだ800円!近くしていました)楽譜の場合だとさらにそれを写真に焼き付け、現像・水洗し、乾燥させ、製本するということをしてやっと楽譜として使えるようになります。

それが今では全てデジタルを通じて注文から送金、さらには iPad による閲覧まで一気通貫で行えます。おまけに運行の履歴まで見られるというのが当たり前になってしまいました。海外からのリュートの資料や物品の入手法で見ると世の中が大きく変わったのだと実感できます。50年前の更に50年前の時代(=20世紀初頭)だと、一般庶民がどんな方法であれリュートの資料を見るということはほぼ不可能であったということを考えると、50年という年月は社会システムが大きく変化するのに充分な年月だと言えます。

 


渋谷の喧騒

2025年01月12日 19時57分26秒 | 日々のこと

東京駅に行く途中渋谷の駅を通りました。地表にでますと有名なスクランブル交差点は祭りでもないのに人が多すぎます。

そして駅自体が工事中だったため何がなんやらよくわからなくなりました。緑色の電車を目印にしていたのですが、それも既になく自分が渋谷駅界隈のどのあたりにいるのかよくわかりませんでした。工事中で線路まで見渡せたのでそれを見ながらなんとか南口までたどり着きました。

それにしても人の多さは異常でしたね。本当は別に渋谷で降りなくても行ける方法はあったのですが、なんとなく渋谷で降りて新宿まで行って中央線乗り換えが頭にあったので渋谷で降りてしまいました。

東京駅も混雑していましたが、渋谷に比べたら普通の混雑でした。

このエントリーは新幹線の中で書いていますが、ほぼ満員の新幹線のフリーWi-Fiは全く役に立ちません。一時的につながることはあってもすぐに接続が切れてしまいます。しかたがないのでiPhoneでテザリングをして接続をしていますが、これもトンネルに入ると接続が途切れがちです。

思いだすのが20年以上前に文部省や国立教育政策研究所の仕事で東京に行った帰りに新幹線車中で同じように仕事をしていました。使っていたコンピュータはパナソニックのLet`s note CF-R1、それにカード型PHSデヴァイスを差し込んでインターネットにつないでいました。そのときもトンネルに入るとネットが途切れがちになるので困りました。

もちろん今エントリーを書いているみたいにネットに接続しっぱなしではないにしても便利さという点では20年前とあまりかわらないというのが実態です。新幹線でインターネットに接続できるというのなら、たとえ満員の乗客が全員インターネットにつなげたとしてもきちんとつながるようにしてほしいところです。


ついでのついで

2025年01月11日 20時57分49秒 | 日々のこと

所要があったついでに幕張メッセで開催中の東京オートサロンに行ってきました。

幕張メッセは都内からは結構不便といえる場所にあるのにも関わらずたくさんの人が来ていました。お好きな人が多いのですねぇ。

東京オートサロンはカスタムカーの祭典で様々な改装車であふれかえっていました。モーターショー(今はモビリティショーかな?)は何度か行ったことがありましたが、このイベントは初めてです。

中には光岡Buddyをさらに改装した車もありました。Buddy自体もともとトヨタのRAV4ベースの車ですがもはやもとのRAV4の影は全く見えません。いったいいくらで販売するんでしょうねぇ。

会場にはヤンキー御用達のような改造車もありました。東京オートサロンはこの手の車が多いと思っていたので今まで行くことがなかったのですが、実際に行ってみるとどちらかというとそういう車は少数でした。

帰り道で駅に向かって歩いていると大道芸人がなにやら芸をやっていました。

しばらく見ているとどうも一般の大道芸人とはちょっと違います。はじめはよくあるパフォーマンスでしたが普通路上パフォーマンスではやらないいわゆるテーブルマジックに移って行きました。テーブルはないのですが、巧みな話術で客を周りにひきつけコインマジックやカードマジックをやっていくのです。一番最後のマジックで一枚選んだカードを任意の場所に入れて、次にたちどころにそれを選び出すというのをやりました。

最前列にいた私がなんとカードを一枚選ぶ役を仰せつかりました。私が選んだ固有のカードだということを示すためにカードに私のサインを書くように求められました。

このカードはパーフォーマンス終了後にいただいたものです。

パフォーマーがカードを上からパラパラ落としているときに私がストップの声をかけ、その位置に私が選んでサインを書いたカードを挿入されました。そのカード全部を私に渡して、何やら声をかけるとあら不思議、そのサイン入りカードが四つ折りになって私の腕時計のリスト部分に挟まっているではありませんか!

こんな感じでした。これはパフォーマンスが終わってからの再現です。

流れからするとカードの束の真ん中に入ったカードを何らかの方法で目に見えない速度や位置で選んで四つ折りにして、私に手渡す瞬間にそれを写真の位置に挟んだということですが、いったどのようにしてそのように多くのことを私や観客に気づかれずに行ったのでしょうか。普通このようにカードを挟んだら私は気づくと思うのですが、全く何も感ずることはありませんでした。やりますねぇ!まさにプロの技というべきパフォーマンスです。

そもそもオートサロンはついでに行ったものですが、そのついでのついでに見たものが今日は一番素晴らしかったです。