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新しいことを見つけるって楽しい!

スーツケースを買おう。

2007年06月27日 | アメリカ生活
夏にアメリカに行きます。今回は1ヶ月とちょっと長い。
今、スーツケースを買おうと思って物色中です。

旅行の多い人間は、いいスーツケース持っていた方がいい。そう言われて、サムソナイトのスーツケースを使っていました。でもこれ、アメリカのコスコで買ったから、特価の100ドルという安物です。それでも確かに頑丈で、重いのが難点でしたが、愛用していました。が、あまりにも酷使したので、昨年とうとう車輪のゴムが割れました。こういうときこそサムソナイト。修理してもらおうと電話しました。アメリカで買ったものでも、日本で直せることがわかりましたが、仙台で修理できないようで、宅配で送って下さいと言われました。家まで取りに来てくれるとのことだったので、面倒はないのですが、さらに車輪の修理は最低1万円弱かかると言われて、「うーーーーん」いったん電話を切りました。

もともと1万円くらいのスーツケースです。
これがもっと高いものなら迷わず修理、でしたが、とにかく重くて参っていたので、この際軽量タイプに買い換えようと、あれこれ調べてみました。

結局気に入ったのはRIMOWAのスーツケースでしたが、これが高い!即決できない値段(カメラ買ったばっかだし)。

どうでしょうか、これ
軽いしデザインもとっても気に入ったんだけど。

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アメリカのバレンタインデーの思い出

2007年02月14日 | アメリカ生活
今日はバレンタインデーです。
日本では、女性から男性にチョコレートを送る日、ですが、アメリカでは男性も女性も関係なくちょっとしたプレゼントをしあいます。チョコレートには限りません。

さて、私が初めてアメリカでバレンタインを経験したのは忘れもしない2000年の2月のことでした。前年の11月に渡米してきたばかり。まだアメリカの行事にはほとんど慣れていない頃でした。小学校1年生の長男が「バレンタインデーにはクラス全員でカードを交換します。クラスメイトの名前は以下の通り」と、バレンタインデーのお知らせとクラスメイトの名前のリストを持ち帰りました。

さて困りました。クラスメイトって30人近くいるんです。全員にカード?そこでカード屋さんにいきましたら、あるわあるわ、点線に沿って切れば32枚分のカードができあがる「ディズニー」や「パワパフガール」や「ぽけもん」のカードキットが!

で、カードの方はオッケーだったんですが、問題はその中身です。だいたい、3ヶ月前まで保育園児で、渡米してからABCを習っている長男が、30人分ものカードを書くなぞとんでもないこと。「ええい、名前だけでよいことにしよう!」ととにかくリストを見て書かせましたが、全然終わらない。前日の深夜までかかってようやく完成。ほんとうに疲れました。

結局毎年この行事は行われました。
しかしほとんどのお子さんが名前のみを書いており、アメリカ人がカード好きといっても、内容をいろいろ書いてくるわけでないのは、子どもの頃から培われたモノだなと思った次第です。

ところで大昔の話で恐縮ですが、わたしの学生時代は「学校にチョコをもって来ちゃだめ」とか先生に言われて、そういうのは禁止だったような、、、。
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アメリカの研究室で生き残る

2007年02月13日 | アメリカ生活
私のボス、テレーズという記事に書きましたが、私はアメリカで上司に大変恵まれました。アメリカには5年半滞在し、その間、三つのラボを転々としたわけですが、途中、研究中断&帰国を余儀なくされそうになったこともあります。何とかそういう波を乗り越えてある程度の仕事を完成することができたのは、私には彼らに必要とされる何かがあったからだと思います。

私は最初Dさんという研究者と一緒に仕事をしましたが、彼は、私の英語があまりにもひどいので、最初はびっくりしたようです。とにかくゆっくり話してくれ、必要なら書いてくれて、私がきちんと理解できるようにしてくれましたが、実験をはじめたら、私の仕事の仕方が非常にていねいであったこと、その結果、予想をはるかに超えた良い結果を得たことで、さらにびっくりしたようです。同じラボにいたMさんには後になってから、「あんたの英語はめちゃくちゃだったよ。だから、実験があんなにうまくできるんじゃなかったら、とっくに帰国になってたはずだよ」と言われました。Mさんには、「あんたの仕事はほとんどアートだね。アメリカ人にはまねできない」と言われたこともあります。

私の武器は「ていねいな仕事」でした。
アメリカに行ってから身につけたものに「レーザーキャプチャーマイクロダイセクション(LCM)」という実験技術がありますが、これを私はNIHで日本人のM先生に習いました。M先生も大変ていねいに実験される方で、多くの人にこの技術を教えていらっしゃいましたが、習得できた人はそう多くなかったはずです。この実験では、凍結切片を切る必要がありますが、それがけっこううまくできないために実験自体がうまくいかないことが多いのです。また、採取したサンプルが非常に微量なため、その後の解析にはかなりの慎重さが要求されます。そういうときにも、「ていねいな仕事」が重要でした。

科学者として生き残っていくためには、独創性や研究のアイデアが重要です。その点についてはまたいつか書くとして、それよりもっと以前の問題として、実験室で大切なこと。それが「ていねいに仕事する」ということだと思っています。
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アメリカのサマーキャンプ

2007年02月10日 | アメリカ生活
アメリカは夏休みが長いので、子ども達はサマーキャンプに行くことが多いです。デイキャンプと言って、毎日通うもの。オーバーナイトキャンプと言って宿泊を伴うもの。二泊三日というような短いものから、2週間というプログラムまであります。2週間のプログラムは、通常6月末から8月中旬まで繰り返され、その間、キャンプ地にずっと滞在することが可能な場合もあります。

アメリカにいた頃、「夏にアメリカに行くのでサマーキャンプに参加させたい。」「子どもをサマーキャンプにいれたいので、夏に渡米したい。」と、よく日本の方に相談されました。日本では英語ブームがすごいです。とくに子どもに早期教育させたいという親御さんはめちゃくちゃ多いです。幼児の英語クラスはどこも大人気。そこで、親子短期留学などを計画される方が多いようなのです。

しかし、基本的に、親がキャンプの情報を集め、内容を吟味し、すべての手配ができ、子どもも、新しい環境にすぐ馴染める性格で、冒険を好む場合以外は、あまり簡単に子どもをサマーキャンプに放り込むべきではありません。また、10才より小さい子を長期のオーバーナイトキャンプに入れるのはアメリカ人でも難しい場合があることを知ってほしいです。

ハワイなど日本人の受け入れになれている地域で、なるべく短めのプログラムからはじめるのがいいと思います。もし、すでに英語がある程度になっていて、本人も意欲があるならば、普通のサマーキャンプを検討してもいいかもしれません。その場合、やはり行動は早めに。サマーキャンプの申し込みは1月から始まります。評判の良いところは3月には埋まってしまいます。

また、見落としがちなのが「健康診断票の提出」。アメリカでは決められた予防接種を済ませていないと、集団のプログラムには原則入れられません。

さて我が家では、渡米した翌年から毎年子ども達はサマーキャンプに行きました。毎日毎日泳いだりサッカーしたり、工作をしたりクッキングをしたり。ほとんどの場合は地元の近くのキャンプに行きました。それでも毎年1月にはキャンプのパンフレットを集め、いろいろと検討しました。自家用飛行機で現地集合、というおそるべき富豪向けキャンプから、ミリタリーのめちゃめちゃ安いけどサバイバルなキャンプまで、本当にいろいろあっておもしろいです。ミリタリーのキャンプでは「このキャンプではお風呂にはいることはできません。行水はすべて川です。そういうことに耐えられないとお考えのご家庭はご遠慮下さい。また、ご両親がそういったキャンプに賛成の場合でも、お子さんの考えはちがいます。申し込む前に十分家族で話し合いを持ち、納得してからお申し込み下さい。」などと書かれていて、笑いました。うちでも長男に「どう?」と勧めましたが、すぐさま却下されました。
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私のボス、テレーズ

2007年02月02日 | アメリカ生活

私は1999年にアメリカに行きましたが、最初のラボは農務省の研究所でした。そこで仕事をするうちに当時のボス、Dr. Joe Urbanに「アメリカにもう少し残って研究を続けないか」と言われ、米国軍保健科学大学(Uniformed Services University of the Health Sciences:USUHS)のDr. Gauseのラボに移ったのですが、一年半後、今度はDr.Terez Shea-Donohueのラボに移ることになりました。

TerezはUSUHSに長く勤めたあと、Joeに誘われて農務省に移ってきていました。彼女は三人の子持ちで、当時長男が大学生、下の二人は双子で、高校生でした。Terezは何でも気軽にやってしまう人で、ラボの雑用も進んで引き受けるような人です。家族にもラボのメンバーにもいつも惜しみない愛情を注いでいて、ラボのメンバーの誕生日には必ずケーキを焼いてきてくれたり、ランチに連れて行ってくれたりします。仕事の面では聡明で地道、そして非常に楽観的で、新しいアイデアがいつもわき出ている人です。このTerezが2003年の末にメリーランド大学の教授として招聘され、私も彼女についてボルチモアへと移ったのでした。

私はアメリカに三人のボスがいますが(Joe, Bill(Dr.Gause),Terez)、この三人から学んだことは非常にたくさんあります。特にTerezは人生の師とも呼べる人で、ワークバランスについての的確なアドバイスをたびたびもらいました。また、仕事の面でも、いつも私を全面的に支援してくれ、私の日本への帰国、またその後の共同研究についても、彼女の支援なしには決してこれほど順調に進んではいなかったでしょう。

アメリカは精神を消耗する競争社会です。そういう中でこのようにボスに恵まれたことは本当に幸運なことでした。しかし、研究の最前線はあくまでプロフェッショナルの世界。相手から受けた以上にこちらも貢献しなければ関係はうまくいきません。そのことは今度また書くことにします。

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自己主張の国

2007年01月12日 | アメリカ生活
アメリカにいたとき、私の一番の仲良しは同じラボのEさんでした。Eさんはアフリカ出身の黒人で、すでに市民権を得てアメリカ人になっている人です。子どもが一人いますが、シングルマザーで、とてもがんばり屋です。私も子どもが二人いましたし、アメリカには単身赴任だったので、状態は似ていて、よくお互い励まし合ったものでした。彼女は向学心があり、苦労して働きながら修士をとり、日々私と同じような分子生物学的な実験にあけくれていました。が、そんなに仲良しの彼女でも、同じような実験をしている関係上、器具を使う時間が重なったり、実験の予定が重なったりして、困ることがよくありました。彼女はそういうとき、はっきりと言います。「私の実験は最重要だとボスに言われてるわ。だから、今この機械を使うのは私よ」「私はこの研究所の正職員よ。あなたは一時的に働いているわけで、責任が違うわ。だから最優先は私よ」まあ、そのたびに私はできるだけ譲歩してきました。確かに彼女の言うとおりだし、彼女は働ける時間も限られていましたから、私が土日に出勤したり、クリスマスも正月も出勤して実験していたのは、彼女と重ならないようにするためでした。でもあるとき、日曜日の午後だったかな?私が実験しているとめずらしく彼女が来て、「どうしても緊急に実験をする必要があるの。そこをあけてちょうだい」と言ったたとき、私は厳しく彼女に言いました。「あなたの予定を全部聞いて、使わないという日に予約を入れて、それで今使っているのよ。私も予定があって、何時までにこれをおわらせなきゃいけないの!」と。それから大げんか。でも最後は彼女とハグしあって、「お互いにがんばりましょうね」と言い合って仲直りしました。が、それからも彼女のこういう自己中心は全く変わらず。そのたび、ずいぶん言い合った覚えがあります。

でもこんな話、アメリカでは決して珍しくありません。押しの弱い日本人だとすぐ言い負かされてしまいます。アメリカでは自己主張をしないと生き残っていけません。でも、本当に疲れます。もし温厚に話し合いで何でもしずしずと進んでいくなら、どれだけ精神的に楽なことでしょうか。でもそれはあり得ない世界。Gさんという仲良しもいて、その人もとてもナイスな人だけれど、やはり実験してるととんでもなく自己主張してくるので、私はいつも自分の領域を守るために戦ってました。

だけどあれだけ言い合っても、普段はホントに仲良しなのが不思議。からっとしてるというか、根に持たないというか。いや私の英語力がいい加減だから、微妙なニュアンスがわかってないだけかもしれないんだけど。

まあでも、いくらなんでもこれだけはいけないんじゃない?とわたしが今でも思うことは
1,機械の予約表に向こう3ヶ月24時間全部自分の名前をいれる。
2,人が予約を入れていたのに、来てみたら彼女が使っていて「緊急だから悪いわね。」ですます。
3,私の名前が書いてあるのに「それは自分のものをあなたが盗ったのだ」と非難する。

さてあなたならこういうときどうやってネゴシエーションするかな?
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携帯電話

2007年01月02日 | アメリカ生活

あけましておめでとうございます。
新年の年明けは携帯電話がつながりにくくなります、とニュースでやっていました。最近は年賀状を出す人が減ってきて、メールや電話で新年のご挨拶をすることが多くなりましたね。

1999年、私がアメリカに発つ前、日本では今ほど携帯電話は普及していませんでした。わたしももっていませんでした。アメリカに行ったときも、ですから、すぐ携帯電話を買おうと思ってはいませんでした。でも、子どものエマージェンシーで学校などから日中電話がかかってくることがあるため、ある時携帯電話を買おうと決心しました。でも、アメリカの携帯電話は日本のように簡単には買えないんです。今はもう少しましかもしれませんが、まず、クレジットヒストリーがない外国人はデポジットをいれないと普通は買えません。クレジットヒストリーというのは、アメリカではとても重要です。公共料金を遅滞なく払っている、そして、クレジットカードを持つことができており、それを使って買い物をしており、その支払いが遅滞ない、ということが自分の身分証明みたいになるんです。デポジットというのは、保証金です。私の場合は150ドルくらい払いました。これは1年その電話を使っていると返金されました。でも、私の周囲には500ドル要求されたとか、750ドル払ったとか、そういう話がよくありました。

また、携帯電話の契約は基本的に1年以上になっており、短期留学だから半年だけ、、、などというと非常に購入がむずかしくなります。私の場合は、携帯電話を購入した時点で、あとどれだけアメリカに滞在するかわからなかったため、この点が非常にネックになりました。1年たったあとも、2年契約にしてくれとか、キャンペーンで特典があるが、それを受けるには再度1年契約を結ぶ必要があるとか、しょっちゅう電話がかかってきます。前にも書きましたが、アメリカで電話会社を選ぶのはけっこう重要で、複雑で、面倒な作業なんです。日本人にはただひたすら面倒と感じられると思います。うっかり契約するとキャンセルするのに大変な目に遭います。その話はまた別の機会に。

まあそういうわけでやっと購入した携帯電話も、セットアップが大変で、本当に泣きそうでした。日本だとショップで全部やってくれますが、アメリカではそんなに面倒見がいい店は数少ない直営店くらいでは、、、。普通は買ってきて、指示された電話番号にかけてセットアップしますが、電話のたらい回しは当たり前、アクセントの強い英語で全然ききとれないのも当たり前。

こうやって書くと「日本でいろいろセットアップしてくれる業者もあるし、おまかせがやっぱり安心だな」と日本人はつい思ってしまいますが、この苦行がすべて自分の身となり力となる過程なのです。と、今では思えます。とにかく苦労はしたものの、携帯電話のセットアップは無事完了したのであります。

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WEBで留学の準備

2006年12月28日 | アメリカ生活

私の場合、留学と言うより研究赴任でしたが、アメリカに行く前にビザのこと、向こうでの生活のこと、日本からアメリカへの引っ越しのことなど、知りたいことがいっぱいありました。で、インターネットであれこれ調べました。役に立ったのは、留学一般について書いてあるサイト、たとえばFamiNet。それから、現地の日本人ネットワーク、アメリカだったら海外リンク。私のように研究で留学する人向けなのは研究留学ネット。とくにこの研究留学ネットは、海外での話題以外に、いろいろ有用な情報が得られ、帰国した今でも、毎日チェックするサイトであります。

具体的に留学先が決まったら、現地に住む日本人をなるべく見つけていろいろ詳細を教えてもらえるととても助かります。特に最初は住居を決めるのが大変で、安全な地域についての情報があると非常に助かります。そのほか、私が最初に苦労したのは、電話会社を選ぶこと、その内容を決めること(選択肢がめちゃくちゃ多い)、医者を捜すこと、車を買うこと、その保険にはいること。子どもの学校を決めること、必要な予防接種をすること。住居に必要な一切を買うこと、アジア系の食材店を探すこと。そしてもっとも大切なのは「インターネットに接続すること」。これはたぶん、今ではもう少し楽になってるでしょう。でも、アメリカで日本語環境のメールを使うというのは、それほど単純なことではありません。

そういうもろもろを渡航前にある程度準備していけると、向こうでの生活はかなりスムーズにスタートできます。WEBサイトの利用、おすすめします。

(メリーランド州でよくみられるカーディナルが庭先に来たところ)

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年末年始は実験と旅行

2006年12月26日 | アメリカ生活
アメリカにいた頃、年末年始も実験三昧のことが多かった(皆が休むので、実験機器があいていて、仕事が進めやすい)のですが、少しは休んでNY、オーランド、ジャマイカなどに旅行にも行きました。ジャマイカに行ったとき、アメリカの北部で大雪となり、交通が麻痺して「ああ、南に来ていてよかったな~」とのんびりしていたのですが、帰るときになって、北から来る飛行機が飛んでこないために南方面の便も軒並みキャンセル。予定していた飛行機に乗れず、NY経由でワシントンに帰ることになりました。NYについた時点ですでに11時を過ぎており、ワシントン行き最終便は出た後で、結局NYに宿を取りましたが、とにかく国中の人が移動するときですから、翌日の便も朝6時のしかとれないと言われ、参りました。子どもがまだ小さいときだったので、二人ともおんぶにだっこで、空港近くのホテルにチェックイン、でも翌朝5時にはチェックアウトして、早朝の飛行機に乗り込みました。こうやって書くと「大変だったけど無事帰れてよかったね」という話なんですが、キャンセル便から経由地変更、さらに乗り遅れで翌朝の便確保、そして11時を過ぎてからNYでホテルを探して電話、と「英語と根性」を試されるような旅でした。思い返すと、こういう「根性比べ」のような旅はこれ一回ではありません。我ながらよくやったなあとあきれます。しかも早朝着いた空港からいったん自宅へ帰ったものの、この日は朝からブタ5頭のサンプリングが待っていて、そのままラボへ行ったのでした、、、。
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アメリカで迎えたクリスマスの思い出

2006年12月25日 | アメリカ生活

アメリカのクリスマスで一番印象に残っているのは「もみの木」です。アメリカにもフェイクの木はあるけれど、生木を使うおうちの方が多いだろうと思います。11月末のサンクスギビングの休暇が終わると、スーパーマーケットの駐車場などに「クリスマスツリー売り場」が出現。自分の家にあわせてサイズを選んで、車に積んでもって帰ります。私も毎年のように買いに行きましたが、もみの木の種類によって香りや枝振りが異なるので、選ぶのが楽しみでした。下の方の枝をはらってもらって、それを持ち帰ってリースを作ったりもしていました。生木を家に飾ると、家中が素晴らしい香に包まれます。普通のうちでは天井に届く大きさの木を飾りますから、金銀の玉も何十個も必要です。

ワシントンDCでは、ホワイトハウスの前、それから国会議事堂の前にも巨大ツリーが飾られます。あれだけの飾りを飾るのは大変でしょうね。テロの前は、ホワイトハウスのデコレーションも見ることができましたが、今では中にはいることができなくなりました。残念です。

クリスマスと言えば子ども達がサンタさんからプレゼントをもらいますが、アメリカでは何か買っても基本的に包装はしてくれませんから、親が包装することになります。プレゼントや包装紙をこっそり買ってきて隠しておいたり、クローゼットの中に隠れて包装したり、毎年苦労したものです。

それから、クリスマス前には恵まれない子ども達にお菓子やおもちゃを寄付しましょうというのがいつもあって、スーパーなどに行くと大きな段ボール箱が設置されていて、その中にギフトを入れます。

アメリカではクリスマスが祝日ですが、他の祝日と違って、国中のお店やレストランが休みになります。クリスマスイブは教会で。そしてパーティはおうちで。そしてだんだん新年へと向かっていきます。

(生木のクリスマスツリー)
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