院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

延命治療の中止

2007-06-10 11:29:40 | Weblog
 臨死の患者をわざと死なせたとして、女医が殺人罪で起訴されている。また、別の県では、内科部長が同じく臨死患者の呼吸器を外したとして問題になっている。

 こういう事件は、昔はなかった。なぜか?

 理由の一つは、延命治療が発達していなかったからである。

 もう一つは、昔も同じことが行われていたのだが、明るみには出なかっただけである。

 昔は、臨死患者を故意に死なせることは、よく行われていた。延命治療を打ち切るのは医師の裁量だった。

 裁量というと聞こえはよいが、要するに現在事件になっていることと同じである。

 ただ、延命治療の中止は、医師がいろんな状況を勘案してこっそり行っていた。孤独な苦しい決断で、医師はその事実を墓場までもって行った。決して口外しなかった。むろん誰にも相談しなかった。

 なぜ私がそんなことを知っているかというと、先輩に教わったからである。先輩は、医師は孤独な決断をしなければならないことがあると私に教えた。

 その「孤独な決断」が白日の下にさらされてしまったから、今回の問題は起きた。告発者はいずれも医療者である。

 医療者の中で(とくに医師と看護師で)考え方の共有ができない時代になったのだ。

 昔は、医師は孤独な判断で致命的な癌の告知をためらった。わずか10年前までそうだった。でも、今は違う。告知ができるようになったので、医師はずいぶん気が楽になった。

 延命治療の中止も同じである。医師が孤独な判断をせずに、みんなで延命治療の中止を決められるようになれば、医師はずいぶん楽になるはずである。