子供のころ繁華街に住んでいた私は、閑静な住宅地に住む祖父母宅に行くと、その静かなことに驚いた。何も音がないのである。静か過ぎて耳鳴りがするほどだった。
昔は音が少なかった。車も多くはないし、人通りも少ない。
もっと昔、戦前は音に対して今よりずっと不寛容だった。なんと通りを歩く下駄の音がうるさいと苦情が出た。隣の風鈴がうるさいという話もあったらしい。
現代は、音に対して極めて寛容である。昔より圧倒的に車が多いが、車の騒音に文句を言わない。隣家のオーディオも我慢してしまう。
マンションやアパートで階上の世帯のトイレを流す音が聞こえるだろう。それに対しても苦情を言わない。自分の家のトイレの音も近隣に届いているから、お互い様と思っているのだろうか?
匂いに対しては不寛容なくせに、音に対してはずいぶん寛容になってしまった現代人である。こういう面でも流行があるようだ。
「タバコの匂いがするタクシーなんて絶対イヤ」と声高に叫んだ中年女は、現在、タバコ排斥運動が盛んだから、言えたのだろう。昔だったら同じ女が「タバコの匂いって憂いがあって好き」なぞと言ったに違いない。
昔は音が少なかった。車も多くはないし、人通りも少ない。
もっと昔、戦前は音に対して今よりずっと不寛容だった。なんと通りを歩く下駄の音がうるさいと苦情が出た。隣の風鈴がうるさいという話もあったらしい。
現代は、音に対して極めて寛容である。昔より圧倒的に車が多いが、車の騒音に文句を言わない。隣家のオーディオも我慢してしまう。
マンションやアパートで階上の世帯のトイレを流す音が聞こえるだろう。それに対しても苦情を言わない。自分の家のトイレの音も近隣に届いているから、お互い様と思っているのだろうか?
匂いに対しては不寛容なくせに、音に対してはずいぶん寛容になってしまった現代人である。こういう面でも流行があるようだ。
「タバコの匂いがするタクシーなんて絶対イヤ」と声高に叫んだ中年女は、現在、タバコ排斥運動が盛んだから、言えたのだろう。昔だったら同じ女が「タバコの匂いって憂いがあって好き」なぞと言ったに違いない。