AEDが街のあちこちに置かれるようになった。公共施設にはたいがいある。
あれは役に立たないと私は思っている。現にAEDのおかげで救命率が上がったという話を聞かない。AEDをかけるまでの間、人工呼吸と心マッサージを続けなくては救命できない。でも、そんなことができる市民はほとんどいない。知っている人さえいない。
AEDは、いつ心室細動が起こってもおかしくないと分かっている患者のところに、あらかじめ置いておくものである。心電図でモニターしておいて、いざ心室細動が起こったら、即座にAEDをかける。だから元来、AEDは病院でしか使えないシロモノである。
私が学生のころは、AEDは中型の冷蔵庫くらいの大きさだった。だから街のあちこちなぞに置けなかった。でも、いくら小型化されたからといって、ほうぼうに置くのは無駄である。
明治時代にチフスがはやると、各家は軒先に赤い布をつるした。チフス菌は赤を嫌うという迷信から出たチフスよけのおまじないである。
AEDを街の各所に置くというのも、これと同じようなものである。AED会社が儲かるだけである。
あれは役に立たないと私は思っている。現にAEDのおかげで救命率が上がったという話を聞かない。AEDをかけるまでの間、人工呼吸と心マッサージを続けなくては救命できない。でも、そんなことができる市民はほとんどいない。知っている人さえいない。
AEDは、いつ心室細動が起こってもおかしくないと分かっている患者のところに、あらかじめ置いておくものである。心電図でモニターしておいて、いざ心室細動が起こったら、即座にAEDをかける。だから元来、AEDは病院でしか使えないシロモノである。
私が学生のころは、AEDは中型の冷蔵庫くらいの大きさだった。だから街のあちこちなぞに置けなかった。でも、いくら小型化されたからといって、ほうぼうに置くのは無駄である。
明治時代にチフスがはやると、各家は軒先に赤い布をつるした。チフス菌は赤を嫌うという迷信から出たチフスよけのおまじないである。
AEDを街の各所に置くというのも、これと同じようなものである。AED会社が儲かるだけである。