院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私の音楽遍歴(3)

2011-09-06 06:44:29 | Weblog
 妹が小学校6年生で病死したとき、私は中3だった。悲しみを紛らすためにクラリネットに打ち込んだ。

 同時に琴と三味線を習った。昔、師範をやっていた母方の祖母にである。琴の入門曲は「姫松小松」というもので、幼子が初めて琴を弾くときの練習曲らしい。「姫松小松」は一回で弾けた。私は無謀にも「六段」に挑んだ。そうしたら一段目は弾けるようになった。琴の調弦もすぐにできるようになった。

 三味線は自分で長唄「吾妻八景」の楽譜を買ってきて、そこそこ弾けるようになった。三味線の調弦も本調子、二上がり、三下がりなどすぐにできるようになった。祖母は「この子は天才ではないか」と驚いていた。

 むろんクラリネットも練習していた。私がいろいろな楽器を練習したのは、音楽の教師のH先生の影響が大きい。H先生は「本当に音楽が分かるようになりたいなら、何かひとつでも楽器をマスターしなさい」とつねづね言っていた。

 私がクラリネットのみならず琴や三味線まで練習する時間があったのは、私の行っていた中学がエスカレーターで高校へ行ける学校だったからで、高校受験の勉強をする必要がなく、すべての時間を楽器に当てることができた。

 クラリネットはどんな音楽をやったらよいのか、自分で方向性が掴めずにいた。そんなおり、父方の祖母が、私がクラリネットをやっているというただそれだけの理由で、何にも分からないのにクラリネット曲が入ったソノシートを何枚か買って来てくれた。

 そのソノシートが私の音楽の方向性を決めたと言ってもよい。そこには「スターダスト」、「ムーングロウ」、「ミスティ」、「メモリーズオブユー」などのスタンダード曲が日本で当代一流のクラリネッティストの演奏で入っていた。ジャケットの解説は若き日の湯川れい子さんだった。

 私はポピュラーに狙いを定めた。ポピュラーといっても、そこにはアドリブが付いていて、もう少しでモダンジャズに行き着く演奏だった。私はこれらの演奏を楽譜に起こして、猛練習した。琴も三味線もすでに放り出されていた。

 当時の名クラリネッティストの一人鈴木章治さんは以下(右側)。
http://www.youtube.com/watch?v=hwL4K_c8YbY

(4)へ続く