院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

算盤や俳句で認知症が予防できるか?

2013-10-05 05:06:44 | 医療

(「キンボシ・プロ」のホームページより。)

 ボケ防止のために電卓を使わずに算盤を使っているという老年女性がいた。本人は頭と指先を使うからよいのだ言っていた。

 私の所属する俳句結社では、俳句はボケ防止になると会員はみな思い込んでいる。(日本中のほとんどの俳句結社が主宰は80歳以上が当たり前で、同人でも70歳以上が99%である。)

 だが、私は算盤も俳句も認知症の予防にはならないと思う。認知症になるまでは高度な文章を書き続けていた作家を知っているからだ。算盤や俳句をやっている人は、まだ認知症でないから算盤や俳句ができるのであって、みな順序を取り違えているのだ。

 もっとも上の作家の例だけでモノを言うのは科学的ではない。日本の認知症の権威N教授に訊いてみた。教授は「世界中で研究されているが(頭を使うことは)認知症を予防するというエビデンス(科学的証拠)はまだ出ていない」という。

 たぶん、これからもエビデンスは出ないだろう。何万人もを何年も追跡調査しなければ、しっかりとしたエビデンスは得られない。だが、こうした研究は労力がかかる割に、果実が少ない。

 N教授は「世界的に研究されている」と言っていたが「まだエビデンスは出ていない」という。そこから考えうるのは、すでに終わった調査でも「頭を使うと認知症が予防される」という仮説を積極的に支持できなかったということだ。支持されなかった仮説は発表もされずに闇に消えてゆく。

(詩人や哲学者は夭折するが俳人や彫刻家は長生きだ、と私の俳句の師は言っていた。師は、俳人や彫刻家はものをつきつめて考えないから長生きすると解釈していた。私は、俳人や彫刻家は歳を取らないと有名になれないだけだと思った。)

人は歴史と伝統が好き

2013-10-05 05:00:02 | 歴史

(JOCのホームページより。)

 近代オリンピックに聖火が用いられるようになったのは、第1回のギリシャ大会(1896年)からではなく、1928年のアムステルダム大会からである。さらに聖火リレーが行われるようななったのは1936年のベルリン大会からである。

 人は歴史や伝統に従うのが好きだから、古代オリンピックのように聖火が導入されたのだろう。

 なるべく伝統にのっとるために、採火式はわざわざギリシャのヘラー神殿跡で凹面鏡を用いて行われる。それも非公開でである。そのほうが神秘性が増すからだ。(本番の採火式は写真にも残されない。上の画像はリハーサルのものである。)それによってオリンピックは、数多くの国際体育大会の中で特権的な地位を占めることができた。

 わが国では、多くの戦が天皇を奉じて行われた。にわかに台頭してきた豪族には天皇家という歴史と伝統が必要だった。徳川家康でさえ後陽成天皇から征夷大将軍を拝命したのであって、権力はともかく格としては天皇の上をいく存在ではなかった。

 歴史と伝統は、それだけで正当性をもっている。だから、人々を惹きつける。歴史と伝統とは関係がなさそうな、今流行のファッションに身を包んだ茶髪ギャルでさえ京都奈良・伊勢に詣でたがるのは、そのためである。