院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「団塊の世代」なりに苦労してきたのだ

2017-08-25 20:57:19 | 社会


 私は「団塊の世代」の最後尾につける者である。「団塊の世代」は人数が多く声も大きいから、ものごとが思い通りに行きやすいとか、彼らが老境に至ると年金や医療財政が破綻するとか、「団塊の世代」に対する悪口が絶えない。

 だが「団塊の世代」は他の世代にはない苦労をしてきたのだ。まず小学一年生に入学したとき、教室が足りない。そのため、小学校低学年なのに、午前の部と午後の部に分けられた。小学校一年生が午後の部に行くのはけっこうつらかった。

 受験が大変だった。18歳人口は現在の2倍いた。国公立大学の定員は、そう増えていない。どこの大学の教員も「団塊の世代が一番成績が良く、それ以降、学生の成績が落ちていく」と感じている。そんなの当たり前だ!!定員が決まっているのだから、大きい母集団から採ったほうが成績がよくなるのは必然だ!

 私が医学部の学生のころ、日本全体の医学部定員は一学年当たり4,000人だった。その後、田中角栄の「一県一医大」構想により医大が増えて定員が倍増の8,000人となった。「団塊の世代」は、この定員増の恩恵に浴せなかった。

 18歳人口が多いのだから受験戦争は熾烈を極めた。私もあんなに勉強したことがない。よい経験だったのかもしれない。少々の負担にはへこたれなくなった。予備校のスター講師の林修さんが言っている。「受験で猛烈に苦労しておくことが必要」と。

 ※私の俳句(秋)
    友が持ち来たる新酒と文学論

紅白歌合戦のバックバンド

2017-08-25 01:08:01 | 音楽


 私が高校生のころ、大みそかの紅白歌合戦はお化け番組だった。視聴率をほぼ独り占めにして、裏番組は対抗するすべもなかった。大みそかにベートーベンの第九を演奏する習慣もまだなっかった。

 ときあたかも3C (クーラー、カー、カラーテレビ)の時代で、日本全体が活気に酔っていた。(上の映像で白黒のものも放送はカラーだった)。紅白歌合戦は現在よりよほど面白かったと記憶する。

 高校生の私は大みそかに友人と、新宿の厚生年金会館でおこなわれた原信夫とシャープス&フラッツのコンサートを見に行った。(夜中の0時からだったから、正確には元旦ということになる)。

 当時、紅白歌合戦はバックバンドも紅白に分かれており、原信夫とシャープス&フラッツは紅組。白組のバックバンドは小野満とスイングビーバーズだった。原信夫のバンドは東京宝塚劇場での紅白を終えてから厚生年金会館に駆け付けた。

 厚生年金会館で原信夫は、こう言って聴衆を「よいしょ」した。

 「僕たち(紅白ではなく)ここからが本番ですから」

 NHKのテレビ番組で、原信夫が90歳で健在だと紹介されていたので思い出した次第。

 ※私の俳句(秋)
    かの家もいまだ灯消えず星月夜