院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

美人とブス・その2

2008-12-12 08:34:35 | Weblog
 人間の脳には相貌を一瞬にして見分ける中枢があって、これにより美人とブスを一見して分類しているのだと考えられる。

 この中枢が認知症などでやられると、人の顔の見分けがつかなくなる。これを相貌失認ということは以前に書いた(2008.10.24)。

 美人の基準は権力者の妻にあると述べたけれども、実は支配民族の女が美人の基準になることもある。天下の奇書「家畜人ヤプー」に見る白人崇拝からも、それが分かる。

 話は横道だが、「家畜人ヤプー」は昭和31年から書き継がれてきた幻想小説で、わずか2,3日の出来事を30年間以上にわたって書いた稀有な小説である。

 白人女性崇拝とマゾヒズムがないまぜになった小説で、三島由紀夫が絶賛したという、いわくつきの長編である。作者は謎だったが、先般死去したという。

 15世紀の大航海時代から、白人は世界中の地域を支配していった。原住民を弾圧して搾取した。このとき、原住民から見れば、白人は支配者だった。支配者の女が美人の基準になるということは十分にありうることである。

 インドでは未だに色が白い女性が美人である。(インドは200年間、イギリスに支配されていた)。

 わが国の色白好きは、白人支配とは関係がないのかも知れない。でも、江戸末期に開国を白人に迫られて、明治維新が行われたという次第があるから、あるいはわが国も白人支配にさらされたのかも知れない。

 ブスの基準は美人の単なる否定形ではなく、ブスというまた別の基準があるように思っているのだが、まだ十分に考察していないので、またいずれ。

美人とブス・その1

2008-12-11 21:21:37 | Weblog
 その女性が美人かブスかは考えなくても一撃で分かる。

 これはなぜだろうか?美人やブスは何を基準として決められるのだろうか?

 権力者の妻が美人の基準になるのではないかという仮説をいつぞや書いた(2006.9.4)。

 では、ブスの基準は何か?

 もっと考察を深めたいが、今日は公の仕事が忙しく、次回に譲る。




 

チュニジアの夜(使用前)

2008-12-10 09:30:16 | Weblog
 ひょんなことから、この年末年始の休みには妻と北アフリカのチュニジアに観光旅行に行くことになった。

 どんな場所か知らない。トイレは紙で拭く習慣がなく、手で洗うのだそうだ。言語は現地語とフランス語しか通じない。なんだか心配である。

 ジャズに「チュニジアの夜」という名曲がある。弾くのが難しいが、すばらしい曲である。この曲のイメージからは、チュニジアはさぞかしエキゾチックでよいところだという固定観念をもってしまう。

 実際、チュニジアに行って、そのイメージがどう変わるか、友人の木管楽器奏者K君が興味があるというので、とりあえず「使用前」を書いておく。「使用後」のことは、チュニジアから帰ってから書く予定である。

今ごろレジ袋排斥推進協議会?

2008-12-09 08:27:25 | Weblog
 つい先ごろ、私の住む隣の市で「レジ袋排斥推進協議会」というのができた。

 えっ?今ごろ?

 レジ袋排斥は省エネどころか増エネになると、もうとっくに分かっていることは、この欄で再三述べてきた。

 隣りの市は情報が遅いと言うか、無知と言うか、ほとんど驚きである。

 レジ排斥運動が省エネにならないことは、すでに厚労省が認めている。隣の市はそんなことも知らないのか?

皇太子の話し癖

2008-12-08 08:24:39 | Weblog
 皇太子の口癖というか、しゃべり癖にみなさん気付いておられるだろうか。

 皇太子は、話の前に「マ」という「接頭語」を付けるのが癖である。例えば「マわが国は、マ世界平和のために、マ十分に、マその役割を、マ果たして行かねばなりません」という具合である。

 わざと極端に書いたが、皇太子の演説を注意深く聞けば、この癖に気付かれることだろう。

 良いとか悪いとかいう問題ではない。皇太子には、そのような話し癖があるという、それだけのことである。

裁判員制度反対

2008-12-07 08:42:28 | Weblog
 私は開業医だから個人事業主である。

 それが裁判員制度に駆り出されたらどうなるか?裁判員に出席するだけで収入がゼロとなる。それどころか、スタッフを遊ばせなくてはならない。大損害である。

 個人事業主にこれほどの負担を強いる裁判員制度に私は反対である。

 裁判員に選任されるには、面接があるようである。私は面接のときに、茶髪ピアス、貼り付けの刺青をつけて出席して、裁判員を跳ねられるようにしたいと思っている。

 もしくはぼろぼろの服を着て、犯罪者は10万円盗んだら、全部死刑と主張しようと思う。それなら、裁判員不適格として選任されなくても済むかもしれない。

 多くの個人事業主はもちろん、サラリーマンでも同じことを考えると思うので、最終的に裁判員になれるのは公務員だけだと思う。

 今から予言しておく。裁判員は全員、公務員で占められるだろう。

医者の時間は有限

2008-12-06 08:43:53 | Weblog
 「医者は患者にじっくり説明を」と有識者や評論家は言う。まったく非の打ち所のないもっともな意見である。

 だが、それが実行可能であるかは、また別問題である。

 医者が患者一人にどれだけ時間を割けるか、データはすぐに出る。

 延べ患者数を医者の数で割り算すればよいだけのことである。こんな簡単なことを誰もやらない。そんなこともしないで「じっくり時間をかけて」と言っているのであれば、無責任きわまりない。

 この割り算をすると、医者が一人の患者にかけられる時間は10分もないと思う。だれか、しっかりとしたデータを出して欲しい。

ビール再考

2008-12-05 08:42:19 | Weblog
 アサヒビールの成功には、もしかしたらアサヒ・スーパードライのヒットが貢献しているのかも知れない。

 私はスーパードライを好まない。何と言うか、味が変なのである。人気マンガ「美味しんぼ」では、登場人物に「スーパードライは金属の匙をじかになめたような妙な味がする」と言わしめている。

 言われてみれば、そんな感じもする。なぜそんな商品がヒットしたか分からない。映画にしても流行歌にしても、ヒットの原因は意外に分からないものである。

 私は最近、ビールを飲まない。料理に合わないからである。それに料理を食う前に腹がふくれてしまう。

 少量の生ビールなら飲む。生ビールは、どんな瓶ビールよりうまい。加熱処理をしていないからだろうか?

 でも、私は本醸造の安い日本酒の熱燗が好きだ。ビールはめったに飲まない。これからは熱燗の季節である。安い値段の熱燗は、高値の銘柄冷酒よりよっぽどおいしい。

キリンビールの凋落

2008-12-04 08:36:57 | Weblog
 私にはビールの味が分からない。どこの会社のビールも同じように感じられる。

 かつて、ビール界の王者だったキリンビールの凋落はひどいものである。なぜキリンビールが売れなくなったのだろうか?

 昔は低ランクだったアサヒが今はトップシェアである。キリンがなぜダメになったのか分からないように、アサヒがなぜトップになったのかも分からない。

 サントリーが黒字化したとは先日書いたが、サントリーはモルツが当たったのである。このビールは他のラガービールとは味の違いがすぐに分かる。

 われわれの先輩世代はキリンしか飲まなかった。わざわざサッポロを注文する者はいなかった。それほどにキリンのブランドはしっかりしていたのである。

 いち早くキリンが中瓶を発売したのがキリン衰退の原因と私は見ている。キリンの中瓶にはラベルが貼っていなくて、瓶に直接にセンスのない印刷がされている。せっかくの宴席にラベルなしはないだろう。

 それに中瓶とは中途半端である。料理屋は中瓶しか出さないのに大瓶の値段を取るようになった。キリン中瓶の弊害は、このように静かに進行していった。

 先輩たちはキリンビールしか飲まなかった。それがブランドというものである。私は各社のラガービールの味の違いが分からないから、どうでも良いことであるが・・・。

静電気とは何か?

2008-12-03 07:35:27 | Weblog
 静電気の何たるかを私は知らない。

 学生時代、私は物理が得意だった。普通の電気が電子の流れであり、エネルギーを帯びていることは何となく分かる。

 だが、静電気はイメージできない。エボナイトをこすると静電気が発生して、髪の毛などがくっつくという現象は知っているけれども、それが普通の電気とどう違うのかが分からない。

 静電気もエネルギーなのだろう。雷は静電気である。その破壊力がすさまじいことからも、静電気はエネルギーだと分かる。

 なら、雷を使った「静電気発電」といったものはできるのだろうか?その辺のところを私は知らない。

 われわれ大衆が普通の電気と静電気の違い(または同一性)を知らないのは、そもそも学校の物理の教師がそれを知らないからではないか?

抽象画、抽象彫刻の見方

2008-12-02 08:24:26 | Weblog
 亡父の美術好きのために、私は幼いころから美術館に連れて行かれたことは、いつぞや書いた(2006.10.10)。

 幼い私は写実画の精妙さに驚嘆した。なんでこんなに本物そっくりに描けるのだろうと不思議に思った。

 美術館に置かれる作品だけではなく、当時、全盛を極めていたペンキ描きの映画看板にも驚いていた。近くからみたら粗雑な絵である。でも、遠くから見ると映画スターたちにそっくりなのである。

 でも、美術館でどうしても分からない絵や彫刻があった。それは抽象作品である。それらの作品に特選とか入選とかが付いている。それなら良し悪しがあるのだろう。

 高校の美術の教師は日展の常連だった。実際、本人の作品を上野の日展まで見に行ったこともあった。油彩で具象画だった。でも、どこが良いのか分からなかった。

 高校の美術の最終授業のとき、教師は「今日が最後だから、なんでも自由に質問してほしい」と言った。

 私はさっそく質問した。「僕には抽象画の良さが分かりません。鑑賞のポイントを教えてください」。答えは「君たちが良いと思えば良い。悪いと思えば悪い」という禅問答のようなものだった。

 えーっ?その程度のことなの?私は絶句した。

 もう抽象画や抽象彫刻を勉強することをやめにした。未だに抽象画や抽象彫刻に甲乙を付けることを美術展は止めない。

 私も未だに、それらの甲乙が分からない。抽象画や抽象彫刻を見なくなって何十年になる。今後も見るつもりはない。

飛行機の今昔

2008-12-01 08:26:29 | Weblog
 S君の父親がドイツへ行った昭和30年代は、小学生の私にとって飛行機に乗るというのは夢のまた夢だった。

 当時、ドイツ往復の航空運賃は60万円くらいだったと思われる。大学卒初任給が1万5千円の時代である。私は一生、飛行機には乗れないだろうと思っていた。

 飛行機に乗る人はみなVIPである。だから、そのお世話をするスチュワーデスは、職業婦人としては、最高のエリートだった。だから、女の子の招来の夢の一番は長らく「スチュワーデスになること」だった。

 スチュワーデスになるには、英語が堪能でなければならなかった。そして、容姿も重要視された。身長制限もあった。うろ覚えだが、身長155センチ以下では、それだけで受からなかった。

 だが、それから15年後、私は初めて飛行機に乗ってヨーロッパに行った。かつては想像もできないことだった。私が乗ったのは旧ソ連の航空会社。スチュワーデスはデブで愛想のないおばちゃんだった。

 私が乗れるようになったのだのもの、スチュワーデスの市場価値も下落した。今はキャビンアテンダントというのだろうか。でも、ソ連の航空会社のアテンダントと比べたら、現在のわが国の航空会社のそれは、桁違いに感じがよく美人が多い。

 それなのに、労働は過酷で、給料は安いという。だからかどうか分からないが、女の子の招来の夢の中からスチュワーデスが消えてしまった。