えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

何やってるのパパ?

2008年10月15日 | コラム
『僕らのミライに逆回転』:ミシェル=ゴンドリー監督 2008年
(原題:Be Kind Rewind)

:小さいころの父の記憶は、いつも背広を着ていてメガネをかけていて、おなかはぼてっとしていて、声は怒ると高くなる。わたしはいつも、その腹につぶされるように父を見上げていた。どうしてジャック=ブラックを正視できなかったのかとじっと考えていたら、あの太っていたころの父に、理屈っぽいごりおしの説得、肉のついたあごから首の動き、何より、「むっ」と口をつぐんだ時のふてぶてしさがそっくりだったのだった。

 アメリカの田舎町の一角、日本で言う駄菓子屋みたいなビデオ屋で、うっかり全てのビデオのデータが飛んでしまったのをごまかすため、「リメイク」と称し自分達で失われた物語の構成に奮闘する二人を真顔で遊びながら描く本作は、すべてをすっとばして監督のやり口全開で作られている。監督のミシェル=ゴンドリーは、最低限の役者の動きを渡すだけで、セリフはほとんどアドリブで行わせるという、
大雑把でテキトーなやり方を撮っていた。けれど、そのテキトーさが劇中行われるリメイクの製作時の陳腐さ、手作りの泥臭さとぴったり合っているのだ。特にジャックの、トラブルメーカーのジェリーのもう理屈っぽくて自分が中心じゃないと嫌で、でも親友のマイク(モス=デフ)がいないとだめだめなさびしんぼという役割はどう贔屓目に見ても素が入っているようにしか見えなかった。

 だから、余計にこわかった。べつにどこもこわいところなんてないはずなのだけれど、父そっくりのジャックがぷよぷよしたアゴをぐっと結んで、「オレはヒーローだ」と言い張る場面はまさしく父の戯画でその前に座るわたしは、やっぱり愛想笑いを浮かべる嫌なこどもでしかないのだった。
コメント (2)
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