えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

柳宗悦「手仕事の日本」読了

2009年04月12日 | 読書
先日また民藝館に行きました。
何も意識はしていず、当日「あ、いきたいな」と思い
足を運んだのですが、
行くとちょうど棟方志功の特集を組んでいて、
しかも柳邸の月4回の公開日のひとつにあたっていました。

こういうカンだけは、よくあたるのです。

:春秋社『手仕事の日本』 柳 宗悦著 1972年再販

若い人のための、民芸品の入門書です。
柳宗悦をガイドに、日本全国をあちこちとめぐりあるく趣向で、
どの県で何が有名か、何がすばらしいかがなめらかな筆で書かれています。
叙述は平易にと気遣われていますが、若い人、というよりは、
どちらかと言うともう少し高い年の人の方が楽しめるのではないでしょうか。
それほど、多くの日本のもので溢れています。

柳は見る目が厳しく、とても冴えた人です。
たとえば、中国地方の章、備中の「花筵(はなむしろ)」
について彼はこう述べています。

『この県で力を入れたものに「花筵(はなむしろ)」があります。
(中略)
無地で紋織のもありますが、品が良く間違いの無い品であります。
「花筵」には輸出の将来があります。
普通の畳表は都窪郡の妹尾朝野は八島町から最も多く出ます。同じ
藺草で編んだ厚手のマットによい品があって、洋間の暮しには喜んで
迎えられるでしょう。』(旧仮名遣い改め:筆者)

何がどこでどう合うかを、常に先んじて考えるのが柳のものの
見かただと思います。
以前、ウィリアム・モリスと柳の話をした時、私は民芸運動が、過去への回帰の
ベクトル一方だと書きましたが、読んでいたり民藝館の方から諭されるうち、
そこからもう一歩踏み込んだところが答えなのかと思うようになりました。

読むにつれ難しさを感じます。

『伝統は丁度大木のようなもので、長い年月を経て、根を張ったもので
ありますから、不幸にも嵐に会って倒れてしまうと、再び元のように
樹ち直るのは容易なことではありません。
(中略)
吾々が伝統を尊ぶのは寧ろそれを更に育てて名木とさせるためであります。』

しごく感覚的には、自然で単純なことをずっと述べている、と思われる
のではないでしょうか。感覚の上で、田舎の暮しとかスローライフとか、
自然のもの、手仕事のものを使いたがるのは人として当然だと思います。
難しいことは何なのでしょうか。

民藝館の方は、

「今の生活の中で、いいものを選んでゆくことが、柳の教えをそのまま
生かしていることですよ」
とおっしゃいました。

これは難しいです。ほんとうに難しいです。
それが難しいからでしょうか、というと、またそれも違う気がするのです。

私も自分の、考えの立ち居地がぐらぐらと揺れています。今日は独白になってしまいました。
コメント
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