(1)森会長(本日辞任表明)の女性べっ視、差別発言は日本の風土、歴史、社会、文化に根差したものではあるが、今回、東京五輪組織委森会長ひとりの発言で国内外から日本はそういう国、文化、組織だと批判、非難を持たれるのは、集中するのは少し違和感はある。
本ブログでも書いたが、米国は建国以来の人種差別問題を抱えて十分に女性べっ視、差別が解決できない国であり、森会長自身、ひとりの発言で国、社会として日本が女性べっ視、差別の国だと決めつけられるのは(冒頭、根差した国であると書いた)そうではあってもそこまで批判、非難が行くこともないのではないかと思いたい。
(2)国内でも森会長の記者会見での開き直り、強硬姿勢を見て、全国的な市民レベルでの森会長辞任要求、行動が続いているし、スポーツ関係者などから一斉にという具合で女性差別社会への批判、不満が目につくようになった。
こうした人たちの中には日ごろからそうした主張、社会問題に意識、意見を述べてきた人もいるのかもしれないが、メディアの要請に応えてのこれまでの鬱積(うっせき)したものを吐露したのではないかと思える批判の嵐だ。
(3)たとえば当時の東京五輪招致でも、今なぜ多額の資金、投資をして再び東京五輪なのか(a question of why this time holds the tokyo olympics)という国民、都民の不信、不満、声はあったし、2020年東京五輪のテーマ、理念さえいま理解している人はそうはいない。
今回、森会長発言が五輪精神、憲章に反する、そぐわない考え、意見だとしてIOCを始めいたるところから糾弾、批判、非難されているが、政治とスポーツは別もの(だから権威主義、独裁者国家でも五輪は開催される)ではあるが、国民、社会、文化とは切り離して考えられるものではなく、日本社会が男性優位社会で女性が活躍できにくい社会であるから五輪精神、憲章に反すると思った人はいるのか、森会長ひとりの女性べっ視発言を受けた一斉に火が付いた感の日本社会のそうした社会構造的問題が浮上し、批判、非難が集中するのもどうかとは思う。
(4)ましてや森会長は、首相時代から日本は天皇を中心とした神の国発言など問題発言、思想性にも問題はあり、そうした人を五輪組織委会長に据えたのだから結果論としても女性べっ視問題発言がでたことでそれはそれで日本としては重大な社会思想的問題、課題ではあるのだが、今なぜ再び東京五輪なのかという疑問、問いかけの中で消化、昇華されていてよかったことだった。それは海外メディアの批判、非難に対してもだ。
(5)今なぜ再び東京五輪なのかの問いを、期日が迫って開催するかどうかとは別に再び考える機会だ。
本ブログでも書いたが、米国は建国以来の人種差別問題を抱えて十分に女性べっ視、差別が解決できない国であり、森会長自身、ひとりの発言で国、社会として日本が女性べっ視、差別の国だと決めつけられるのは(冒頭、根差した国であると書いた)そうではあってもそこまで批判、非難が行くこともないのではないかと思いたい。
(2)国内でも森会長の記者会見での開き直り、強硬姿勢を見て、全国的な市民レベルでの森会長辞任要求、行動が続いているし、スポーツ関係者などから一斉にという具合で女性差別社会への批判、不満が目につくようになった。
こうした人たちの中には日ごろからそうした主張、社会問題に意識、意見を述べてきた人もいるのかもしれないが、メディアの要請に応えてのこれまでの鬱積(うっせき)したものを吐露したのではないかと思える批判の嵐だ。
(3)たとえば当時の東京五輪招致でも、今なぜ多額の資金、投資をして再び東京五輪なのか(a question of why this time holds the tokyo olympics)という国民、都民の不信、不満、声はあったし、2020年東京五輪のテーマ、理念さえいま理解している人はそうはいない。
今回、森会長発言が五輪精神、憲章に反する、そぐわない考え、意見だとしてIOCを始めいたるところから糾弾、批判、非難されているが、政治とスポーツは別もの(だから権威主義、独裁者国家でも五輪は開催される)ではあるが、国民、社会、文化とは切り離して考えられるものではなく、日本社会が男性優位社会で女性が活躍できにくい社会であるから五輪精神、憲章に反すると思った人はいるのか、森会長ひとりの女性べっ視発言を受けた一斉に火が付いた感の日本社会のそうした社会構造的問題が浮上し、批判、非難が集中するのもどうかとは思う。
(4)ましてや森会長は、首相時代から日本は天皇を中心とした神の国発言など問題発言、思想性にも問題はあり、そうした人を五輪組織委会長に据えたのだから結果論としても女性べっ視問題発言がでたことでそれはそれで日本としては重大な社会思想的問題、課題ではあるのだが、今なぜ再び東京五輪なのかという疑問、問いかけの中で消化、昇華されていてよかったことだった。それは海外メディアの批判、非難に対してもだ。
(5)今なぜ再び東京五輪なのかの問いを、期日が迫って開催するかどうかとは別に再び考える機会だ。