いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ゼロサム社会と度量の大きさ。 zero-sum and generous society

2021-02-19 20:05:40 | 日記
 (1)ある人の利益がある人にとって不利益なるゼロサム社会(zero-sum society)で「だれ」もが「自由」で「平等」であることは不可能だ。方法があるとすれば利益再分配社会で公平性を実現することだが、それも再配分で持っていかれる人にとっては不自由、不平等といえる。

 もともと利益が大きく、自由が多い人がどれだけ我慢して利益、自由を小さくして社会に公平、平等に負担できるのかの度量の大きさ(generous)にかかってくるのが、社会的自由であり平等だ。

 (2)普遍的な自由、平等理念と社会的自由、平等は違う。五輪組織委森前会長は女性べっ視発言で国内外から批判を受け辞職に追い込まれた。追い込んだ人たちは「要職」にあるものの知見、意識、存在としてはふさわしくなく認められない、組織の理念とは相容れないものとして批判し辞職を要求したが、もちろんそういう批判者がすべて男女同権、平等精神性を持っているのかどうかはわからない。

 (3)米国だって十分に男女不平等社会であるし、人種差別国家だが、米国メディアは痛烈に森前会長発言を女性べっ視として批判した。女性べっ視の先輩トランプ前大統領は自分に都合の悪い米メディア情報をフェイクニュースと決めつけて対立してきたが、米メディアも米国の抱える建国以来の人種差別問題に解決の糸口も見いだせずに女性人権、人種差別取り組みに消極的なトランプ前大統領は4年間の任期を終えた。

 (4)さすがに2期目を目指しては国民の支持は及ばなかったが、それでも7400万票を獲得してバイデン大統領と国内二分するような一定の支持は受けた。トランプ支持層は米国社会の自由、平等の恩恵を受けれないマイノリティ層であり、不満、批判がうっ積していたとみられる。

 森前会長発言では女性発言規制の必要性を述べて民主主義、自由主義国として一発アウトものであったから、批判、辞職要求は当然のなりゆきであった。

 (5)もちろん日本だけの問題ではなく、どこにでもある、起こりうる問題であり、世界が日本がどう解決するのか度量の大きさを見守ることでよかった。五輪も米国TV界の資金力、影響力の大きさに支配されている十分に不自由で、不平等なのだ。

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