(1)政治家のドーピング(カネ)違反は寛容なのに一スポーツ選手の未成年での喫煙、飲食には極めて厳しい国家、社会というのも割が合わない。儒教思想に根差した社会の善と悪の基準が個人の責任よりは社会、組織、集団の判断に重い、キツイ社会思想が反映されている。
(2)近年、大学スポーツ部員の大麻所持、使用の法令違反が目に見えて増えている。大麻は国によって合法のところもあり、ネットで容易に手に入る情報化、グローバル社会の影響もあるのか、日本では非合法、法令違反であるにもかかわらず違反者が若者中心に増えて社会問題化している。
(3)単に健康上の問題だけでなく、反社会勢力の資金源となることから非合法、法令違反としていることもあるが、ネット社会ではそれを経由しない特に若者の守れる基準、価値判断に響くあらたな規制なり、許容なり理由が必要になっているともいえる。
(4)今問題になっているのが、19才の五輪選手の喫煙、飲酒だ。19才は「ダメ」で20才は「いい」というのはなかなか規制判断、理由がむずかしいところで、社会で生きていく上での適性能力、判断がためされているようでもあり、成人が18才に引き下げられても法令上は喫煙、飲酒は20才からに維持されたのはこれまでの社会秩序、規範の維持が考えられる。
(5)喫煙、飲酒年令の別れ目が経済自立力という基準なら、19才と20才で変化があるのか、どちらにしても決めなければならずに社会への適性能力、判断がためされているだけだ。
日本社会は社会思想的に個人の責任よりも社会、組織、集団の判断が重いと書いたが、喫煙、飲酒は個人の法令違反問題であり、社会、組織、集団の問題とはかかわりがなく、本来は社会、組織、集団がこれらを処分、処罰する立場にないが、上述したように個人の責任よりは社会、組織、集団の判断が重い日本社会の社会思想の特徴がみられる。
(6)どちらを擁護しているわけでもなく、守るべきものは守る、守れない、守りたくない、守る必要のないものは変えていくことを考えていかなければならない。
法治国家、法律というものは、それが守れなければ、守れるものでなければ意味がない。