(1)日本の政治はとにかく検証しない、反省しない、見直さないでやりっぱなし政治で責任もとらない。それでどうなったかというと、72年佐藤栄作政権では沖縄返還にともなう密約があったといわれて、米外交文書公開であきらかになったが、日本政府はいまだに密約の存在を認めていない。
(2)米軍による核兵器の持ち込みが事実上容認されたとみられる。日本は非核三原則を堅持していた時代で、米軍による国内治外法権化が進んだ。
田中角栄政権では日本列島改造論で全国を新幹線、高速道路網で結び、利便社会、地方活性化、活用化を目指したが、地方の土地価格の高騰を招いて利権政治がはびこり政治家は私腹を肥やして、東京一極集中が進み、地方活性化は実現していない。
(3)安倍晋三第2次政権では、リフレ派の黒田東彦日銀総裁を起用してアベノミクスといわれるデフレ脱却に向けた大規模金融緩和策を実行した。従来のカネの2倍を市場に供給して日銀が国債を大量に買い受け、政府の100兆円超の年間予算を連続して支えた。
円安株高で大企業、富裕層に恩恵はあったが、物価高が賃上げを上回るマイナス成長が続いて国民生活は向上しなかった。
(4)黒田日銀総裁は就任当初からデフレ脱却を目指して物価上昇2%達成目標を掲げて、2年程度で実現すると公言していた。日銀は金融政策決定会合で主な金融政策を打ち出してきたが、その都度決定過程議事録を後日公開している。
14年1~6月の同議事録では2年程度で物価上昇2%目標達成に「楽観ムード」が強かった。しかし日銀総裁として最長期間となった黒田総裁は10年間の在職中、大規模金融緩和を維持して物価上昇2%達成目標を掲げ続けたがマイナス成長が続き実現ははるかに及ばすに、総裁終盤になって急激な円安による大型物価高でようやく物価上昇2%達成となった。黒田総裁はこれでは賃上げと物価高の好循環によるものではないと否定して23年に日銀総裁を交代した。
(5)この間、大規模金融緩和策の後遺症(急激な円安、大型物価高)が指摘されて出口論がたびたび問題となったが、黒田総裁は大規模金融緩和、物価上昇2%達成目標にこだわり続けた。退任にあたって黒田総裁は10年を振り返って正しい選択だったと自画自賛してみせた。
(6)安倍第2次政権の戦後最長7年半とそれを支えた黒田総裁の10年がどういう時代だったのか、政治と金融の節目として検証と反省が必要で、日銀議事録の公開はどこまでかわずかでも検証、反省、見直しとして意味がある。