いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

輸入「取引」と政治「取引」。  trade and transaction

2010-04-09 19:43:05 | 日記
 (1)食の文化というのは、風土、歴史、生活、文化、自然環境(気温)によって支えられてい
る。四季があって寒暖のローテーションが狭い国土を均等に支配して、上質で豊富な水源に
恵まれた日本では、植物系の安定栽培に適して、味覚、嗅覚、触覚も多様で、総じて食通国
民と言える。歴史的自然環境から定着型の耕作民族。
 
 狭い国土でも南北に長く、気候変動にも変化があって植物生育にも多様性があり、また四
方も海に囲まれて魚介類にも恵まれ関心も高い、条件のいい食文化を形成している。
 こうした立体構造的な食生活、文化から、「調味」にも長(た)けて、醤油、塩、酢のシンプル
でセンシティヴ、メロウな調味料を生みだし、食材を引き立ててきた。鮨、刺身、鰻、天ぷらと
食感の深い味わいを楽しむ。
 食の安全性(safe property)に対しても、植物センイ的な透明性の高い、シンプルでセンシ
ティヴ(sensitivity)な感覚がある。

 (2)広大な東西に広い米国。国土全体で季節感を共有することは不可能で、自然環境に適
応した植物系の安定栽培には不向きで、移動範囲の広い広大な地形を利用した牛、馬の放
牧による歴史的に狩猟民族。
 味覚は画一的で、しかし生命力(vitality)のエネルギー効果は強い。牛肉への安全性に
ついても、食文化の風土から独自の基準を持つ。

 牛肉食国のレストランで、カウンターに置いた肉の塊を木を切るチェーンソーで上手に薄
切りして、皿に乗せて牛肉ステーキを提供するのにお目にかかったことがある。その国では
別に違和感はまったくなかったが、バイタリティ(vitality 生命力)もつまり、それも食文化
なのだ。

 (3)03年末にBSE(牛海綿状脳症)感染の牛肉による死亡例も出て、米国産牛肉の輸入
を全面禁止した日本。その後、日米検査、監視体制(surveillance)の整備で、05年に
「生後20か月未満」の牛に限っては(現在、この高い基準は日本のみ)、安全性が確認で
きるとして輸入再開となった。

 このため、米国にとっては日本への輸出がピークとなった00年(35万トン)に比較して、
09年(7万トン)は5分の1に激減していた。

 世界的な経済不況の長引く中、中間選挙を11月に控えた米国では、日本での市場開放を
求める関係団体、議会の声を背景にして、日本に対して「生後30か月未満」の牛の輸入拡
大を求めて、米国農務長官が直々に来日して交渉にあたった。

 (4)歴史的に耕作民族の日本では、牛肉に関する食性安全性にはシンプルでセンシティヴ
な感情もあり、また食文化の原点というのは、経済性、貿易性、政治性に左右されない、ま
ずは国民の健康、安全食生活の保証の高い分野だ。

 スーパー、小売店で消費者が選別して購入するものは自己責任も持てるが、外食、レスト
ランで提供されるものについては、個人的に判別の仕様もない。
 銘柄、履歴も含めて食肉情報の開示の義務付けが必要だ。輸入牛肉の中には、危険部位
が残ったままの安全性に問題のある事例もその後、数度にわたって発覚もしており、日米双
方の検査体制の精度の確認を含めて、安全環境の整備がまず求められる。
 それは、日本のシンプルでセンシティヴな食文化に基づく安全性の確保だ。

 (5)輸入・貿易「取引」、食文化が、クロマグロの輸入禁止とか、牛肉輸入条件の緩和などと、
政治「取引」に使われてはならない。

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自白と物証。  confession and material evidence

2010-04-08 19:51:36 | 日記
 (1)名張毒ぶどう酒事件。容疑者の死刑が確定してから40年が経過する。その間、取調
べ中は一旦事件への関与を自白(confession)した確定犯は、その後一貫して無罪を主張し
て、再三再四の再審請求、再審開始決定後の取り消し、その特別抗告が繰り返されてきた。
 今回、最高裁は、再審請求の審議不十分とし、高裁に審議をやり直すよう差し戻した。

 この間、弁護側による、確定犯が当時所持していてぶどう酒に投薬したとされる農薬の再
検証(化学反応)結果が、当時の検察側の鑑定結果とは異なるとする判定結果の提出が、
差し戻しの大きな要因になったようだ。
 最高裁の差し戻し条件として、「農薬の再鑑定を事件当時と近い条件で行う」よう命じて
いる。

 (2)農薬は、その後販売停止になっており、また当時のぶどう酒も関係者によるとすでに
手に入ることは不可能とのことだ。
 最高裁の裁定も、証拠物件の分析、証拠能力に再調査の必要があるとした、しかし今と
なっては行くも、戻るも八方塞がりの難題を押し付けた。

 事件が発生してから半世紀も経過して、証拠物件の鑑定も現実的ではない。当時の検察
側による農薬の化学反応分析と、その後の弁護側による科学的分析結果の反応の差異を
どう斟酌(しんしゃく)するのか、使われた農薬の再鑑定、確定犯の所持、不所持の判断、
入手経路と、事件は闇の中だ。

 一般論として、あきらかな犯罪構成要件が科学的物証として確認されなければ、「疑わし
きは再審理」として、再審請求が認められる公算は大きい。
 しかし、たとえばDNA鑑定の精度の違いによる誤認定のような決定的な錯誤がなければ、
今となっては事件は闇の中のままだ。

 (3)半世紀前の事件の中身については知る由もないが、「問題」は、死刑が確定して40年
も経過して、その間一貫して確定犯は無罪を主張して、再三再審請求が出されてきたとはい
え、その再審請求も一旦は取り消されている。

 誤解を恐れずに言うなら、40年の長年にわたって「どうして」司法(法務大臣)は決定した
「判決(decision)」を「放置」してきたのか、だ。
 死刑が確定して40年もの間、当の人間、関係者に多大な恐怖と精神的苦痛を与え続けた
のは、正義とコンプライアンス(compliance)の象徴の司法当局のとるべきスタンス、目的で
はない。

 再審請求の審理で、判決への「確固」たる「証拠能力」があれば、特別抗告まで争われる
こともない。
 誤解を恐れずに言うなら、「判決」の40年の放置は、判決後の司法当局に当時の捜査、
立証能力に対する確信が持てない、証左ではないのか、だ。

 (4)儒教精神のかっての日本社会は、究極の場面で人間は「うそ」をつかない思想、理念
(theory)が根底にあって、刑法(criminal law)も「自白(confession)主義」が法規範の基本
にあった。
 国家権威(検挙至上)主義と自白主義がリンクしての当時の、事件の無理な結論付けによ
る冤罪事件が生まれた。
 今日の法律(刑法)は改正して「物証(material evidence)主義」で、事実性、客観性、透明
性を高く構成している。

 「人が人を裁くことのむずかしさ」、そして「人が人を殺(あや)める」危うさが混在する、人間
社会の不合理性が読み解けない。

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なり振りかまわず、の行動編。  don't care movement

2010-04-07 19:47:31 | 日記
 「なり振りかまわず」、正直にまともにやれば、人間生きていくのに問題はあっても乗り
越え(break over)られる、はずだ。

 (1)ガソリンと電気併用、切り替え方式の環境適応型先端技術のハイブリッド(HV)車の
トヨタプリウス。米国でのブレーキシステム不具合の対応にかかわるリコール問題で、米国
での販売台数減少とリコール欠陥隠しに対する史上最高額の15億円の制裁金が科せられ
る不始末。

 日本では、HV技術の先進性による燃費効率効果にエコカー減税の追い風の中、新型HV
車プリウスの販売では30万円も価格を値下げしての「なり振りかまわず」で、09年度には
前年比較80%増の28万台近くの販売台数を記録して、年間1位となった。

 不況が長引く中の、燃費向上と安い価格設定が売上げを伸ばした。トヨタは、ここは「なり
振りかまわず」、長年の世界戦略での企業体力をいかした、当面の純益を度外視した戦略
でエンタプライズ・トラスト(enterprising trust)の回復を目指す。

 (2)長年の白日夢(waking dream)な放漫経営で支援の銀行団からも見放された日本航空
(JAL)。かろうじて国策で存続が決まり、大リストラと不採算路線からの大幅な撤退、高い
年金の放棄で、それでも渋々の「なり振りかまわず」の再建。

 こちらは元々、他人まかせの甘い脆弱な企業体力なだけに、切り札のない、切るだけ切っ
た、安全も含めたゼロからの再建が危うい。
 再三にわたる企業規範の欠如、不整備、欠航というスカイマーク航空の二の舞にならない
ことを祈るのみだ。

 この産業は、時代の先読みに乏しく、時代にも取り残されて、先進性がない。まずは、他
の交通機関と競合できる手続きも含めたアクセスの利便性、サービスの適正化、企業独自
による地域開発、商品化が求められる。レジャー産業だけでない多機能な日航ドリームワー
ルドランドの実現だ。

 (3)昨年、「核のない世界」を宣言した米国オバマ大統領。米国政府はこの度、「核兵器を
保有しない国には核攻撃をしない」戦略を発表した。
 そもそも、地域限定の戦術核兵器にしても、現実的には全人類が共同利用するいかなる
「地球」内においても、戦術核と言えども「使用」は不可能と言っていい。地球の破壊として
使用国にも跳ね返ってくるからだ。

 この戦略発表は、ちょっと「見栄、見栄」のところもあるが、しかし、核兵器削減にあたって
の「なり振りかまわず」の一歩の姿勢は評価していいだろう。が、よく米国指針の中身を見
れば、「通常兵器の抑止能力を上げ、核兵器の役割を減らす」という。
 「核のない世界」とは、「なり振りかまわず」兵器の役割を減らすという、人類が望む平和
志向の世界ではないようだ。

 (4)こちらの「なり振りかまわず」は、見習いたい編。昨年、米国大リーグのヤンキースの
ワールドシリーズ制覇(conquest)で日本人プレーヤーとして初めてMVPを獲得した松井秀
喜さん。
 指名打者専門としてのヤンキースから、守備、走塁も含めたオールラウンドプレーヤーと
して「なり振りかまわず」エンゼルスに移って、今年のオープニングゲームで4番(この日は
指名打者)として決勝打とホームランを打って、勝利した。
 「なり振りかまわない」プロセスに、結果として応えてみせた行動力学。

 「なり振りかまわない」行動力学は、戦略がともなわなければ、無謀と紙一重のブレーク
オーバー(break over)。
 戦略をともなった「なり振りかまわず」の行動は、時代を、人生を切り拓く。

 

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政治風土変革の小党。  innovation of politic climate

2010-04-06 19:33:33 | 日記
 ヨーロッパの連合(EU)化以前の時代は、かっての植民地政策による大国イズムが植民地
の独立運動が世界的流れになる中で、政治、経済基盤の近代化に立ち遅れて、次第にその
ステータス、地位を失っていく。
 米国を頂点(summit)とする経済至上主義が台頭して、世界の枢軸が移っていった。

 ヨーロッパ政局は、各国とも小党乱立が続き、選挙のたびに連立の組み合わせが問題にな
り、政局は安定せず、政治混乱の時代が続いた。
 近年になって、政治、経済、平和の連合体としてヨーロッパ連合(EU)を結成し、ようやく大統
領も選出されて、ユニオンとしてのフレームワーク、政治体制も整備されたが、各国の取り組み
には温度差も見えて、共通意識、目的意識(motive)の浸透にはまだまだ課題も多い。
 政治、経済、平和が大きく連合化(unionism)、ブロックとして機能する方向性は歓迎すべき
政治形態だ。

 日本では、野党になって低迷が続く自民党からの離党者が続く中、元大臣経験者他数人が
離党して、すでに離党していた議員と合わせて政党要件を満たす5人で新党を結成する動き
が出てきた。
 事実上の自民党の分裂現象で、今後、新党の動き以上に自民党の解体の方に注目が集まる
様相だ。

 すでに安保改定、沖縄返還時の密約問題を長年にわたって国民に隠し続け、「うそ」をついて
きた自民党の国民への背信行為から、自民党は「解党」すべきであったが、そういう意義にも
「顧(かえり)みない」政治的退廃からの自民党の解体指向となった。
 新党は、「日本の伝統、文化、歴史の尊重」と「将来的な消費税増税」を一致点として、反民主
党の受け皿、政治改革を目指すようだ。

 民主党の政治運営、手法(technique)、あやうさから、この夏の参院選以後にも政局は地殻
変動の可能性もある。労働連合まで民主党のあやうさにヨイショの肩入れは、始末が悪い。
 日本の政治風土から見れば、このまま小党乱立というよりは、民主党、自民党内のグループ、
小党の合従連衡(がっしょうれんこう)の可能性が高く、ますます政策推進政治からは遠い、政
治的野望(ご都合)主義に舵(rudder)を切ることが考えられる。

 昨年、国民はそれまでの「既得権政治」に決別して、「マニフェストによる政治主導」の政治を
選択した。
 政治理念が「元」に戻ることのない、国民による政治主導、監視(watch)が求められる。

 日本の政治風土の基盤を根底から変革するモチーブパワー(motive power)としての小党
が多様に複数誕生するのも、この際いい効果もある。
 政治理念、信条、スタンス、手法に、政治哲学のある政治理論のスジの通った政治グルー
プの出現を期待して、そういう透明性の高い風通しのいい政治風土(politic climate)の日本へ
の変革だ。

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困った日本人犯罪者。  japanese criminal

2010-04-05 19:48:06 | 日記
 人の命の価値は国によって違うということ。何とも言えない難題で、どう解答(solution)
するのがいいのか。行くも、戻るも、曲がるも、落ちるも、進む進路がない。だからと言っ
て、国民感情、事情、状況がちょっと考えさせられる、不思議な、やっかいな取り合わせの
事件。

 (1)中国から覚せい剤を日本に密輸しようとして、中国当局に拘束された日本人犯罪者。
 (2)密売大国の日本に覚せい剤を密輸しようとした犯罪を事前に防止した中国当局の行為
は、当然評価される。日本では、こうした密輸品が不法密売組織の資金源となって、たとえ
ば一例として最近の芸能人に行き渡り浸透して社会問題化しており、こうした摘発は歓迎さ
れる。
 (3)中国国内法(刑法)では、覚せい剤密輸は重罪(懲役15年か無期懲役または死刑)
と規定がある。当事者の日本人は、その密輸量の多さも含めてなのか死刑判決が確定して
いる。近々、その死刑を執行すると中国政府が日本政府に通告してきた。
 (4)中国政府が国内での犯罪行為について、法規定に則して最高刑の死刑を科したことに、
異論の余地はない。

 (5)日本(日本人)としては、日本国内法(同罪では、無期または1年以上の有期刑)に
則して同様罪状を比較考えれば、死刑は重すぎるというコンプライアンス(compliance)
感情もあることはある、が、犯罪行為はどこに居ても許されるものではなく、拘束されたそ
の国の法律に従って処分されるものであることは、当然のことだ。逆に、他国への重大な迷
惑行為であって、申し訳もない。
 (6)日本と中国の国内法の法規範の違い、その比較度合いから、日本人が他国で死刑執
行されることに、特に今回の事例〔最高刑が死刑(中国)と無期懲役(日本)〕に則して言うと、
百歩譲って、国民感情的には複雑な思いも確かにある。
 (7)そうした感情論だけでもないだろうが、日本政府(外務省)も日本人犯罪者の死刑執行
には強い関心を示して、中国政府に対して「懸念」を示した。
 (8)同罪でも最高刑の死刑以外の選択肢(しかし、中国当局の判決は死刑)もある。日本
(日本人)だけの特赦もいかがと思うし、しかし、この日本人犯罪者の処分に日本政府が
「懸念」を示すのも、人の命の価値の違い(法規範)の事情、状況をみれば、一応うなずけ
る範囲内、想定内のものでもある。

 (9)日本政府の懸念が横やりのように、中国国内干渉と受けとられれば、元も子もないし、
中国当局も国内法に基づいた処分なのだから、処分内容(量刑)の説明を求めるのも失礼
な話だ。
 (10)中国は他国と比較して、死刑被執行者の数が格段と高い国(統計比較で「3桁」数は
中国のみ)。国内事情は、他国には推し量ることはできない特殊性もあるので、そのまま自
国には適応はできない、価値基準が存在する。
 それが主権であり、自国民の安全保護政策なのだからだ。かってあったような無法ゲリラ
集団の拉致交渉とは次元が違う。

 (11)そこで、中国国内法の公平性、秩序維持は別にして、日本政府が責任を持って日本人
犯罪者を日本と中国の共通国益に供する手法としての義務履行ではどうか。
 ①同罪にかかわる犯罪組織、犯罪者周辺の日本国内情報も含めての両国の情報共有に
よる同罪の洗い出しによる犯罪撲滅の推進。
 ②当の日本人犯罪者の中国での労働還元による生涯を通した社会寄与を通して、日本政
府が責任を持つ対価としての量刑を「無期懲役」にランクダウンする方法。

 (12)いづれにしても、中国国内法に則して処分されて当然の犯罪行為、犯罪者であるので、
執行されて異論もない。
 (13)日本政府の懸念表明も、また事情、状況をみればプロセスとしてはあっていい。
 (14)人の命の価値は国によって違うということ。

 どちらにも困った、日本人犯罪者。
 両国間も含めて、国際的な犯罪防止のための強力なネットワーク整備、協力が必要なこと
は確かだ。
 
 

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