「やがて君になる」もいよいよ最終回となりました。
まずは第12話「気が付けば息も出来ない」。姉・澪になろうとしてきた燈子でしたが、他の人から聞く澪と自分が目指してきた澪との違いに戸惑い、それは劇の練習中にも現れるように。
事情を知っていた沙弥香は見守ることを決めていたようですが、知らない侑は自ら燈子を家に誘い、静かな時間を共に過ごす中で事情を聞くことに。この、BGMも控えめな、穏やかな夏の夕暮れのシーン、良いですねぇ・・・
劇の主人公のように極端ではなくても、誰しも見る人によって別の側面が現れてくるもの。それでも自分が嫌いな燈子は誰かになりたがっていましたが、一方侑は「じゃあ先輩だって・・・先輩だって私の(――)なもののこと、嫌いって言わないでよ」という心境。原作では「(――)」の部分が「ばか」の文字で隠されていましたが、アニメだと同じく「ばか」の声が被っているものの、何といっているかうっすら聞き取れますね。
燈子に自分のことを嫌いじゃなくなって欲しい、燈子を変えたい。その一心で、こよみに劇の台本の変更について話に行く侑。ここら辺、原作4巻終盤と5巻序盤の内容を上手く組み合わせていて、尚且つEDと相まって盛り上がるような構成なのが良いですね!
そして最終回、第13話は「終着駅まで/灯台」。
前半の「終着駅まで」冒頭では、澪が出来なかったことを代わりにやろうとしている燈子自身も、「澪が出来なかったこと」をやりきったあとはどうなるのか、という不安を抱き始めることに。
きつい言い方になってしまいますが、既に亡くなった澪の「出来なかったこと」が何かは分かっても、「やりたかったこと」が何かまでは分からないでしょう。大学で何を学びたいか、どんな職業に就きたいか、どんな人と結婚したいか、子供にはどんな名前をつけるか・・・他の生徒会メンバーにとっては「生徒会劇」は一種の通過点であっても、燈子にとっては終着駅にもなりかねない。そうでなかったとしても、今のままでは生徒会長の任期が終わった後、目指すもの、行くべき場所を見失ってしまいかねない・・・でも今は終着駅かもしれないと知りつつも、前に進むしかない・・・と。
また、喫茶店のシーンでは、沙弥香の燈子への思いを知る都に「仲良いね」と言われた沙弥香がムッとするのが可愛らしかったです。アニメ⇒原作⇒アニメで見ている私ですが、当初沙弥香は若干怖い印象がありました。しかし実際は彼女も自分自身の思いを伝えられずにいる女の子であり、随所に可愛いシーンがあって、だいぶ印象変わったなーと。
後半の「灯台」では、侑からの誘いで、侑と燈子は水族館へ。
基本原作通りを通っている中で、途中で劇の練習を始めるのはアニオリでした。ただまるっとアニオリではなく、侑の台詞の中には劇本編でも使われる台詞が含まれていました。本番では侑(看護士)の言葉がきっかけとなりますが、今回は燈子(患者)の気持ちを変えることはできず・・・ここからの物語が劇共々本番だと思うのですが、続きはいつか原作が完結した時とかにアニメ化されるんですかね・・・?
サブタイトルの「灯台」についてですが、これは燈子の「侑のことを好きな部分は私だって言い切れる」という発言からして、「七海燈子」個人としてどこに進んだら良いか分からない暗い夜の海において、侑という灯台だけが、燈子にとっての道しるべだと、そういうことなんでしょうか。
ひとしきり水族館を楽しんだ後、帰りの電車で疲れて眠ってしまった燈子。ラストはそんな彼女に侑が「先輩、そろそろ乗り換えですよ」という言葉で締めくくられます。ここの侑の表情がチョーイイネ!
ここ、前半の「終着駅まで」というサブタイトルと合わせて考えると、「降りますよ」じゃなくて「乗り換えですよ」なのがミソなんだろうなと。「降りる」ということは「目的地に着いた」ということになってしまいますが、「乗り換え」となれば「ここはまだ目的地ではない」ということになります。
故にこれまでは「澪を演じる」というレールの上を走っていた燈子に対し、「これからは『七海燈子』個人のレールを走って欲しい」という侑の願いが込められているようにも感じました。
「澪になる」という終着駅にたどり着いたとしても、そこから乗り換えて、新しい道を走っていくことだって出来る。その道の先で、やがて君に、他の誰でもない燈子自身になる・・・そんな風にも感じられました。
といったところで、「やがて君になる」全13話終了・・・綺麗に終わったようにも見えますが、まだまだこれから。いつかまた続きをアニメでも見たいですね。ありがとうございました!
まずは第12話「気が付けば息も出来ない」。姉・澪になろうとしてきた燈子でしたが、他の人から聞く澪と自分が目指してきた澪との違いに戸惑い、それは劇の練習中にも現れるように。
事情を知っていた沙弥香は見守ることを決めていたようですが、知らない侑は自ら燈子を家に誘い、静かな時間を共に過ごす中で事情を聞くことに。この、BGMも控えめな、穏やかな夏の夕暮れのシーン、良いですねぇ・・・
劇の主人公のように極端ではなくても、誰しも見る人によって別の側面が現れてくるもの。それでも自分が嫌いな燈子は誰かになりたがっていましたが、一方侑は「じゃあ先輩だって・・・先輩だって私の(――)なもののこと、嫌いって言わないでよ」という心境。原作では「(――)」の部分が「ばか」の文字で隠されていましたが、アニメだと同じく「ばか」の声が被っているものの、何といっているかうっすら聞き取れますね。
燈子に自分のことを嫌いじゃなくなって欲しい、燈子を変えたい。その一心で、こよみに劇の台本の変更について話に行く侑。ここら辺、原作4巻終盤と5巻序盤の内容を上手く組み合わせていて、尚且つEDと相まって盛り上がるような構成なのが良いですね!
そして最終回、第13話は「終着駅まで/灯台」。
前半の「終着駅まで」冒頭では、澪が出来なかったことを代わりにやろうとしている燈子自身も、「澪が出来なかったこと」をやりきったあとはどうなるのか、という不安を抱き始めることに。
きつい言い方になってしまいますが、既に亡くなった澪の「出来なかったこと」が何かは分かっても、「やりたかったこと」が何かまでは分からないでしょう。大学で何を学びたいか、どんな職業に就きたいか、どんな人と結婚したいか、子供にはどんな名前をつけるか・・・他の生徒会メンバーにとっては「生徒会劇」は一種の通過点であっても、燈子にとっては終着駅にもなりかねない。そうでなかったとしても、今のままでは生徒会長の任期が終わった後、目指すもの、行くべき場所を見失ってしまいかねない・・・でも今は終着駅かもしれないと知りつつも、前に進むしかない・・・と。
また、喫茶店のシーンでは、沙弥香の燈子への思いを知る都に「仲良いね」と言われた沙弥香がムッとするのが可愛らしかったです。アニメ⇒原作⇒アニメで見ている私ですが、当初沙弥香は若干怖い印象がありました。しかし実際は彼女も自分自身の思いを伝えられずにいる女の子であり、随所に可愛いシーンがあって、だいぶ印象変わったなーと。
後半の「灯台」では、侑からの誘いで、侑と燈子は水族館へ。
基本原作通りを通っている中で、途中で劇の練習を始めるのはアニオリでした。ただまるっとアニオリではなく、侑の台詞の中には劇本編でも使われる台詞が含まれていました。本番では侑(看護士)の言葉がきっかけとなりますが、今回は燈子(患者)の気持ちを変えることはできず・・・ここからの物語が劇共々本番だと思うのですが、続きはいつか原作が完結した時とかにアニメ化されるんですかね・・・?
サブタイトルの「灯台」についてですが、これは燈子の「侑のことを好きな部分は私だって言い切れる」という発言からして、「七海燈子」個人としてどこに進んだら良いか分からない暗い夜の海において、侑という灯台だけが、燈子にとっての道しるべだと、そういうことなんでしょうか。
ひとしきり水族館を楽しんだ後、帰りの電車で疲れて眠ってしまった燈子。ラストはそんな彼女に侑が「先輩、そろそろ乗り換えですよ」という言葉で締めくくられます。ここの侑の表情がチョーイイネ!
ここ、前半の「終着駅まで」というサブタイトルと合わせて考えると、「降りますよ」じゃなくて「乗り換えですよ」なのがミソなんだろうなと。「降りる」ということは「目的地に着いた」ということになってしまいますが、「乗り換え」となれば「ここはまだ目的地ではない」ということになります。
故にこれまでは「澪を演じる」というレールの上を走っていた燈子に対し、「これからは『七海燈子』個人のレールを走って欲しい」という侑の願いが込められているようにも感じました。
「澪になる」という終着駅にたどり着いたとしても、そこから乗り換えて、新しい道を走っていくことだって出来る。その道の先で、やがて君に、他の誰でもない燈子自身になる・・・そんな風にも感じられました。
といったところで、「やがて君になる」全13話終了・・・綺麗に終わったようにも見えますが、まだまだこれから。いつかまた続きをアニメでも見たいですね。ありがとうございました!