事故は起こるべくして起こる。
ほとんどの事故は未然に防げる。そのために企業等ではヒヤリ・ハット報告書を利用して事故に至らないように未然に対策をとるようにしている。
だが、一般家庭にはヒヤリ・ハット報告書なんてない。日頃の心掛けが大事。
そして、まるで神様のイタズラか、負の連鎖によって予期せぬ事故が生ずるのも、事実起こりうる。
交通事故に限らず、人生にはあの時〇〇していなかったら…、〇〇をしていたら…と、思いもよらぬ結果や最悪な結果が起こると後悔することは多々ある。
この物語のように、様々な要因が重なり、最悪なタイミングで事故死に至ることもある。
誰のせいにも出来ないからこそ、二度と戻ってくることがない命だからこそ悲しみや怒りの矛先を向ける相手がいなくて、主人公夫婦のようにイライラやモヤモヤ感を拭いきれず何ヶ月も何年もその闇から抜けきれずにいる。
子供を失った夫婦の、それぞれの悲しみの癒やし方やベクトルの方向性、前進の仕方が異なっており、あまりにも露骨な価値観の相違。
片や、思い出の品々が悲しみを助長させ苦しみから逃れられないと思っている、片や、思い出の品々や録画を大切にしたいと思っている。
二人の癒やし方は相反する。
なんで私の気持ちをわかってくれないの!?
なんで俺の気持ちがわからないんだ!?
ベッカの母親と妹の言動がさらに二人を追い詰めていく。子供を轢いたジェイソンもまた…。
価値観の相違があるなら離婚すればいいやん。
それならただの実話になってしまう。
そこがやはりピューリッツァー賞を取るだけある展開になっている。
なんだかんだいって、皆相手の気持ちはわかっている。残念ながら、自分第一主義だから、わかって欲しい気持ちが優先されてしまう。
登場人物は皆自分中心型。空気読まない人物ばかり。
ジェイソンの訪問と彼が書いた小説、そして勇気ある告白を切っ掛けにベッカの心に変化が起こる。ハーウイもまた…。
人には人の癒やし方があり、学び方も様々。万人共通の癒やし方はない。
英語の勉強方法もしかり、ダイエット法もしかり、成功方法は人それぞれ。
リスニングラーニングが合っているいる者、英語学習塾が合ってる者、NHKラジオ放送が合ってる者、留学が合っている者、ネイティブスピーカーと一対一が合っている者、外国人がたむろうバーやカフェで酒を飲みながら自然に学習することが合う者、You Tube学習が合う者、
どれが自分に合った学習方法なのかは人それぞれ。絶対はない。
ダイエットだって、〇〇さんのダイエット方法、△△さんのダイエット方法、効果がある方法も人それぞれ。
結局のところ、解決方法は自ら発見するしかない。
万人に有効なセラピーが私に、貴方に合ってるとは限らない。
自分の心を癒やす方法は自ら見つけ出すしかない。
ということで、改装されたばかりのPARCO劇場に行ってきました。
めちゃくちゃ高級感漂う美しい劇場に大変身していてびっくりしました。
フロア面積は以前と変わらないはずなのにめちゃくちゃ広く感じた。
本作は、大阪でも公演あるのは知っていましたが、やはり、あの劇場広すぎませんか?せめて兵芸でやりましょうよ!客席含めて劇場空間だと思っているから、客席数が倍以上あると空間負けすることが多々あるからね。
いやー、それにしても、舞台美術が美しい!新しいPARCO劇場にピッタリなくらい高級感がある美術でそれだけで十分観る価値あり!
まるで、映画版と舞台版がお互い補完するかのような見せ方だったので、舞台版を観るなら映画版も観てほしい。
実際のところ、舞台では表現しきれないシーンがあったり、映画では説明仕切れない設定があったり、舞台版を観るなら先に映画版を観られることを強くオススメします。
一昨年だったか、万里生氏のラビットホールのチケットを取っていたのにコロナで兵庫公演が中止。密かに再演を熱望していたらまさかの藤田版で上演されるという奇跡に感謝感謝。
映画版を観た時はぶっちゃけ面白いとは思わなかったけど、DVDで再度観たら新たな発見があって面白く感じた。
改めて舞台版を観させて貰って、やはり、日本とアメリカの刑法の違いをまざまざと感じる内容ではあったけど、
そんなことより、人それぞれ悩み方が異なるから癒やし方も異なるんよね。
〇〇さんがいいと言ってるからといって、その人に合うとは限らない。
仕事の教え方も、マニュアル通りが絶対正しいことにもならない。マニュアルを読んだら分かるでしょ!は教える側の怠慢だと思うよ。
登場人物は皆、自分第一主義者。
ベッカの妹も母親もなかなかの曲者。ここは映画版と微妙に異なり、圧倒的に舞台版の方が好き。作品の軸を理解しやすい。
実は、映画版を観ていないと、なんで??と思う心理描写があるので映画版もオススメだし見比べても全く問題ないと思う。
映画版ではパラレルワールドがキーワードになっているが、舞台版はむしろ癒やしの手段に過ぎなかったのが意外だった。
人が変わる時って、気付きと学びを得た時なんよね。これでいいと思ったら、そこで成長が止まってしまう。←はい、自分のこと言ってます(汗)
この作品のテーマは、夫妻間の価値観の相違と再生(再出発)だけど、
舞台版では明らかな人格の欠如が描かれていて、どういった過程で穴を埋めていくかが作品の軸になっていると思うんよね。
夫妻円満の秘訣も、それとなしに示唆してる。ま、観てください!としか言えないけどね。
ベッカを演じた宮澤エマさん。おちょやんと鎌倉殿〜の演技しか見たことなくて、癖がある喋り方やな〜と思っていたら、
めちゃくちゃ普通の癖のない自然な台詞回しだったので驚いた。
当たり前だけど、全くニコールが演じたベッカちらつかない役作りであり見せ方でした。感情の起伏もドラマみたいに演技演技してなくて自然だったのが良かった。
ぶっちゃけ、ニコールのベッカの方がもっと自己中だった。エマさんのベッカはめちゃくちゃ共感できるベッカ像だったので、余計、ハーウイとの価値観の相違が切なかった。
そのハーウイを演じた成河君も、ルキーニや私、義経を演じた人だと思えないくらい自然に演じられていてビックリ。やはり感情の起伏や抑えた演技がピカイチだった。
映画を観たときは、ハーウイに同情しまくったが、成河君のハーウイ像には、前に進もうとしているようで実はある一点(過去)に立ち止まっていてベッカよりも悩ましい存在に映った。ハーウイの気持ちも共感できるだけにベッカとの相違が切ない。
ベッカの妹イジー役を演じた土井ケイトさんがめちゃくちゃリアルにクレイジー系な役を演じられていて上手かった!
映画版より登場シーンが多いし、癖も強いし、でも、この妹にしてこの姉みたいな、ベッカの内面を浮き彫りにさせたり、物語を動かす重要役割を担っていたので、本当に上手かった!
ベッカもハーウイも一見地味な存在なんだけど、イジーとの会話によって隠されていた内面が浮き彫りにされちゃうんよね。
ベッカとイジーの母親役のシルビア・グラブさんがめちゃくちゃ面白い。映画版と全然違うキャラクターでした。
結構口が過ぎるので、イライラさせる人物だった。
でもね、母親もまた長年、息子を失った悲しみの闇から抜け出されずにいたことが分かる役柄だったのでそのギャップの演技が上手かった。
ジェイソンを演じた阿部顕嵐君も、一見イラッとさせる人物像ではありましたが、これは明らかに日米文化の違いですが、その発言、おかしくないかい?ヤバくないかい?的なことを言うので、映画より共感出来なかったな…。演技が悪かったという意味ではないです。むしろ、イラッとさせることはそれだけリアルな演技だった証。
完璧な人間なんていない。だからこそ、夫婦関係に限らず補い合わないとね。
とっても上質な空間で上質なお芝居が観れて良かった!
迷われている方はオススメ!
やはり、この日は、せっかく東京に行くなら…ということで、歌舞伎座午後の部を観てきました。
仁左衛門さんと玉三郎さんの与話情浮名横櫛は観ておかないといけない作品なので楽しみにしていましたが、スミマセン、途中寝てしまいました…。目が覚めたら、河原崎権三郎さんがいらっしゃってました。
松緑さんと左近君の親子共演の連獅子は、白鸚さんと松っちゃんのラ・マンチャを観た後だけに何度もウルウルさせられました。
以前、松緑さんと左近君のインタビューを見て、松緑さん自身、お父様とお祖父様を早くに亡くされ親子で連獅子が出来なかったから、左近君には親子共演をしたかったことを言われており、左近君もしっかり松緑さんについていきますと謙虚に話されており、他の親子関係にはない優しさや愛情、敬意を感じる内容だったので、
実際に拝見した連獅子は、あの謙虚な左近君がめちゃくちゃ立派に力強く子獅子を演じられており、めちゃくちゃ感動しました。
リアル親獅子と子獅子の連獅子だったので、まさに子を滝から落とす親獅子の心境と被り、本当にリアルに素晴らしかった。
連獅子って舞踊なのに、めちゃくちゃストーリー性を感じる内容であり、松緑さんと左近君の親子関係を象徴しており、こんなに感動した連獅子は初めてでした。
客席も物凄い拍手が湧いていました。