事件が一段落して、あの国のトップ・鄧小平が来日して大歓迎を受けた、この国のマスコミは、ずいぶんほめそやしていた、
「合理的で有能な指導者」
あの天安門では、合理的に処理したのであろうか、さらに新幹線に招待、しごくご満悦のようだった。
この国の経済界とマスコミ、いうべきは言うという姿勢がない、それが平成の30年間の停滞につながったのではあるまいか。
その時、中国はニッポンの天皇の訪中をカクサク、というのは天皇は世界の権威であり、
「世界の権威が中国を訪問することは 中国を認めたことである 中国を許したことになる」
その後、続々と解除され、次々と工場が建設される、その恩恵と利益によって、また技術のパクリやコピイによって中国経済は躍進する、その30年間で爆発的な発展、GDPでは世界の第2位になった。
まんまとしてやられたワケだが、こちらがわで工作したのはどんな連中か、その前に。この仕掛人はニッポンかアメリカか、アメリカが主役でニッポンがワキ役だったのか。