「各務原歩こう会」の11月例会で、東海自然歩道の日坂越コースを北から南へ縦走しました。登山口は旧久瀬村の日坂。下山口は旧春日村の六合です。15キロ近い距離を歩きました。隊員19名のジジババ登山隊です。私、Kオジサンが隊長を勤めました。
今回もバスで出掛ける山登りです。登山口で降ろして貰い、下山口で待っていて貰いました。これがバスの山登りの一番好いところです。
登山口は標高400メートルほどで、山頂は1000メートル余りです。登り始めの辺りは紅葉した葉が残っていましたが、登って行くに連れて落葉した木々に変化して行きました。晩秋の山から初冬の山を歩いて来たと言う感じがしました。
整地碑前(9:05) ― 農作業小屋前(9:16) ― 美束分岐(10:29~10:33) ―
日坂越(11:08~11:10) ― 鍋倉山(12:15) ― 鍋倉山避難小屋(12:25~13:00) ―
谷山3.5Kmポスト(13:56) ― 谷山3.0Kmポスト(14:17) ― 谷山2.6Kmポスト(14:26) ―
谷山1.7Kmポスト(14:56) ― 谷山1.0Kmポスト(15:11) ― 谷山廃村集落(15:34) ―
六合5.0Kmポスト(15:37) ― 六合2.7Kmポスト(16:00) ― 高橋谷入口(16:30) ―
モリモリ村前(16:31)
事前にバスのドライバーの携帯番号を聞いておきました。何か有ったら連絡するためです。長距離のウォークで下山して来て、谷山廃村集落へバスを回送して貰うよう携帯で入れましたが圏外でした。
帰宅してから道路を調べましたら、モリモリ村から離れた粕川の下流の場所が谷山への入口でした。Googleの地図検索には道路が載っていません。国土地理院の地図には道路が載っていました。茶畑の中の道です。林道谷山線と言う道路で、下ガ流(シモガレ)上ガ流(カミガレ)を通って来る道でした。事前に、ドライバーに地図を渡して有りませんでしたので、携帯が通じていたらドライバーが何処から向かって良いのか困惑させた事と思います。
結果的にはドライバーと通話が出来なくて、良かったかもしれません。
今回参考にした資料です。
山と渓谷社。東海自然歩道②より出展しました。
日坂の登山口に到着です。
ここが東海自然歩道の入口となる場所です。
耕地整理が終わったのでしょう。出発のポイントには整地碑と刻まれた石碑が有りました。
これから歩く準備をして、歩き始めました。
準備体操をして歩き始めました。
和佐谷の道を歩き始めました。
このアスファルト道路が東海自然歩道です。
前方に農作業小屋が見えてきました。
左は整理碑の横に有ったポストです。
右は農作業小屋の近くに有ったポストです。
小屋の標識は距離が近くなっていて、1Km減っていますが、所要時間は、逆に増えています。
小屋前のポストは6時間15分。整地碑前は5時間40分です。
どちらが正しいのでしょうか。
アスファルトの道路ですが、落ち葉が全面を覆っています。
木の葉が黄色くなっています。
歩き出して30分余り。
衣類調整で小休止です。
休憩ポイントが見えます。
道の左手に滝が見えます。
葉の繫った時期なら見えませんが、葉が落ちて見えるようになりました。
黄色い落ち葉の道。
シロモジの落ち葉です。
落ち葉を踏みしめて歩きます。
誰かが言っていました。
雪の上を歩いているようだと。
左方の木にナメコが成っているのを見つけました。少し高い位置です。
ナメコを取りに行くKオジサン。
トップを歩くKオジサン。
ザックに戦利品がぶら下がっています。
落ち葉を踏みしめて坂道を登って行きます。
登り坂が続きます。
振り返るKオジサン。
自然歩道の周囲の景色です。
木々の葉が落葉し、残った葉も紅葉しています。
落ち葉を踏みしめて登ってきました。
笑顔の視線の先は・・・・・・。
木の葉が落葉し、歩道の状態が良く判ります。
左は、前方に美束分岐が見えて来た時です。
左は美束分岐で小休止している時の模様です。
歩き易い道を進んでいきます。
東海自然歩道の表示板。
木が表示板を支えた形と成っています。いずれは幹の中に取り込まれてしまうのでしょうか。
木々で紅葉する時期が異なります。
モミジの葉は遅くまで残っていました。
自然歩道。
感じの好い部分です。
感じの好い部分を歩いています。
全面、朴の葉。
木々の間から景色が望めます。これは自然歩道から北東方向です。
陽の当たる場所が見えます。
感じの好い部分を歩いています。
日坂越に来ました。
ここで休憩します。
風雪に晒されたのでしょう。道祖神が置かれています。
この後。登り坂と成りました。
この登り坂が今回で一番キツい箇所でした。
自然歩道の展望の良い場所に来ました。
ここで一休です。
ここには説明板が設置して有りましたが、柱だけになっています。
展望場所から見える山。
天然林と人工林がくっきりと判別できます。
調べてみましたら貝月山でした。
展望場所から西南に見えた山。
伊吹山だと思います。
鍋倉山の山頂です。
説明板と三角点が有ります。
感じの好い部分を歩いています。
南峰に向かっていますが、もう、起伏はありません。
避難小屋が見えてきました。
鍋倉山の南峰でランチタイムとします。
避難小屋の有る広い場所。
思い思いのところで昼食を取ります。
男性陣は小屋の中で。
実は、この時間。雨がパラついたのです。
全員写真を撮影します。
今日のメンバー。
Kオジサンを除く18人です。
ランチタイムを終え下山を始めます。
避難小屋の戸は閉めて立ち去ります。
感じの好い部分を歩いています。
雲が低く垂れ込めた南東の空。
遠くに岐阜の景色が望めます。
レンズが木に焦点が合ってしまいました。
カメラのレンズよりも肉眼の方がはっき見えました。
平地の中にポツンと見えた鷺山。
その先が金華山です。
谷山まで3.0Kmポストの近くで小休止です。
直ぐ横は桧林でした。
鹿に樹皮が剥がれ、その姿が痛々しく思えました。
色とりどりの落葉が道を覆い尽くします。
谷山まで2.6Kmポスト
歩いていて、後方から大きな木が有ると声が掛かりました。
Jチャンからです。
それではと、木の大きさが判るから、隣に立ってと成りました。
多分、モミの木だと思います。
落葉を踏んで歩きます。
高度が下がってきましたので、紅葉が残っています。
杉林の中の自然歩道。
橋に差し掛かりましたが、橋が古くなり穴が開いていまして慎重に渡ります。
自然歩道の横に渓流が流れています。
集中豪雨で道が流れています。
後方に向かって、気をつけてと声を掛けました。
谷山まで1.0Kmポストへ降りてきました。
谷川沿いに下山していきます。
やっと、平坦な道になって来ました。
谷山の廃村集落まで下山して来ました。
ここへは電気が来ているようです。
水は谷の川から取水するのでしょうか。
廃村とは言うものの、春や夏には、ここで生活する人が居るのかも知れません。
谷山集落の沿革が刻まれた石碑が設けて有ります。
道路が広い道と成りました。
先に進むにつれて、バラバラとなってしまいました。
この道にマイクロバスが入って来る事は無理だったと思います。
谷山集落から高橋谷入口まで歩いてきました。
5キロの距離を1時間で歩きました。
モリモリ村前の駐車場です。
ここでバスが待機していました。
Kオジサン。
まだ、到着していない人が居ます。
高橋谷の入口へ迎えに行きます。
朽ちてしまった標識と新しい標識。
東海自然歩道で、環境少からの補助金で更新するのだろう。
限られた予算の中でやりくりするので仕方が無いが、何本か、痛んだ標識を見かけました。読めない標識が有り、新しくしてもらいたいものです。それに崩落した箇所も有りました。抜本的な工事が必要だと思います。
歩き終えて
東海自然歩道として整備された道でした。一番キツかったのは日坂越から鍋倉山山頂にかけての部分です。この部分を除けば、歩き易いコースでした。同じコースを登って、下山して来るのでなく、登りと下りを別々のコースに取る事が出来たのも良かったです。秋の山が楽しめました。
最後の部分。谷山集落から高橋谷入口までが遠かったです。ゴール近くではバラバラになってしまいました。全員が明るいうちに到着する事が出来たので良かったのですが、暗くなって〇〇さんの顔が見えないという事態に陥っていらと思うとヒヤヒヤ物でした。バスの運転手に林道谷山線と言う道路で、下ガ流(シモガレ)上ガ流(カミガレ)を通って来る道の地図を渡してなかったのも反省点です。地図を渡してあったら、もっと楽にゴールできました。
全員が15キロ近い距離を歩けたのは良かったです。よく頑張りました。
今の時期。木の葉が落葉し、繁茂した時期には見られない景色を見る事が出来ました。それに、私の他にもナメコをゲットする人が居ました。春の山菜。秋のキノコ。自然の恵みです。有り難い事です。
上手に持ち帰る事が出来ませんでしたので、水洗いしましたが、綺麗な状態ならそののままで、天ぷらにしたりすると良かったと思いました。
過去の失敗
実は、このコース。95.06.17に単独で歩きました。今から20年も昔の事です。近鉄バスで春日村に向かい六合で下車して鍋倉山を目指しました。鍋倉山から下山してきて日坂に出て、西津汲を目指して歩いていました。歩いていて通りかかったのが、久瀬村のスクールバスでして、乗せて貰いました。
スクールバスが久瀬村の車庫に着き、ここからはバスで揖斐川町に向かう事が出来ました。あの時、バスに拾って貰えなかったら8キロほどをトボトボと歩くこととなりました。日没の遅い時期でしたが、国道303号線。それに、奥揖斐方面から揖斐川町に向かうバスが何本も有る訳では有りません。バスに乗せて貰っていなかったら303号線のバスに乗れなかったかもしれません。
山歩きを始めた時期で、山の知識が乏しい頃でした。今から思うと、無茶な事をやったなと言う思いがします。
何時の時の事だったのか判らなくなっても、スクールバスに乗せて貰ったことは絶対忘れません。