水曜会の山行に参加しました。年が明けてから、初めての参加です。仲間の人たちと、久し振りに顔を合わせました。新しい年になってから、初めて顔を合わせましたので、交わした言葉は今年もよろしくでした。
このところの寒波襲来で雪の山となった鈴鹿です。ミンナはカンジキやスノーシューを持参していましたが、私はタカをくくっていましてアイゼンしか持参していませんでした。これが、後で泣きを見ることとなりました。
参加者は乱丸&Nokoさん。ジオン姐サマ。山のホームページの大御所、山たまごさん。スーパーおばあちゃんの福チャン。ボトル&Momoさん。それに私Kオジサンです。
互いに、ハンドルネームで呼び合っています。
乱丸さんから戴いたGPS軌跡図です。下記のルートでピストンしました。
朝明渓谷駐車場 → ブナ清水分岐 → 根の平峠 → 県境縦走路 →
水晶岳 → 県境縦走路 → 根の平峠 → ブナ清水分岐 → 駐車場
山に登る仕度をしています。
久し振りの再会。
今年も、よろしくの挨拶で始まりました。
登山届けをポストに投函する乱丸さんです。
全員の名前や緊急連絡先が記載して有りました。
雪を踏みしめて、歩き始めました。
橋の手前の指示標識をカメラに収める山たまごさん。
ブナ清水や根の平峠へは左に向かうよう指示しています。
橋を渡るMomoさん。
Momoさんの足元の雪はこれだけの積雪が有ります。
20センチ位は有るでしょうか。
今日のKオジサンの後ろ姿です。
望山荘の前まで歩いてきました。
少し汗ばみ、衣類調整です。
木の橋を渡る福チャン。
この橋。木が朽ちているのか、木が折れて下が見えるような部分が有りました。
堰堤の下。
川を渡渉します。
先頭を歩くジオンさん。
何が見えるのでしょう。
覗き込む乱丸さん。
ブナ清水分岐まで来ました。
ここで小休止です。
ブナ清水の思い出。
小休止した時では有りませんが、ブナ清水について山たまごさんと言葉を交わしました。山たまごさんのホームページの中でブナ清水に行った時にコーヒーを立てたという記事が出ていたことを私が話しました。今から10年ほど昔の事です。その当時は鈴鹿に登る人たちの間では秘密の場所とされていました。ごく一部の人が知っているだけの秘密の場所となっていました。私も、ブナ清水に向かった事が有りましたのですが、道が判らなくて、適切なコースを歩く事が出来ませんでした。
それでも、結果的には不明瞭な道を歩きつつも、辿り着く事が出来ました。
それが、今では指示標識が設けられ、誰でも向かう事が出来るようになりました。一部の人たちだけの秘密の場所なっていたのは、ブナ清水を荒らして欲しくないと言う気持ちが有ったからかも知れません。
当時の事を振り返り、山たまごさんに話かけたのでした。
あの時の山たまごさんのホームページ。湧き出た清水で立てられたコーヒーはブルーマウンテンでした。古い話になりましたが、コーヒーの銘柄だけは覚えています。
この、水曜会でもブナ清水に寄った事が有ります。今では簡単に行ける場所になりました。
今では、一部の人が独占する場所では無くなったので、誰でもが行ける場所となりました。しかし、あの場所を穢すことだけは慎まなくては成りません。
ジオンさん提供のトースト。
朝飯が早かって、空腹となっていて、一層美味しく感じました。
ブナ清水分岐から歩き出して、根の平峠が見える所まで登ってきました。
あの先が根の平峠です。
先を歩いていた若者たちです。ジオンさん提供の画像です。
私は後ろの方を歩いていましたので、若者たちが前を歩いているのを直接は見ていません。私たちは彼らのラッセルに寄って、楽をさせて貰いました。
根の平峠に到着しました。
県境縦走路となっているところで、左は御在所岳、右は釈迦岳へとなっています。
トレースが根の平峠から更に進んでいます。
この先。タケ谷に行ったのだろう。タケ谷が鈴鹿の上高地と呼ばれていると、誰かが言っていました。ジオンさんは彼らがフライパンを持っていたと話していました。
焼肉でもするのでしょうか。
カンジキやスノーシューの装備を付けて、県境縦走路を歩き始めました。
先ほどまでは若い人たちがラッセルしてくれたお陰で楽が出来ました。この先は新雪を踏みしめて進まなくてはなりません。私は、アイゼンしか持っておらず、それを装着し、列の後に続きました。
いきなり、始まった急な登りです。
息を切らせ、後ろに続きます。
上方からカメラを構える乱丸さん。
下からカメラを構えたKオジサンを写した乱丸さんの画像です。。
稜線を歩きますが、この辺りは風が強いのでしょう。
風が吹き晒し、積雪量が少なくなって地肌が見えます。
展望の良い場所に出ました。
山麓の菰野町が見えます。
緑の木々の場所。県民の森あたりです。
雪の足跡が鈍い冬の陽射しに照らされています。
根の平峠からは、私たちが着けた足跡です。
展望の良い場所に立ちました。
展望場所から見える北勢地方です。
空気が霞んでいて、良い眺望ではありません。
すぐ、足元はこのような眺望です。
右側の谷を登って来ました。
水晶岳へ来ました。
無人のロボット雨量計の建物が見えます。
かがむジオンさん。
御在所岳に向かって、股覗きをしているのでは有りません。
スノーシューのフィト感を調整しているのでした。
南側。
水晶岳の山頂から見える御在所岳方面です。
こちらは北側。
釈迦岳です。青空が見えます。
水晶岳の山頂プレート。
近頃、鈴鹿の山々はこのような統一した山頂プレートが設置されるようになりました。
ありがたいことです。
豪華なランチです。
折り畳みのイスを用意しています。
これですと、お尻が冷たく有りません。
皆さんから出された食材。
薩摩アゲが写っていませんでした。
左はNokoさん。手作りのアンパンです。右はチョイスしたもので、煮豆。ポテトサラダ。薩摩アゲ。煮ダイコン。赤カブの漬け物です。煮ダイコンはうどんダシで煮て有るそうです。味が浸みていて柔らかく、美味しかったです。カブの漬け物は酢漬けですが、甘さと酸っぱさが丁度良かったです。
下の左は乱丸さんが作る素麺です。右のは出来上がりで、日本コバで収穫した天然のナメコが中に入っています。
上の左はジオンさん手作りのぜんざいです。
下はパックのコーヒーです。
昼食場所とした場所ですが、縦走路から少し水晶岳に入った平らな場所でした。
ランチタイムを終わって、出発します。
縦走路。
展望の良い場所です。
根の平峠まで戻ってきました。
ジオンさんはここでスノーシューを外しました。
道の途中。カンジキを脱ぎます。
脱いだカンジキをザックに仕舞います。
砂防堰堤の下。
川を渡渉します。
左は川を渡ってから見かけた足跡です。右は根の平峠で見かけた足跡です。
動物の足跡なのですが、何と言う動物なのでしょう。
小さな足跡を見かけた時が有りました。その時、ボトルさんが、それはリスのだと教えてくれました。可愛らしい足跡が付いていました。
砂防堰堤に差し掛かりました。
砂防堰堤なのですが、これだけの高さまで土砂が溜まっていては、砂防の役目を果さないのではないかと、素人の目で思いました。
堰堤の横で休憩です。
休憩を終え、歩き始めました。
下山して来て橋を渡り、振り返りました。
先ほど登ってきた山々が見えます。
後ろから歩いて来る山たまごさんとボトルさん。
二人の会話で、何故、山たまごと言う名にしたのかと聞いているのが、聞こえました。
山たまごさんが子供の頃の遊びで、鬼ごっこをした時、大きな上級生は、1年生は「タマゴ」と言って、捕まえられても幼少なので、鬼を遣らなくても、解放されたのだと言っていました。あの頃の遊び。年長者と年少者の上下関係の中でも、思いやりが生かされていました。そんな事に由来して名付けた「タマゴ」と言う名だそうです。初心者と言う意味で使われましたが、今では各地の山々に登られてレポートを綴られ、「タマゴ」ならぬ、「立派な親鳥」だと思います。
下山して来て、眼に入って来たのは雪遊びをする子供たちでした。
先生に手伝って貰ったのでしょうか。雪ダルマのように雪を丸く仕上げています。
先生と言葉を交わしました。菰野町の「森の風幼稚園」なのだそうでした。今日は、このように雪遊びをし、宿泊保育も有ると話していました。園児の半分が菰野町の子で、半分は他所から来ていると話していました。ユニークな保育方針なのかも知れません。
朝明渓谷駐車場まで戻ってきました。
感想
何とか、ミンナに付いて行って来ることができました。根の平峠から県境縦走を歩き始めた時、脚が雪にスボッと入りました。ここから戻ると、口にしたのです。それでも、ミンナの後ろに付いて歩いて来る事が出来ました。
お陰で無事に行って来ることができました。オーバーに言うと、私の登山ノートに新しい1ページを刻むことが出来ました。一緒してくれた仲間に感謝です。
この水晶岳に、同じコースで04年11月に登りました。その時は金山に向かい中山峠から下山して来ました。今回、中山峠に向かうか、と話していましたが、最初の道をピストンして戻りました。
水晶山とか水晶岳と言う山。各地に同じ名の山が有ります。当然、水晶を産出するから水晶の名が付いたのでしょう。登っていて、子供時代に山で水晶を採取したことが有るとの声が出ました。宝探し的な気分。セピアカラーの思い出です。
最後に今回、一緒した人のホームページを紹介します。
乱丸お出かけ。http://ranmaru100.web.fc2.com/
ジオンと山歩記http://www.ogaki-tv.ne.jp/~koike/
山たまごの東海岳行http://www.geocities.jp/tokaigakko/