Kオジサンの新・山歩きの記

山歩き&ウオーキングのサイト

山が好き 花が好き 自然が好き!!

ウオーク同好会  10月例会  「鵜沼宿ボランティアガイドの案内で船山古墳周辺の史跡をウオーク」

2024-10-28 23:14:46 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の10月定例ウオークです。
今月は鵜沼宿ボランティアガイドの坪内さん案内で須衛地区を歩きました。
最新の建物の見学。
そして須衛地区を歩き秋の風景、コスモスを愛でることが出来ました。



ボランティアガイドと歩く各務原歴史ウオークから引用しました。




テクノプラザの駐車場が集合場所となっていました。



鵜沼宿ボランティアガイドの坪内さん。
写真を使って解説です。



これから回るテクノプラザ。
テクノプラザに関連する建物。フランスのポンピドゥセンターの説明です。
パリ4区のサン=メリ地区にある総合文化施設である。
近代芸術の愛好家でもあったジョルジュ・ポンピドゥー大統領が現近代芸術拠点を設ける構想を発表した建物です。




ポンピドゥー・センターは、主に公共情報図書館、国立近代美術館、図書館、多目的ホール棟で構成されている。
貼られている幕の顔はポンピドゥー大統領でしょう。
この建物の設計を手がけたのは建築家リチャード・ロジャース他たちです。
パリのポンピドゥー・センターを設計した、建築家リチャード・ロジャースがテクノプラザを設計したのです。



スタートです。
夢の雫西公園に向かって歩き始めました。



夢の雫西公園です。
説明する坪内さん。



テクノプラザ本館へ来ました。



テクノプラザ本館に入ります。



テクノプラザ本館の中に掲示されていたリチャード・ロジャースの紹介です。
リチャード・ロジャースと聞いて思い浮かぶのは作曲家のリチャード・ロジャースです。
作曲家のリチャード・ロジャース。オスカー・ハマーシュタインとのコンビで「南太平洋」「王様と私」「サウンドオブミュージック」などのミュージカルを作曲した人物です。
同姓同名の人です。
著名な建築家の設計によって建てられた建物であることを知りました。



テクノプラザ本館の中を見学しました。



テクノプラザ1丁目を歩いています。



船山北古墳群に来ました。
左の斜面。
船山北1号古墳です。



船山北2号古墳です。
天井石が取り除かれています。



こちらは



手製の資料で解説する坪内さん。
この辺り。
古墳だけでなく古窯跡も有ります。



壺の底の拓本です。




散策の遊歩道のような道。
いにしえの小径を歩きます。



下り坂。
階段を下って行きます。



安禅寺へ来ました。



安禅寺の全景です。
立派な石垣です。



宝善寺に来ました。



解説する坪内さん。



コスモス畑へ来ました。




須衛コスモスフェアの幟旗が立っています。



幟旗をアップで。



コスモス畑。
休耕田対策でコスモスが栽培されているのではなかろうか。



コスモスをアップで。



コスモスをアップで。



これは坪内さんが見せてくれた1枚です。
歩いている頭上に高圧線が通っていました。
明治の時期,やっと電燈がともり始めた時期の頃の事。
写真は鶴舞公園関西府県連合共進会の物です。年号が1910となっています。
大々的な事業で電気を要した。
それで会場の方へ電気を回してくれと言う要求が有ったとか。
電気が行き渡り始めた時期。
電気の取り合いが有ったのだろうか。

いわゆる博覧会。
会場の中央奥に城が見えます。鶴舞公園から名古屋城が見えるのだろうかと思ったら、愛知県の売店のようです。




須衛地内を歩いています。



須衛地内を歩いています。



テクノプラザへ戻ってきました。
この建物は天野エンザイムの建物です。



最期。
坪内さんの解説が有り、そして解散となりました。


テクノプラザ 小径ドキドキ散策マップです。

テクノプラザを歩くことが出来ます。

最期に
最新の場所を訪ねる。
そしてかつて栄華を誇った古墳や古窯跡。
その取り合わせが面白いコースでした。
見頃のコスモス。
このように立派なコスモス畑。
私だけが知らなかったのだろうか。
もっと、市民にPRしてはどうだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋色の上高地を散策

2024-10-17 23:59:16 | かがみの山歩会

かがみの山歩会の10月例会です。今月はバスで上高地へ向かいました。
上高地のバスセンターから徳沢までの往復でした。
上高地は多くの人で賑わっていました。
それに外国人も多かったのです。
紅葉が始まった上高地です。
真冬に上高地へ訪れた事が有ります。それに春や夏にも訪れた事が有ります。
秋の上高地は記憶に有りません。



上高地散策マップ  上高地観光アソシエーション発行 より引用しました。



平湯トンネルを出た辺りです。
向こうの山々。
安房山の方角です。
バスは下って行き、安房トンネルに向います。



バスの車窓から。
前方に平湯料金所が見えます。
この先、安房トンネルを抜けて上高地に向います。



バスの車窓から。
安房トンネルから出てきました。
梓川を見下ろしました。
急な流れとなった梓川。
一瞬であり急流の音は聞こえませんでした。



バスの車窓から。
釜トンネル(中の湯ゲート)です。
二人のガードマンが立っていました。



バスの車窓から。
大正池、そして穂高の山々が見えます。
一番右は明神岳です。
池面に山が映っています。
左下の建物の屋根が写ってしまったのが残念。

好い景色の瞬間でした。

上高地バスターミナル

バスの車窓から。
上高地バスターミナルに到着です。
明神岳が聳えています。
並ぶバス。各地から来ていました。



並ぶバス。
各地から団体が来ていました。
アジア系の人々はバスで訪れていました。


河童橋

バスターミナルから歩いて来ました。
河童橋が見えてきました。



橋の上に沢山の人が居ます。
この辺り。
アジア諸国から来た人たちでした。



凄い数の人たちです。
多くのアジア系の人々はこの辺りの散策でした。



河童橋の上からの眺望です。


上高地ビジターセンター

上高地ビジターセンターです。
館内に入ってみます。



受付カウンターの上に掲げて有る上高地の鳥瞰図です。
上高地を取り巻く山々。
その位置が判ります。



館内です。
上高地の自然を紹介しています。



こちらは売店です。



小梨平キャンプ場辺りを歩いています。
ビジターセンターに寄ったので本隊との距離が空きました。



遊歩道のような道。
砂が撒いてあり、歩き易い道となっています。



三人の外国人に会いました。
梓川の川辺の処。
眺望の良い所でした。
「ウフェア― ユー フロム」?と言葉をかけたら。
「フランス」と言う言葉が返ってきました。




川幅が広くなった梓川です。



南西側から眺めた明神岳です。

明神

明神まで来ました。



穂高奥宮の碑です。



徳沢に向って歩いています。
本隊に追いつくように歩きました。
明神からの道。
歩く人が少なくなり、雰囲気が変わりました。

明神まではカミさんと来た事が有ります。
その先へは行ったことが無いと思い込んでいました。
槍ヶ岳に登った時にこの道を歩いたのでした。
そんな事を思い出すキッカケでした。




団体の人たちが居ました。
遠くから見た時、本隊に追いついたと思ったら違っていました。
指差している男性。
この先に明神岳が望めました。



梓川の上流方向の眺めです。

徳沢園

徳沢に着きました。
前方に見えるのが徳沢園です。
本隊はランチタイムになっていました。



昼食を終えた女子たち。
河童橋の所でケーキ食べるとの事でした。
女子隊が先発しました。



男子隊も続きます。



東側から望む明神岳です。



明神岳の山頂辺り。
ズームしました。

明神

明神まで戻ってきました。
沢山の人が来ていました。
ここで小休止。



明神橋に向います。



紅葉した葉。
栃ノ木の葉ではなかろうか。



明神橋。
そして明神岳が望めます。



橋の上の野猿。
毛づくろいをやっていました。
この辺り。
野猿が群れとなっていました。


梓川右岸道

梓川右岸道の木道を歩きます。
左側通行となっていましたが、前の人が遅いので右側を歩きます。



清流に架かる橋。
前を歩いていたのは白人でした。



明神池から流れ出す川。
清流でイワナが泳いでいるのが見えました。
捕獲禁止となっているのでイワナが逃げなかったです。



熊ベルが設置して有りました。



岳沢湿原です。
大きく見えるのは六百山だろうか。



紅葉が始まった木道を歩きます。



河童橋の手前まで歩いて来ました。
終盤の段階となってカメラの電池。スマホのバッテリーがダウンしてしまいました。
合羽橋やバスセンターを写すことが出来なくて残念でした。


最期に
秋色の上高地を楽しむことが出来ました。
往路に要した時間は3時間余りで復路は3時間でした。
上高地に居た時間は5時間でした。
上高地日帰りでの行動。
このように出来るのは東海北陸自動車道が出来たからです。
手軽に上高地へ行けるのが有り難いです。




コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜市の里山  瑞龍寺山 (156m)から金華山(328.8m)へ その後は・・・・・

2024-10-09 23:24:56 | 弐水会

弐水会の10月例会です。
今回は名鉄田神駅に集合して梅林公園へ向かいました。
梅林公園から瑞龍寺山へ。
そして水道山の展望台に向かい、その後、金華山を目指しました。
その後は金華山山頂からめい想の小径で下山し、路線バスで岐阜駅へ。
最期に岐阜駅構内の新時代アスティ岐阜店で懇親会を行いました。



名鉄田神駅に集合して歩き始めました。
明け方まで雨が降っていたので路面が濡れています。



梅林公園の入口まで来ました。
この先の山が瑞龍寺山です。
山の向こう側に見えるのが上加納山タワーです。
放送局の電波を発信しているタワーでNHK岐阜放送局、GBS岐阜放送/岐阜放送ラジオ、エフエム岐阜、シティエフエム岐阜の各局の放送用電波塔です。
岐阜全体をカバーしています。
愛称は「トワ・エ・モワタワー」となっています。




梅林公園の最奥に位置する篠ヶ谷神社
梅林公園の中を歩いて来ると突き当たりました。
ここから右へ向かいます。



この先、石碑と毛髪碑の間を通ります。
左の石碑は篠ヶ谷神社を紹介しています。
右には毛髪碑が有ります。
この供養碑、1962(昭和37)年に県理容業環境衛生同業組合が建てた記念碑。
大理石で人の頭の形を現した毛髪の供養碑です。



登山道に散乱したドングリ。
このドングリ、アベマキでしよう。
この辺り全般に散乱していました。



ハッキリした登山道。
この辺りは歩き易いコースです。



鶯谷トンネル東口からのコースと合流し、お稲荷さんへ向かってきました。
岐阜稲荷大神の幟旗が立っています。
この横を左にすり抜けて山頂へ向かいます。



岐阜稲荷大神を越えたところです。
東方の眺望が開けました。
横になった白い線は国道156号線です。
中央部の小高い山は前一色山で、その手前のビルは岐阜県総合医療センターです。
後ろに控える山々。一番左の山が伊木山です。
画像では判り難いですが、それらの先には尾張富士や信貴山が望めす。



登山道を登ってきました。
直進すると瑞龍寺山に向かい、右の柵の方へ進むと金華山ドライブウェイへ出ます。



瑞龍寺山山頂に到達です。
この場所。瑞龍寺山頂遺跡です。
解説板には岩盤をくり抜いて作られた長方形の穴と解説しています。
恐らくここに棺を安置したのでしよう。



水道山展望台へ来ました。
野鳥観察をしている人が3人~4人居ました。
明け方まで降っていた雨で来る人が少なかったです。



野鳥観察をする人。
遠くに名古屋駅の高層ビルが見えました。




水道山展望台からの眺望です。
中央が岐阜市役所でその左に忠節橋が見えます。
横に伸びるグリーンは長良川堤防です。



水道山展望台の入口に設置して有ったタカの渡りの観察記録です。
まだ、9時の段階で今日の飛来は確認されていません。
朝のうち、雨が残っていましたが晴れてきたので飛来を確認できるのでしよう。



金華山ドライブウェイを歩きます。



金華山ドライブウェイを歩いて来てドライブウェイ展望台に来ました。



ドライブウェイ展望台集まっていた人たちです。
10人近い人が居ました。
談笑する人たち。
この人たち。毎日ここへ登りに来ているのではなかろうか。
ここに寄って顔を合わせる。彼らの健康法なのでしょう。
椅子に新聞が掛けて有りました。
毎回、ここに来ていて椅子が濡れているのが判っていたのでしよう。
ここを去る時、新聞を持って帰りました。



金華山ドライブウェイを歩きます。
この左、NHKの電波塔が有り、登山コースとなっていますが、そちらへは向かいません。
エコ登山です。



ドライブウェイのコンクリート柵の切れ目が唐釜へ向かうコースです。



コンクリート柵の上にヒマワリの種が置いてありました。
種を食べにシジュウカラが飛来しています。
種を食べに来ては、素早く飛び去るシジュウカラ。
上手く撮影できませんでした。




シジュウカラが何度も飛来していました。





七曲峠へ来ると工事現場となっていました。



七曲り登山道を歩きます。
右側にモノレールが設置して有りました。



途中、小さな広場で小休止。
工事関係者のような姿の男性が通りました。

このモノレールは何のためにやっているの?と話しかけました。
男性はやはり、この工事関係者でした。
山頂の測候所を撤去するためモノレールを設けていると丁寧に答えてくれました。
今年度にモノレールを敷設し、来年度に撤去すると言っていました。
想像ですが気象台や測候所。
各地の測候所のロボット化など改善が進み不要となる箇所が出て来ているのでしょう。




七曲り登山道を登ってきました。
まだ、モノレールが延伸中でした。
測候所までは、まだまだ距離が有ります。
撤去までに時間が掛かりそうです。



展望台・レストラン・売店の上階に上がりました。
展望台から北西の眺望です。
下の部分は野球場や競技場が有る岐阜メモリアルセンターです。
その上の小島のような山は鷺山。
その右上が岐阜大学。右が東海環状道のインターです。
インターからトンネルに入り、続く道。
環状道の開通は遠い事ではなさそうです。

この展望台。初老の女性が居ました。
彼女。先ほど小休止した場所に居た女性です。
言葉を交わしたら2泊3日で金華山へ来ていると言っていました。
安く宿泊し、金華山の色々のコースを辿るのだと話しました。
金華山には色々のコースが有ります。
歩いてみて、好いコースを見つけれるでしょう。




展望台・レストラン・売店となっている所です。
この奥の場所で昼食にします。




レストランの奥でテーブルと椅子が備わった場所です。
K女史が、この場所は誰が使っても良い場所だと言っていました。
売店の奥の場所となり、ここを使うのを控えがちです。
堂々と弁当を広げました。
普通なら岐阜城の南の広場。衆人環視で昼食を取るところですがこの場所で昼食が取れて良かったです。



左の工事予告。
Gooleのマップには旧稲葉山測候所(太鼓櫓跡)と載っています。
この場所の撤去工事が行われます。
右は金華山の三角点です。
三角点が有る場所を知っていましたが、来たのは初めてでした。





岐阜城に到達した後、めい想の小径で下山します。
ゴツゴツとした岩。
足元に注意して歩きました。



高度が低くなってきて歩き易くなってきました。



岐阜公園から出てきました。
両側の葦簀、菊花展の準備が進んでいます。
前方の建物は岐阜市歴史博物館です。

この先に岐阜バスの岐阜公園歴史博物館前のバス停が有ります。
岐阜公園から出ると目の前を岐阜バスの下川手行きが通過しました。
小走りでバスに向いました。
先にバスに到達し、ミンナが来るのを待ってもらおうと考えたのです。
お蔭で待ち時間なしで乗れました。


新時代アスティ岐阜店

新時代アスティ岐阜店へ入ります。
岐阜市橋本町1-10-1
058-264-2333




新時代アスティ岐阜店の店内です。
店に入ったら、ご予約有りましたかと聞かれた。
平日の昼間時間帯だから席は有るだろうと思っていました。
予約を入れておくと確実です。
窓際の明るい所にテーブルを寄せて席を設けてくれました。



まずはビールで乾杯です。



伝串と串カツを中心に注文しました。



話しが弾みます。
ビールの御替わりも有りでした。



企画段階で考えていたルート図です。
想定していたルート図の通りに歩きました。


最期に
今回の企画の意図は瑞龍寺山に登ってから金華山に向おうと言う思いからでした。
瑞龍寺山の西に水道山が有ります。ここへは橿森公園から登れます。他に鶯谷トンネルの東口や庵町からも登れます。色々のコースを辿れればと言う思いでした。

雨の後での登山でした。
空気が清涼となり、視界が良くなっていました。
低山からでは有りますが、眺望を楽しむことが出来ました。

下山してからのビール。
たまには、こういうのも良いという声が有りました。
明るい内からのビール。贅沢が出来ました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会・第104回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編 part16  中山道赤坂宿から垂井駅まで歩く

2024-10-05 23:00:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第104回ウォーク例会です。
今回は中山道の赤坂宿からJR垂井駅まで歩きました。


石灰石列車編
美濃赤坂駅に9時集合となっていました。
美濃赤坂駅に9時に着く列車は美濃赤坂駅に8時10分着と8時40分着が有ります。
余裕持って行こうと思い、美濃赤坂駅に8時10分到着の列車で向かいました。
そうしたところ、西濃鉄道線から出てきて石灰石列車の連結作業を見ることが出来ました。

製鉄原料は鉄鉱石とコークス。そして石灰石です。
コークスは輸入した石炭をコークスに加工しているのでしよう。
鉄鉱石と石炭は船が着岸した岸壁から持ち込みます。
石灰石は赤坂の金生山から運んでいます。
その石灰岩を送り出すシーンを見たのです。


(08:27)
踏切の警報機が鳴り始めました。
そして、来たのがDE10に牽引された石灰石列車でした。



石灰石列車の先にEF64が待機しています。
単機で来て待っています。



DE10ディーゼル機関車は先へ行って停止しました。
そして石灰石列車から離れて行きます。



EF64電気機関車。
大垣方面へ向かって行きます。



大垣方面へ行って石灰石列車の線路に入ってきました。



EF64電気機関車。
速度を落としてゆっくりと



(08:37)
機関車。
ゆっくりした速度で石灰岩列車に近付きました。
そして、作業員が連結作業をしています。




ホキ2000形石灰岩列車。
矢橋工業が所有する私有貨車です。




連結作業が終わり信号が変わるのを待ちます。




(09:22)
石灰石列車が出発していきました。

石灰石専用貨物 矢橋ホキ(名古屋臨海鉄道) JR美濃赤坂駅→JR笠寺駅→新日鐵住金名古屋製作所
この貨物列車、美濃赤坂駅でディーゼル機関車から電気機関車へ。
電気機関車で笠寺駅まで行き、そこから名古屋臨海鉄道のディーゼル機関車に変わります。
そして新日鉄の溶鉱炉へ向かって行きます。
石灰石列車のリレーです。



第104回例会ウオーキング編

JR美濃赤坂駅 → 赤坂湊跡 → 赤坂宿 → 昼飯大塚古墳 → 粉糠古墳 → 
遊塚古墳 → 円興寺 → 美濃国分寺跡 → 美濃国分寺 → 大垣市歴史民俗資料館

 → 願證寺 → 国分尼寺跡 → 喪山古墳 → 美濃路追分 → JR垂井駅


第104回例会の地図です。
104map.pdf (ssl-lolipop.jp)




8時40分美濃赤坂着の列車が入ってきました。



沢山の人が降りて行きました。
受付の開始です。
これだけ沢山の人が乗っていました。
電車の運転士が何が有るのかと、ビックリしていたと誰かが話していました。




歩きだして最初に寄ったのが赤坂湊跡です。
ここでY氏の解説が有りました。
この赤坂辺り。
先日の集中豪雨で水に浸かりました。
Y氏はその事にも触れました。



昼飯大塚古墳へ来ました。



昼飯大塚古墳に登ります。



昼飯大塚古墳でもY氏の解説です。



昼飯大塚古墳から降りてきて円興寺に向って行きます。
右て前方に見えたのが金生山です。
石灰石と大理石を採掘する山です。
大きく削られています。



遊塚古墳の手前まで来て彼女に出会いました。
遊塚古墳の場所を聞いたりしました。
彼女、一宮市の今伊勢出身だと言っていました。
私たちが通過した時に「一宮友歩会」の旗を見て親近感を持ったのだと思います。
写真はその時のものです。
良く喋る人でした。
唄つむぎ和音」と言う名前で色々の活動しています。
【淡墨桜】淡墨ざくらのうた - 唄つむぎ和音 (youtube.com)
★☆嬉しがりやゆきじさん、唄つむぎ和音さん★☆ | fureai-egaoのブログ (ameblo.jp)




溜池です。
あずま屋が有り、あの場所で休憩します。



石柱と文化財の標柱が立っています。
この場所が遊塚古墳です。
表土が流れてしまったのか、古墳らしくありません。




円興寺の入口に来ました。
寺はこの先です。



彼岸花が、今が盛りと咲いています。
今年の彼岸花。
開花が遅くなっています。
ここへ来るまでも何度も見かけました。




美濃国分寺跡に向かって歩きます。
この辺り、前方が広がっていました。
写真には写っていませんが赤とんぼが沢山飛び交っていました。



前方の垂井新線。
貨物列車が走って行きます。
引かれている貨車、全てが福山通運となっています。
福山通運号と呼んでも良いかも知れない。




青空の下を歩いています。



大垣市歴史民俗資料館に来ました。
ランチタイムです。
一旦、解散となりました。



ランチタイムが終わり美濃国分寺を訪ねます。



青空の下を歩いています。



喪山古墳に寄りました。
古墳に上がってみます。



垂井駅にゴールです。
お疲れ様でした。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする