ウオーク同好会の9月例会です。
今月は列車で恵那まで遠征しました。
中山道の大井宿を「中山道かたりべの会」のガイドボランティアの案内により散策しました。
その後は語り部の会で教えて貰った寿司幸でランチ。そして中山道広重美術館へ向かいました。
中山道広重美術館では企画展、渓斎英泉・歌川広重 「木曽海道六十九次之内」が開かれていました。
ウオーク同好会は原則的に第4月曜日が活動日となっていますが月曜休館日の施設が多く有ります。
今回、中山道広重美術館は連休で開館していて入館できました。
高山線の那加駅です。
美濃太田行きの普通列車が入線してきました。
美濃太田駅です。
普通列車に乗務していた車掌です。
左側が新人車掌で右側が教育担当車掌でした。
車内発券を指導していました。
中央線の3番線です。
列車の到着を待っています。
右は中津川行きの快速ですが多治見駅から各駅停車となります。
恵那駅に着きました。
大井宿の中山道かたりべの会のガイドボランティア、Hさん。
私たちを恵那駅で迎えてくれました。
Hさんを先頭に歩き始めました。
大井宿に向います。
中山道大井宿の案内図です。
大井宿は恵那駅近くの「大井橋」から六つの枡形を通り、東の「上横橋」まで、710mの宿場です。
途中には「ひし屋資料館」「明治天皇行在所」が有ります。
大井宿散策
Hさんを先頭に中山道を歩いています。
見かけた雑貨屋。
土太忠(どたちゅう)商店です。
熊手や草鞋が店頭に並んでいます。
うなぎを捕獲する竹製の罠が下がっています。
1,800エンの値段が付いています。
こう言うものを制作できる技術、貴重ではなかろうか。
竹で編んだ買い物籠や背中に背負う竹の籠。この籠は何と言うのだろう。
右のはガラスに路面が写って見難くなっていますが、火鉢が500円となっています。
表から見ただけですが、懐かしい品々が並んでいました。
こんなのに会えるのも旧街道ならではです。
大井橋と浮世絵。
大井橋は、江戸時代のころ阿木川(あぎがわ)に架かるただひとつの橋で、参勤交代の大名や多くの旅人が渡りました。
その頃は木橋だったため大水でたびたび流されました。
現在の橋には、欄干に中山道の浮世絵風景画「木曽街道六十九次」のパネルが展示され、当時の中山道を偲ぶことができます。
歌川広重の「木曽海道六拾九次之内 大井」
広重が描いたタイトルは「木曽街道」ではなく「木曽海道」と表記されています。
橋の上に有った「木曽街道六十九次」の銘盤です。
大井宿の北側に恵那峡。南には恵那山が有ります。
「中山道大井宿」の石標です。
大井橋を渡ると、そこは大井宿の西の入口。
案内図には六つの枡形が表示されています。
あまから本店工場です。
旧中山道の桝形に入ると、五平餅で有名な「あまから本店」の工場がありました。
中から網戸越しに女性たちの声が聞こえました。
ここは五平餅の工場ですが、五平餅を食べれる店が恵那駅前から西へ行った場所に有ります。
その店の表の写真を見て、この店。以前に行った事が有ると思い出しました。
2016年1月7日に恵那へ訪れました。
小さな旅 恵那へ 市神神社の七日福市 - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)
それは2015年12月19日に歴史街道を歩く会で、中山道かたりべの会のボランティアガイドで大井宿を歩きました。その時案内をしてくれたのが西尾さんと言う人でした。
西尾さんに案内して貰った時の写真を届けたいと思い、明治天皇行在所を訪ねました。(ここが中山道かたりべの会の事務局になっています)
ソノ時に入った店の工場がここだったのです。
今、工場の前を通りかかったのです。
この店の五平餅は行事の軍配型では無く、ダンゴ型で3個の団子をくしで刺しています。
中山道を歩いた時、恵那のバローの食堂で五平餅定食を食べました。
馬籠宿を歩いた時、白木屋と言う店で五平餅を買いました。いずれもダンゴ型でした。
この地方の五平餅。すべてがこの工場から行っているのではなかろうか。
過去に行った五平餅の店。
その五平餅工場がこの場所でした。結びつくことが面白いです。
福崎日精のライオンのレリーフ。
上に弘法大師釈迦如来像が乗っています。
それをHさんが説明しています。
右がライオンのレリーフと弘法大師釈迦如来像で、左はその解説です。
福崎日精を検索すると日本のコンクリート仏師と有ります。
日本各地を回った福崎日精。
ここ、恵那峡のダム工事の犠牲者の霊を弔うため観音像を制作しています。
古く趣のある家屋。
その前を歩いています。
角屋の壁に掲げられた解説。
旅籠と木賃宿の違いを解説しています。
大井宿本陣跡の薬医門の前まで歩いて来ました。
明治天皇行在所(アンザイショ)に戻ってきました。
明治天皇が明治13年(1880)、この場所に宿泊。
部屋、風呂場、畳敷きのトイレなど、当時のまま残されている珍しい建物です。
行在所に訪れた外国人女性です。
どこの国から来たのかと聞いたらスペインからでした。
中山道を西へ向かい京都まで歩くと言っていました。
中山道と東海道を踏破しました。
東海道に比べて中山道を歩く外国人が多いです。
碓氷峠や和田峠。
難所が多いが見所が多いのが魅力なのでしょう。
行在所の建物に入りました。
大井宿について解説するHさんです。
錦絵を上手く撮影できませんでした。
明治天皇は諸国漫遊の旅に出かけました。
山道になった時はお輿を使い、道路では馬車で旅したのだそうです。
六大巡行で日本各地を回っています。
私たちが歩いている前をJRのバスが通って行きました。
歩いて来て「いち川」の駐車場に停まっているバスを見かけました。
「いち川」で栗づくし懐石を食べるのでしょう。
暖簾が下がっている旅館「いち川」の前へ来ました。
このいち川、かつては「角屋」と呼ばれた街道沿いの旅籠で、若山牧水、北原白秋など文人墨客に愛された400年の歴史を持つ老舗旅館です。
ここ大井宿には40軒以上あった旅籠の中で現存するのはこの一軒だけです。
寿司幸
中山道かたりべの会で紹介を受けた「寿司幸」です。
寿司幸
恵那市大井町236-22
0573-25-4070
予約して有った大井宿しぶろく御膳です。
箱に入った食事が運ばれてきました。
そして、後から赤だしと茶碗蒸しが出て来ました。
皆さん、会食しています。
表に立てて有ったランチメニューとテーブルのランチメニューです。
大井宿しぶろく御膳。
大井宿が江戸の日本橋から数えて46番目の宿場です。
そんなことから「しぶろく」という言葉を取り入れています。
恵那の大井宿が46番目の宿なので、寿司幸以外でも「しぶろく」という言葉を付けている店が有るようです。
中山道広重美術館
寿司幸から中山道広重美術館へ歩いて来ました。
特別展観「木曽海道六十九次之内」のチラシです。
美術館のガイドボランティアガ説明してくれました。
外から眺めた展示室です。
重ね摺り体験コーナーです。
模擬版木を使った重ね摺り体験が出来ました。
大井屋と言う浮世絵の店を再現しています。
吊り下げられた浮世絵。
木曽街道(中山道)六十九次。
日本橋から今日までの地図です。
地図の中心部をクローズアップしました。
四角の中は苗木藩、岩村藩、加納藩、犬山藩、大垣藩などです。
石高と治めている殿様の名が書かれています。
古地図を見るのが面白い。
掲げられているのは、街道の宿場の浮世絵。
ガイドボランティアの解説を受けています。
恵那駅
最期。各務原へ戻ります。
恵那駅から名古屋行きの列車に乗ります。
最期に
ウオーク同好会の活動日は第4月曜となっています。
月曜日で博物館や資料館は休館日となっていることが多いです。
今回は第4月曜だが祭日で開館している場所。
それで中山道広重美術館へ来ました。
ボランティアガイドの案内に寄る大井宿の散策。
お値打ちな「しぶろく膳」。
大井宿は中山道の46番目の宿場です。それで「しぶろく」と付けています。
中山道広重美術館ではガイドボランティアの案内で館内を回ることが出来ました。
列車の旅も楽しめ良い例会でした。
歴史街道を歩く会で2015年12月19日に中山道かたりべの会の案内で大井宿を歩き、その後に下街道を歩きました。
歴史街道を歩く会 12月例会 下街道シリーズPart① 中山道大井宿からJR武並駅まで 中山道そして下(シタ)街道へ - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)
その時に福崎日精のライオンのレリーフの解説が有ったか否か、記憶に有りません。
改めて今回解説を受けました。
新しく知ることを新鮮に感じています。
途中に見かけた「あまから本店工場」。
この工場が東濃地方の五平餅の製造元であることが判りました。
発見が面白いです。