Kオジサンの新・山歩きの記

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奥三河の山   鳳 来 寺 山    (684m) 

2013-12-13 22:32:17 | 各務原歩こう会

「各務原歩こう会」で、鳳来寺山へ行ってきました。
鳳来寺山は新城市鳳来町の山です。鳳来寺山パークウエイが東照宮近くまで行っていて、鳳来寺本堂へ簡単に登れますが、私たちは下から石の参道を登りました。
鳳来寺山と言うと、何といっても大杉です。登って行く途中に傘杉と言う大きな杉がありました。大きな杉が両側に林立していましたが、その大きさは、大杉の中でも、一際目立っていました。
今回は長い石段を登り、右の東照宮から鷹打ち場、天狗岩を経由して山頂を目指し、下山は奥の院、六本杉へと歩き、表参堂の階段で下山しました。

 駐車場(9:27) ― 登山口(9:38) ― 仁王門(9:47)  ― 鳳来寺本堂(10:29~10:38) 

― 鳳来山東照宮(10:52) ― 分岐(11:21) ― 鷹打ち場展望台(11:23~11:33) ― 分岐(11:36) ― 

 天狗岩(12:10) ― 鳳来寺山山頂(12:37~13:15) ― 奥の院(13:29) ― 六本杉(13:38) ― 

鳳来寺本堂(14:14)~(14:25) ― 仁王門(14:35) ― 登山口(14:29) ― 駐車場(15:11)





山頂に有った東海自然歩道の説明板の地図。
太い線が東海自然歩道で静岡愛知県境から来て、鳳来寺山を通り宇蓮山へ連なっています。



こちらも山頂に有った説明板で鳳来山の周辺を紹介しています。
今回は逆時計回りに周回しました。
ここで表示されているように鳳来寺山は684mで瑠璃山が695mで、最高地点は瑠璃山です。



駐車場から歩き、登山口に向かいます。



最後の紅葉したモミジ。
僅かに残っていたもので、モミジの残党と言った感じです。
強風が吹けば、吹っ飛ぶのでしょう。



登山口まで来ました。
いよいよ、ここから長い石段が始まります。



仁王門を通過します。
両側には太い杉が林立しています。



最後の階段です。
この階段を登り切ると、鳳来寺本堂です。



本堂まで来て、一休みします。
日頃から朱印帳を携えている人がいて、御印を戴いていました。



本堂から右に向かうと鳳来山東照宮です。
家康の母。於大の方が鳳来寺に祈願して、家康を授かったことにちなみ、家光が造堂した物で三東照宮の1つです。



階段を男性が掃き掃除をしていました。
会のメンバーが箒で掃いていた男性に「ご苦労様です」と声を掛けたのです。
太く大きな杉が多く、メンバーは何百年も経っているというイメージだったのでしよう。
会話をやり取りして、男性から戻った言葉は、「360年」と言う事でした。
太さから、もっと歴史があると思ったのでしょう。

林立する大杉。
この石段をチョンマゲ人達が土木工事をしました。
大杉や石段は参詣する多くの人を見て来ました。大杉や石段は声を発しませんが、昔の様子が聞けるのなら、聞いて見たいものです。




東海自然歩道の支線で、自然観察路になっているコースですが、老朽化していますので、壊けてしまわないか心配です。



鷹打ち場に来ました。



鷹打ち場からの眺望です。
遠くに南アルプスの一部が見えます。



天狗岩の近くまで来ましたが、東屋は相当古く、倒れそうで立ち入らないようにトラロープが張って有りました。



三河湾が望めます。
弧を描く海岸線が見えます。


このコースを歩いていて、山友のMotaさんの事が脳裏に浮かびました。
彼は「こんなに楽しい愛知の130山」を踏破した人です。
彼もこのコースを歩いたのだなと歩きながら、思い浮かべていました。
http://www.katch.ne.jp/~mota/130kiko10.html#houraijisan
彼が歩いたのは2004年5月25日です。
10年足らずの間に奥の院は倒壊してしまいました。



豊橋の南の方向。
ブイの中の直線は豊橋の南部で、海岸線です。
太平洋は確認できませんでしたが、条件が良ければ光る海が見えるでしょう。



浜松方面です。
山の稜線の凹んだ部分に浜松駅近くのアクトタワーが見えました。

眺望が良かったでしたが、空気の透明度が良くなると、なお、はっきりと確認できるでしょう。



山頂まで、もう少しです。
自然歩道として岩を削り整備して有りますが、階段で整備してあった部分は、木が朽ちて鉄材だけが残っています。



山頂に到着しました。



山頂のゴミ。
自己満足でプレートを吊るすのは謹んで貰いたいものです。
左上のは、表示している数字が間違っており、指摘されていました。
左下のは、字が読めないほどに朽ちて来ています。



山頂に有った東海自然歩道の説明板。



山麓を目指して下山を開始しました。



奥の院の裏手の眺望の良い場所です。



眺望の良い場所からは、乗ってきた黄色いバスが見えます。



奥の院が倒壊し、無残な姿を晒しています。



勝岳不動の横の大岩を通過します。



下山して来ると木に赤い実が沢山なっていました。
飯桐(イイギリ)だそうです。



両側はキチンと整備された石垣が。
何々院とか何々坊と言ったところが散在しています。
鳳来寺が巨大だったと想像できます。



仁王門まで下山して来ました。



登山口まで下りてきたところです。



参道には硯の店が何軒か並んでいました。
店内は薄暗く、店の中を覗き込んでしまいました。
鳳来寺山の特産品に硯が有る事に珍しがっていました。



山中で見かけたムラサキシキブと登山口辺りに有ったシロナンテンです。



バスの場所に戻り、登山靴を脱ぎます。
お疲れ様でした。




今回は12月例会です。実施の予定日が10日でしたが、前日の雨が残りそうな天気予報でしたので、予備日の11日の実施と成りました。
10日に実施していたら、強風だった事でしょう。この日は穏やかな陽気でして「今日になって、良かったね」の声がありました。


展望の良い場所からは三河湾の海岸線。豊橋市南部の田園地帯では、太平洋は確認できませんでしたが、あのキャベツ畑地帯だろうと想像できる部分が見えました。
また、浜松方向ではアクトタワーが確認できました。少し曇りがちでこれだけ見えたのですから、空気の透明度が上がれば、一層、良く見えることでしょう。

今回、鳳来寺本堂から逆時計回りに周回しましたが、東海自然歩道の支線となっているコースなのでしょう。
整備されてから、かなり歳月が経過していて歩行する部分で朽ちた所があり、気に掛かりました。
また、山頂にプレートが何枚も下げられていました。それも自己満足を満たすだけの物であり、ゴミが散乱しているイメージです。
このような行為は慎んで貰いたいものです。


長い石段のぼりから始まるコースでしたが、東海自然歩道を辿り、周回してきました。
特に、感心したのは鳳来寺の大規模なことでした。仁王門から本堂にかけての道は長い石段が続きましたが、両側には○○坊跡とか○○院跡が並んでいました。
その状態から、最盛期にはかなり大きな規模になっていたのではと思いました。
一部東海自然歩道を歩くことが出来、楽しめました。

 

 

オマケです。

今回は、暗いうちに出かけて、暗くなって帰ると言うものでした。
左は行きに見えた朝日で7:07に撮影したもので守山PAの手前でした。
左の山は猿投山です。

右は帰りに見た夕日で、上郷SAの手前の時に見えたもので、16:36でした。
朝日と夕日。
日照時間が短い季節なのでこのような事が起こりましたが、私たちの山行をお日様が照らしていてくれていた。
そんな、気がします。

コメント (4)
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一宮友歩会・第47回例会  史跡めぐりシリーズ・名古屋編part2  名古屋市昭和区を歩く

2013-12-09 22:54:33 | 一宮友歩会

今回は名古屋市営地下鉄のいりなか駅をスタートして南に向かい、昭和区を時計回りに歩くコースでした。

このコースの特徴は昭和区でも高級住宅街、そして下町。それにこの辺りは文京地区で南山大学、中京大学など多くの大学や高校が有ります。
又、途中の八事あたりはお寺の多いところでした。

地下鉄いりなか駅 → 南山教会 → 檀渓址 → 塩付街道 → 飯田街道 →
川原神社 → 川名公園 → 香積院 → 南山大学人類学博物館 → 般若台 → 
浄昇寺 → 徳林寺 → 興正寺 → 隼人池公園 → 地下鉄いりなか駅


今回、歩いたコースの地図です。
いりなか駅から南に向かい、そして西へと大きく昭和区を歩きました。
下の地図と対比すると判りますが、真っ直ぐの道路となっている所は、かつては畑や田であった場所です。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/47map.pdf



資料として配られた明治24年の地図です。
左側は田や畑が多く、右側の等高線は丘陵地です。
何箇所か池が点在していますが、農業用の溜池でしょう。
塩付街道が左で下から上に向かっています。
左上から右下へは飯田街道が延びています。
街道の両側の丸い点は並木の印です。今の飯田街道では並木が有った想像できません。

ウオーキングの面白さの1つに往時を想像する面白さがあります。
今では飯田街道の両側には家が立ち並んでいますが、当時はのどかだったのでしょう。



いりなか駅をスタートし、準備運動を済ませてウオーキングの開始です。
開始して、すぐに坂を登ることになりました。
この辺りは昭和区の中でも高級住宅街の地域ですが起伏の多い場所です。



昭和区には2箇所の美術館があり、歩いていて見かけました。
左は昭和美術館。右は桑原美術館です。



檀渓址へ来ました。
檀渓和尚が隠棲した場所を檀渓と呼んでいました。



橋のたもとに設けられた石碑。
尾張名所図会が石に刻まれています。
「絵」でなく「会」と描かれていますが、これで「え」と読むのでしょう。



塩付街道を歩きましたが、往時の様子を描いたタイルが地面に貼って有りました。
右側は道路に挟まれた細い三角形の家屋で、壁一面に絵が描かれています。


飯田街道を歩きます。
ビッシリと家が続き、先頭の古地図のような、のどかな様子は想像できません。





川原神社に着きました。
ここでトイレ休憩しました。
大きく木が延びていますが、神社の森として戦前から有った木々なのでしょう。



川名公園に来ました。
この公園は防災用の公園として整備されています。
昭和区の中では、かなりの面積の公園です。
年数を掛けて整備を進めているのではと思いました。
右の白いシートが架かっている所は空き家で、近日中に取壊しをする家屋なのでしょう。

都市計画区域なら、都市計画税がかかります。
多分、この公園の整備には都市計画税が使われていると思います。
災害のための公園整備。典型的な都市計画の例ではないでしょうか。


Yさんの説明です。

香積院へ

香積院です。



香積院に入ります。



先に珍しい丸門が有ります。



香積院は尾張名所の1つになっているところで、南側の眺望が開けています。
今では、前面に住宅が立ち並んでいますが、かつては、遠くまで見渡せたことでしょう。



観音堂に入らせてもらいました。
予定では、上がり込む事は予定していませんでした。



観音堂の天井画です。
みんなが寝転んで天井を見上げました。



香積院のお庫裡さんに案内され、香積院の北の墓地に有った、小塚鉞助の碑に寄りました。



明治時代の小作争議の指導者小塚鉞助(こずかえつすけ)の碑 です。
この碑には小塚鉞助が明治14年に亡くなったと書かれていますが、部分的な意味は判りますが、漢文なので読めませんです。

南山大学へ

南山大学のキャンパスに入っていきます。



大学のキャンパスでは、テニスの試合が開かれ、一方ではラグビー部が練習していました。




秋の終わり。
カエデの葉が綺麗に紅葉しています。



南山大学はキリスト教系の大学です。
クリスマスが近いことからキリストが生誕した様子を人形を使い再現していました。
ベツレヘムの馬小屋で誕生したキリスト。
東方から3博士がお祝いに駆けつけた場面です。



大学の中で昼食をとりました。


人類学博物館へ。

南山大学人類学博物館は、この10月にオープンした新しい博物館です。
地下に有り、階段を下りていきます。



学芸員の竹尾さんが説明してくれましたが、この博物館は4つのカテゴリーで構成していました。
1信仰と研究
2南山大学の人類学・考古学研究
3南山に託す
4昭和のカタログとなっています。

今泉隆平さんの今泉コレクションで、オセアニアの民俗造形美術品である品々が鶴ヶ島市へ寄贈されました。
膨大な資料であり、散逸するのを避けて保存するため、南山大学人類学博物館等に寄せられた、資料が展示されていました。



カヌーの舳先です。
魔よけの意味があるのでしょうか。



昭和のカタログ。
役目を終えた機器。
見学者にとって、懐かしい品々です。



ケースに入った神獣鏡がまじかに見れます。



この博物館のコンセプトに、触れて感じるが有り、特別な物を除いて触る事が出来ました。
普通は触れない事が前提であり、触ることを許されても、手を出すことに抵抗感が働きました。


般若台へ

般若台。
この付近は高台になっており、かつては名古屋の城下町が眺望できた絶景の地でした。
「電柱が邪魔やね」言葉が有りました。
前方には名古駅周辺の高層ビル群が見えますが、電柱だけでなく、家々がなければ素晴らしい眺望が得られます。
右の家屋の屋根の無効には名古屋テレビ塔が見えます。



史跡:般若台。
安永年間(1772から1781)、香積院4世の雲臥和尚(うんがおしょう)が引退した後、この地に籠もり「大般若経」を写経したので、この名が付いています。経本六百巻は、香積院に宝物として所蔵されています。


こちらの入口には香積院別院と表札に書かれていました。
まだ新しい本堂の横にお稲荷さんがあり、このような像が有りました。
お稲荷さんだけ有って、キツネに跨っています。



中京テレビのタワーがすぐ近くに見えます。

浄昇寺へ

浄昇寺に向かいます。
こちらはお宮とお寺が一緒になったところで、階段の途中に鳥居があります。



お寺とお宮さんが一体となった建物で、左の額には浄昇法堂。右には北辰殿と描かれていました。



こちらは内部に神馬が収められています。
この馬は木造ですが、日清日露の戦争を無事に帰還した馬で「水遊号」と言う名だそうです。



各地に妙見さんが有りますが、妙見さんは芸事にご利益のあるお宮さんですと住職の説明が有りました。



浄昇寺を後にします。
最後のモミジが綺麗な色をしていました。



八事の興正寺に来ました。



トイレ休憩の時間です。
この先、階段を登ります。
この写真。1枚だけを見て、京都の写真だと言われたら、信じてしまいます。
それほど良い雰囲気の場所でした。


センバツ発祥の地。

マンションが並ぶ中庭に記念碑があります。
周りはマンションが林立していて、かつてはここが球場だったとは想像できない場所です。



センバツ発祥の地の石碑。



石碑の盤をアップで。
選抜の第1回の試合がここで開かれ、次からは甲子園に変わったと説明があります。



岐阜の者にとっては、関心の有る部分です。
戦前。岐阜商業の黄金時代です。


隼人池に着きました。



隼人池を中心に隼人池公園となっています。
隼人池の名は前から知っていましたが、この池の名が成瀬隼人正の名からきているとは知りませんでした。

成瀬隼人正は犬山城主でしたが、尾張藩の附家老をしていた人です。
田畑の利水のためにこの池の掘削を指揮したのでしょう。
この池の水は檀渓址へ流れて行き、山崎川を樋で越えています。
先日、附家老サミットを聞きに行きましたが、成瀬隼人正の名を聞いて身近に感じました。


この日の参加者は42名でした。
週間天気予報では土曜日だけが雨マークでしたが、日が進むに連れて曇りとなり、実施日には晴れ時々曇りの空で、
マズマズのウオーキング日和となりました。

今回は大学の博物館へ入りました。
各地を回り、歴史的なことに触れる事が出来ましたが、博物館に入館したのも面白かったです。

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