Kオジサンの新・山歩きの記

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山頂の三角点に集合   御 在 所 岳 (1,212m)

2018-10-31 23:17:31 | 水曜会

久し振りに水曜会でお誘いがありました。御在所岳の三角点に、12時に集合となっていました。参加者は好きなコースを辿り、三角点に12時に到達すれば良かったのです。
私は乱丸さんやドルフィーさんと中道駐車場で落ち合って、中道を辿りました。ルネさん、あさひさん、せきすいさんたちは
本谷コースに向かいました。ジオンさんや和たんはコクイ谷コースです。momoサン達は裏道コース。mayuサン達はロープウェイでした。
好きなコースを選び、三角点に集まれば好いとなっていました。


中道駐車場に集まったメンバーです。
後はせきすいさんの到着を待つだけです。




中道駐車場から、先にせきすいさんたちが出発していきました。
それに続いて、私たちが出発です。
中道の登山コースに来ました。






このコース。
間も無く、ロープウェイの下の場所となります。
下から、上昇して行くゴンドラが、良く見える場所です。
葉が色付いて着ていて、秋が進んで行くのを感じます。




登山道が整備して有ります。
この整備。
まだ、近々の事だと思います。




上の状況を撮影していて、後方から撮影されました。




山頂に向って歩きました。
その途中、説明板を目にしました。
御在所に雨量レーダーが有る事を知っていましたが、こんな説明板が設置してあるとは知らなかった。
ここから、この地方の雨量を観測しています。
このレーダーと同じようなモノが、南信の蛇峠山や霧ケ峰の車山にも有ります。コレらが機能して日本の空をカバーしているのでしよう。



三角点に向って歩きます。
紅葉が進んでいて、葉が落ちた木も有ります。



久し振りの再会です。
輪が出来ています。



ミンナが、12時までに揃いました。




ベンチをテーブルにして、ランチタイムが始まりました。





ミンナが持ち寄った品々。
柿にリンゴ。ブドウなどの果物。
サンドイッチや手作りケーキなど、多種多様です。




乱丸さんが取り出した新兵器。
ドローンのお披露目です。




ドローンが上からミンナを見下ろしました。




アッという間の時間が過ぎました。
下山の時間です。




私は途中からミンナと別れ、武平峠へダイレクトに下りました。




武平峠まで来ました。




峠から鈴鹿スカイラインを歩きます。




トボトボと歩いていて、本隊のYさんに拾って貰いました。
こんな事なら本隊と一緒に行動すれば良かったカモしれない。



下山して来てから希望荘に寄りました。
下山して汗を流したかったのです。



着いた場所が山の上の方で、温泉が有る所へはケーブルカーで降ります。
以前に希望荘の風呂に入った事が有りまして、寄ったのですが、こんなケーブルカーで向うようになっているとは知らなかったです。
何時からこんな風になったのだろうか。


感想。
久振りの水曜会でした。
何時、有って以来だろうか。
何か、水曜会の同窓会のように感じました。



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秋の気配の山    下呂御前山 (1,412.0m)

2018-10-18 23:15:37 | かがみの山歩会

かかみの山歩会で下呂の御前山に行って来ました。御前山は正式には空谷山です。萩原にも御前山があり、下呂御前の名で親しまれています。
葉が紅葉を始めていて、秋の気配を感じる事が出来ました。


邪魔にならないよう、道の幅が広いところに停めました。
この林道、工事箇所があるらしくダンプが往来していました。





ここが登山口。
私たちが停めた辺りにしたからの登山道が有りました。
林道で上まで上がって来ていますので楽しています。




登山道の標識。
私も撮影しました。





五合目の標柱が立っています。
この後、六合目、7合目と続きました。
歩き始めて最初に目にしたのがこの標柱です。
と言うことは、半分近くまで車で上がってきた事になります。





まだ、新しい標識です。






七合目まで来ました。




豪雨で崩落した谷です。
復旧工事は済んでいます。
眺望が開ける場所なのですが、雲がかかっています。
晴れていれば白山が望める場所です。




八合目。
鞍部になった場所、ここで小休止ます。




幅が広い登山道。
歩き易いです。





九合目に来ました。
ここで一旦下がり、また登ります。





もう直ぐ山頂です。





山頂に到着しました。




下呂の街が眼下に広がります。




正面にドーンと聳える御嶽山。
あいにく、雲がかかっています。




下呂御前の山頂標識。




下山を始めました。






幅の広い登山道です。
恐らく、地元の人が手入れをしてくれているのでしょう。




林道が見える所まで下山して来ました。




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kオジサンの中山道旅日記 その20 しなの鉄道軽井沢駅からJR那加駅 まで

2018-10-16 23:25:51 | Kオジサンの中山道旅日記 

10月16日(火) 晴 しなの鉄道軽井沢駅からJR那加駅 まで

下諏訪宿から軽井沢宿までの中山道を10月13日から15日までの3日間で歩きました。今日は自宅へ戻るだけ日です。
自宅は岐阜県です。帰路として、しなの鉄道を使い篠ノ井駅経由にするか小諸駅から小海線に乗るかの何れかとなります。高原を走る小海線に乗ってみたいと思っていたので、小海線を使って帰るコースを選びました。しなの鉄道軽井沢駅を出発するのが7時41分発で、JR高山線の那加駅に到着するのが17時21分着です。途中、塩尻駅で101分も待ち時間が有りましたが、乗ってから降りるまでに10時間近い時間を要しました。
鉄道好きなら何とも感じませんが、鉄道が苦手な人にとっては苦痛となるでしょう。
私は前者の方です。

軽井沢(07:41) ― 小諸(08:05)   小諸(08:16)  ― 小淵沢(10:28)   
   小淵沢(10:31) ― 
塩尻(11:27)  塩尻(13:08) ― 中津川(15:14)   
      中津川(15:20) ― 多治見(15:59)  
多治見(16:21) ― 那加(17:21)

アパホテル軽井沢荘

(06:53)
アパホテル軽井沢荘のレストラン。
朝食会場です。
オープンが7時からでしたが、7時前に開けてくれましたので、助かりました。。




シェフの手作りプリン。
これ。美味しかったです。




チョイスして来た朝食です。
一旦、取ってきて、野菜不足に気がつき付き、再度行って来ました。



軽井沢駅

(07:08)
前方に見える建物。
アレが軽井沢駅です。




軽井沢駅にきました。
まだ、朝が早く人が少ないです。






朝、バタバタと慌てなくても良いように昨日、JRの窓口で買っておいた乗車券です。
経由が小海線・中央東・中央西・太多・高山線と表示しています。
右はしなの鉄道の乗車券です。



しなの鉄道軽井沢駅

しなの鉄道軽井沢駅の改札口です。
7時41分発の小諸行き。
1番線ホームとなっています。





(07:31)
プラットホームに下りてきました。
EF63 2が展示して有ります。
説明に有りますように碓氷峠を行ったり来たりした電機です。
力持ちで「峠のシェルパ」と呼ばれていました。




こちらはアプト式機関車。
レールとレーレの間のラックギヤに車体のギャを利かせて急坂を登りました。




(07:35)
1番線ホームの小諸行きです。




軽井沢駅を発車しました。




(07:45)
車窓から浅間山を見上げます。




(08:06)
小諸駅に到着しました。


JR小諸駅

(08:07)
5番ホームです。
既に小淵沢行きの列車が待っています。




小海線の路線図です。




普通列車の車内。
間も無く、発車です。






(08:31)
佐久平駅に着きました。
右前方に八ヶ岳が見えます。

この場所。北陸新幹線の上階で、高い場所となっています。
右に見えるのが北陸新幹線の架線です。



(08:45)
北中込駅から乗車してきた幼児達。
男性と女性が付き添っていました。
保育園の遠足かと思ったのですが、そうではなかった。
列車に寄る保育園への通園でした。

何処の駅で下車したか不確実ですが、確か八千穂駅で下車していったと思います。
帰りも列車でなると、何分の列車に乗るのだろうか。



中込駅からワンマン運転に変わりました。
中込駅を過ぎた辺りの田園風景です。




次は龍岡城駅です。




(09:15)
馬流駅と小海駅の間の区間。
車窓から見える千曲川です。
この川が千曲川とは分からなかったが地図で調べて判りました。


小海駅

(09:16)
間もなく小海駅に到着です。
既に小諸行きの下り列車が待っています。




先に、小諸行きの下り列車が走り出しました。




(09:25)
松原湖を過ぎた辺りです。
列車の車窓から見える千曲川。
列車が進むに連れて川幅が狭くなり、渓流となってきました。




トンネルの中からの眺め。




(09:36)
S字を描いたレールです。




カーブして行くレール。
肉眼で見ても坂道を登って事が判ります。
スピードメーターは40キロ辺りを指していました。
エンジンが唸りを立てて勾配を登るのでなく、楽に登っていきました。





(09:46)
信濃川上駅です。
この先も登り坂です。
停車中、運転士にどれ位の勾配なのか聞きましたら、1,000分の33パーミルだと応えてくれました。




正面に八ヶ岳の赤岳が見えます。





(09:49)
線路沿いに畑が広がります。




(09:54)
野辺山駅が見えてきました。




野辺山駅でこの列車を撮影する人たち。


野辺山駅

(09:55)
野辺山駅に着きました。
野辺山駅はJRで、一番高い場所にある駅です。
駅の標識を撮影する若い男性です。
この男性も小海線を楽しんでいる人でした。
ユーチューブに取上げたりするのだろうか、車窓からの景色を撮影していました。





八ヶ岳がバッチリ、見えます。





(09:59)
JR最高地点の標識が有る場所です。
ここでも、この列車を撮影する人たちが居ました。
ここを過ぎると長野県から山梨県に入ります。



清里駅

清里駅に停車しました。
見えたのがC56です。
C56機関車は高原のポニーの愛称で呼ばれた機関車です。
この小海線を走っていた機関車だと思います。小海線にはC56が似合っていました。



甲斐大泉駅

(10:12)
甲斐大泉駅に来ると富士山が見えました。
それだけ、この場所が高い場所だと言えます。




(10:27)
大きくカーブするレール。
線路が坂を下っていくのが判ります。
そして、先に見えるのが南アルプスです。

間も無く小淵沢駅です。




まもなく 小淵沢。
2時間余りの時間、小諸から乗車して来ました。



小淵沢駅

(10:29)
前方に小淵沢駅が見えます。
10時34分発の高尾行き列車が待っています。




(10:30)
5番線と4番線が小海線のホームとなっています。
小海線の時刻表が掲示してあります。
一日に10本の列車です。
4番線ホームに着きましたが、11時22分発で折り返して行くのでしょう。


小海線について
小海線を小諸から小淵沢まで、端から端まで乗車しました。
小海線は八ヶ岳の東側に線路が有ります。八ヶ岳を北から東へ。そして中央線で南から眺めました。移り変わる景色を眺めるのも面白かったです。
小海線の車庫が有るのは中込駅だと言う事が判りました。小海線の中心的な駅で、この駅で乗務員が交代しました。ぶっ通しで乗って感じたのは、小海辺りに来ると沿線の景色がガラッと変わると言う事です。それまでは田や畑が多かったのですが、高冷地になってきて高冷地野菜に変わりました。
昭和の時代に流行った「高原列車が行く」と言う曲が有ります。その曲にピッタリの雰囲気なのが小海線です。
歌詞の牧場の乙女が花束投げるでは有りませんが、沿線は牧場でなく高原野菜の供給地になっていました。
高原列車の雰囲気そのままに、沿線で撮影する人を多く見かけました。そんなのも、小海線の魅力なのでしょう。





(10:31)
1番線ホームです。
松本行きの普通列車が待っていました。
この列車、小淵沢駅に10時27分に着いて31分発です。
小海線の列車の到着を待っている。そんな列車ダイヤです。



中央線の路線図です。




(10:34)
列車の車窓から。
南側からの八ヶ岳が見えます。



(11:05)
間も無く上諏訪駅です。
ここまで複線でしたが、単線に変わります。


塩尻駅

(11:29)
もう直ぐ塩尻駅に着きます。
3番線ホームに12時33分発の辰野行きが入線しています。





(12:11)
塩尻駅の待合室です。
ここで、ビールをやり、そばを食べました。




チェック柄の服の女性は外国人のグループを案内してきたガイドです。
食券の自動販売機の前で、そばやうどんの種類を説明し券の買い方を説明していました。
引率されていたのが外国人6~7人でした。
皆さん、全員がザックを背負っていました。
チェック柄の女性にどちらに行くのかと聞いたら、木曽路を歩くと話してくれました。




(12:35)
13時08分発の中津川行きが入線してきました。
発車までに30分余りあります。
こんなに早く来るものだと思いました。
ここで、乗務員の交代です。
ここまでは運転手と車掌が乗務していましたが、この先はワンマン運転に変わりました。




13時08分発中津川行きの車内です。
乗っている人が少ないです。



木曽平沢駅

(13:31)
チェックの服のガイドに引率されて来た外国人達です。
木曽平沢の駅で下車しました。
鳥居峠を越えるのだろうか。となると、この先の奈良井宿までが2キロほどです。そして、峠を越えるとなると遅くなります。
余裕を持っての木曽路歩きなら、この後奈良井で泊まり翌日に踏破。
その後は妻籠宿か大妻籠に泊まり馬籠峠を越えるのではなかろうか。
馬籠峠を越えるコースは外国人に人気が有ります。




奈良井川が見えます。
この堤防を歩き、奈良井宿を目指すのでしょう。




国道19号線が見えます。
アノ場所を歩きました。
吉田洞門です。
車は洞門の中を通過し、歩行者は外側の川沿いを歩きます。




(13:49)
宮ノ越駅を出た辺りです。
中央西線は複線から単線になったり、また、その逆も有ります。





車窓から見える国道19号線です。
左に倉本駅が見えます。





(14:56)(14:59)
坂下駅です。
左は下りのしなのです。
右は上りのしなので追い越されます。

中津川駅

(15:17)
名古屋行きの快速に乗ります。
快速と言っても、多治見駅までは各駅に停車します。


多治見駅

(16:06)
多治見駅の5番線ホームです。
多治見への列車が入線してきます。
この列車。折り返し運転で岐阜行きの列車になります。


那加駅

(17:24)
那加駅に着きました。


感想
10時間ほどの列車の旅でした。長時間の列車の旅は体力勝負です。苦、無く列車に乗ってくる事が出来ました。コレも列車が好きなのだからでしょう。
小海辺りから鉄路と川が並行していました。その時は何川か判らなかったのですが、地図で調べて千曲川だと判りました。次回は千曲川の流れるところを列車で通過しますが、何処から流れてくるのか判っていて、今見ている川とあの時見た川が結びつきます。
木曽路と信濃路を歩いて気が付いた事が有ります。街の中心に火の見やぐらが有る事です。火事を知らせるので、当然街の中心に有るべきなのですが、何箇所も火の見やぐらを見かけました。



今日の経費
JR小諸駅からJR那加駅まで5,400円 。
しなの鉄道 480円
ビール 319円
ピーナツ 134円
駅そば 380円
お土産 972円


               合計 7,685円


kオジサンの中山道旅日記  その21
11月04日(日) 晴 JR那加駅からしなの鉄道軽井沢駅 まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その19 佐久ホテルからアパホテル軽井沢荘 まで

2018-10-15 23:20:42 | Kオジサンの中山道旅日記 

10月15日(月) 晴 佐久ホテルからアパホテル軽井沢荘 まで

今日は泊りがけの街道歩きの第3日目です。
佐久ホテルから昨日の続きで歩きます。県道9号線に出て軽井沢を目指します。歩き始めて最初に目にしたのが善光寺の道標でした。かつては、この道標の前を善光寺に参拝する人が通過しました。さらに北に進むと上越自動車道を弧線橋で越えました。浅間リンゴ園へ来るとリンゴがたわわに実っているのが見えました。まだリンゴ園を開業していないようですが、何時でもリンゴ狩りが出来そうな状態です。
小田井南の信号まで来ると県道9号線から分かれて小田井宿へ入って行きました。そして佐久市から御代田町となりました。小田井宿に入ると問屋跡や脇本陣跡が並んでいます。問屋は2ヶ所あり下問屋と上問屋と2ヶ所でした。その後、寄り道で、しなの鉄道の御代田駅に寄って見ました。正面にタクシーが客待ちをしているのどかな駅でした。中山道に戻り、しなの鉄道を地下道で通り抜けて先を目指しました。やがて御代田町から軽井沢町に入りました。そして見えたのが幅の広い用水路です。「千ヶ滝湯川用水温水路」と表示してあります。これは谷川からの冷たい水を広い用水路に流し、太陽熱で暖めているようです。暖かくなった水を田畑に注いでいるのでしょう。
歩いてきて、中山道が国道18号線と一緒になりました。信号機の交差点を軽井沢方面に向うと「中山道69次資料館」がありました。資料館の周囲には中山道69次のミニチュア版が造られていました。
分去れの碑に来ました。ここには石碑と常夜燈が有りました。街道の分岐点です。江戸から来ると、左は中山道へ。右に向えば善光寺道へ向かいます。
国道18号線から分かれ、追分宿へ入って行きました。街道沿いにラーメン屋があり、お昼の時間ですの入ってみました。「麺処 暁」と言う店です。あっさりした味で美味しかったです。追分宿の中を通り抜けます。この辺り骨董屋さんが沢山有ったりする通りでして、ハイカラな感じがします。高札場が有り、宿場町だと感じることが出来ました。
また、再び宿場の街道が国道18号線と一緒になりました。そして、そこには追分一里塚が有りました。また、国道から別れて借宿地区に入りました。歩いて行くと古宿地区に変わりました。その道も再び国道18号線となりました。間も無く、中軽井沢駅前の通りとなり、駅前を通過して、しなの鉄道の橋下を潜りました。前沢橋を渡り、更に進むと再び18号線へ出ました。離山交差点から軽井沢宿を目指しました。この辺り中山道なのですが、高級な場所の感じがしました。そして、軽井沢宿に到達しました。今様の軽井沢宿。レンタサイクルで走る中国人を多く見受けました。
軽井沢宿の中心と思われる処まで到達して、軽井沢駅の方角に歩きました。その後にアパホテルへ向いました。

佐久ホテル ― 善光寺道標  ― 上越自動車道弧線橋  ― 鵜縄沢端一里塚  ― 
小田井南交差点 ― 
小田井宿下問屋 ― 脇本陣跡 ― 上問屋 ― 本陣跡 ― 筆塚 
― 御代田駅 ― しなの鉄道地下道 ― 
御代田一里塚 ― 千ヶ滝湯川用水温水路 
― 国道18号分岐 ― 中山道69次資料館 ― 
分去れの碑 ― 麺処 暁 ― 
追分宿高札場 ― 明治天皇追分行在所碑 ― 堀辰雄文学記念館 ― 
浅間神社 ― 
追分一里塚 ― 借宿地区 ― 古宿地区 ― 沓掛宿 ― 中軽井沢駅 ― 
しなの鉄道橋の下 ― 前沢橋 ― 前沢地区 ― 国道18号線 ― 離山信号交差点 ―
 軽井沢ホテル
 ― 六本辻 ― 旧軽井沢銀座通り ― 県道133号線 ― 軽井沢駅
 ― アパホテル軽井沢荘

 


佐久ホテルの朝食です。
ご飯は温泉水で炊く五穀飯となっています。
左の小鉢は温泉卵です。
佐久鯉照焼きが美味しかったです。

佐久ホテル

(08:41)
これから出発です。
佐久ホテルを表から眺めました。
この佐久ホテル。創業から600年を数えようとするほど古く、長野県内では老舗として知られています。


善光寺道標

(08:55)
佐久ホテルを出発し、県道9号線に出て軽井沢を目指しました。
歩き始めて最初に目にしたのが善光寺の道標でした。
かつては、この道標の前を善光寺に参拝する多くの旅人が通過しました。



上越自動車道弧線橋

(09:14)
上越自動車道の上を通過します。






浅間リンゴ園の横に来るとリンゴがたわわに実っているのが見えました。
まだリンゴ園を開業していないようですが、何時でもリンゴ狩りが出来そうな状態です。



鵜縄沢端一里塚

(09:27)
鵜縄沢端一里塚に来ました。





前方に浅間山が見えます。
この辺り、佐久市の小田井地区を歩いています。



小田井南交差点

(09:39)
信号機がある小田井南交差点です。
県道9号線は左に向かい、中山道は真っ直ぐ伸びています。





中山道の中を歩きます。
今日のKオジサンの後ろ姿です。




(09:50)
小田井宿が近付いてきました。
火の見やぐらが見えます。
今回、歩いていて何度も火の見やぐらを見かけました。





佐久市から御代田町に入ります。
御代田町に入ると、小田井宿跡の標識が設置して有ります。




(09:58)
前方からザックを背負った男性が歩いて来ました。
彼は軽井沢から歩いて来たと話しました。
何時に出て来たのだろう。この時間に軽井沢からここまで来るとは、相当な早足です。
今日は望月宿まで歩くと言っていました。
何処から来ているのですかと聞いたら三重県の鈴鹿市だそうでした。もう、東海道は踏破したのだそうでして、次に中山道を歩き始めたのだそうでした。
日本橋をスタートして、回を重ね、ここまで来たと話していました。
何日くらいで、ここまで来たのだろう。




小田井宿の中心部に入ってきました。



小田井宿脇本陣跡

(10:02)
小田井宿の脇本陣跡です。




小田井宿跡の説明板です。





小田井宿のお休み処です。
奥の方にトイレが有ったのだろうか。
有るように見えませんでした。
折角のお休み処。
トイレを併設してもらえると有り難いです。




(10:26)
前方から自転車が、早い速度で坂道を駆け下ってきます。
折畳みの自転車です。

背中にザックを背負っていました。
あの、和田峠で出会ったような人かもしれない。
早いスピードで走っていましたので、声を掛けれませんでした。


御代田駅

しなの鉄道の御代田駅に来ました。
駅前ではタクシーが客待ちをしています。


しなの鉄道地下道

(10:50)
しなの鉄道の下をくぐる地下道の入口です。
駅から歩いて来て、この地下道の入り口が判らなくて、近くの人に尋ねました。




御代田町の御代田地区を歩きます。
曲がった道で、旧街道らしさが有ります。


千ヶ滝湯川用水温水路

(11:25)
歩いていて、右手に千ヶ滝湯川用水温水路が見えました。
幅広い用水路。
何のためのに幅広くなっているのか判りませんでしたが、検索したら、太陽で水を温める事が判りました。


国道18号分岐

(11:42)
この先、国道18号線と合流します。
交差点には信号機が有りました。


中山道69次資料館

浅間サンライン入口に来て、更に進むと、中山道69次資料館が有りました。
先を急ぎましたので、入館しませんでした。






資料館の周りにはミニ中山道が再現して有りました。
日本橋を振り出しに、中山道を辿るものでした。




(11:53)
追分宿への標識。
国道18号線から分かれて追分宿の中に入って行きます。





(11:55)
標識の先に有ったのが分去れの碑です。
向って、左に行けば中山道へ。
右に行くと善光寺道に向かいます。



麺処 暁

(12:03)
お昼の時間であり、ラーメン屋さんに入ります。
ラーメン屋と言うことは判りましたが、ケバケバしい看板は出ていませんでした。




ラーメンとサラダ。
サービスでご飯かサラダが選べました。
それで、サラダを注文しました。
魚介系でアッサリした味で美味しかったです。




(12:19)
追分宿の中に入って生きます。


追分宿高札場

高札場ですが、古くなり読めません。
下の解説板が有るから、どうにか判ります。





(12:23)
骨董品の店。
このような骨董品店が何軒も追分宿には有りました。
骨董品店巡りも面白いでしょう。



堀辰雄文学記念館

堀辰雄文学記念館の前を通過します。





(12:32)
昇進橋を進みます。





追分宿マップです。


追分一里塚

(12:47)
中山道が国道18号線と一緒になって、その先に追分一里塚が有りました。





中山道が国道18号線から離れ、国道の南側に来ました。





(13:17)
この場所。
国道18号線が、旧国道18号線と新しい国道18号線に分かれる場所です。
このまま、進み旧国道方面で歩きます。





この辺り。
古宿地区です。






中部小入口を過ぎたところです。
前方から男性が歩いて来ました。
日本橋から街道歩きを続けていると話していました。
今日は横川から歩いて来て、小田井宿まで行くと言っていました。
今回は、4泊5日の行程で、贄川宿まで行くそうでした。





中軽井沢駅

(13:53)
中山道が国道18号と一緒になりました。
この辺り。沓掛宿なのですが、宿場らしさを感じませんでした。
私が歩いて来て、宿場らしいところを見落としたのでしょうか。

そして、進んできたところが中軽井沢駅前の通りで、この後、中軽井沢駅に向かいました。
そして、中山道を左の方向に向かいました。






しなの鉄道の線路の下を通過してきました。
そして、湯川に架かる前沢橋に来ました。





軽井沢中学校前です。
中山道は再び18号に一緒になりました。



離山信号交差点

(14:24)
離山信号交差点です。
中山道は、ここから18号と離れます。
この先が中山道なのですが、離山通りと表示しています。





軽井沢ホテルロッキングハウスです。





(14:32)
前方から来る自転車の二人。
レンタサイクルに乗った中国人でした。
この先でも何人かの中国人と擦れ違いました。
中国人には、軽井沢を廻るのにレンタサイクルが人気が有るように見えました。



六本辻

日本では珍しいロータリーです。





旧軽井沢に入って来ました。
右手にレンタサイクルの店が有ります。





(15:08)
旧軽井沢方面に来て、歩道を歩いています。
街路沿いの樹木。
少し色付いてきた感じがします。



旧軽井沢銀座通り

(15:12)
軽井沢宿に来ました。
旧軽井沢銀座通りです。
このシーンは人が少なく写っていますが、こうなるまでは、沢山の観光客が居ました。





県道133号線を軽井沢駅に向って歩きます。
マリリン・モンローが「オー モウレツ!!」と言っているようです。





軽井沢駅に向かって歩いています。




軽井沢駅

(15:40)
軽井沢駅まで来ました。




アパホテル軽井沢荘

(15:46)
軽井沢駅の東。
アパホテル軽井沢荘に来ました。
到着です。




今日の歩行距離と歩数です。
9時前から4時前までで7時間程歩きました。
歩行距離は27キロ余りです。




軽井沢・プリンスショッピングプラザ

(16:29)
ホテのチェックインを済ませた後、軽井沢・プリンスショッピングプラザに出かけました。
軽井沢駅から眺めた様子です。




最初に目に留まったところがグッチです。
好い場所に店を構えています。
高級な店。
ガラスの外から覗くだけです。





繋がるモール。
高級店が多いです。





ゴディバ。
カミさんへの土産をと思い、中に入りチョコレートを買い求めました。





こちらは軽井沢の土産のコーナーです。
かんてんパパショップ。
ここで大根もちを買いました。





(17:18)
モール。
暗くなり、明かりが灯りました。
綺麗です。




感想
今日も良く歩きました。
離山信号交差点から旧軽井沢方面に歩きました。この辺り、洒落た建物があったりして独特の雰囲気が有ります。避暑地の道と言う印象します。そんな処で、レンタサイクルに乗った何組もの中国人を見かけました。団体でなく個人で来ているのか、その行動力に感心しました。(軽井沢までは団体で来いるのかもしれません)


今日の経費
佐久ホテル 宿代 7,235円。
ペットボトル 100円
ラーメン 860円
バックインバック 500円
アパホテル 9,200円
チョコレート 1,000円
大根もち 520円
カップ麺、酒等  1,061円

               合計 20,476円


kオジサンの中山道旅日記  その20
10月16日(火) 晴 しなの鉄道軽井沢駅からJR那加駅 まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その18 民宿 みや から佐久ホテル まで

2018-10-14 23:43:44 | Kオジサンの中山道旅日記 

10月14日(日) 曇時々雨後晴 民宿 みや から佐久ホテル まで

今日は泊りがけの街道歩き、第2日目です。
民宿みやからスタートします。そして、落合橋まで来て、中山道歩きの再開しました。初めは国道142号線を歩き、順調でしたが、長久保の信号で、そのまま国道142号線を歩かなければならないところを国道152号線の方向に行ってしまいました。そして、間違いに気づき修正しました。
長久保宿から笠取峠を目指した時、どの方向に向えば良いのか判らない時が有りました。そんな私の姿を見て、通りがかった男性から向う方角を教えて貰いました。笠取峠の松並木を歩いていて、雨が降り出しました。その雨も、茂田井宿の入口辺りまで来た時には止みました。茂田井宿は芦田宿と望月宿の間にあり、69次の宿場ではなく間(アイ)の宿です。この茂田井宿は映画で「家族はつらいよ」第3作の一場面に登場した場所です。舞台となったのは造り酒屋です。茂田井宿には大沢酒造と武重本家酒造が有りますが、どちらが取り上げられたのか判りませんでしたが、映画の1シーンで登場したのが武重本家酒造で有る事が判りました。
八幡宿の手前でも、また道を間違えました。国道沿いに歩かなければならないのに、県道44号線を歩いてしまいました。そして、脱穀作業をしている人に聞いて八幡宿に向いました。
塩名田宿へ来ると「中山道塩名田宿宿場祭り」が開かれていました。もう、祭りが終わるの時間でした。祭り会場近くには中山道の69宿の幟旗が立っていました。タマタマ訪れた塩名田宿。毎年、10月第2日曜に宿場の祭りを取組んでいる事が判りました。
塩名田宿を過ぎると田圃では脱穀をやっていました。反対側はリンゴ畑で、リンゴがたわわに実っていました。雲に隠れていた浅間山が姿を表し、高架を北陸新幹線の列車が走っていきました。


民宿みや ― 落合橋  ― 四泊一里塚  ― 長久保宿横町  ― 長久保宿竪町 ― 
長久保宿高札場 ― 松尾神社 ― 笠取峠 ― 笠取峠一里塚 ― 笠取峠松並木 ― 
芦田宿入口 ― ふるさと交流館芦田宿 ― 茂田井間(アイ)の宿入口 ― 茂田井宿一里塚
 ― 石割坂 ― 大沢酒造 ― 武重本家酒造 ― 望月宿入口 ― 歴史民俗資料館 ― 
望月トンネル ― 八幡宿本陣跡 ― 御馬寄 ― 中津橋歩道橋 ― 塩名田宿 ― 
塩名田宿本陣跡 ― 駒形坂  ― 駒形神社 ― 平塚一里塚  ― 岩村田宿 ― 佐久ホテル


民宿みやの朝食です。
右側はお握り弁当です。大きなお握りに魚肉ソーセージが付いていました。


民宿みや

(07:18)
民宿みやを出発します。
トラックやバン。
これらの車は工事で滞在している人たちの車です。
今日は日曜日。仕事に出かけないのかも知れません。



落合橋

(07:35)
中山道の落合橋まで歩いてきました。
ここからが中山道歩きです。




国道142号線の歩道を歩きます。
歩道を歩いていますが、横を大型車が轟音をたてて走り去ります。



四泊一里塚

(07:49)
この一里塚。
何と言う名なのか表示していませんが、街道歩きの参考書には四泊一里塚と表示しています。






道を間違えて国道152号線の方角に来てしまいました。
先に見えるのが長久保宿の方角です。
宿場の方角に向かいます。


長久保宿横町

(08:10)
来たところが長久保宿横町です。
直線の道路では有りません。





長久保宿の角です。
矢印で江戸方、京方と現しています。




長久保宿竪町

(08:16)
長久保宿の道。
登り坂になっています。



長久保宿高札場

宿場内の高札場。
芦田宿への荷駄より和田宿への荷駄の運賃が高いのは距離が遠いからでしょう。
こんな所にも面白さが有ります。




街道沿いの消火栓とホース格納箱。
宿場の雰囲気にマッチするよう配慮されています。




(08:32)
松尾神社の所まで来ました。
行く先を確認するため参考書の地図を見ていましたら、軽四トラックで通りがかった男性が向う方向をアドバイスしてくれました。
この先は、「原道」、「原道」へと行けば好いと言いました。
歩いていて、どちらに向えば好いのか心細い時、このように親切にしてもらえたのは嬉しい事でした。
この時浮かんだのが「旅は道連れ、世は情け」と言う言葉です。情けを掛けてもらいました。




草道を登って行きます。




「原道」へと・・・・・・。
指示標識の字を見て、言われた事が判りました。
ここの標識は立っていますが、朽ちて落ちているのも有りました。





歩き易い道。




(09:07)
この辺り、街道の雰囲気が有ります。





原道から国道142号線に出ます。
指示標識が傾いていましたので、直そうとしましたが、支柱の根元が傷んでいました。






国道142号線で、道の両側に設けられた常夜灯です。
左が北側で右が南側にありました。
白い部分。これより長久保宿と表示しています。それに中山道の文字は長野県知事の揮毫に寄るものです。


笠取峠

(09:21)
笠取峠の頂部まで登ってきました。



笠取峠一里塚

国道の反対側に一里塚が有りました。
枝垂桜の根元に石碑が有ります。


笠取峠松並木


(09:55)
笠取峠の松並木の入口です。




松並木を歩きます。
この辺りから、雨がパラパラしだしました。
大きな松の木ですが、切り倒して切株状態になったのも有りました。


芦田宿入口

(10:34)
芦田宿の入口で、ポケットパークのようになっていました。





(10:40)
芦田宿の中を歩きます。
路面が濡れてきました。


ふるさと交流館芦田宿

(10:49)
芦田宿のふるさと交流館です。
館内には中山道に関する解説が有りました。




芦田宿の解説が有りました。
少しピンボケでした。




保科百助のコーナーです。
立科出身の保科百助は教育者として活躍した。
又、鉱物採集に勤めました。


茂田井間(アイ)の宿入口

茂田井宿の入口に来ました。
宿場の散策マップです。



茂田井宿一里塚

(11:19)
茂田井宿の中に一里塚が有りました。
南側に小さな「山」がありました。




茂田井宿の中の道です。



大沢酒造

(11:47)
道順で先に大澤酒造に寄りました。
杉玉が下がっています。




ザックを背負ったお二人にお会いしました。
今日は望月宿から芦田宿までを歩くと話していました。
日本橋からスタートして短い距離を、回を重ねて歩くようにしていると言っていました。
ご夫婦で街道歩きを楽しんでおられる。そんな風に見えました。




大澤酒造の敷地内です。
大澤酒造民俗資料館に入りました。
1階はここへ訪れた著名人のサインがありました。
それに、試飲も出来たようです。
2階には古い文献や生活用具が並んでいました。



こちらはしなの山林美術館です。





しなの山林美術館の内部です。
山林美術館となっていますが、信州の風景画などが展示して有ります。





この角度からのシーンが映画で流れました。



武重本家酒造

(12:10)
武重本家酒造の門です。
こちらも杉玉が下がっています。




(12:49)
茂田井宿と望月宿の間です。
脱穀作業をする大人たち。
その近くで遊ぶ子供達の声が聞こえて来ました。





望月宿の案内マップ。



望月宿入口

(13:00)
望月宿の入口まで来ました。



歴史民俗資料館

(13:19)
佐久市望月商工会館から写した歴史民俗資料館です。
こちらは本陣跡です。





タクシーの待機場所にあった望月宿の案内図です。



望月トンネル

(13:40)
本来の中山道は山を越えるのですが、楽をするためトンネルを抜けました。
このトンネル。旧142号のトンネルですが、新望月トンネルが出来て、車の通行量が減りました。









旧142号線と新しい国道142号線が一緒になりました。
前方の視界が広がっていますが、佐久市方面です。





(13:55)
祝言道祖神。
安曇野で見かける道祖神とは違うタイプです。




百沢東地区に来ました。
国道142号線を歩かなければならないのですが、県道44号線を歩いてしまい、道を間違えました。
雨が降った後です。
浅間山の山頂部は雲に隠れていますが、裾野の姿は見えます。




(14:12)
ご夫婦で脱穀作業に取り組むお二人です。
道を間違えてしまい、お二人に声を掛け、八幡宿に向う方角を確認しました。




八幡宿に入ってきました。





(14:46)
塩名田宿と八幡宿の間です。反対方向から男性が歩いて来ました。
日本橋から街道歩きを重ねていると話しました。
今日は御代田から歩いて来たと言っていました。

この男性。10年前にも日本橋から中山道を歩いたそうです。
そして、再び中山道歩きを始めたのだと話していました。


中津橋歩道橋

御馬寄と塩名田宿の間を千曲川が流れています。
その千曲川に架かる橋が中津橋です。橋の幅が狭く、後から架橋されたのでしょう。
中津橋歩道橋のプレートが付いていました。
前方から女性が歩いてきます。
彼女が「餅」を貰ってと言い、渡されました。





中津橋歩道橋から望む千曲川。



塩名田宿

(15:10)
橋の上までスピーカーからの音が聞こえました。
ビンゴゲームをやっている様子でした。
それで、音がする方へ来ました。
何か、祭りのようでした。

この道。
坂道になっていて、川に向って下って行きます。
塩名田宿宿場祭りの会場でした。




私が来たタイミングは祭りが終わるというタイミングでした。
責任者の人が締めくくりの挨拶しています。

先ほどのオバチャン。
ここで振舞い餅を貰ったので、それを私にくれたのでした。

検索したらこんなサイトにヒットしました。
http://www.sakukankou.jp/event/shionada-shukubamatsuri/
もう、終りの時間なのですが、綱引きなどが行われたようです。

歩道橋を渡ってきて、スピーカーから大きな音が聞こえました。
それで、この会場に来ました。
好奇心を出さなかったら、祭りが有る事を知らずに通過していました。
今は橋が架かっており、簡単に渡れてしまいます。




浅科地区の公民館駐車場に設置して有った塩名田宿の案内板です。
千曲川に舟つなぎ石が描かれています。
中山道を歩いて来て、坂道を下り、千曲川に出ます。
そして、渡船で渡ったのでしょう。

祭り会場に寄らなかったら、渡し舟で往来していた事が判らなかったです。
こう言う発見が面白い。



(15:44)
駒形神社を過ぎて田園地帯を歩いています。
浅間山の山頂は見えませんが、裾野は判ります。
長い高架部分。
北陸新幹線の列車が長野方面に向って行きました。





田園地帯の中を歩いていて、リンゴ畑が芽に入りました。
リンゴが沢山実っています。




(15:55)
佐久市の中佐都地区です。
立派な松が街道らしさを出しています。




S字にカーブした中山道。
街道らしさを感じます。





(16:12)
間も無く中部横断道路の下をくぐると言うところに来て、ご夫婦と擦れ違いました。
大から来たと話していました。
塩名田宿まで行き、佐久平で泊まると言っていました。
奥さんと話していて、民宿みやの話が出ました。
この先。
街道歩きを続け、民宿みやに泊まるのかも知れません。



岩村田宿

(16:56)
岩村田宿に入ってきました。
アーケードのある歩道で、宿場町と言う感じがしません。



佐久ホテル

(17:02)
佐久ホテルに到着しました。
お疲れ様でした。






今日の歩行距離と歩数です。
約10時間の歩行で約30キロ。と言うことは時速3キロの歩行速度です。
普通、歩くのは時速4キロと言われています。
色々のことに興味を示しながら歩いて居ますので、こんな歩行速度です。
早く歩けば、色々と見落としが出てしまいます。

それにしても、良く歩きました。


感想
笠取峠に向っていて、どちらに向って好いのか判らなかった時、地元の人が教えてくれました。ザックを背負った格好の私。そんな私に道を教えてくれた事が嬉しかったです。
雨が降り出すとは予測していませんでした。一時、降られましたが、短時間に上がり、ヤレヤレでした。
茂田井宿の作り酒屋。映画を見た時に、どんな場所だろうと興味を持ちました。その造り酒屋に寄る事が出来て良かったです。

今日の経費
民宿 宿代 7,000円。
ビール 650円
お握り 600円
飲料水 120円
おでん、酒等  1,186円

               合計 9,556円

kオジサンの中山道旅日記  その19
10月15日(月) 晴 佐久ホテルからアパホテル軽井沢荘 まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その17 JR下諏訪駅から民宿みや まで

2018-10-13 23:46:29 | Kオジサンの中山道旅日記 

10月13日(土) 晴 JR下諏訪駅から民宿みや まで

中山道の街道歩きを重ねています。これまでは早朝に自宅を出て、始発列車で目的地に向い、街道歩きをしてから列車で帰って来ると言うパターンを繰り返してきました。歩く場所が自宅から遠くなってきて、泊を伴わないと街道歩きが出来なくなりました。
今回は下諏訪宿からの歩き出しです。それで、前日に下諏訪へ行き、ビジネスホテルに泊まって、翌朝にスタートする計画でした。しかし、ホテルが満室で予約する事が出来ませんでした。そんな訳で特急で塩尻に向かい、下諏訪からは途中までタクシーを使いました。和田峠を越えるのが理想でしたが、それが無理なら旧トンネルの中を歩いても良いと考えていました。それでも、何とか和田峠を越えることができました。峠を下ってきて和田宿まで歩いて来ました。辺りが段々暗くなってきたのです。それで、民宿に連絡して本陣近くまで迎えに来て貰いました。

和田峠を越えました。峠に向かう道が下諏訪町で、峠を越えたら長和町となりました。峠の南側と北側では道の状況がガラッと違いました。下諏訪側では、峠の頂部が近付くと草が繁り、道幅も人がやっと通れるほどの広さにとなりました。北側の長和町の方は道幅が広く、草を刈ってありました。民宿みやの女将から聞いたのですが、長和町の方は補助金が出ているが、下諏訪町はボランティアでやっていると話していました。ボランティア活動に限界が有ります。補助金を投入してでも好い道にして貰いたいものです。
ホテルの予約を、早くからすれば良いのですが、天候の見通しを確認していたら満室になってしまいました。何時の日に決行するか、判断の難しいところです。

JR名古屋駅 === JR下諏訪駅 ――― 町屋敷バス停  ― 五十四里塚  ― 
中山道石碑  ― 樋橋茶屋跡 ― 山の神 ― 水戸浪士の墓 ― 西餅屋一里塚跡 ―
 西餅屋茶屋跡 ― 石小屋跡
 ― 賽の河原 ― 和田古峠 ― コルゲート ― 
東餅屋立場跡 ― 広原一里塚 ― 近藤巡査殉職の地 ― 接待所 ― 廃車 ― 
三十三体観音 ― 休み茶屋跡 ― 和田峠入口
 ― 唐沢一里塚 ― 扉峠口バス停 
― 鍛冶足信号交差点  ― 和田宿高札場跡 ― 上和田バス停
 ― 和田宿本陣
 ――― 民宿みや 

 

乗車券と特急券です。
昨日、買ってきました。


JR名古屋駅

名古屋駅の10番線ホーム。
そして、しなのの6号車の乗車口です。
快速列車で名古屋駅に6時27分に着きました。
連絡通路を歩き、10番線ホームへ来たのが6時30分過ぎでした。
6号車の乗車口には前に2人並んでいて、3番目でした。

千種とか多治見から乗車するとなると座席指定券を買った方が好いでしょうが、始発駅からですので、指定席券は買いまいませんでした。



(06:50)
特急しなの1号が入線してきました。




後ろから3番目、窓際のシートに座る事が出来ました。
名古屋駅で何人も乗車する人が有り、空席は少なかったです。




(08:14)
車窓から
須原宿が見えます。
あの道を歩きました。




(08:58)
塩尻駅に着きました。
ここでは、沢山の人が下車しました。




(08:59)
4番線には9時10分発の甲府行きが待っています。




間も無くみどり湖駅です。
その先に塩嶺トンネルが見えます。
かつての中央東線は辰野駅経由でした。
新線が出来てショートカットとなりました。
この新線。調べましたら昭和58年に出来たようです。




(09:28)
間も無く下諏訪駅です。
下りの列車が見えますが、この列車は9時27分発の豊橋行きの普通列車です。



JR下諏訪駅

下諏訪駅です。
昼飯を調達するためSEIYUに向かいました。そして、第一交通下諏訪営業所へ行きましたら、ここて゜はタクシーを拾う事が出来ませんでした。仕方なく、下諏訪駅に戻りました。
下諏訪駅からタクシーに乗車しましたが、こんな事なら駅の売店でお握りを買えば良かったです。
時間を無駄にしてしまいました。




(10:14)
タクシーの車内です。
国道142号線を走って貰いました。


町屋敷バス停

(10:17)
タクシーのメーターが100円毎に上がっていきました。
手元に有った札が2,000円でした。
ドライバーに2,000円で行けるところまで行ってと告げました。
走行していると、バス停が有り、道が広くなった場所が見えましたので、ここで下ろして貰うよう頼みました。
その時の料金は1,800円でした。



歩き始めです。
まだ、この辺りは歩道が有りました。


五十四里塚

(10:37)
一里塚ですが、企業の敷地内を通らせて貰い、ここへ来ました。
この一里塚の場所が行き止まりになっていました。
来た道を戻りたくなかったので、斜面をよじ登り、国道に出ました。





斜面を上がって来て国道に出ました。
そして、国道142号線の歩道を再び歩きました。




(10:51)
中山道の指示標識。
手摺で字が読め亡くなっています。
上の補助標。
峠に向うのに数字が減って行き、残りがどれ程なのか判りました。



中山道石碑

石碑を寄せ集めたような場所です。
日本橋から碓氷峠、笠取峠、和田峠を経て五十四里。塩尻峠、木曽路を経て京都まで七十八里と書かれています。


樋橋茶屋跡

(11:13)
道路を隔てて、樋橋茶屋跡の表示が見えます。


水戸浪士の墓

国道142号線からはずれ、水戸浪士の墓に来ました。
天狗党の水戸浪士が京を目指しました。
そして、ここで合戦が有りました。





(11:35)
国道142号線。
車が間断なく走ります。
激しく車が行き交う道路。
そんな道路の隅を歩きます。
長門は長門町を表します。長門町と和田村が合併して長和町になりました。
長門町までは行かないが、相当な距離が有ります。



前の方から坂道を駆け下りて来る人がいました。
少しだけ言葉を交わしました。
和田峠の下からスタートして塩尻までを走ると言っていました。



(12:15)
国道から離れ、山道に入って行きます。




この道。
この辺りは幅の広い道で歩き易かったです。
でも、高度が上がるに連れて道幅が狭くなっていきました。





峠まで、2.4キロ。





西餅屋一里塚跡

(12:34)
ひっそりとした一里塚の石碑。
上に見えるガードレールが国道です。





国道を横断しました。
峠まで1.8キロと表示しています。


西餅屋茶屋跡

(12:41)
西餅屋茶屋跡です。
左下の西餅屋復元図には四軒の餅屋が描かれています。
中山道の両側に四軒の餅屋が載っていました。





人、一人が通れるほどの道幅になりました。





峠まで1.4キロです。


減少していく指示標識の数字
上の画像に有るような指示標識が何箇所も設置して有りました。
五十四一里塚から斜面を這い上がって、最初に目にしたのが5.8km。の標識です。是より前にも有ったのかも知れません。
この後、5.4km。5.0km。2.7km。2.4km。2.2km。2.0km。1.8km。1.6km。1.4km。1.2km。1.0km。0.8km。0.6km。0.4km。0.2km。と段々数字が減ってきた標識を目にしました。5.0からいきなり2.7と減少しました。見落としたのか、違う場所に設置して有ったか何れかです。
とに角、数字が減っていく。
峠が近付いているのを実感できました。





(13:12)
草が伸び放題になっている道。
街道と言うより登山道と言う感じがします。






前方から自転車を押しながら降りて来る男性と出合いました。
今日は望月宿から来たと言っていました。
そして、この後、下諏訪宿に向うと言っていました。
何処から来たのかと聞くと、岐阜県からだと言いました。
私も岐阜県です。岐阜県のどちら、と聞くと、本巣市だと話しました。
こんな場所に来て、同じ県の人に出会うなんて、と言う気がしました。

彼が乗っていたのは折畳み自転車です。
折畳み自転車をバスの車内に持ち込む事が出来ないので、宅配便で支店留めで送り、乗ってきたと言っていました。
詳細は聞かなかったのですが、日本橋からスタートして、続けているようでした。
彼から得た情報ですが松井田へ高速バスが来て居ると言う情報を教えてくれました。それなら、この先だから利用しない手は無いと思いました。



(13:46)
峠が近付いてきました。
指示標識の柱に「第一の曲がり」と表示しています。
ここから7つの「曲がり」が有り、九十九折れの道になっていました。


和田古峠

(13:49~14:10)
峠の頂部まで登ってきました。
ここで遅めの昼食です。
お握りにパク着きました。




(14:12)
和田峠からの下り道。
峠からスタートしました。
こちらの道は幅が広いです。





ビーナスラインを横切ります。


コルゲート

(14:27)
ビーナスラインを横切るのですが、この箇所はコルゲートで道路の下を抜けます。
ビーナスラインが高度を稼ぐためジグザグになっています。

道路を2回横切り、地下道を1回通り抜けました。






コルゲートの中から外を見渡しました。
足元には川が流れています。


東餅屋立場跡

国道142号を歩いて来て目に入ったのが、この店。
力餅の看板も有ります。
この餅屋を検索してみると、かつては餅が食べれたが、何年か前に廃業したみたいです。





(14:43)
国道沿いに有った餅屋から歩き出すと、道は林の中に入っていきました。
谷筋になっていて、横を渓流が流れています。




接待所

(15:10)
中山道が着いては離れる道。
下って来て、接待所まで着ました。





廃車になった車が見えます。
近くに道路が無いのだが、ここまでどのようにして来たのだろう。



三十三体観音

(15:31)
三十三体観音。その先には避難所が見えます。



和田峠入口

(15:35)
和田峠の登山口まで降りて来ました。
歴史の道の標識が設置して有ります。


扉峠口バス停

142号線を歩いて来て、歩いて来た方向に振返りました。
バス停が有りまして、扉峠口となっています。
扉峠を探してみますと、美ヶ原の手前でした。
長和町と松本市との境界です。


鍛冶足信号交差点

(16:42)
国道142号線から分かれ、和田宿に向かいます。





和田宿に入って来ました。
宿場の道らしい感じがします。



和田宿高札場跡

高札場が有った場所。
説明板が設置して有ります。




(16:59)
宿場の中心部に来ました、





米屋鐡五郎。
店は閉まっていますが、何の店だろう。
食堂のようでした。
店のスタイルから、凝った和食が主かと思いきや何とガレットがメイン。と有ります。
営業時間が17時までとなっていますので、店を閉めたのでしょう。


和田宿本陣

和田宿本陣です。
立派な建物です。
この本陣には2013年6月2日に訪れています。
皇女和宮の降嫁について説明して有りました。





和田宿の行燈的なモノが、町内に何基か有りました。





(17:03)
かわちや。
歴史の道資料館となっています。

17時を過ぎた時間になり、薄暗くなり掛けて来ました。
民宿 みや に連絡して迎えに着てもらいました。




民宿みや

(17:17)
民宿みやに着きました。




今日の歩数と歩行距離です。
歩き始めはタクシー。
そして、終りには迎えを頼みました。




民宿みやの夕食です。

和田宿に「本亭旅館」が有りましたが、何年か前に廃業してしまいました。それで、宿場間の距離が長くなり、中山道を歩くには民宿みやに泊まらなければなりません。
私以外の宿泊客は工事などの関係で滞在している人たちでした。



感想
平地を歩く時はウオーキングシューズで、和田峠を越える時は登山靴を使用しました。歩き出した町屋敷の標高が1,000m程で、和田峠は1,600m余りです。一山越えました。良く歩いたなと思います。
かつて国道142号線を走った時、水戸浪士の墓があるのを見かけました。今回、歩いてみて天狗党と松本藩高島藩連合軍が戦ったのだと知りました。歴史を知る事が面白いです。


今日の経費
JR那加駅からJR下諏訪まで4,000円 特急券2,160円。
カップコーヒー 120円
お握り 319円
OQ絆 350円
お茶、菓子等  684円
タクシー 1,800円

               合計 9,433円

kオジサンの中山道旅日記  その18
10月14日(日) 曇時々雨後晴 民宿みやから佐久ホテル まで  へ

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本巣市根尾の山  倉 見 山 (926.7m)

2018-10-10 23:54:02 | 弐水会

弐水会の10月例会で本巣市根尾の倉見山に行って来ました。この山、今の時期は、コレと言った特徴の無い時期でした。登る途中にイワウチワかイワカガミなのか、葉を見かけたので春の時期なら花が期待できるでしよう。高度が増して来ると落葉樹の林に変わりました。紅葉の時期なら視界が良さそうだと思いました。
この倉見山。なんと言っても、登山後に温泉が楽しめる事が好いです。
湯に浸かり、ゆっくりしてきました。


うすずみ温泉の東側の駐車場に着きました。
見えるのが倉見山の方角です。
山頂は見えませんが、これから登る山の形は判ります。




(09:17)
準備運動を済ませて登り始めました。




水源地の中へ立ち入ります。
フェンスは開いていて何時でも入れそうです。




ここが登山口です。
18/18のマークがついています。
スタート・ゴールと書かれています。






17/18の標識まで行く途中、登山口のしるしが有りました。
こんな中まで入ってきて、登山口の標示を目にするより、もっと入口近くに設置すべきだと思うが、如何なものだろうか。




17/18の標識。
ここからが本格的な山登りとなります。




登り始め。
この辺りは人工林です。
このシーンは緩やかですが、ジキに急登となりました。




15/18と12/18。
所々にこのようなプレートが貼り付けてあります。
17から15になってしまいました。16は見落としたのでしょう。
番号が段々、減って行きます。
どれ程の高さまで登って来たのかが判ります。




高度が増してきて、人工林から自然林に変わってきました。





3/18を過ぎた辺りです。
もう、山頂はすぐ近くです。




山頂に到達です。





(11:11)
山頂。
真新しい山頂の標識が有ります。
4月に登った大茂山にもこのような山頂標識がありました。
本巣市は本巣7マウンテンとして、7山を売出し中のようです。




山頂でランチタイムでした。
昼食を食べ終わる頃に雨が降ってきました。
急いで、雨ガッパを着ます。



山頂に長居はせず、早々に立ち去ります。




山頂付近に有った表示。
見難くなっていますが、概要は判ります。




尾根を下ります。
右が人工林。
左は天然林である事が良く判ります。




17/18の標識まで下りてきました。
用水路が有りますが、今の時期。水は流れていません。




うすずみ温泉が見える所まで、出てきました。




下山後。
うすずみ温泉で汗を流しました。
登山後の温泉は、スッキリして気持ちが好いです。
温泉に入って、帰る頃には本格的ナ雨降りになっていました。

午後から雨が降るのは確実な空模様でした。
そんな、雨模様でもシッカリとは、降られなかったので良かったです。


感想
今日、登った倉見山は、余り特徴が有る山とは言えません。
それでも、本巣山人の会が着けたプレートは有り難いと思いました。
特徴が無い山では有りますが、春の花。秋の紅葉の時期には好いでしょう。
今回は特徴が無い時では有りましたが、ワイワイガヤガヤと喋りながら登る山。
共通の話題で話が弾み、楽しめました。この雰囲気が好きです。
※倉見山の標高。山頂の標識では926.8mとなっていますが国土地理院の地図では926.7mとなっていますので、926.7mとしました。

 

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一宮友歩会・第76回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・二之枝川編 Part1 扶桑町・江南市を歩く

2018-10-06 23:02:55 | 一宮友歩会

一宮友歩会の10月例会に参加しました。今回は二之枝川の河川跡を歩くもので、名鉄木津用水駅が集合場所で名鉄江南駅がゴールでした。
木曽川は幾度も氾濫を繰り返し、川の姿を変えてきました。その川がかつて流れていた二之枝川の川筋跡を訪ねました。
今回は、その川に関連して、治水史研究家の安井から講義を受けました。そして江南市在住の伊神権太さんからも講義して貰いました。今回は歩くだけでなく、講義を受け、知識を深める事が出来ました。

名鉄木津用水駅(スタート)  ― 白雲寺  ― 木津用水宮田用水分岐  ― 扶桑緑地  ― 
山那の渡し跡
 ― 小渕の渡し跡 ― 般若用水元杁跡 一 江南短期大学 ― 
古知野神社 ― 江南駅(ゴール)



今回、歩いたコース地図です。






白雲寺で出発式を行っています。
集合は木津用水駅でしたが、適当な場所が無く、白雲寺の境内をお借りしました。




出発です。




白雲寺から東へ歩くと、木津用水に当たりました。
木津用水に沿って上流に向かいます。




木津用水と宮田用水の分岐です。
犬山頭首工で取水された水がここで分かれます。




犬山緑地に来ました。
この辺り、ウオーキングに最適なコースとなっています。




犬山市と扶桑町の境界辺りです。
堤防に常夜灯があり、道沿いには説明が設置して有りました。




安井さんが宮田用水の取り入れ口について説明しています。




説明板です。






堤防に上がりました。





こちらは般若用水元杁跡です。






安井さんが般若用水元杁跡の説明をしています。





木曽川から分かれ、二之枝川の川筋跡を歩き出しました。




田の中の道。
稲が実ってきています。




江南短期大学へ来ました。
アノ建物。もくれん館と言う建物で、食堂をお借りします。





昼食後。安井さんの講義です。



講義の資料です。




引き続き、伊神権太さんからも講義ヲ受けました。




伊神さんの講義の資料です。





江南短期大学を出て、再び二之枝川の川筋跡を歩きました。
現場でナマの説明です。




更に下流に向かって歩きます。
横の川は般若川です。





般若川の横を歩いています。
下流に来て、川幅が狭くなりました。




江南駅に着きました。
途中から雨が降り出し、地面が濡れています。



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