名鉄の日帰りバスツアーハイキングで美ヶ原へ行ってきました。タイトルで掲げた山ですが、美ヶ原は前々から行きたいと思っていた山で、バスツアーに参加しました。開催日は8月29日30日31日の三日間となっていましたが、秋雨前線の影響で天候が思わしく無く、参加申し込みをするか否か迷っていました。前日に天気予報を調べましたらの、降水確率は30パーセントとなっていたのです。満席で断られるのを承知で、駅へ申し込みに向かいましたら、席に余裕があり参加する事が出来ました。
参加者が何名居たのか判りませんが、バス2台でした。60~70人ほどの参加者だったのでしょう。歩き易いコースなのだからでしょうか、女性の参加が多かったです。
帰りに添乗員が三日間の開催でしたが、今日の天気が一番良かったです。初日も悪かったですし、二日目も悪くて王ヶ頭のアンテナが全く見えませんでしたと話していました。
そんな天候が続いた中で、私たちの日は眺望に恵まれてラッキーでした。それに、王ヶ頭から山頂の隠れた富士山を望めたのもラッキーでした。帰路、戻って来る時に雨がパラ着きました。それでも、マズマズの天気で良しとしなければなりません。
美ヶ原高原美術館(11:44) ― 牛伏山(11:59~12:01) ― 山本小屋ふるさと館(12:10)
― 美ヶ原高原ホテル山本小屋(12:14) ― 美しの塔(12:23~12:28) ―
塩くれ場(12:35) ― 王ヶ頭ホテル(13:03) ― 王ヶ頭(13:05~13:10) ―
王ヶ頭ホテル前(13:15~13:31) ― 塩くれ場(13:58) ― 美しの塔(14:05) ―
ふるさと館(14:15) ― 美ヶ原高原美術館(14:35)
主催者から渡された地図です。
美術館から王ヶ頭までをピストンしました。
名鉄バスセンターに着きました。
先客が5人ほど待って居ます。着いた時間が7時5分です。少し早く着きました。
本日はバス2台の運行だと話していました。
車内は満席ではありません。
1号車は30人余りで7時30分頃に発車しました。
バスが中央高速を走ります。
車内は女性が多く、8割ほどが女性でした。
バスは国道142号線から分かれて和田峠を目指します。
峠に向かう道。中仙道が見えました。
途中。142号線沿いで、車窓から水戸浪士の墓と言う指示標を目にしました。
天狗党が京へ向かう時に命を落とした人の墓でしょう。
バスがビーナスラインを走っていくと、前方にアンテナ群が見えました。
もう直ぐ、美ヶ原高原美術館に着きます。
高度が高いので、雲が下に見えます。
どの辺りでしょうか。下界が見えます。
美ヶ原高原美術館へ来ました。
既に到着しているバスが居ました。
既に到着していたバスは豊橋鉄道のバスでした。
豊橋鉄道と共同開催だと添乗員が話していました。
山に登る仕度をして歩き出しました。
木道の階段を登っていきます。
緩やかな登り道です。
あの、先が牛伏山です。
高度が上がり、勾配が緩くなりました。
風が強かったです。
撮影した時は気付きませんでしたが、木が風に吹かれて枝が横向いています。
今回のタイトルに上がっていたマツムシソウ。
何枚も撮影しましたが、上手く撮れたのは僅かでした。
沢山のマツムシソウが咲いていました。
牛伏山の山頂に来ました。
美ヶ原高原ホテル山本小屋が見えます。
そして、小さく美しの塔も見えます。
右側には王ヶ頭のアンテナ群も見えます。
アンテナ群をアップで。
地図記号では7本のアンテナが有る事になっています。
遠くから見ると6本になったり5本に見えたりします。
この角度から見たアンテナ群は西洋の塔が有るお城のように見えました。
山本小屋ふるさと館の前を通過します。
砂利の道を歩きます。
前方に美ヶ原高原ホテル山本小屋が見えて来ました。
美しの塔が見えます。
草を食む牛たち。
乳牛、向こう側には黒毛和牛が居ました。
美しの塔の場所まで来ました。
この角度が多く撮影される角度です。
記念撮影するグループ。
誰でも、ここで記念写真に納まりたい場所です。
私も記念写真。
シャッターを押してもらいました。
塔の下に入ってみました。
左はワイヤーで引くと鐘が鳴ります。
右は下から鐘を見上げました。
大抵の人はこの塔を外から眺め、王ヶ頭に向かって行きます。
そして、少しの人が鐘をつきます。
写真を撮った時は気づきませんでしたが、改めて見てみて、落書きが有るのを発見しました。
美しの塔は美ヶ原のシンボルです。大切にし、落書きは謹んで貰いたいものです。
塔にはめ込まれた銅版。
「美が原」の詩が書かれています。
詩人。尾崎喜八の名が刻まれています。東京に棲んでいて終戦後長野県に移り棲んだと有ります。
前方へ続く道。
柵の中には放牧された牛たち。
アンテナ群が近付いてきました。
電柱を見かけない、スッキリとした道です。
道の所々にこのような表示が有りました。
電線を地中化して景色を壊さないように配慮されて居ます。
アンテナ群の近くに来ました。
有刺鉄線の向こう側。
松本の街が見下ろせます。
道が、これまでよりもキツくなりました。
アンテナ群はもう直ぐです。
後ろを振り返ります。
歩いて来た道が見えます。
王ヶ頭ホテルの近くまで来ました。
見かけた、テレビ局のタワー。
長野放送とテレビ信州と有ります。
恐らく、NHKのタワーも有ったのでしょう。見つける事が出来ませんでした。
この他にNTTなどのタワーも有るのでしょうか。
王ヶ頭ホテルの前まで来ました。
指示標識。
王ヶ頭までは、もう直ぐです。
王ヶ頭へ到着しました。
先ほど、前を歩いていて二人が記念撮影をしています。
王ヶ頭から見えた富士山。
山頂が雲に隠れて残念ですが、富士山が見えただけでも、良しとしなければなりません。
富士山の手前の草の山は車山です。
山頂の小さな点はレーダーサイトです。
美ヶ原の王ヶ頭から富士山が見えました。この状況だと車山からも富士山が見えるのでしょう。
王ヶ頭に有った美ヶ原のコース図。
今回は美術館から歩き始め、簡単に来る事が出来ました。
色々のコースが有り、それらのコースを辿ってみるのも面白いでしょう。
大きな美ヶ原高原の表示板。
これから美術館に向かって戻ります。
前を歩く二人。
余り、歩く人を見かけませんでした。
戻って行く方角。
あの丘のような山を目指します。
塩くれ場付近です。
前を歩く二人。
コチラの二人とは、追い越したり追い越されたりしました。
黄色の服なので、良く覚えています。
この辺り、遠くまで見えますが、雨がパラ付いていました。
美しの塔の横を通過して行きます。
牛伏山の山腹まで戻ってきました。
ここで、アンテナ群とはお別れとなります。
牛伏山から下っていく木道階段。
前方に美術館の野外彫刻が見え出しました。
美ヶ原のハイキングコースの入口に戻ってきました。
駐車場には1号車と2号車が待っていました。
1号車の車内には20名ほどの人が乗って居ました。まだ、出発時間に余裕があり、多目的トイレで着替えて乗車しました。1号車で向かいまして、3時頃に出発した1号車で戻って来ました。
美ヶ原を3時間未満の歩行でしたが、楽しめました。
バスは往路で4時間余り。復路でも4時間余りの時間が掛かりました。歩いた時間が3時間余りですから、バスに乗っている時間の方が長いです。それでも、このようにバスで連れて行って貰える事はありがたいことです。
今日が三日間の中では一番天候に恵まれた日だと言われました。王ヶ頭から富士山が望めた事が良かったです。2015の夏山を締めくくる山登り。楽しむ事が出来ました。
美ヶ原は簡単に登れてしまうと言うイメージでした。王ヶ頭で見かけたコース案内図には色々のコースが書かれていました。下から登ってみるのも面白いかもと思いました。
美ヶ原は100名山の1つに数えられています。100名山の中では一番簡単に登れてしまう山なのでしょう。
「各務原歩こう会」の8月例会で北アルプスの小遠見山に行ってきました。小遠見山は五竜岳への入口となる山で、10.07.05に名鉄のバスハイキングに参加して登った山です。以前に登った事のある山でして私が先頭に立ちました。
各務原から白馬までの距離が往復500キロを越え乗務員が2人体制での運行となりバス代が高くなっています。今回の会員の参加は18名でした。少しでも個人負担が安く収まればと、他会員お2人のゲスト参加をいただき20名での実施となりました。
エスカルプラザ(9:50) ― テレキャビンとおみ駅(9:54) ― アルプス平駅(10:07) ―
リフト乗り場(10:13) ― リフト降り場(10:23~10:15) ― 地蔵沼(10:41) ―
登山口入口(10:45) ― 見返り坂(11:02~11:06) ― 一ノ背 髪(11:27) ―
二ノ背 髪(11:45) ― 小遠見山 山頂(11:53~12:30) ― 一ノ背 髪(12:49) ―
登山口入口(13:25) ― 地蔵の頭(13:28~13:33) ― リフト降り場(13:47) ―
アルプス平駅(14:15~14:33) ― テレキャビンとおみ駅(14:42) ― エスカルプラザ
朝、各務原市を5時01分に出発しました。そして、各務原に帰着したのが20時30分頃でした。言うならば、アルプスの日帰り登山です。小遠見山は、位置的にはクロヨンダムよりも北の位置です。帰路に事故渋滞に遭遇して戻るのが遅れました。
初心者でも味わえる、お手軽北アルプスでした。
バスの車内でH先生が喋っていました。かつては、特急で名古屋から松本まで来てその後に大糸線で白馬方面に向かった。丸で一日掛りだったと。そんな時代の事を考えると、今は便利な時代に代わりました。
山頂から360度の眺望が得られるはずでしたが、ガスが掛かり視界が悪かった事を残念に思います。
10.07.05の時に名鉄バスツアーに参加し、主催者から配布された地図です。
バスがエスカルプラザに到着し、装備を整えて建物の中に入ります。
エスカルプラザを通り抜けると前面にゴンドラが見えます。
あのゴンドラに乗り、一気に高度を上げます。
山麓駅である、とおみ駅です。
あそこからゴンドラに搭乗します。
ゴンドラは8人乗りですが、一杯には詰め込みません。
1台に5~6人程度の人数でした。
乗ったゴンドラが一気に高度を上げていきます。
眼下に山麓駅、そして乗ってきたバスも見えました。
山上駅であるアルプス平駅に到着です。
続々と下車してきます。
アルプス平駅ですが、アルプス360と言うレストランを併設しています。
山上駅からリフト乗り場に向かいます。
この辺りにはクガイソウ、ヤナギラン、シモツケソウなどの花が咲き乱れています。
ここからペアリフトに乗ります。
ペアリフトの左手が高山植物園です。
このリフト。
冬期と夏季では、ワイヤーケーブルの張られる位置が異なります。冬は高い場所で夏は低い場所。
冬に低い位置だと、雪で障害が出てしまうのでしょう。
夏は低い位置で花々が真近に眺めれます。
8月14日の「所さんのそこんトコロ」で、このリフトの高さを下げる作業を紹介していました。
夏の季節の前の調整作業です。
レポーターはダンディです。鉄柱の高い場所に上がっていました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/sokontokoro/backnumber/150814_b.html
冬は雪があり、高い位置で運行し、夏は低い位置で運行する。
低い位置だから、高山植物が近くで見れます。
ペアリフトで上のリフト降り場に向かいます。
上のリフト降り場に到着します。
リフト降り場に着き、広場で準備体操をします。
さー、小遠見山を目指します。
これから出発です。
小遠見山は2,007メートルです。ここは1,640メートルほどの場所ですので、400メートルほどを登ることとなります。
初めは緩やかな木道を歩きます。
私の前を歩いていた子供たち。
この辺りは遊歩道的な木道で、誰でも歩けます。
少し勾配が急なところもあります。
熊除けの鐘。
子供たちが叩いています。
登山口入口の指示標識です。
この先の道は登山道となりますので、スニーカーなどの観光客は、ターンするかここから地蔵の頭を目指すこととなります。
登山口入口を過ぎて本格的な登山道となりました。
勾配が有る坂を進みます。
木陰で一休み。
樹間に地蔵の頭が見下ろせます。
見返り坂でも、休憩を取ります。
遠くに地蔵の頭が見えます。
ご夫婦が休憩していました。
ご主人の頭越しに地蔵の頭をアップで。
急な登り坂を登ります。
先頭を歩くKオジサン。
二ノ背 髪を過ぎると勾配が緩くなり、歩き易い登山道となりました。
小遠見山の頂上に到達です。
小遠見山からの眺望はガスのため視界は良くありませんでした。
それで、サーと雲が切れると山肌が見えます。
アキアカネが乱舞と言う感じです。
五竜岳方面から下山して来た若い人たちのグループ。
言葉を交わしましたが、白岳からアップダウンを繰り返してここまで降りてきたと話してくれました。
このグループ以外でも若い人たちとすれ違いました。
ここのような雰囲気。
全国区の山だと言う気持ちにさせてくれます。
ガスが掛かり五竜方面の眺望が利きません。
山の上部は見えませんが、沢の万年雪は確認できます。
ガスが薄くなり、少しだけ山の形が見えます。
もっと、はっきり見えなくて残念です。
山頂からの眺望
山友の仁べえサンが8月8日に一ノ背 髪までご家族で登られました。
仁べえサンから提供を受けました画像を貼ります。
五竜岳・唐松岳・八方尾根・白馬三山・小蓮華山・白馬乗鞍パノラマ
五竜岳・唐松岳
白馬三山(白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)
私たちの時は五竜方面を望む事が出来ませんでした。
山の眺望には、運不運が付きまといます。
このように好天に恵まれて、羨ましくも有ります。また、画像を提供してもらえ感謝しています。
自分たちの登った時に眺望が悪く、山友の時は眺望が良かった。
となると、また、登ってみたいという気持ちに結びつきます。
昼食時間を終え、下山に掛かりました。
降りて来て、山頂方面を振り返ります。
地蔵の頭が見える所まで下山して来ました。
もうすぐ、地蔵の頭です。
地蔵の頭にはお地蔵サンが安置して有りました。
地蔵の頭から見える山々の説明プレート。
晴れていれば360度の視界が広がる所でした。
下にリフトの降り場が見えます。
リフトの降り場。ここからは高山植物園の中を歩きます。
高山植物園の中は自由行動とし、アルプス平駅に集合としました。
木道を思い思いに歩いていきます。
高山植物園の中。
何と言う花だろうと説明板の目を向けます。。
コマクサ。
砂礫の中でなく、岩礫の中なので、人工的に増殖させたものだろうという声が聞こえました。
集合場所。
アルプス平駅です。
ここで、待ち、全員が揃ってゴンドラに乗ります。
人員が揃い、ゴンドラ乗り場に向かいました。
駅の所へ来て、Kサンが乗車券を無くしたと言い出しました。
搭乗しようとした時、係員に乗車券を紛失したと述べたら、いかにもアッサリと、好いですよと言われてしまった。グループで行動しているので、それでOKを出したのでしょう。
Kサンは自分で下りのキップを買うと覚悟したのです。
キップに通し番号が刷られており、Kサンが何番だったのかは判りませんが、団体で乗車券を買い求めたことは立証できたと思います。
それにしても、係員がスンナリ通してくれたのは有り難かったです。
テレキャビンで山麓駅に降りていきます。
高山植物たち
青いケシを見かけましたが、もう、シーズンの終りで形が崩れかけています。
ニッコウキスゲも最後の1輪でした。
ピンボケでしたが、ホツツジと言う可愛らしい花の名を覚えました。
掲げた花以外にも色々の沢山の花に会えました。
今週もあづみ堂。
安曇野インター近くのスワンガーデン安曇野に寄ります。
先週、燕岳の帰りに寄ったあづみ堂。
会員の希望があり、今週も帰路に寄りました。
左のチケットは正規料金から100円引いてくれるものです。
私も、アルペンペアリフトのサイトを見ましたが、割引券を見つけることはできませんでした。庄チャンがこの割引券を持ってきてくれたのです。1枚で5名が割り引かれます。全部で20名分です。100円ですが20人で、2000円割引となりました。持って来て貰え有り難かったです。
右は今回の総費用です。20万円余りの金額となりましたが、1人1万円を集金しました。
オーバーした分は会の本会計で補います。
最後に
今回の山は高い所までゴンドラとリフトに乗り、簡単にいけるという計画でした。それでも、登山口から二ノ背 髪までは勾配がキツイ山でした。
この日、集合時間して出発する時間が朝の5時となっていました。集合場所へ5時01分に来たA子さん。着いて、早々みんなに詫びていました。目覚ましをセットして置いたが寝過ごしたと話していました。
帰路。アルプス平駅にストックを忘れてきたKさん。下山して来てストックを忘れてきたことを思い出し、駅に連絡して、下へ回送して貰えました。
帰りの道は順調に高速を走る事が出来たのですが、松川-飯田間で事故渋滞が発生していました。でも、事故現場あたりに事故車両が見当たりませんでした。それでも、ノロノロ運転でイライラさせられました。
今回の山行の費用が1万円に抑えられ、どうにか事故が無く行って来る事が出来てヤレヤレと言う気分です。
雨に降られなかっただけでも、良としなければなりませんが、折角登った山です。山頂からの眺望を望みたかったですが、ガスが掛かっていて残念でした。
それでも、山友から画像の提供やデジブックの許しをいただきました。
嬉しいことです。
本隊は燕山荘に泊まり、分隊は中房温泉に泊まるという別行動となりました。分隊は中房温泉で、本隊の下山を待つこととなります。本隊の到着は12時頃の見込みです。8時ころA会長から、これから合戦小屋を出ると連絡がありました。
昨夜、会長へ中房温泉に到着した時、無事に到着した旨を連絡しておきましたので、双方の連絡が通じるようになっていました。中房温泉のチェックアウトは10時です。それまでには時間はタップリ有ります。温泉の周囲を散策したりして時間を潰した後、登山口で本隊の下山を待ちました。
中房温泉
中房温泉の地図です。
中房温泉と言う1軒だけの温泉宿だと思っていました。1軒だけの温泉でありますが、何棟もの宿が有りました。それに温泉が色々と各所に有りました。
宿の食堂です。
早朝に出発していったグループが多く、残った少人数の人だけになりました。
ごく、普通の朝食です。
中房温泉には、何箇所も温泉があります。
こちらは不老泉です。
源泉が流れ込む形の温泉です。
夕べ、入りました。
入口に男性と女性のマークが付いていませんでして、どちらから入ればいいのか判りませんでした。入ってみて男女混浴だという事が判りました。女性が入って行って、先に男性が入っているとビックリというケースも有るのではと思ったのです。
裏山へ
こちらは中房温泉の正面です。
これから裏山を散策します。
中房温泉から「山」の方角を見上げます。
これから裏山の散策に向かいます。
パイプに留まった蝶。
ジャノメチョウの仲間でしょうか。
湯元大弾正と言う源泉です。
ここから樋を伝って湯が流れていきます。
湯元大弾正で湧き出る湯。
沸騰していて、見るからに熱そうです。
裏山を登ってきて、少し高度が上がりました。
宿を見下ろせます。
登って来た所が焼山と言う場所です。
裏山を周回できるようになっていて、その指示標識。
それに、焼山では地熱を使って調理ができます。そのためにスコップが設けて有ります。
砂地の場所です。
熱そうで湯気が出ています。
地熱を体感できるようにムシロが用意されています。
本館に戻ってきました。
2体の胸像が据え置かれて居ました。百瀬親子のもので、裏には文政4年に開業したと有ります。国に収容され、行政訴訟で勝ち取ったと書かれています。
「湯原の湯」の前で本隊を待ちます
中房温泉を出て「湯原の湯」で本隊の到着を待ちます。
分隊が待っている間、続々と個人や団体が下りてきました。
11時11分。本隊の到着です。
嬉々とした表情で下山して来た人。疲れた表情の人。ヤレヤレという顔のの人。下山して来てホットした顔の人もいます。
カメラを向けると、好い表情の人もいましたが、残念ながら上手く写せていませんでした。
表情は違っても、誰もが、山に登ってきて満足そうです。
「湯原の湯」で昼食としました。
先にカレーの昼食を取り、その後に温泉に浸かりました。
岩の露天風呂でしたが、沢山の人が入り、混雑していました。浴槽はそれなりの大きさが有りましたが、洗い場が5箇所しかありません。洗い場を使うのに列が出来、待ちました。前の人が洗い終り代わります。その時若い人だったのですが、「お待たせしました」と声を掛けてくれたのです。いまどきの若い人からこのような言葉を聴き、嬉しく思いました。
帰路に着きます
バスは中房温泉を後にします。
下っていく道路ですが道幅が狭い道です。
大王わさび農場へ
大王わさび農場に立ち寄りました。
大王わさび農場百年記念館。
3年ほど前にもここへ来ましたが、このような建物はありませんでした。
まだ、最近出来たような記念館です。
開館のお祝いでしょうか。コチョウランが並んでいます。
コチラの案内板にも記念館が載っていません。
わさび農場の中心地的な場所です。
広がるわさび田。
ソフトクリームを買い求めるために列に並びました。
これが山葵ソフトです。
それ程山葵の味がするというものでは有りませんでした。
豊富な水の流れる蓼川です。
ボート遊びに取り組んでいます。
子供たちは水に入って・・・・。
こちらは大人。
水に浸かったりりはしません。
水車と川の景色。
写真の題材としてぴったりで、撮影します。
ボートが2隻となりました。
ボートに乗る順番を待つ人たち。
ボートに乗っている時間はどれ程なのでしょう。何人かの人が待っています。
こちらはわさびを販売するコーナー。
おネーさんに勧められて山葵を買いました。
夏の安曇野です。
遠くの塔はスイス村です。
あづみ堂に寄りました
次に寄った場所はあづみ堂。
安曇野インター近くのスワンガーデンの一角に有るお焼きと漬物の店です。
色々のお焼きが並んでいます。
店内。
お焼きを取り、精算の列に並びます。
私が選んだお焼きです。
店内に大きな囲炉裏が設けてあり、炭火が起こっています。
お茶がいただけ、自分でお焼きを焼いて食べる事が出来ます。
「湯原の湯」で温泉に入った後、それぞれが缶ビールや缶チューハイを買って、表のベンチで小休止しました。男性ばかり5~6人でテーブルを囲みました。私が口にしたのは本隊の行動です。起床時間は3時半でその後、燕岳に向かいご来光を眺めたのだと教えてくれました。男性がわざわざ私のところに近寄ってきて、デジカメのモニターを見せてくれました。
雲海から太陽が登り始める画像でした。山に登れ無かっても、山の表情はこんなモンだったよと見せてくれました。その行為を嬉しく思いました。私たちはゲスト的な立場でしたが、もう、1会員としての扱いの雰囲気でした。
このような事柄からも、参加させて貰って良かったと思っています。
燕岳を目指していて、合戦小屋からの下山となってしまいました。途中から引き返したわけですが、それでも全国区の山の雰囲気を味わえました。また、初対面の女性とスイカを半分コしました。そんな状況で好い思い出が出来ました。
気の毒なのはSサンです。登って行く時に気分が悪くなり、最悪の状態だったのだろうと思います。早期に回復されることを願っています。
弐水会から燕岳へ登る誘いを受けました。弐水会は毎月第2水曜日を活動の日と決めて山に登っている会です。今回は燕山荘の山小屋で1泊します。山小屋で泊まるのは、何時以来だろう。山小屋に泊まったのは記憶に無いほど昔のことです。
そんな状態ですので、お誘いを受けたことがとても嬉しかったです。
この日の参加者は男性が11名女性が10名で、合計21名の団体です。早朝に各務原市をバスで出発して北アルプスの登山口、中房温泉を目指しました。
体調を崩した人が出て、本隊とは別行動をした分隊です。
分隊のコースタイムです。
燕岳登山口(10:27) ― 第1ベンチ(11:15~11:24) ― 第2ベンチ(11:53~12:03) ―
第3ベンチ(12:43~13:08) ― 富士見ベンチ(13:50~13:55) ― 合戦小屋(14:39~15:26)
― 富士見ベンチ(15:47~15:56) ― 第3ベンチ ― 第2ベンチ(17:02) ―
第1ベンチ(15:29~15:31) ― 燕岳登山口(18:04~18:10) ― 中房温泉(18:15)
これから北アルプスに向かうバスです。
早朝、5時21分。
全員で21名です。
朝が早かったので、皆さん。眠りに包まれています。
バスは安曇野ICで高速から降り、北アルプスの登山口を目指します。
あの富士山に似た形の山は有明山です。
Hさんは、あの山を有明富士と言うのだと話していました。
中房温泉の登山口が近付いてきました。
駐車場には、平日にもかかわらず沢山の車が停まっています。
恐らく、日本全国のナンバーにお目にかかれる事でしょう
バスが中房温泉の駐車場に着きました。
各自、自分のザックを持ち登山口に向かいます。
登山口で、登山開始の前の準備運動です。
これから山道を歩きますので、念入りに脚のストレッチをしました。
燕岳の登山口。
ここから登りに掛かりました。
左側の画像で映っている建物は、中房温泉の「湯原の湯」で、日帰り立寄り湯です。この温泉の前を通過していきます。
右側は燕岳の登山口の指示標識です。燕岳への入口となります。
登り始めて、直ぐに急な上り坂となります。
急な登山道を登ります。
まだまだ、登り始めたばかりの段階です。
必死で登るKオジサンの後姿です。
急な登りが続きます。
やっと、第1ベンチに着きました。
素敵な表情の母娘。
このように親子、一緒に登る姿には、微笑ましいものがあります。
許しを得て、撮影させてもらいましたが、プライバシーの関係でモザイクをかけました。
お嬢ちゃんが、誰にも見て貰いたくなるような良い表情をしてくれました。
第1ベンチを出発しました。
こちらは男の子二人の家族連れです。私たちが登りますので、道を譲ってくれています。
先ほどは、女の子二人を連れた家族連れを見かけました。
家族で登り、下山して来た訳ですが、子供たちがこのような登り道を良く登ったと思います。
このように家族一緒に山登りができるのは好い事ですね。
隊列で登ります。
下山して来る人が、待っていてくれます。
ヨツバヒヨドリ。
もう直ぐ、アサギマダラがこの花の蜜を蓄え、長距離旅行に旅立ちます。
この花のほかにはオトギリソウを見かけ、撮影しましたが、上手く写せていませんでした。
別の場所でゴゼンタチバナを見かけました。登り始めた場所の辺りは既に花の時期が終わっていましたが、高度が増すにつれて残っている花を見かけました。
合戦小屋へ荷物を上げるケーブルの下を通過します。
第2ベンチに着きました。
第2ベンチで休憩を取り、再び歩き始めます。
第3ベンチに到着です。
ここで遅くなったランチタイムを取ります。左は若い単独の女性です。
何処から来たのと言葉を交わし、岐阜県可児市から来たと応えていました。同県の人であり、しかも若いオネーちゃんと有って会話が弾みました。
私たちは第3ベンチでランチタイムを取っていましたが、若い人たちのグループがパワフルに通過して行きます。
第3ベンチを出発します。
ようやく、富士見ベンチまで上がってきました。
合戦小屋へ
合戦小屋が見えてきました。
合戦小屋に到着です。
合戦小屋の由来が書かれています。
荷揚げのケーブル。
鉄塔の奥に見えるゴンドラで荷を上げます。
合戦小屋ではスイカが売られて居ますが、このケーブルで揚げています。
合戦小屋のスイカ
合戦小屋の名物。スイカを買い求めました。
合戦小屋のスタッフから受け取った時の画像です。後から気が付いたのですが、指先の爪。食べ物を扱います。このような爪先で好いのだろうかと思ってしまいました。
合戦小屋の名物、スイカ。8分の1の大きさで800円します。
私は8分の1の大きさまでは食べたくなかったのす。
登って来る列の後方で登って来ました。
前方の人はペアの相手が見つかり、相談して半分づつ分けていました。
スイカを半分づつにしませんか、と言っている女性を見かけました。
それで、彼女と一緒に販売している所へ行き、400円づつ出してお盆のスイカを受けてってきました。
初対面の女性と一緒にベンチに腰掛けてスイカを食べました。
彼女は東京から1人で来たと話していました。
列車で穂高駅まで来て、そこからはタクシーに乗って来たのだそうです。
東京には手頃な山が無く、遠くのアチコチに出かけているそうでした。
見ず知らずの女性と一期一会の出合でした。
このような出来事も、スイカが高いから、このような結果となったのです。
ウチのグループの女性と半分コしても、このような会話は交わせませんでした。
誰もが思ったのは16分の1で売ってくれれば好いのに、と言う思いです。
山からの撤退
第3ベンチでお昼の食事をして登ってきましたが、富士見ベンチの前辺りからSサンに高山病の症状が現れてきました。嘔吐を繰り返し脱水症状となったのです。
ご本人は、ここ合戦小屋で泊まらせてと申し込みましたが、宿泊させた前例が無いと、OKの返事は出ませんでした。Sサンの表情で、小屋のスタッフは陽が長い時期なので明るいうちに下山が出来ると、下山を勧めました。Sサンは単独で下山すると言いましたが、小屋のスタッフも、弐水会の会長も単独は良くないと言っていました。
Sサンと私が、この弐水会にオープン参加させて貰ったものですのです。一緒に下山するなら私が、と思いました。Sサンは自分のために私が下山することとなり、済まないと思ってくれました。これが逆の立場なら、また逆に行動することとなったでしょう。
山は安全第一で行動しなくてはなりません。一緒に下山するのは、仕方が無いことです。
Sサンに先に歩いて貰い、下山していきます。
合戦小屋から分隊は本隊と分かれて転戦します。
下山の途中、雲が低くなり、途中から雨が降り出しました。
体調を崩して下山して行くSサン。
そんなSサンに雨が降りかかる。
泣き面にハチと言ったイメージです。
翌日、分隊は雨に降られたと言いましたら、本隊は雨がパラパラと来る程度だったと話していました。そして美しい虹が見えたのだそうです。
山が高い山で、雨雲が下になったため、下では雨に降られたのですが、上では降られ無かったのです。
第1ベンチまで下山して来ました。
先を歩いてきたSサン。
苦しいのでしょう。
私が後を追いかけて来た時、ベンチで横になっていました。
登山口まで下山して来ました。
中房温泉の「湯原の湯」の前まで来ました。
ここで宿泊できると思っていましたが、ここは立ち寄り湯でして、宿泊できる中房温泉はここから300メートルほど奥へ入った場所でした。
お疲れ様でした。
中房温泉に来ました。
中房温泉の玄関です。
日本秘湯を守る会に加盟しているのでしょう。
守る会の提灯が下がっています。
中房温泉での夕食です。
私たちが到着した時、既に2人分の夕食を準備してくれていました。
Sサンは食べたく無いと言って食堂へは向かいませんでした。
Sサンは部屋で、ず~と寝ていました。
Sサンのオナカは空っポの状態です。
気分が好転して食欲が出た時用にお握りを握って貰い、部屋へ持って行きました。
最後に
合戦小屋で登頂を断念したことは残念なことですが、あの状況に置いては、私が一緒に下山して来なければならない立場ですので仕方が無い事です。
途中で下山となりましたが、久し振りに登った全国区の山です。
若い人たちの登山グループ。或いは親子での登山や家族連れでの登山を目にする事が出来ました。今の山の時代背景みたいなものを感じました。このように感じる事が出来たのも全国区の山に登ったので、知る事が出来ました。
また、合戦小屋で、女性と一緒にスイカを食べる事が出来たのも好い体験が出来ました。スイカを弐水会のメンバーと分け合ってもこのような体験はできませんでした。一期一会の出合でしたが、ず~と記憶に残る出来事でした。
合戦小屋から下山してきましたが、あの場所まで登って来る事が出来て、好い印象が残りました。