Kオジサンの新・山歩きの記

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kオジサンの中山道旅日記 総括 28日間、かけて中山道を踏破しました。その感想です。

2019-07-30 23:41:44 | Kオジサンの中山道旅日記 

〇はじめに
街道歩きをやって見ようと言うキッカケは中山道を歩いているお婆ちゃんとの出合でした。 それで、私も歩いてみようと平成30年2月19日に我家の最寄駅でlあるJR那加駅前からJR岐阜駅までを歩き、6回の回数を重ねて各務原市から京都の三条大橋までを歩きました。
次は、平成30年4月16日。JR那加駅前から東へ向って歩き続け、22回の回数を重ねて平成31年3月20日に日本橋にゴールしました。 合計28回で中山道を完歩しましたが、第20回が軽井沢から自宅へ戻るだけの日であり、第21回は自宅から軽井沢へ向うだけの日でして、実質的には26回で、中山道の京都から東京間を踏破しました。
歩き始めた頃は踏破できるだろうかと言う思いがしましたが、街道歩きを順調に重ねる毎に面白くなり、完歩できた満足感や充実感を感じてきました。


2011年11月29日の事です。ガイドブックを手にして中山道を歩いているおバアちゃんに美江寺宿の千躰寺で出会いました。静岡県の人でしたがもう、東海道は踏破したのだと話していました。おバアちゃんの背中を見送りました。

おバアちゃんでも街道歩きが出来る。
この出会いで、自分もやってみようと思いました。

〇中山道は5つの顔を持っている
最初は京に向かって歩き始めました。今須宿を過ぎて滋賀県に入ると近江商人が活躍した近江路と言う雰囲気で京が近い気がしました。 第7回からは東に向う比較的平坦な道です。御嵩宿から大井宿にかけては起伏が有りましたが、落合宿辺りまでが美濃路であると言う感じがしました。そして、馬籠宿辺りから北へは木曽路であるという雰囲気を感じました。 洗馬宿辺りから軽井沢宿までが田園地帯を歩き信濃路と言う雰囲気でした。特に和田峠は難所でした。碓氷峠を超えて坂本宿から日本橋までは比較的起伏の乏しい街道で、群馬県の端から埼玉県内にかけては武蔵野路の感じがしました。

中山道を踏破してみて、中山道には大きく別けると5つの顔があると感じたのです。

〇街道歩きの面白さ
・踏切りの番号の推移
街道歩きの面白さの1つに変化していく事が有ります。中山道と中央線が並行しています。そして、所々で踏切りで交差しました。歩き続けると踏切りの番号が徐々に減り、最後に塩尻近くまで来て、第1号踏切りとなりました。

左上 (18.06.24)中山道と中央線が所々で交差しています。
ここは第13踏切ですが、この前には第14踏切が有りました。
ここまでに気付かなかったが、何番の踏切りが最初であったのだろう。
右上 (18.08.22)この時、原野駅から発車して来る普通列車が見えました。
踏切りは第5仲仙道踏切と表示しています。 十幾つから始まった数字。 数が大分、減ってきました。 それだけ中央線と中山道が交差していると言えます。 それに踏切りでない箇所では、ガード下を抜けてきたところが何箇所も有りました。
左下 (18.08.29)奈良井駅と木曽平沢駅との間にあった第3号踏切りです。
右下 (18.09.24)歩いて来て、ついに中山道の最初の番号の踏切に到達しました。
踏切りへ来た時、丁度、しなの5号が踏み切りを通過しました。

・高札場いろいろ
宿場に高札場跡が復原してありました。特に美濃路から木曽路にかけてみる事が出来ました。中には雨風で汚れ読めないようなものも有りました。隣の宿場までの駄賃が決められていました。
美江寺宿の高札

昼食をとるため、美江寺観音に寄った時に見かけた高札場です。
境内に高札場があり、高札の一部を取り出してみました。
駄賃、人足賃の定めです。 この他に切支丹を禁止するものなどがありました。

各地の高札

上から、18.04.16に歩いた鵜沼宿の高札。鵜沼から太田と加納までの人足賃が書かれています。
18.05.04に歩いた大久手宿の高札。大久手から大井と細久手までまでの人足賃が書かれています。
18.06.09に歩いた中津川宿の高札。落合迄と大井迄の人足賃が書かれています。
18.06.17に歩いた馬籠宿の高札。隣の宿までの駄賃でなく人足などについて触れています。
18.08.22に歩いた福島宿の高札。宮ノ越と上松までの人足賃が簡単に書かれています。

宿場に寄って、内容が難しいモノ、簡単なモノと高札の表示が異なります。
大井宿の高札を撮影してきましたが、読み難くなっていました。
また、妻籠宿の高札は汚れて読めませんでした。
これらの高札で共通しているのは正徳元年に発布されたことです。
竹腰山城守と成瀬隼人正は尾張藩の付家老です。


・手作りの中山道標識
中山道を歩いていて、所々で「中山道」の指示標識を見かけました。
どちらへ向えば判らなかった時、助かりました。


上段左 第 3回(18.02.26)   中第 4回(18.03.07)   右第 5回(18.03.28)
中段左 第 5回(18.03.28)   中第11回(18.06.17)  右第17回(18.10.13)
下段左 第18回(18.10.14)  中第22回(18.11.05)  右第27回(19.03.19)

中山道を完歩して、上のような標識を見かけました。
もっと、有ったの見落としたのかもしれません。
上段右第 5回は安土町石寺に有ったものです。下段右第27回は戸田市の小公園のフェンスに設置して有りました。中山道、全般の広範囲で見かけた標識です。独り、歩きながらモクモクと設置したのでしょう。
このように手作り標識を設置して貰えたのは有り難い事だと思います。

〇人との出会い
中山道を歩いてみて、多くの人との出会いが有りました。そう言う事も街道歩きの面白い1つです。 街道歩きで反対方向から歩いて来る人に、積極的に声を掛けました。 単独で歩いている人。夫婦で歩いている人など様々でした。

第6回 18年4月4日の事です。
大津宿を出て、瀬田の唐橋の東側でトイレを利用しました。その時、ウオーキング姿のご夫婦と言葉を交わしました。 ご夫婦は北海道から来ては、ウオーキングを重ねているのだそうでした。 私が岐阜県の各務原市から来たと言いましたら、中山道でそこは、歩いたそうでした。飛行場が有って飛行機が飛んでいたと言っていましたので、それは航空自衛隊のジェット機ですと話しました。 笑顔で話してくれたご夫婦です。 今日は大津に泊まり、三条大橋を目指すと言っていました。 私は今日、三条大橋に着くように行くと言いましたら、私達に歩調を合わせず、先に行って下さいと言われました。 僅かな時間でしたが一期一会の出会いでした。 北海道のどちらかと聞きませんでしたが、北海道ならまだ雪が残っていた時期かも知れません。ご夫婦で街道歩きが出来る。好い事だと思いました。




第11回 18年6月17日の事です。
前方からこちらへ男性が歩いてきます。


街道を歩いている男性でした。
立派な帽子を撮影させて貰いました。
この男性。横須賀市に住んでいて、海上自衛隊に勤務していたそうです。 この帽子は南極砕氷艦の「しらせ」のものです。 しらせの機関長をやっていたと話しました。



今回、歩いているプラン図を撮らせて貰いました。 第1ステージが日本橋から新町まで。第2ステージが新町から下諏訪までで、今回は第3ステージ。
今日は須原宿から歩いて来たそうです。

既に東海道は踏破したそうな。 奥さんを3年前に亡くし、今は街道歩きに取り組んでいると語っていました。 今回は中山道。 次は甲州街道歩く、それに熊野古道も歩きたい思っている。それに、出来たら車で日本一周をやりたいと話しました。

この男性。「Y」さんと言う方です。
名刺を交換しました。

私がこれから向かおうとする街道に和田峠が有ります。 急峻な峠で難所です。
和田峠を歩いたと言っていました。東海道の鈴鹿峠みたいでガレた所があるのだそうでして 登山靴が好いと言っていました。

 


「Y」さんの後姿を見送ります。
路上での5分ほどの立ち話。
一期一会の出合でした。


・大黒屋で泊まった人たち
第8回。名鉄御嵩駅からJR武並駅まで歩いた時に出会った人々です。
5月4日でゴールデンウィーク中であり、泊りがけで街道歩きをしている人が多かったです。

左上 前方に街道歩きのお二人が見えます。 言葉を交わしましたら、浜松から来られたご夫婦です。 武並駅から歩き始め、昨夜は大黒屋に泊まったのだそうでした。 今日は太田宿まで歩き、明日は岐阜に向かうと話していました。
右上 ご夫婦とすれ違いました。 武並から来て大黒屋に泊まったのだそうでした。 御嵩駅まで行くと言っていました。
左下 前方から男性、一人が歩いてきます。 この男性も大黒屋に泊まったのだそうでした。 群馬県から来たと話していました。
右下 前方からご夫婦が歩いてきます。 こちらのご夫婦も大黒屋に泊まった人たちでした。 こちらのご夫婦。神奈川県の相模原市の橋本から来たのだと言っていました。 昨日は、中津川から大黒屋まで歩いて来て、今日は岐阜に向かうのだと話しました。
4組とも大黒屋に泊まった人たちでした。
宿屋では街道歩きの人たち同士、旅の話題で盛りあがったことでしよう。


第11回で、6月17日に馬籠バス停から十二兼駅まで歩きました。
馬籠宿から妻籠宿の間は外国人が多く歩いていますが、日本人も沢山歩いていました。
左上 瑞浪から来たと言う親子です。疲れているのか子どもさんの表情は良く有りませんでし       た。馬籠宿に向って歩いていきました。
右上 愛知県から来たと言う若い女性二人組みです。馬籠に向って歩いて行きました。
左下 前方から歩いて来たご夫婦です。東京から来て中仙道歩きを続けて居ると言っていました。
右下 千葉県の八潮市からバスで来たと言う男女20人余りのグループでした。
   「里山クラブ」と言う団体名だと言っていました。
この他にも、各地で多くの人と擦れ違いました。
中山道を歩いている様子の人々に積極的に声を掛けました。

 〇外国人との出会い
碓氷峠を超えた時にガイドブックを手にしてを歩いているオーストラリア人夫婦と出会いました。 また、鳥居峠を越えた時にもガイドブックを手にしてを歩いているオーストラリア人夫婦と出会いました。彼らは中山道の良いところだけを歩いているのでした。 中津川の高札場では大きなザックを背負ったフランス人夫婦と出会いました。 中津川の手前ではテントを担いで歩いていると言うオーストラリア人のオバアチャンと出会いました。 彼らは京都まで歩くと言っていました。 どちらも中山道を踏破してみようと言う計画から行動したのだと思います。

・オーストラリア人のおバアちゃんとの出合い
第9回
 5月21日に出合いました。
中津川の西。上宿休憩所です。
外国人が寝ているのだと思い、シャッターを切りました。

横になって休んでいても、寝ては居ませんでした。
休憩所横のトイレを済ませてここに来たら手招きされ、近寄って行きました。
最初は男性だと思い込んだのですが、実は女性でした。 「ウフェアー フロム」と声を掛けたら、「オーストラリア」と言う返事が返ってきました。 「ウフェアー  ゴー」と聞くとKYOTOでした。
「ハウ オールド アー ユー」。この質問にはシクスティファイブと答えました。 (後になって女性に年齢を聞いて失礼だったかと思いました。) 65歳のおバアちゃん。半袖で腕には刺青が有り、引きました。日本人の感覚とは少し異なります。 ザックにテントを入れて旅していると話しました。 それに、地図が無いかと言うので、岐阜県十七宿 散策ガイドをあげました。 カタコトの単語を並べて話します。そしてプレゼントと言いました。 「イゴメ」とか「ヤゴメ」と言っていた。それを聞いて?でした。 アッ。「マゴメ」だ。昨日、馬籠に泊まって、ここまで歩いて来たのでした。 写真を撮っても良いかと聞くと、OKでVサインしてくれました。
そして、最後。 握手をして分かれました。


 このおバアちゃん。「YOUは何しに日本へ」で、成田でキャッチされたら、密着取材となるようなケースだと思います。 彼女の名を聞いていませんでした。 聞いておけば良かったと言う気持ち。でも、オーストラリアのおバアちゃん。それで好い。
一期一会の出合でした。

・フランス人のカップルとの出合い
第10回 6月9日の出合です。

中津川宿高札場跡です 。
あずま屋でカップルが休憩していまし。 写真を撮っても良いかと聞きましたら、OKで撮影に応じてくれました。 このカップル。フランスから来たと言っていました。 大きなザックを背負っていますが、何処まで行くのかと聞きましたらKYOTOでした。

フランス人でも英語を話していました。 私は英語は喋れませんので簡単な単語の会話です。 この場所でこの時間と言う事は馬籠で泊まったのでしょう。となると今夜は細久手宿の大黒屋だろうか。


・アメリカ人の男性との出合い
第13回 8月22日。
外国人男性とすれ違いました。 「ウフェアー  ユー  フロム」と声を掛けたら、「アメリカ」と言う返事が返ってきました。 スマホを見ながら歩いています。 Googleを頼りに歩いているのでしょう。

 この男性を8月26日16時頃。 私の自宅の近く。各務原市那加新加納町の手前で見かけました。 彼と会ったのが22日の朝です。 22日水曜日。23日木曜日。24日金曜日。25日土曜日。そして26日の日曜日です。 出会ってから5日間。凄いペースで歩いています。 テント泊なのだろうか。 この調子なら、今日は岐阜市までは行ったでしょう。 この先、恐らく4日ほどで京都へ到達するのでしょう。


・オーストラリア人夫婦との出合い
その14回。8月29日の事です。
鳥居峠がもう直ぐと言う場所。
展望台になっている東屋。 ここから薮原宿が見下ろせました。

ここで、昼食を取っていると、二人の外国人が登ってきました。 カタコトの単語を並べての会話です。
オーストラリアから来たご夫婦でした。 薄い英語の小冊子。ガイドブックになったものを見せてくれました。 そして「馬籠」「大妻籠」「木曽福島」「奈良井」「木曽平沢」を指し示しました。この部分は漢字でした。 5日間と言っていましたので、これらの場所で泊まったのでしょう。 馬籠宿は日本人が多く訪れ、喧騒な雰囲気です。 それに大妻籠は妻籠宿に比べると落ち着いた感じがします。 大妻籠から木曽福島。木曽福島から奈良井の間は距離が離れています。 公共交通機関を使ったのでしょう。
馬籠峠や鳥居峠を踏破する。 街道歩きの雰囲気を味わえるコースです。 日本人は、ここを余り歩かないですが、お二人はこのコースの良さを知っています。 5日間で、後は東京に戻るといっていました。
私が持っていた鵜沼宿の通行手形をプレゼントと言ってあげました。
この人たちとも、一期一会の出合でした。

 ・スコットランド人夫婦との出合い
第22回、11月5日の事です。
前を歩く外国人がいます。



しばらくして、前を歩いていた外国人と一緒になりました。
何処から来たのかと聞いたら、スコットランドからでした。 どれ程、滞在するのかと聞くと、2週間と言っていました。 奥さんのブラザーが日本人と結婚したのだと話しました。
英会話は出来ませんが、相手が話すことの50パーセントくらいは理解できます。 兄弟が結婚したと聞き、「コングラチュレーション」の言葉を発すれば良かったと、後から思いました。
手に持っているテキスト。
中山道歩きのガイド本のようでした。

・オーストラリア人夫婦との出合い
第22回、11月5日。碓氷峠を下ってく時の事です。

外国人の夫婦と出合いました。 彼らも碓氷峠を下って行くのでした。
オーストラリアから来たと言うご夫婦です。
何日、日本に滞在するのか、聞いたら「ワン ウイーク」と2デェイと言いました。




9日間中山道を歩くのでしょう。
ガイドブックを撮影させて貰いました。
DAY   7 のスケジュール
8:00ブレッ久ファースト。9:00チェックアウト。
そして14:45から15:45の間に横川へ到着。高崎行きの列車が15:10or15:58となっています。
そして16:52or17:40に東京へ到着。
このガイドブックを撮影させて貰って、良く出来たスケジュールで、そんなガイドブックを手にして旅している事が良く判りました。

 下の欄外に「NAKASENDO WEY SELFーGUIDED TOUR」と有ります。
検索したら、こんなのが出ました。
https://www.kimkim.com/c/nakasendo-trail-10-day-self-guided-tour コレは10日間で旅するものです。 木曽路の馬籠や妻籠。それに奈良井や鳥居峠。 そして、碓氷峠。 街道歩きの好い所取りなのでしよう。 彼が持っていたガイドブックに、ENAの文字が目に留まりました。 恵那の方も歩いたりするのでしょう。



オーストラリア人夫婦は先に向かって行きました。


・ガイドに案内されて中山道を歩く外国人たち
その20 10月16日の事です。
自宅へ戻る時塩尻駅で見かけたガイドに案内された外国人のグループが木曽平沢で下車していきました。
外国人との出合いでは有りませんがガイドに案内されている外国人グループを見かけましたので、取上げました。 外国人たちは木曽平沢駅で下車して行きましたが、木曽路の中の好いところを歩いていると思いました。

チェック柄の服の女性は外国人のグループを案内してきたガイドです。 食券の自動販売機の前で、そばやうどんの種類を説明し食券の買い方を説明していました。 引率されていたのが外国人6~7人でした。 皆さん、全員がザックを背負っていました。
女性が食事を終えたタイミングで、 どちらに向うのかと聞いたら、木曽路を歩くと話してくれました。
私は中央線の普通列車に乗る。彼らも同じ列車に乗車しました。



チェックの服のガイドに引率されて来た外国人達ですが、木曽平沢の駅で下車しました。
鳥居峠を越えるのだろうか。
となると、この先の奈良井宿までが2キロほどです。そして、峠を越えるとなると遅くなります。
余裕を持っての木曽路歩きなら、この後奈良井で泊まり翌日に踏破。 その後は妻籠宿か大妻籠に泊まり馬籠峠を越えるのではなかろうか。 馬籠峠を越えるコースは外国人に人気が有ります。


〇季節の移ろい

第9回で18年5月21日に歩いた時のことです。
耕作放棄地が多くなっている場所でした。
田植えの終わった田圃の中のオタマジャクシ。
 


こちらは第18回で(18.10.14)の事です。
ご夫婦で脱穀作業に取り組むお二人です。
道を間違えてしまい、お二人に声を掛け、八幡宿に向う方角を確認しました。
田植えや稲刈り。
こんな事にも季節の移ろいを感じました。

・秋の七草

第15回で木曽平沢から洗馬まで歩いた時の事です。
秋の七草の桔梗や女郎花、葛などを目にして季節の移ろいを感じました。 
秋の七草 ~女郎花、尾花、桔梗、撫子、藤袴、葛、萩~ 秋の七草は上に書いている通りです。
今日は女郎花、尾花、桔梗、萩を目にしました。それに前々回の時に木曽の桟の南で葛を見ました。
葛が秋の七草に入っているのを知らなかったのです。
新しく知る事が面白いです。

・道端の草花

左上第13回(18.08.22)キツネノカミソリ(と思いましたがナツズイセンのようです)が群生しているのを見かけました。
右上第11回(18.06.17と06.24)2回オダマキを見ました。
左下第11回(18.06.17)ソバナが咲いていました。
右下第12回(18.06.24)こちらは珍しいオオヤマレンゲです。

歩いていて、色々の花を愛でる事が出来る
こんなのも、街道歩きの面白いところです。


〇上手な鉄道利用術
・青春18きっぷ

第13回の8月22日。第14回の8月29日。第15回の9月3日。
青春18きっぷを使いました。
目的地まで列車で行き、列車で帰るの繰り返しでした。
1回あたりが2,370円と、割安です。


・青空フリーパス
  
第16回(18.09.24)
左上が青空フリーパスです。
2,570円でフリー区間のエリア内では乗り放題です。 洗馬駅はフリー区間の外ですので、往路で木曽平沢から洗馬までの乗車券を買いました。 左下は帰路で下諏訪から塩尻までです。 その右は塩尻から木曽平沢までの乗車券です。 私の最寄り駅は那加駅で、通常に買うと往路が3,020円。復路は3,350円となります。 青空フリーパスを使って3,530円です。
大幅に倹約できました。


・青春18きっぷで「ムーンライトながら」

第23回(18.12.23)と第26回(19.03.18)に青春18きっぷを使用して「ムーンライトながら」に乗車しました。
岐阜駅を発車して、直ぐに車掌が検札に来ました。
那加駅から豊橋駅までは22日分で1,940円です。
目的地が松井田西駅です。日付が変わってから18キップを使います。
検札に来た車掌が23日のスタンプを押してくれました。
青春18キップを使えば、1枚あたりが2,370円。
それに座席指定券の520円を加えた金額で行く事が出来ます。

ぷらッとこだま

第28回です。
こだまに乗車するのに、「ぷらッとこだま」のチケットを利用しました。
こだまは新幹線の各駅停車です。
東京名古屋間が8,300円でしたが、「のぞみ」や「ひかり」より、3,000円ほど安いです。
東京発が14時56分で名古屋着が17時43分です。
ビールの酔いで眠りに誘われました。 一時間近く、グッスリと眠りました。
歩いた疲れも有ったのでしょう。

日本橋

第28回(19.03.20)
ついに日本橋に到達する事が出来ました。


最後に
歩き始めは完歩出来るだろうかと言う思いがしました。でも、歩き出したら街道歩きの面白さを感じました。
街道歩きは歴史や文化など知らない事を教えてくれました。和田峠を越えた時に天狗党が松本藩と高島藩の連合軍と戦った事を知りました。
近江路を歩いた時、滋賀県の豊郷町に伊藤忠の創業者。伊藤忠兵衛記念館に寄りました。
埼玉県の深谷。ここは渋沢栄一の出身地でした。駅前に渋沢の銅像が有ったのです。その渋沢。次の紙幣のモデルとなります。
街道歩きは速く歩くと周りの景色が見えてこないです。さりとて、余りユックリとした歩きもダメです。
おばあちゃんの原宿といわれるとげ抜き地蔵。あの地蔵の前が中山道になっていると知りました。
カプセルホテルや夜行の高速バス。そしてネットカフェ。中山道を歩いて色々の事を体験できました。
発見する事が面白かったです。知らない事を知るのが楽しかったです。
中山道をもう一度歩いてみたいと言う気がしますし、東海道でも歩こうかと言う気もします。



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kオジサンの中山道旅日記 その28 JR浮間舟渡駅から日本橋 まで 

2019-03-20 23:12:32 | Kオジサンの中山道旅日記 

3月20日(水) 晴 JR浮間舟渡駅から日本橋 まで 

今日も昨日の続きを歩きます。
今日は第3日目で中山道の街道歩きは都内を歩くのみとなりました。都内に入り板橋宿、そして日本橋まで歩きました。
JR大宮駅から埼京線でJR浮間舟渡駅へ向いました。駅から降りて舟渡交差点へ。そして、日本橋へ向っての街道歩きをスタートしました。 初めは中山道と国道17号線と重複していて、国道の歩道を歩きました。志村橋が架かる新河岸川を渡りました。岸のサクラの蕾が膨らんできていました。 この、新河岸川。下流で隅田川となるのをGoogleで見て、後から判りました。 東坂下では17号線から離れ、住宅街の中を歩きました。 志村三丁目からまた、国道を離れ坂を下り、また登り返すと言う道を歩きました。ここが清水坂でした。 坂を登ってきて上部へ来ると、また国道と一緒になりました。そして立派な志村一里塚のところへ来ました。この一里塚は国道を挟んで対になっており、昔の形をとどめている。そのように見えました。 志村警察署の前を歩き、進んできて清水町交番まで来ると、ここからは国道と完全に分離した中山道となりました。 下町の雰囲気のある道路です。 板橋本町を過ぎると縁切榎が有りました。縁を切りたいと願う心。多くの絵馬が下がっていました。 更に歩いて来ると、朱色の欄干の橋へ来ました。この橋が板橋宿の起源でそれが区名になったのだろうと言う事を知りました。 板橋宿は長い宿場で、上宿、仲宿、平尾宿となっていることも知りました。知らないことを知る。それが街道歩きの面白いところです。
中山道歩きはJR埼京線や都電の踏切を渡っていきました。そして、どげぬき地蔵がある巣鴨地蔵通りを歩きました。 この後、中山道は国道17号と一緒になりました。本郷通りを通り、東大の前を歩きました。立派な正門、赤門を目にしました。 神田明神の前を過ぎ、神田駅のガード潜ると三越百貨店が見えてきました。
そして、遂に日本橋に到達しました。

JR浮間舟渡駅 ― 舟渡交差点  ― 志村橋  ― 東坂下  ― 志村3丁目 ― 志村清水坂
 ― 庚申塔
 ― 志村坂上 ― 志村一里塚 ― 志村警察署 ― 南蔵院 ― 本蓮沼 ― 
清水町交番 ― 環七通り
 ― 板橋本町 ― 縁切榎 ― 中山道板橋上宿説明板・石碑 ― 
本町にぎわい広場 ― 板橋 ― 
板橋仲宿 ― 文殊院 ― 板橋宿本陣跡 ― 遍照寺
 ― 仲宿門・説明板 ― 板橋三丁目縁宿広場
 ― 寛文の庚申塔 ― 観明寺 ― 平尾追分
 ― 国道17号線 ― 板橋1丁目 ― JR板橋駅
 ― 中山道踏切 ― 滝野川銀座 ― 
近藤勇の墓 ― 亀の子束子西尾商店 ― 掘割 ― 
都電庚申塚駅 ― 猿田彦大神 ― 
巣鴨地蔵通り ― とげぬき地蔵本堂 ― 眞性寺 ― 国道17号
 ― JR巣鴨駅 ― 千石駅前
 ― 本駒込二丁目 ― 東洋大学 ― 白山一丁目 ― 
本郷追分一里塚跡 ― 本郷弥生 ― 
東大正門前 ― 東大赤門前 ― 本郷三丁目 ― 壱岐坂上
 ― 湯島聖堂前 ― 神田明神 
― 神田明神下 ― 昌平橋 ― 萬世橋 ― 須田町 ― 
JR神田駅 ― 今川橋 ― 
室町三丁目 ― 日本




(07:53)
大宮駅の構内です。
そば処 中山道。
名に引かれて入ってみました。




今朝もソバの朝食にしました。
朝っからソバやうどん。
出勤前のサラリーマンの朝食でも有りました。




(07:59)
埼京線のホームへ下りてきました。
埼京線のホームは地下1階で19、20番ホームと21、22番ホームになっています。




8時01分発の普通列車、新宿行きです。



 
(08:02)
定刻に発車した新宿行き普通列車です。
地下のホームを出発し、地表に出ます。





快調に勾配を登って行きます。





(08:05)
地上に現れてからは、高架を走ります。
何線の新幹線車両だろう。
時間から推定して、並走しているのは、「なすの264号」ではないかと思います。
この列車、2編成を連結しています。
何と言う特急と何と言う特急なのだろうか。




(08:26)
浮間舟渡駅が近付いてきました。




浮間舟渡駅で下車し、舟渡交差点へ向かいます。
左の高架は埼京線と東北新幹線の高架です。





(08:48)
国道17号線を歩き始めました。
志村橋の北の歩道橋です。

日本橋まで16kmを現しています。
昨日、戸田市の川岸歩道橋に有った距離表示では、「東京16km」を現していました。
この距離表示は東京となっていましたが、東京と現す最後の標識だったと思います。
ここから先は日本橋の表示ばかりでした。
それにしても、この場所の16km。昨日の16km。位置が違っても16kmを現していました。
何処をゴールと捉えているのだろうか。







新河岸川の堤防。
サクラの蕾が膨らんで来ています。





(08:59)
板橋区板橋東清掃事務所の前。
15kmのポストが有ります。




ヤナセの斜め前です。
サクラでも、ソメイヨシノではないサクラ。
見頃になっていました。




(09:06)
中山道が国道から別れて左の方角に入って行きます。
この先、東坂下の住宅街を通り抜けます。





志村3丁目の歩道橋の上から戸田橋方面を望みました。
先の道路標示は高崎93kmを現しています。




(09:19)
中山道は国道17号線から分かれ、右に入って行きます。
トラックの先。
都営三田線のガードです。



志村清水坂

都営三田線のガードを潜り、坂を登ってきました。
清水坂です。
坂の途中に標識と説明板が設置して有りました。


志村一里塚

志村坂上に道路を挟んで、1対になった一里塚が有りました。





(09:40)
日本橋まで13kmのポストが有りました。
渋滞していて、歩行者の速度と車の速度が同じ程でした。


清水町交番

(09:58)
先に見えるのが清水町交番です。
中山道は、ここから国道17号線と分かれて行きます。




前方のスロープは環七のスロープです。
環七を潜り抜け、先へ進みます。





板橋本町を通り抜けて行きます。



縁切榎

(10:12)
縁切り榎へ来ました。
祠が祀って有ります。
縁を切りたい願い事。
沢山の絵馬が下がっていました。



縁切り榎の説明板です。
縁が切れるのを嫌って、皇女和宮の降嫁の時は、迂回したと説明しています。


本町にぎわい広場

(10:16)
にぎわい広場へ来ました。
やぐらが設置して有ります。
下町の広場です。
ここで夏祭りが開かれたりするかも知れません。




やぐらの絵図です。
江戸絵図だろうか、何かだと思います。
左は乗蓮寺。相生杉、女男松となっています。
右は太鼓橋が描かれています。これは当時の板橋なのでしよう。




(10:19)
朱色の板橋が見えてきました。


板橋

板橋の上でたたずむ女性です。
聞いたら、サクラのつぼみの状態を毎日、見に来ていると言っていました。
川の名を聞いたのです。
下を流れる川は石神井川だと教えてくれました。




膨らんできたサクラの蕾。
石神井川沿いにサクラが並木になっています。


仲宿

(10:21)
これから板橋宿の仲宿に入って行きます。




肉の松葉屋。
カツやコロッケを揚げて販売しています。
コロッケを買いたかったのですが、揚げ物時間が4時30分からとなっていました。




こちらは激安本舗と言う八百屋です。
白菜や大根が安いです。




(10:32)
仲宿を抜けてきました。
そして、仲宿方向を振返りました。
説明板も立てられていました。


板橋三丁目縁宿広場

板橋三丁目縁宿広場は、チョっとした広場でした。
板橋宿を紹介する説明板が設けて有りました。





(10:40)
板橋宿を通ってきました。
中山道はここで、国道17号線と交差しています。




中山道が17号と交差する形になっています。
この先、板橋宿の平尾宿となります。




(10:51)
埼京線の踏切です。
この踏切り。
中仙道踏切と表示していました。




北区の滝野川に入って来ました。
滝野川銀座のフラッグが下がっています。



近藤勇の墓

(10:56)
中仙道から少し西にハズレました。
その場所に近藤勇と土方歳三の墓碑が立っています。




(11:03)
中仙道に戻りました。
お昼の時間に少し早いのですが、「丼丸」に入りました。
丼丸はお持帰りの店ですが、店内で食べる事が出来ました。





都電荒川線中山道踏切

(11:36)
踏切りの右が 都電荒川線の庚申塚駅となっていました。




こちらは荒川線の早稲田方面へ向うホーム。
庚申塚駅です。
先ほど通過した都電は新庚申塚駅に停まっています。



(11:39)
巣鴨地蔵通商店街に入ってきました。





高岩寺。
通称、とげぬき地蔵です。
高齢者で賑わっています。





(12:18)
地蔵通りを通ってきました。
巣鴨地蔵通りの事をお婆ちゃんの原宿とか申します。
平日でも、お婆ちゃんたちで賑わっています。




とげぬき地蔵入口から出てきました。
伊勢屋と言う餅菓子屋です。
土産に塩大福を買いました。






(12:39)
とげぬき地蔵入口から南東へ向って歩いています。
中山道が国道17号と重複しています。
日本橋まで6kmとなりました。




(12:53)
日本橋まで5kmのポストです。





(13:06)
東大のレンガ塀沿いを歩いています。
日本橋まで4kmとなりました。




東大の正門です。
イチヨウの裸木です。
黄葉した時期なら、好い風景なのでしょう。




(13:29)
神田明神の前を通過します。




神田明神下の交差点です。
ゴーカートの列が通過しました。



昌平橋

(13:37)
昌平橋まで来ました。


日本橋

(14:01)
遂に、日本橋に到達しました。





歩数を撮影するのを忘れていて、 日本橋に到達してから暫くたってから撮影しました。
今日は20キロほど歩きました。



JR東京駅

(14:14)
東京駅の日本橋口へ来ました。
列車の時間までには、少し時間が有ります。




(14:44)
東海道新幹線のホームです。
こだま665号に乗車します。
14番線に上がって来た時、丁度列車が入ってきました。




(14:53)
列車が入ってきて、車内点検で少し待たされました。
車内点検が終わり、乗車します。




(14:56)
こだまの車内です。
指定席は6番E席となっていました。



(14:56)
「ぷらッとこだま」のチケットにはドリンク券が付いています。
ハイボールをその券で求め、缶ビールを追加で買いました。



こだまに乗車するのに、「ぷらッとこだま」のチケットを利用しました。
こだまは新幹線の各駅停車です。
東京名古屋間が8,300円でしたが、「のぞみ」や「ひかり」より、3,000円ほど安いです。

東京発が14時56分で名古屋着が17時43分です。
ビールの酔いで眠りに誘われました。
一時間近く、グッスリと眠りました。
歩いた疲れも有ったのでしょう。



感想
今日は最終日で日本橋に到達する日でした。
国道17号線を歩く箇所が多かったのですが、国道から分かれて街道歩きをする所がありました。地図を片手に歩いたのですが、国道から分かれていく道に指示標識が設けて有れば良いと思いました。
板橋区の下町を歩きました。八百屋の店先。東京の野菜のおおよその値段が判りました。下町の生活の場を覗いた。そんな感じがしました。

板橋区に入り、街道歩きらしい人を何人も見かけましたが、声を掛けるのを控えました。
橋の上で、サクラの開花を心待ちにしている女性。人との出合い。そんな人と言葉を交わせたのも良かったです。
巣鴨地蔵通りを歩きました。お婆ちゃんの原宿と言われているところです。実際。女性が多かった。そんな、一面を見れたのも面白かったです。
日本橋に到達出来て、心の一角に安堵した部分もありました。



今日の経費

JR大宮駅からJR浮間舟渡駅 220円
ドンキホーテ 108円
蕎麦 280円
ペットボトル 94円
丼丸 540円
土産 2,953円
缶ビール 247円
ぷらッとこだま 8,300円
JR名古屋駅からJR那加駅 670円  
                 合計 13,412円

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kオジサンの中山道旅日記 その27 JR北上尾駅からJR浮間舟渡駅 まで 

2019-03-19 23:35:39 | Kオジサンの中山道旅日記 

3月19日(火) 晴 JR北上尾駅からJR浮間舟渡駅 まで 

今日は昨日の続きを歩きました。
今日は2日目で上尾宿から大宮宿、浦和宿、そして蕨宿へと歩きました。歩いた市は上尾市、さいたま市北区、大宮区、中央区、浦和区、南区、蕨市、戸田市そして東京都の板橋区です。遂に、荒川を渡り東京へ到達しました。

朝、大宮駅から昨日、歩き終えた北上尾駅に向かい、北上尾駅から中山道歩きを再開しました。中山道は、ほとんどが県道164号線で街の中を歩きました。さいたま市の北区から大宮区、中央区、浦和区、南区を通りました。さいたま市を北から南へ縦走した形になりました。その後、蕨宿を抜け、戸田市に入り戸田橋を渡って東京に入りました。
この後はJR浮間舟渡駅からJR大宮駅前へ戻りました。

JR北上尾駅 ― 中山道道標  ― 庚申像  ― JR上尾駅前  ― 本陣跡 ― 氷川鍬神社 ― 愛宕神社 ― 庚申塔 ― 馬喰新田不動堂 ― 南方神社 ― 栴檀の大木 ― 加茂神社
― 天満宮 ― JR宮原駅前 ― 埼玉新都市交通伊奈線高架 ― 東大成の庚申塔 ― 
警察学校入口 ― 大山道道標 ― 東北本線ガード下 ― JR大宮駅前 ― 氷川神社一の鳥居
― JRさいたま新都心駅 ― ケヤキ並木 ― JR与野駅前 ― 一本杉標石 ― 庚申塔 ― 
廓信寺 ― 北浦和駅前 ― 浦和橋 ― 慈恵稲荷 ― 浦和宿二・七市場跡 ― 常盤公園
 ― 本陣跡
 ― 浦和宿道標― 玉蔵院 ― JR浦和駅西口 ― 中山道浦和宿道標 ― 
調神社 ― 焼米坂
 ― 六辻 ― 六辻水辺公園 ― 東京外環道高架下 ― 一里塚公園 ― 
蕨宿北木戸 ― 
蕨市立歴史民俗資料館 ― 蕨宿南木戸 ― 公団戸田住宅 ― 菖蒲川 ― 
戸田橋派出所 ― 
戸田橋 ― 舟渡 ― JR浮間舟渡駅

JR大宮駅前

(07:03)
大宮駅へ来ました。
これから高崎線で北上尾駅へ向かいます。




高崎行きの普通列車が入線してきました。


JR北上尾駅

(07:34)
北上尾駅で下車しました。
駅から中山道の交差点へ歩いてきました。
ここからさいたま市の方向に向って歩きます。




(07:37)
歩き始めた中山道。
この道路は埼玉県道164号線です。



JR上尾駅前

(07:58)
JR上尾駅前を通過します。


氷川鍬神社

(08:01)
氷川鍬神社です。





中山道上尾宿と本陣の解説です。
氷川鍬神社の前に設置して有りました。


庚申塔

こちらは愛宕神社の境内に有った庚申塔です。
良く見ると、顔が欠けています。




(08:11)
埼玉県道164号線です。
さいたま市へ向う方向を表示しています。



上尾市とさいたま市の境界。
これからさいたま市に入ります。



南方神社

(08:35)
道路の反対側。
南方神社が有ります。


加茂神社

(08:56)
こちらは加茂神社です。
京都の下加茂神社か上加茂神社の末社だろうか。



加茂神社に有った案内図。
この近辺を紹介しています。





大宮に向って歩いています。
前方に見えるのは東北新幹線の高架です。





(09:39)
道路の反対側。
ご主人が中山道の本を持ち、奥様はダブルストックで歩いていました。
「街道歩きですか」と声を掛けたら、この表情で応えてくれました。
そして「お気をつけて」と言いました。




今日のKオジサンの後ろ姿です。




東北本線ガード

(09:58)
前方に見えるのが東北本線のガードです。





路傍で、可憐にスミレが咲いていました。
アスファルトの隙間に根を張っているのでしよう。
頑張っています。



JR大宮駅前

(10:17)
大宮駅の駅前まで来ました。



氷川神社一の鳥居

(10:37)
氷川神社一の鳥居です。
長く続く参道。
こんな参道が有る事を知らなかったのです。





サクラの蕾が膨らんできています。





氷川神社の解説板が鳥居の近くに設置して有りました。


ケヤキ並木

(10:49)
大きなケヤキが並木になったところへ来ました。





さいたま市には2つのプロサッカーチームが有ります。
左はJ1の浦和レッズです。
そして右はJ2の大宮アルデイージャです。
歩いていて先に大宮アルデイージャのフラッグを目にしました。
そして、歩いていて、ここまで来て浦和レッズのフラッグを目にしました。

今はJ1とJ2に分かれているチームですが、さいたま市民はJ1で両チームが戦ってくれたらと願っているのかも知れません。
大宮アルデイージャや浦和レッズのチーム名は知っていましたが、ここへ来て、さいたま市にサッカーチームが2チーム有るのだと知りました。

一本杉標石

(11:12)
一本杉の標柱と解説板です。



庚申塔

大原陸橋東の交差点角で、ガードレールに囲まれた三角形の土地の庚申塔です。
位置は 浦和区針ヶ谷3-3となるのでしよう。
針ケ谷の庚申塔と呼んで良いではと思います。

上の庚申塔は祠の中に納まっています。
北上尾駅で降りて中仙道を歩き始めた時、野晒しの庚申塔を見かけました。
この針ケ谷の庚申塔に比べると、何も無い場所でポツンと有り、可愛そうな気がします。

北上尾駅で降りてから、直ぐに見かけた庚申塔です。
雨曝しの姿です。




民家に咲いていたコブシです。


廓信寺

(11:28)
廓信寺へ来て、仁王門の奥の方。
人の集まりが見えました。



グループの人たちに近寄ってみました。
聞いたらクラブツーリズムのツアーの人たちでした。
「中山道をあるく 第3回 戸田橋から浦和」へ歩くと言うモノでした。
今後、回数を重ねて京へ向って行きます。

このクラブツーリズムの中山道歩き。
昨年、岐阜駅から東赤坂駅まで歩いた時、クラブツーリズムのツアーに出合いました。
https://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/e81d271b036557b26196cd7157173bac
毎年、中山道を歩くツアーを開催しています。
完歩する人は、どれ程居るのだろう。




廓信寺の入口に設置して有った「紅赤の発祥地」説明板です。
紅赤より金時の方が判り易いです。

そんな芋もベニアズマに押されて来ました。
山田いちが紅赤の普及に努め「富民賞」を受けています。




北浦和駅の駅前通りへ来ると鳴門鯛焼本舗の店が見えました。
交差点の角の店です。
「1丁焼」言われる焼き方です。
店に寄り、休憩です。




1匹買いました。
焼き立てでアツアツです。


浦和橋

(12:01)
中山道は北浦和駅から県道65号線となりました。
6本のレールが見えます。
高崎線。宇都宮線。湘南新宿ライン。上野東京ライン。京浜東北線。
どのレールがどの線なのか判りませんが、6本のレールが見えます。



慈恵稲荷
 
慈恵稲荷の入口です。
ここの横には浦和宿二・七市場跡の標柱が立っていました。


JR浦和駅西口

(12:44)
JR浦和駅の西口交差点です。
スクランブル交差点で、多くの人が行き交いました。


調神社

(12:52)
調神社(ツキジンジャ)へ来ました。
入口には狛犬ならぬ狛ウサギが迎えてくれます。
高校の入学手続きの日なのだろうか。
制服が入っているような白い袋を持った母親と娘さんを何組か見かけました。


焼米坂

(13:16)
焼米坂へ来ました。
ここは浦和の南のはずれ。




(13:33)
中山道と国道17号線が交差する交差点です。
その一角に有ったすき家。
牛丼のセットを頼みました。




街道の松のような好い形をした松が有りました。



一里塚公園

(14:04)
東京外環自動車道の高架をくぐり抜けると小さな公園が有り、一里塚の跡の石柱が立っていました。
その左には弁天様が祀って有ります。



蕨宿北木戸

(14:23)
中山道と国道17号線が交差する場所です。
中山道は直進して行き、蕨宿の木戸が見えます。
17号は直進して南へ向かいます。指示標識は東京19kmを現しています。






蕨宿の中山道です。





中山道の両側に歩道が設けられています。
歩道には中山道六十九次の絵タイルが埋め込まれています。



蕨市立歴史民俗資料館

蕨市立歴史民俗資料館に寄りました。
江戸絵扇子の企画展を開催していました。




レンギョウが咲き始めていました。



蕨宿南木戸

(15:15)
中山道の蕨宿を歩き、南の木戸へ来ました。





国道17号の歩道を歩いています。
ここから戸田市に入ります。





(15:42)
日本橋まで18kmとなりました。





指示標識が東京16kmを現しています。
東京と言う表示はここが最後で、この先は「日本橋」と言う表示となりました。



戸田橋

(16:07)
戸田橋の堤防に上がりました。
この先、戸田橋を歩きます。




戸田橋の上です。
ここまで埼玉県で、この先が東京都に変わります。
これまで50キロ制限がこの先、60キロ制限に変わる。
ここまで駐停車禁止で、この先は駐停車OK?
橋の中間で交通規制が変わるのは、可笑しくないだろうか。




東京都板橋区に入ります。
警視庁の派出所が有ります。
ここから左へ降りて行き、歩道を歩きます。




(16:26)
埼京線の高架の下を歩き浮間舟渡駅へ向かいます。





浮間舟渡駅へ着き、本日の歩行を締めとしました。
9時間近い歩行で35キロほどを歩きました。




(16:36)
この後、埼京線で大宮駅へ戻りました。



そして、大宮駅から氷川神社に行ってみました。
昼間、一の鳥居の舞うを通ったとき、長い参道が有る事を知ったので行って見ました。
本殿までは行かなかったのですが、参道を歩いてみました。


(17:43)
氷川神社の参道です。
一の鳥居から歩いてきました。
この先に本殿が有りますが、先へ進まず、途中で夕食を取り、カプセルホテルに戻りました。

明日は浮間舟渡駅へ向かい、日本橋への道を残すだけとなりました。


感想
今日は北上尾駅から歩き始めました。
さいたま市の北区大宮区中央区浦和区そして南区。
さいたま市を縦断した形になります。合併してさいたま市が出来たのは知っていましたが、こんなに大きな市になっているのは知りませんでした。さいたま新都心駅の近くにさいたまスーパーアリーナが有りました。さいたま市を歩いて活気を感じました。
コブシの花やレンギョウの花が咲き始めていて、春の訪れを感じました。



今日の経費

大宮駅から北上尾駅 200円
パンと牛乳他 398円
アイス、飲料水 206円
鯛焼き 194円
すき家 500円
浮間舟渡駅から大宮駅 220円
中華食堂日高 1,130円
カプセルホテル 3,400円    
            合計 6,248円


kオジサンの中山道旅日記  その28
3月20日(水) 晴 JR浮間舟渡駅から日本橋 まで   へ





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kオジサンの中山道旅日記 その26  秩父鉄道石原駅からJR北上尾駅 まで

2019-03-18 23:23:19 | Kオジサンの中山道旅日記 

3月18日(月) 晴 秩父鉄道石原駅からJR北上尾駅 まで

昨年、12月23日から25日までの3日間を掛けて松井田宿から熊谷宿までを歩きました。 今回はその続きの再開です。今回、3日間歩き日本橋にゴールする目標を持っていました。今日は第1日目で深谷宿から鴻巣宿、桶川宿へと歩きました。歩いた市は熊谷市、鴻巣市、北本市、桶川市そして上尾市です。中山道がJR北上尾駅の近くとなったところで、今日の街道歩きを止めました。
スタートは秩父鉄道石原駅で、下車してから八木橋デパートを目指しました。ここはデパートの中を中山道が通過していると言う珍しい場所です。 前回歩いた時にデパートの中を通り抜けましたが、出たところにも中山道の石碑が有ったのですが見落としましたので、それを見たいと思いました。 熊谷市の街中を抜けて高崎線の踏切を渡って進むと荒川の堤防に上がりました。堤防からは浅間山や富士山を目にする事が出来ました。 遠くの山が見える。空気の澄んでいる今の時期だから見えるのでしよう。 堤防から降りてからは県道164号線を歩き続けました。この道、かつては国道17号線だったのだろうと思います。バイパスの17号線が出来て、県道となったのでしよう。沿線に古い建物があり、街道の雰囲気がありました。

割安に乗車できる列車が臨時快速の「ムーンライトながら」です。この列車が運行を開始するのに合わせて街道歩きを開始しました。 今シーズンの「ムーンライトながら」の運行は3月16日から24日までと短い期間でした。 「ムーンライトながら」に乗車するには座席指定券必要で、1ヶ月前の日の10時から発売します。3月16日の指定券が欲しく2月16日の夕方に駅へ買いに行きましたら完売でした。人気が有る列車で、早く売れてしまいます。 それで、2月17日に3月17日の指定券を買い求めました。この時は旅先に居て薮原駅でゲットしました。 1ヶ月後の天候は判りませんので3月18日の指定券も買い求めました。天候によっては18日の出発を考えたのです。でも、17日が晴れの予報であり18日の指定券はキャンセルしました。

秩父鉄道石原駅 ― 八木橋デパート  ― 熊谷寺  ― 高城神社  ― 熊谷駅前 ― 
第六中仙道踏切
 ― 八丁の一里塚跡 ― 元荒川ムサシトミヨ生息地 ― 旧久下橋記念碑 ― 
久下権八地蔵 ― 
県道257号線高架下 ― 久下神社  ― 熊谷堤 ― 決壊の跡碑 ― 
権八延命地蔵堂 ― 榎戸堰公園
 ― 榎戸踏切 ― 吹上「間の宿」石碑 ― 吹上神社吹上駅前
 ― 妙徳地蔵堂 ― べったら塚古墳 ―
 箕田追分案内板 ― 追分地蔵堂 ― 氷川八幡神社
 ― 箕田観音堂 ― 第三中仙道踏切 ― 鴻神社
 ― 鴻巣駅前 ― 鴻巣宿本陣跡 ― 
勝願寺 ― ひなの里 ― 浅間神社 ― 北本駅前 ― 天神社
 ― 多聞寺 ― 
北本宿石碑 ― 圏央道 国道468号線 ― 桶川宿碑 ― 木戸跡碑 ― 
市神社跡標柱
 ― 桶川宿碑・案内板 ― 桶川宿宿場館 ― 武村旅館 ― 木戸跡碑 ― JR北上尾駅

 


JR岐阜駅

JR岐阜駅です。
左は列車の時刻表示です。
右はムーンライトながらが入線してきました。




(23:01)
この列車は185系と言う古いタイプの車両で運行しています。
かつては東京と伊豆を結んでいた花形特急で、「踊り子」として走っていました。
特急として運行していた頃は、シートの頭が当たる部分にカバーが有りましたが、今は無くなっています。
車内は暗くなりません。
医者から貰った睡眠導入剤を服用し、アイマスクを掛けて寝ました。
横浜だというアナウンスが入るまでグッスリ眠れました。

JR東京駅

(05:06)
東京駅に着きました。
この列車に乗車した記念に行く先表示を撮影していました。




今回、使用した切符です。
青春18キップの日付スタンプは車掌が検札に来た時に押してくれました。
青春18キップ1枚分tが2,370円 。座席指定や乗車券。
4,830円で東京まで行けます。


JR上野駅

(05:33)
京浜東北線で上野駅に来ました。
上野駅からは高崎線に乗ります。


JR熊谷駅

(06:50)
熊谷駅に着きました。




朝食がわりに、ソバを食べます。


秩父鉄道熊谷駅

(07:17)
秩父鉄道で石原駅へ向かいます。
列車の発車時刻が7時17分で、発車ギリギリに間に合いました。


八木橋デパート

(07:50)
前回、中山道を歩いた時、このデパートの中を歩きました。
中山道がこのデパートの中を通っているのです。
北側に中山道の石碑が立っていますが、西側の石碑は見ていませんでした。
それで、見たいと思い、ここへ来ました。
中山道歩きとしては、ここからスタートです。



熊谷寺
 
熊谷寺です。
前回、歩いた時、こちらへ寄っていませんでしたので、この寺にも寄りました。





(08:07)
JR熊谷駅の正面です。


第6中仙道踏切り

第6中仙道踏切です。
踏切へ来た時、特急列車が通過して行きました。
そして、タンク車の貨物が通過して行きます。
京浜の製油所から新潟へでも運ぶのだろうか。




(08:28)
熊谷市の曙町辺りを歩きます。
曲がった道に街道らしさを感じます。




(08:44)
堤防に登る坂道。
この先が熊谷堤防です。




堤防に登って歩き始めました。
振返ると冠雪の浅間山が見えます。




(09:09)
堤防から下りてきました。
久下地区です。
民家の塀から出ている松が見えます。
街道沿いの松で好い形をしています。


熊谷堤防

(09:25)
再び堤防に上がりました。
散歩する人。ランニングの人。自転写の人。
思い思いの人々。
堤防上を行き交います。




 今日のKオジサンの後ろ姿です。
熊谷堤防を歩いています。





堤防上で左後ろを振返りました。
特徴的な形の山が日光の男体山だと思います。
その左。雪山は尾瀬の燧ケ岳や至仏山ではなかろうか。



決壊の跡碑

(09:43)
決壊の地で石碑が設置して有ります。
この横には昭和22年のカスリン台風の時、決壊したと解説板が設置して有りました。





こちらは荒川の西方です。
白い富士山が見えます。




(10:00)
中山道は、ここから左下へ下りて行きます。
このような、手作りの表示がありがたいです。


権八延命地蔵


堤防の下。
「物言い地蔵」が祀られています。
説明板に平井権八と紹介されていますが、歌舞伎の世界では白井権八の物語として取上げられています。




吹上駅の近くへ来ました。
県道307号線が高架となっていて、その下に碑と解説板が設置して有ります。




(10:28)
鴻巣市前砂に設置してあった石碑。




箕田追分の交差点に設置してあった解説板。





解説板の箕田源氏ゆかりの地。
拡大して。


氷川八幡神社

(11:38)
鴻巣市箕田地内の氷川八幡神社です。
広い境内。
大きな木が有ります。




民家のミモザ。
今が盛りです。




(12:50)
鴻巣市の加美町に入ってきました。
隣接する宿場までの距離を現しています。





女性が歩いていまして、街道歩きですか?と声を掛けました。
列車で来ては、少しづつ街道歩きをやっていると話しました。
そして、横川辺りまでを歩きたいと言っていました。


鴻神社

(13:05)
鴻神社へ来ました。





「お願いたまご」を納める場所が設けてありました。
願を掛ける。
絵馬ではなく、このような玉子は珍しいです。




鴻巣宿の解説版です。
鴻巣は人形作りが盛んなところです。
町名に人形町があり、解説しています。


ひなの里

(13:43)
鴻巣市産業観光館。
ひなの里に寄ります。。




館内に入りました。
雛人形が展示して有ります。




ひな人形の頭(カシラ)の制作行程を解説しています。




鴻巣宿に入ってきて最初に目に留まった町名が加美町でした。
そして、雷電町などがありました。
この、ひなの里がある場所は人形と言う地区で人形1丁目とか2丁目となっています。
町名変更で昔の町名が無くなって行きましたが、このような表示板が貼ってありました。




(14:58)
さいたま市の方向から男性が歩いて来ました。
街道歩きをやっているが、かつては山登りで秩父の山に登っていたとか。
「七峰縦走」で規定の時間内にゴールすると、この帽子が貰えたと話しました。

「七峰縦走」を検索してみました。
http://tabi.tobu.co.jp/playing/hiking/events/nanamine/
標高300mから800mの7山を縦走するもので、距離はマラソンと同じ42.195キロでした。
7山を縦走する大会が有るわけですが、競争ではなく、自分の脚力を確認すると言うモノでした。
今年1月に募集開始して、既に締切りになっていました。
なお、大会は4月21日に実施されます。

平地でも42.195キロを歩くのは、大変な事です。
1,000メートルに達しない山でも、コレだけの距離を歩くとなると・・・・・。
この帽子を撮影させてくれた彼は外反母趾で足を傷め参加できなくなったと語りました。



圏央道 国道468号線

圏央道の上が渡道橋になっています。
渡道橋の上から眺めました。
この先。
桶川加納インターが有ります。




(15:46)
渡道橋を降りてきたところで女性2人組と出合いました。
日本橋から歩いて来たとか。(間違っていましたらお許しください。)
この時間に、ここまで歩いて来たなら、相当な健脚家です。





(16:01)
これから桶川市に入ります。
この道路。。
バイパスが完成するまでは国道17号でした。
今は埼玉県道164号線です



桶川宿の案内板が設置して有りました。


桶川宿宿場館

(16:21)
宿場館へ来ましたが、月曜日で休館なのか閉まっていました。
右はガラス越しに館内を覗きました。




文化財に指定されている矢部家住宅です。
道路越しに見えました。
統一地方選挙を控え、選挙事務所となっています。




(16:36)
ここから上尾市となります。


JR北上尾駅

県道164号線から右に折れ、北上尾駅へ来ました。
この駅から大宮駅へ向かいます。




列車に乗車する前。
本日の歩行歩数です。
9時間余りで35キロを歩きました。





(17:21)
さいたま市大宮区仲町の「パークプラザ大宮」へ来ました。




ここはカプセルホテルです。
カプセルホテルに泊まるのは初めてです。
下段と上段で利用金が異なりました。
出入りがし易い下段を選びました。



焼鳥日高

夕食は外へ出ました。
立ち飲みの焼鳥日高です。
この店は昨年の12月にも訪れました。




もつ煮込み、ねぎまとシロタレ。
生キャベツにポテトサラダ。
そして生ビールに生冷酒です。
とても安価です。

感想
今日は夜行列車で熊谷駅に着き、その後中山道を歩き始めました。
後半は県道164号線を歩きましたが、その前は荒川の熊谷堤防を歩きました。堤防から見えた浅間山、男体山や富士山。このように遠くの山々が臨めたのも今の時期、空気が澄んで居るから見ることが出来ました。
堤防を歩いて山々が臨めたのが良かったです。
歩行距離にして35キロ。歩きました。
コレだけ歩いても、脚の筋肉は何とも有りません。
かつては足の裏が痛くなったのですが、今は痛くなりません。それだけ足の裏が丈夫になったのでしょう。

今日の経費

岐阜駅から豊橋駅 乗車券 1,940円
青春18キップ1枚分 2,370円
ムーンライトながら座席指定券 520円
蕎麦 290円
秩父鉄道熊谷駅から石原駅 170円
海苔弁当 468円
アイス、パン等 290円
100均 216円
ひなの里土産 1,040円
ドンキホーテ 1,503円
焼鳥日高 1,630円
蕎麦 300円
カプセルホテル(ポイント使用) 2,912円  
             合計 13,649円


kオジサンの中山道旅日記  その27
3月19日(火) 晴 JR北上尾駅からJR浮間舟渡駅 まで   へ

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kオジサンの中山道旅日記 その25 JR本庄駅からJR熊谷駅 まで 

2018-12-25 23:26:38 | Kオジサンの中山道旅日記 

12月25日(火) 晴 JR本庄駅からJR熊谷駅 まで  

昨日の続きです。ホテルルートイン深谷駅前から深谷駅へ向い、高崎線の列車に乗車しました。この深谷駅。ミニ東京駅と言った感じがするレンガ造りの駅舎でした。ここから本庄駅に向い、昨日の続きのスタートです。
JR本庄駅から北に歩き、本庄駅入口交差点から県道392号線(中山道)を歩きました。暫く歩くと国道17号線と交差するので、渡道橋で越えました。元小山川の新泉橋を渡ると藤田集落に入りました。そして、小山川の滝岡橋を渡ると国道17号線で深谷バイパスへ出ました。中山道からは外れるのですが、道の駅おかべに寄ってみました。
道の駅から再び中山道に向い、深谷宿を目指しました。深谷宿の入口に来ると西の常夜灯がありました。古くからの酒造屋が有ったりする宿場町を抜けると東の常夜灯がありました。そして、宿場の端には見返りの松。この松は深谷宿を去る時に旅人が振り返ったので見返りの松と言われるようになったとか。
籠原駅を過ぎた辺り。玉井地区を歩きます。17号線と離れていた中山道で、ここでも、国道と交差するので、渡道橋で越えました。この辺りは中山道と旧国道17号線。それに国道17号線の深谷バイパスが並行していました。先に進むにしたがって中山道が国道17号となりました。その道を歩き熊谷宿に入っていきました。
今日は本庄宿、深谷宿。そして熊谷宿まで歩きました。中山道がJR熊谷駅前となったところで、今回の街道歩きを終了して大宮駅に向かいました。

JR本庄駅 ― 県道392号線 ― 国道17号線渡道橋 ― 街道沿いの石仏群 ― 宝珠寺 ― 
滝岡橋
 ― 道の駅おかべ ― 中宿古代倉庫群跡 ― 芭蕉句碑 ― 普済寺 ― 瀧宮神社 
― 西の常夜灯 ― 
滝澤酒店 ― 本陣跡 ― 東の常夜灯 ― 見返りの松 ― 熊野大神社 
― 明治天皇御小休所跡碑 ― 
忍領石碑 ― 新島一里塚 ― 秩父道道標 ― 八坂神社 ― 八木橋百貨店 ― 熊谷寺 ― 本陣跡碑 ― 札の辻跡碑 ― 熊谷直実像 ― JR熊谷駅

ホテル ルートイン深谷駅前 朝食場所

(07:29)
ホテル ルートイン深谷駅前の朝食場所、「花茶屋」です。



並んでいる朝食です。
新鮮な野菜も有りました。




チョイスして来た朝食です。




(08:22)
ホテル ルートイン深谷駅前のフロントです。
ルームキーを返却してホテルを出発します。


JR深谷駅

正面から見たレンガ造りの深谷駅です。
駅をこのようなレンガ建ての駅舎にしたのは深谷出身の渋沢栄一が日本煉瓦製造会社を経営していた事に由来するのではなかろうか。





(08:42)
8時42分発の高崎行きが入線してきました。





(08:52)
JR本庄駅に着きました。




(08:58)
JR本庄駅の駅前。
昨日と同じシーンです。
昨日、歩き終えて、その続きを再開します。





本庄駅入口の交差点で右に曲がり、県道392号線を深谷に向って歩き始めました。






(09:34)
元小山川の新泉橋から見えた浅間山。
白く冠雪しています。
北の方には日光の男体山の先っちょが見えました。



カーブして行く中山道。
本庄市藤田地区を歩いています。





(09:39)
中山道沿いに歯医者がありました。
内野家の立派な長屋門が見えました。



街道沿いの石仏群

並んでいる石仏群。
それに祠の中には子育て地蔵。そして庚申塔や賽神が並んでいます。
旅の途中に亡くなった人を供養したりしているのかもしれない。




(09:47)
カーブして行く中山道。
街道沿いにはネギの畑が見えます。


滝岡橋

小山川に架かる滝岡橋を渡りました。
人の気配を感じて、カモが逃げて行きます。




(10:31)
中山道は真っ直ぐ進むのですが、左に折れて深谷バイパス沿いの道を歩きます。
この先に道の駅が有り、寄ってみようと思いました。



道の駅おかべ

道の駅 おかべに寄りました。





情報館の中の展示。
道の駅の近くの宿場。本庄宿、深谷宿、熊谷宿を解説しています。




こちらは物販棟です。
この辺りの特産物や農産物を販売しています。
沢山の人で賑わっていました。




(11:15)
道の駅から歩いてきました。
右が中山道で左が国道17号線です。
大きな1本の木。
その向こうに木が生えています。
そこに芭蕉の句碑が設置して有りました。




(11:27)
国道17号の歩道を歩きます。
ここは国道17号と中山道が重複しているコースです。




西の常夜灯

(12:26)
深谷宿に入って行きます。
宿場の入口に常夜灯が有りました。
この常夜灯の前には呑龍院の鐘楼が見えました。



滝澤酒店

滝澤酒造です。
菊泉と言う銘柄の酒。杉玉が下がっています。



旧大谷藤豊邸

(13:12)
歩いて来て、和洋折衷の立派なお屋敷が見えました。
ネットで検索したら旧大谷藤豊邸である事が判りました。
調べたら昭和の初期の大恐慌期。
多くの人が仕事が無く疲弊していた。
そんな時期に町長であった大谷藤豊が2年、100人の職人を働かせて出来上がったのが、この建物だそうな。
国の重要文化財に指定されています。





ガラス越しに見えたザルや熊手。
Googleで調べたら亀井籠屋と言う場所でした。
主が制作しているのだろうか。
今では余り、見かけなくなった店でした。




歩行者や自転車のためのコースが設けられていました。
説明板には日本煉瓦工場へのかつての引込み線だと有ります。




東の常夜灯

(13:17)
東の常夜灯です。
引込み線の直ぐ横に設置して有りました。



見返りの松

深谷宿のはずれ。
見返りの松がありました。
初代の待つが排気ガスで枯れ、2代目の松になったと説明がありました。





道路沿いで咲いていたスイセン。





(13:30)
松の木が生えていて街道らしさを感じさせます。





道の横の畑。
深谷ネギが育って、収穫できそうになっています。





(13:49)
JAふかやグルメハウスと言う農協の農産物直売所です。
店頭に深谷ネギが積んで有りました。





(14:11)
深谷市の幡羅地区を歩いています。




国道17号線。
熊谷バイパス玉井南交差点から東京方面を望みました。
東京まで72キロとなりました。




(14:56)
こちらも国道17号線です。こちらが本来の17号線なのでしょう。
渡道橋で国道を渡ります。
左が国道で右に分かれて行くのが旧中山道です。
東京までは70キロとなっています。






(15:12)
熊谷市新島地区を歩いています。
曲がりくねった道。
街道らしさが有ります。





忍領石標。
忍藩が領地を示す境界の石柱です。




(15:22)
中山道と国道17号線が一緒になりました。





東京まで68キロとなりました。






(15:47)
右は国道17号線で、左が旧中山道です。
左に向かって行きます。



八木橋百貨店 

八木橋百貨店の西口です。
旧中山道の石柱が立っています。
この百貨店の中を中山道が通り抜けているのでした。
中の通路が中山道となっており、記念のスタンプが押せるようでした。
それに反対側の東口には石碑が設けてあるようでしたが、見落としてしまいました。




(16:14)
国道17号から曲がって熊谷駅へ向かいました。



熊谷直実像


(16:18)
駅の正面に熊谷直実のブロンズ像が設置して有ります。




今日は本庄駅から歩き始めました。
ここ、熊谷駅で街道歩きをお終いにします。
28キロほどを歩きました。


JR熊谷駅

(16:21)
橋上駅の熊谷駅へ上がります。
階段にはラグビーの絵が描かれています。
西の花園(東大阪市)。東の熊谷です。
熊谷市ではラグビーの2019ワールドカップが開かれますが、街全体がラグビー都市となっています。

JR熊谷駅

(16:27)
熊谷駅を16時27分に出る小田原行きが入って来ました。
この列車に乗車します。




(17:06)
大宮駅に着きました。





(18:02)
今夜は高速バスで名古屋へ戻ります。
そのバス停が大宮駅の西口となっていまして、乗車場所を確認しました。
そして、駅西をウロウロして東口に来ました。





立ち呑みの店です。
立ち飲み日高。ここに入りました。





(18:20)
注文したのが中ジョッキにもつ煮込み。
生キャベツ。
それにフライドポテト。
コレだけで1,040円でした。



左の黒く太いペンがスキャナーです。
このペン先でメニューをスキャンして読み取り、数をスキャン。
そして注文をクリックすると注文となりました。
こんなの。
初めての体験でした。
それにしても、安かった。





次に寄ったのが丸亀製麺です。
うどんを注文しました。

この後、バスの時間までには、まだ早かったので、漫画カフェに入りました。


JR熊大宮駅

(22:12)
大宮駅の自由通路を抜けました。
大宮駅を後にします。
大宮駅の上にはデパートが有り、大きな駅でした。





(22:31)
ミルキーウェイEXPのバスが来ました。
若い女性が、このバスストップに来た乗客のチェックをしていました。
今日は2両の運行だと話していました。
それにしても、バスに乗る世代は若かった。
彼女に聞いたらさいたまスーパーアリーナでコンサートが有ったので、乗客が多いのだと話していました。





4列シートのバスの車内です。
私は一番前のシートでした。
座席表では、女性は後ろの方の席が割り当てていました。

バスは22時40分。
定刻に出発し、池袋と東京で乗客を拾って行きました。(私は寝て居たので寄ったのは知らないです。)
睡眠導入剤を服用しましたので、バスの車内でしたが、シッカリ寝れました。



(02:56)
静岡SAで15分の休憩でした。
トラックが沢山停まっていて、バスは恐縮して居ると言う感じです。




(05:42)
名古屋南ささしまライブに到着です。

このバス。
大宮から名古屋まで5,500円でした。
月や日によって値段が違うようです。
上手に利用すれば格安で利用する事が出来ます。


JR名古屋駅

(06:00)
ささじまライブから歩いて来て名古屋駅へきました。
名古屋駅はこれから混雑する時間帯を迎えます。



JR岐阜駅

(06:38)
名古屋駅を6時10分に出た普通列車です。
岐阜駅に着きました。
高山線の列車に乗り換えれば、我家はもう直ぐです。




感想
夜行列車で行き、夜行バスで戻って来るという3日間の街道歩きでした。
今回、北関東を歩いて高崎線が明治16年に開通したのを知りました。東海道線の全通よりも早い時期です。絹製品の輸出で国策的に進められたのでしょう。鉄道史を紐解いた。そんな気がしました。
高崎は大きな町でした。中山道の宿場町としてだけでなく、信越本線。上越線のカナメとして発展してきました。そんな面を見る事が出来たのも街道歩きの面白さです。
本庄宿を出て、橋の上から冠雪の浅間山が見えました。北方には日光の男体山の先っちょが見えました。西には秩父の山々。この場所が関東平野のド真ん中と言うのが良く判りました。ここから浅間山への距離。江戸時代に浅間山が噴火し江戸に灰を降らせた。納得の距離でした。
この3日間。
最初の松井田宿で国道18号線の表示は125キロを現していました。そして、熊谷宿の国道17号では東京までが65キロとなっていました。国道の数字では3日間で60キロ歩いたこととなります。でも、歩数計の数字は3日間分で77キロを表しました。国道は直線的に結びますが、中山道は曲折が有りますので、距離が伸びるたのでしょう。
次回は3月に歩こうと考えています。


今日の経費

JR深谷駅からJR本庄駅 190円
ローソン(茶) 129円
道の駅おかべ 644円
ファミマ(お握り) 242円
JR熊谷駅からJR大宮駅 580円
お土産 540円
焼鳥日高 1,040円
丸亀製麺 290円
漫画カフェ 1,100円
大宮駅西口から名古屋ささしまライブ バス代 5,500円
JR名古屋駅からJR那加駅 670円
                             合計 10,925円


kオジサンの中山道旅日記  その26
3月18日(月) 晴 秩父鉄道石原駅からJR北上尾駅 まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その24  アパホテル高碕駅前からJR本庄駅 まで  

2018-12-24 23:20:29 | Kオジサンの中山道旅日記 

12月24日(月) 晴 アパホテル高碕駅前からJR本庄駅 まで  

昨日の続きです。アパホテル高崎駅前を出発して西に向うと中山道へ出ました。あら町交差点から南に向かいました。国道17号の高架橋の通過して更に進むと倉賀野宿に到達しました。次に訪ねたのが新町宿です。この宿場、明治天皇の行在所が有って、御巡行の際に泊まっています。でも、本陣や脇本陣の跡がなかったのです。(見つける事が出来なかっただけなのかも知れません)宿場が大火にあったのかも知れないと想像しました。
中山道が国道17号と交差したり、国道と一緒になったり離れたりしました。
そして、ついに埼玉県に入りました。計画では深谷宿まで行こうと思っていましたが、日が暮れてきたのと寒くなったので、本庄駅で終わりとしました。
今日は高崎宿、倉賀野宿、新町宿。そして本庄宿まで歩きました。

アパホテル高崎駅前 ― 新町交差点 ― 上信電鉄踏切 ― 上越新幹線高架下 ― 
国道17号線高架下
 ― 旧中山道左道通行道標 ― 安楽寺 ― 倉賀野宿高札場跡
 ― 脇本陣跡 ― 本陣跡 ― 
倉賀野おもてなし館 ― 皇太子殿下降誕記念碑 ― 
倉賀野常夜灯 ― 高崎線渡道橋 ― 岩鼻 ― 
柳瀬歩道橋 ― Unnamed  Road ― 
烏川緑地スポーツ広場 ― 関越自動車道高架下 ― 
スリーデーマーチ発祥地碑 ― 
行在所公園 ― 松島肉店 ― 新町宿高札場跡 ― 新町八坂神社 ― 
新町常夜灯 ―
 神流川橋 ― 庚申塔 ― 金久保 ― 賀美公民館 ― 陽徳寺 ― 金久保神社 ― 
国道17号線 ― 浅間山古墳 ― 金鑽神社 ― 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫 ― JR本庄駅


アパホテル高崎駅前

(07:39)
アパホテル高崎駅前の朝食場所です。
ホテル内の「京都銀ゆば」と言う店が朝食の場所になっています。



並んでいる朝の食事です。





チョイスしてきた朝食です。




アパホテル高崎駅前のフロント。
ホテルから出発します。
ホテル内で何も使っていなければ、カードキーをポストに投入するだけでチェックアウトができます。




(08:57)
高崎駅前に来ました。


新町交差点

信号機の上の表示では、あら町となっていました。
ここから南に向って歩いて行きます。




(09:19)
フィトネスLiveryと言う場所です。
ここはおじいちゃん、おばあちゃんのフィトネスクラブでした。
歩いて来て、暑くなったので、お邪魔して下着を脱がさせてもらいました。


国道17号線高架下

橋の上が国道17号線です。
橋の下を通り抜けます。




(09:44)
カーブして行く道。
この道は、かつての国道17号線だったと思います。
新しいバイパスが出来て県道になりました。



旧中山道左道通行道標

中山道を左側通行でと言う石碑です。



倉賀野宿高札場跡

倉賀野宿の高札場跡です。
この横に高札が建っていましたが、古くなり、字が読めなくなっていました。



倉賀野おもてなし館

(10:30)
かつて、商家だった場所で、休憩が出来るようになっていました。





お相手してくださった二人の女性です。




倉賀野常夜灯

(10:40)
倉賀野の常夜灯です。
倉賀野宿のはずれにありました。
ここから左に向かうと日光へ行けます。




高崎市の指定史跡で解説していました。




常夜灯の直ぐ横に有ったのが閻魔堂です。
建替えたのか、まだ新しいです。
ガラス戸越しに中を覗ったら、閻魔様が睨んでいました。




(10:50)
前方から歩いて来るご夫婦と擦れ違いました。
この辺りの人のようでした。
今日は新町駅から歩いて来たと言っていました。
何処まで歩くか、決めていないと話していました。



中山道の高崎市倉賀野地内、深谷宿に向かって歩きます。
前方に見えるスロープは高崎線の渡道橋です。
今日のKオジサンの後ろ姿です。


高崎線渡道橋

(10:59)
何処行きだろう。
上りの列車が通過していきました。




渡道橋を渡り、坂を下ってきました。
新柳瀬橋北の交差点です。
先に距離表示のボードが見えます。
東京までが99キロ。熊谷までは32キロ、本庄は11キロとなっています。





(11:07)
交差点から左に離れて行きます。
左はかつての17号線。(だと思う)右が中山道です。





宿場間の距離表示ポストが所々に設置して有ります。
少し古くなり、読み難いものも有りました。




(11:16)
烏川へ来ました。
県道13号線に柳瀬橋が架かっています。



柳瀬歩道橋

歩行者用の柳瀬歩道橋を渡ります。





柳瀬歩道橋から下流を眺めました。


Unnamed  Road

(11:23)
名の無い道ですが、堤防道路でウオーキングコースになった道です。
前方からランニングの男性が走ってきました。
そして、橋のたもとでUターンして行きました。



道がカーブして行きます。
本来の中山道はこの道の左です。
堤防の道から降りて県道178号を歩きました。




(12:06)
今まで歩いて来たのは藤岡市で、ここからまた高崎市となります。
この先に新町宿が有りますが、高崎市には高崎宿、倉賀野宿、新町宿が有ります。




JR新町駅への道。
この道を進むと、JR新町駅に当たります。



松島肉店

(12:21)
入口に大きく「まつしま」と表示していますので、まつしまが屋号かと思ったら松島肉店が正しいようです。
歩いて来て、駐車場の「オランダコロッケ」のも字が気に掛かりました。
コロッケを揚げて売っているようなこの店。
肉店に飛び込みました。





肉店に飛び込んでみました。
肉は勿論ですが、ハムカツやカレーパンを揚げて売っていました。
ショーケースの中には色々のモノが並んでいます。
もともと、食べてみたかったオランダコロッケを注文しました。
それに、ハンバーガーなども頼みました。




先ほど寄った、行在所公園に戻りました。
この公園でランチタイムです。
左がオランダコロッケ。ポテトコロッケとクリームコロッケの中間と言った感じでした。
そして、右はフィッシュバーガーです。値段が安かった。
味はこんな、物かと言う印象でした。




(12:42)
この家屋。
歳月が経っていますが、旧蹟として保存してありました。




深谷宿へ向って歩きます。



新町八坂神社

(12:55)
八坂神社へ来て、前方から男性と女性が歩いて来るのに擦れ違いました。
今日は、何処から歩いて来たのかと聞いたら「トキワ」からと言われました。
その時、「トキワ」が何処の場所なのか、判りませんでした。
後から、深谷の常盤と言う場所だと判りました。

お二人は日本橋からスタートして、街道歩きを繰り返しているのだと話してくれました。



新町常夜灯

新町宿のはずれ。
常夜灯のところに来ました。




常夜灯の説明です。





(13:03)
国道17号。
東京まで94キロになりました。


群馬・埼玉県境

群馬と埼玉の県境。
神流川橋の手前に立っていました。





(13:09)
これから神流川橋を渡ります。
橋のたもとに常夜灯のモニュメントが設置して有ります。




橋を渡ると真っ直ぐに進む17号線。
中山道は左に折れて行きます。





(13:29)
歩いて来たのが県道392号線。
賀美公民館の前です。
中山道の説明板が設置して有りました。



県道392号線ですが、歩道が完全に整備して無くて、所々整備していました。




(13:52)
街道らしさが有る道です。



浅間山古墳

(14:10)
途中、道路沿いに有ったのが浅間山古墳です。




(14:45)
392号線が462号線とぶつかり、南西に進みます。
そして、千代田3丁目の交差点南東角に石碑が設置して有りました。
中山道本庄宿の石碑です。


金鑽神社

立派な本殿の金鑽神社です。
この左側には立派な神楽殿が有りました。




旧本庄商業銀行煉瓦倉庫

(15:08)
この赤レンガの建物。
新町宿の八坂神社で擦れ違った時、女性から覗いて見ると好いよと勧められました。
かつて、商業銀行の建物だった場所です。







2階のイベントホールです。
コンサートが開かれていました。



JR本庄駅

(15:38)
本庄宿に入ってきまして、まだ、歩くのを続けようとしましたが、日が暮れて来ましたし、風が冷たいので歩くのを止めて本庄駅へ向かいました。





歩き始めと歩き終りの記録です。
28.8キロ歩きました。国道のキロ数は直線に近い数値ですが、中山道はクネクネとしていて距離が長いです。
体力的には、まだ歩けました。




(15:45)
お昼にハンバーガーを食べて、時間が経ち腹が減ってきました。
丁度、駅に立ち食いのソバ屋が有りましたので、電車の時間も余裕が有り、食べました。




(15:55)
15時55分発の上野東京ライン、小田原行きが入ってきました。




(16:12)
深谷駅に着きました。
この駅はレンガ造りの重厚な建物です。



ルートイン ホテル深谷駅前

ルートインの深谷駅前。
歩いて、直ぐの場所でした。






(16:31)
これからホテルの中にはいります。


感想
旧本庄商業銀行煉瓦倉庫を見て、こんなことを思いました。
この辺りから北関東に掛けて養蚕が盛んでした。
マユを担保に融資を受ける。
そのマユから出来た絹布の輸出へと繋がり、繁盛しました。
鉄道、高崎線が明治16年に開通したと説明に有りました。
東海道線が全通するよりも早い時代です。
ここから絹布が横浜へ運ばれ、海外へ出て行ったのでしょう。
と、なると三渓園を造った原三渓も関係したことでしょう。
知らない事を知るのが面白いです。

 

今日の経費


ペット茶 129円
ハンバーガー他 443円
ファミリーマート 974円 
駅そば 280円
本庄駅から深谷駅 乗車券 190円
ルートインホテル深谷駅前  6,000円
      
               合計 8,016円


kオジサンの中山道旅日記  その25
12月25日(火) 晴 JR本庄駅からJR熊谷駅 まで    へ

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kオジサンの中山道旅日記 その23  JR西松井田駅からアパホテル高崎駅前 まで  その後に上野へ

2018-12-23 23:42:59 | Kオジサンの中山道旅日記 

12月23日(日) 曇り一時雨 JR西松井田駅からアパホテル高崎駅前 まで  その後に上野へ

前回、歩き終わったJR西松井田駅から街道歩きを再開します。今回は松井田宿、安中宿、板鼻宿へ歩き、高崎宿をゴールとしました。
再開する松井田宿は群馬県であり、遠い場所です。それで、現地に向うのに青春18キップを使おうと思っていました。乗車する列車は臨時の快速。「ムーンライトながら」です。この列車、人気がある列車なのですが、乗車するのに座席指定券を買わなくてはなりません。12月16日に指定券を買って来ました。窓口の職員はキャンセルが出て1枚残っていたのだろうと言っていました。指定券をゲットできたのはラッキーでした。
今の時期。上野では「フェルメール展」「ルーベンス展」「ムンク展」が開かれています。今日なら18キップが有効に使えるから何処か、絵画展に行こうと思っていました。

JR西松井田駅 ― 道祖神  ― 新堀・金井本陣跡  ― 松井田仲町  ― 脇本陣跡 
― 国道18号線
 ― 妙義道常夜灯 ― 郷原地区 ― 八本木地蔵堂 ― 
原市町道路元標 ― 
明治天皇小休所碑 ― 杉並木碑 ― 安中市並木配水池 ― 
新島襄旧宅入口 ― 愛宕神社
 ― 便覧舎跡 ― 旧碓氷郡役所 ― 安中宿本陣跡
 ― 久芳橋 ― 庚申塔道標石 ― 鷹之巣橋 
― 板鼻堰用水路 ― 
八坂神社の双対道祖神 ― 板鼻宿本陣跡 ― 双対道祖神 ― 国道18号線

寒念仏橋供養塔 ― 大門屋 ― 藤塚一里塚 ― 上豊岡の茶屋本陣 ― 庚申塔
― 道標 ― 
君が代橋 ― もてなし広場 ― 高崎城跡 ― アパホテル高崎駅前


JR岐阜駅

(22:44)
岐阜駅の1番線ホームです。
ムーンライトながら。臨時快速列車の到着を待ちます。
今は22日で、途中で日にちが変わります。


ムーンライトながら

(22:58)
大垣駅が始発のムーンライトながらが1番ホームに入線してきました。





(22:59)
ムーンライトながらに乗車しました。
10両編成の最後尾です。大垣駅を発車してその次の停車駅が岐阜駅です。
既に何人か乗車しています。
大垣辺りの人でなく、大阪や京都などから快速と普通列車を乗り継いで来た人も居るのではと推測しました。



青春18キップ

岐阜駅を発車して、直ぐに車掌が検札に来ました。
那加駅から豊橋駅までは22日分で1,940円です。
目的地が松井田西駅です。日付が変わってから18キップを使います。
検札に来た車掌が23日のスタンプを押してくれました。
青春18キップを使えば、1枚あたりが2,370円。それに座席指定券の520円を加えた金額で行く事が出来ます。





(23:22)
1号車の車内で、前から3番目のシートでした。





車内のポスター。
石廊崎辺りだと思います。
青く変色してしまっています。
この列車。185系と言うタイプの車両で運行しています。
かつては東京と伊豆を結んでいた花形特急で、「踊り子」として走っていました。運行しだして40年は経っていると思います。
今では、すっかりお婆ちゃんになってしまいました。

臨時快速の「ムーラントながら」として運行しているのだが、何時までこの列車で運行を続けるのだろうか。


JR東京駅

(05:07)
東京駅に着いた「ムーラントながら」。
鉄道ファンが写真に収めています。
ピンボケでした。





私も撮影しました。
もう、既にヘッドマークが回送に変わっています。





(05:12)
5時13分発の山手線、外回りの列車が来ました。



JR上野駅

(05:31)
5時43分発の高崎行きの普通列車が待っています。



JR高崎駅

(07:29)
高崎行きの普通列車が高崎駅に着きました。
前方に横川行きの列車が待っています。
あの列車。7時30分発です。
乗車したら、直ぐに発車しました。




横川行きの車内です。
高崎駅を出た時は10人余りが乗っていましたが、少人数になりました。

 

 





JR松井田西駅

(07:57)
西松井田駅に着きました。
降りたのは、あの男性と私だけでした。




西松井田駅です。
無人駅です。
振返って見ました。



新堀・金井本陣跡

(08:10)
西松井田駅から北に向かい、新堀交差点から中山道を歩き始めました。
黒い塀の建物。
立派な松が見えます。




反対側から見た新堀・金井本陣跡です。
かつては本陣だった建物で、子孫が住んでいるのでしょう。
中山道分間延絵図を公開していると表示して有りました。



松井田の街はサンタが一杯

松井田町の中心部に入ってきました。
何人もサンタが居ました。
私が歩いていて、見かけた町人よりもサンタの方が多かったです。





(08:30)
松井田宿の案内板です。




(08:36)
松井田の仲町と下町の間です。
緩い下り坂の道を歩きます。



国道18号線

(08:59)
中山道が国道18号と一緒になりました。
東京まで125キロとなっています。



(09:18)
国道18号線から分かれて県道216号を歩きました。
高崎方面から男性が歩いてきました。
何処から歩いて来たのかと聞きましたら、安中からで、横川まで歩くと話しました。
時々、この近辺を歩くと言っていました。
この辺りの人なのでしょう。




春の兆し。
菜の花が咲いています。




(10:04)
道がカーブして行きます。
街道らしさを感じさせます。



明治天皇小休所碑

明治天皇がここで休んだので、石碑が建てられています。
奥の説明板には明治11年北陸東海を巡行の際にここで休んだと有ります。
この場所の左には原市高札場跡の立て札が立っていました。


原市杉並木

(10:13)
原市の杉並木に来ました。
大きな杉が並木となっていますが、中には切り倒されて切株だけになったのも有りました。
杉並木を再現するためにも、新しい杉を植えてはと思いました。



安中市並木配水池

(10:20)
Googleに並木配水池と表示しています。
水槽に「安政遠足」が描かれています。
安政遠足は安中藩主が藩士の鍛錬のため走らせた徒歩競争と有ります。
今は春にマラソンが開かれ、仮装した人が参加しているようです。



有田屋

(10:42)
立派な蔵が見えました。
有田屋と言う醤油屋さん。
長く醤油造りを続けている老舗です。



便覧舎跡

有田屋の向かい側です。
便覧舎後の表示がありました。



旧碓氷郡役所

(10:53)
中山道から見えた旧碓氷郡役所です。
先を急ぐので寄りませんでした。


安中宿を後にしました。
安中には安中藩武家長屋や新島襄の生家が有ったりします。
ユックリと訪ねてみたい場所でした。







(11:07)
国道18号の渡道橋に上がりました。
4車線になっている安中バイパスです。
この先、碓氷川に架かる久芳橋となります。


東邦亜鉛安中精錬所

歩いていて見えたのが大きな工場です。
検索しましたら東邦亜鉛安中精錬所となっていました。
山の斜面を活用した大きな工場です。
更に調べましたら、かつてカドミュウムを垂れ流し公害を起した企業でした。



板鼻堰用水路

(11:37)
碓氷川に架かる鷹ノ巣橋を渡り、板鼻宿に入ってきました。
眼に入ったのが用水路です。
説明板には板鼻堰用水路と有りました。
恐らく碓氷川の堰で取水して下流へ流しているのでしょう。

この辺りへ来て、雨がパラパラ降りだしました。
ザックにカバーをかけ、傘を差しました。



八坂神社の双対道祖神

八坂神社の双対道祖神。
神社の境内に有った双対道祖神ですが、コケが生え見づらくなっています。



双対道祖神

(11:53)
3基の石碑が並んでいて中心に双対道祖神が有りました。
こちらの双対道祖神は表情が良く判り、瓢と杯を持っていて、酌み交わしている姿が微笑ましく見えます。


国道18号線

(11:57)
中山道が国道18号と合流しました。
車が沢山通る国道の歩道を歩きます。



大門屋

店先でダルマを乾燥させていた店です。




店先のダルマ。
高崎名物のダルマです。
高崎に来たと言う感じがしました。

この辺りから、カメラの調子が悪くなってきました。
シャッターが下りないのです。
交換レンズを買ったのですが、そのレンズの調子が悪いのです。予備にレンズを持って来ていましたがザックの中で取り出すのが面倒でした。
ここから、しばらく撮影ができなくなりました。





(12:31)
カメラの調子が悪い中で、どうにか撮影しました。
中山道が国道から離れていきます。
左に向かい、豊岡町へ入って行きます。


上豊岡の茶屋本陣

重厚な構えの門が有りました。
「上豊岡の茶屋本陣」の木札が下がっています。




門から中へ立ち寄りました。





中から女性が出てきました。
無料で館内を見学できると言って、入るのを進められましたが、先を急ぐと言って辞しました。


豊岡町を歩いていて、ダルマの工房が何軒も有りました。
この辺り。
高崎ダルマを生産する店が多いところでした。
Gooleを見ていたらダルマ寺が有りました。



道標

(12:53)
左が中山道で右は新しい道です。
下豊岡町の信号交差点へ来ました。
車の往来が多く、道標の文字を読む事が出来ませんでした。


アパホテル高崎駅前

アパホテルに着きました。


ホテルへの正確な到着時間は判らないと思っていたのですが、アパホテルへのチェックインはレシートで13時44分となっていました。
この画像は、チェックインして上野に向うため、ホテルから出て来た時のモノです。




歩き出す前と歩き終わったときのものです。
左は松井田西で、歩き始めた時のモノですが、何故12月22日になっているのか判らないです。
日付的には23日です。
6時間弱の時間で20キロ余りを歩きました。


JR高崎駅

高崎名物の大きな赤いダルマが自由通路の真ん中に設置して有りました。
1月にダルマ市が有ると言うポスターが貼って有ります。







高崎駅の8番線です。
14時24分発の上野東京ラインの伊東行きに乗車します。
この列車の前に14時14分発の新宿湘南ラインの小田原行きが有りました。コレですと赤羽で乗り換えなければなりません。駅員に聞いたら14分で行っても、2分ほどしか違わないと言われました。
でも、14分に乗り、上尾で乗り換えれば15分程早く着けました。



(14:15)
出発を待つ、伊東行きです。




鉄道博物館

車窓から古い列車が見えました。
鉄道博物館です。
もう直ぐ、大宮駅です。



JR上野駅

(16:13)
上野駅に着きました。





上野駅でのミニコンサート。
丁度、演奏が終わったタイミングでした。
そして、聞いていた人たちから拍手が起きました。




(16:18)
上野駅の公園側口に出てきました。
そして、美術館を目指します。




国立西洋美術館

西洋美術館の前です。
ルーベンス展の絵が観客を呼んでいます。
この絵。
エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち。




こちらは入場券売場です。
混雑して来ると入場券を買うにも列となりますが、この時間。スンナリと買えました。
聖アンデレの殉教。




館内で、作品を紹介していました。





(17:37)
美術館の外へ出てきました。
館内に入ったのが16時25分頃でした。
閉館時間が17時30分で1時間ほどいた事になります。
閉館時間が迫ったタイミングでしたが、係りの女性に聞いたら今は空いて来ていると話しました。
日中は沢山の人が来ていたのでしょう。

このルーベンス展。
各地の美術館から持って来た絵が並んでいました。〇〇美術館展とか□□美術館展となると、1館だけで済むのですが、集めるだけでも大変だろうと想像しました。
フランダースの犬の絵に匹敵する絵が並んでいました。





アメ横

(17:50)
美術館から出てきてアメ横をウロウロします。




ブラブラしていて、入った店は「福しん」と言う中華料理の店。
生ビールセットに誘われて入店しました。


JR上野駅

(18:25)
上野駅。
これから高崎へ戻ります。
この列車。籠原行きでした。それで、後から来る列車に乗換え高崎に20時18分に着きました。
通常なら往復3,880円掛かるのですが、18キップを使ったので、0円で済みました。



感想
年の暮れの押し迫った時期でしたが、ムーンライトながらが運行する時期に街道歩きをやりたかったのです。12月22日がムーンライトながらの運行開始日でした。運良く指定券を手に入れる事が出来ました。
松井田宿をスタートして、安中宿、板鼻宿と歩き、高崎宿にゴールしました。上野に向かいたかったので足早な街道歩きでした。振返ってみて、安中市などはユックリ訪ねたい宿場でした。
上野まで足を延ばし、ルーベンス展が見れて良かったです。


今日の経費

那加駅から豊橋駅 乗車券 1,940円
青春18キップ1枚分 2,370円
ムーンライトながら座席指定券 520円
おやつ 466円
お握りパン牛乳等 804円
飲料水 150円
ダルマ等お土産 1,486円
生ビールセット 500円 
乾電池 108円
ルーベンス展 1,600円
アパホテル高崎駅前  7,100円
               合計 17,044円


kオジサンの中山道旅日記  その24
12月24日(月) 晴 アパホテル高碕駅前からJR本庄駅 まで  

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kオジサンの中山道旅日記 その22  アパホテル軽井沢荘からJR西松井田駅 まで

2018-11-06 23:45:52 | Kオジサンの中山道旅日記 

11月05日(日) 晴 アパホテル軽井沢荘からJR西松井田駅 まで

前回の続きの再開です。軽井沢宿から碓氷峠を越え、坂本宿そして松井田宿を目指しました。
雪が降る前に碓氷峠を踏破したいと思っていました。和田峠を越えた時、岐阜県の男性に松井田から高速バスに乗車できると聞いて、実行に移しました。松井田宿のバス停は松井田仲町です。インターネットでバスのシートを押さえました。でも、松井田仲町から乗車する時刻は23時59分です。そんな時間まで何をして過ごそうかと思ったのです。このバス停の近くにはネットカフェや日帰り温泉などが全くない場所でした。確実に待てる場所は前橋駅南バス停です。バス会社に電話したら買い求めたチケットを修正してくれません。キャンセルして、新たにチケットを買い求めるようにと言われました。
ネットでシートを押さえ、コンビにで金を払い込む。便利な時代になりました。

朝、アパホテルを出てからローソンでお昼用のお握りを買いました。その後、雲場池に寄りました。この雲場池、先日テレビで紹介していましたので、どんな池かと寄ってみました。旧軽井沢銀座通りを通って碓氷峠に向かいます。まだ、朝が早いので観光客の喧騒さは無かったです。峠への道は、始めはシッカリした道でしたが消えてしまうような道でした。
峠に有る何件かの餅屋。旅人が往来した時代には賑わった事でしょう。碓氷峠からは長い下り坂でした。安政遠足の表示板が何本も立っていました。峠から降りて来て坂本宿を通過。碓氷峠鉄道文化むらの横を歩くとEF63が行ったり来たりしていました。上信越自動車道の下を抜けてから道を間違え大回りをしました。その時、サルの群に遭遇しました。大きなボスザル。写真はボケています。緊張していたのでしょう。JR松井田駅まで行くつもりをしていましたが、少し暗くなってきたので、JR西松井田駅で終りにしました。

横川から軽井沢に向う列車はアプト式で勾配を登りました。軽井沢から横川に向うのなら、逆方向なので楽だろうと思っていましたが、峠でして軽井沢から碓氷峠へ向うのも登り坂が有りました。思い違いをしていました。

アパホテル軽井沢荘 ― ローソン  ― 六本辻  ― 雲場池  ― 旧軽井沢銀座通り
 ― 軽井沢宿 
― 脇本陣跡 ― つるや ― ショウの胸像 ― 二手橋 ― 
しげの屋 ― 碓氷峠 ― 
熊野皇大神社 ― 思婦石 ― 人馬施行所跡 ― 
陣場が原 ― 一つ家跡 ― 山中坂 ― 
山中学校跡 ― 山中立場跡 ― 栗が原
 ― 座頭ころがし ― 一里塚 ― 堀切 ― 
碓氷坂の関所跡 ― 四軒茶屋跡 
― 弘法の井戸 ― 覗 ― 刎石坂 ― 堂峰番所 ― 
旧国道18号線 ― 浄水場
 ― 坂本宿木戸 ― 芭蕉句碑 ― かぎや ― 本陣跡 ― 
薬師の湧水 ― 
薬師堂 ― 川久保橋 ― 碓氷関所跡 ― 碓氷峠鉄道文化むら ― 
第15中仙道踏切
 ― 碓氷神社 ― 五料茶屋本陣 ― 五料高札場跡 ― JR西松井田駅


アパホテル軽井沢荘

アパホテルの朝食会場です。




泊り客が少ないのか、それ程混雑していません。





チョイスして来た朝食です。
右の赤いのはボルシチです。
朝からボルシチ。
ヘビーだと思い、少量にしましたが、美味しかったです。





(08:26)
ローソンでお昼のお握りを買いました。
雲場池に向うので軽井沢の街の中を歩きます。
この辺り、別荘のような建物が多く、独特の雰囲気がありました。





六辻に来ました。
ここは、ロータリーになっています。


雲場池

(08:36)
先日、この場所の黄葉の様子をテレビで放映していました。
それで、軽井沢に来たのであり、この場所に寄って見ました。
白いドレス。
中国人のカップルです。
5組ほど居ました。
紅葉の場所なのですが、抱き合ってポーズを取るカップルが目障りに見えました。



池の周りを周回しました。
紅葉真っ盛りでした。



旧軽井沢銀座通り

(09:10)
旧軽井沢銀座通りに来ました。
まだ、朝早くで観光客で混雑していません。
こんな状況でも、バスガイドに引率された団体が来ていました。
やがて沢山の人が訪れるのでしょう。





中山道の指示標識です。
こんな標識が有るから宿場だと判るのですが、コレが無いと宿場だとは判りません。




土屋写真展です。
そして、展示してある当時の写真。
この写真屋。
古くから営んでいる写真屋のようです。




あづまや 「力餅」の提灯が下がっています。
この店。
旅人が往来した時代から営んでいるのでしょう。



つるや

(09:23)
こちらはつるや旅館です。
旅館と言うより、旅籠と呼んだ方が好いのかも知れません。
古そうな旅籠です。





レトロなスタイルのバスが来ました。
フロントガラスに路線バスと表示しています。
見晴台と表示して、回送となっています。
と言う事は、見晴台まで運行してその帰りなのでしょう。





前を外国人が歩いています。





(09:33)
分岐点で遊歩道入口。
それに碓氷峠2.9Kmの表示が有ります。





前を歩く外国人。





(09:43)
分岐点で右に行くと遊歩道。
左は中山道です。
先ほどの分岐点と言い、この分岐点と言い、もう少し整理できないものだろうか。





ここで先を歩いていた外国人と一緒になりました。
何処から来たのかと聞いたら、スコットランドからでした。
どれ程、滞在するのかと聞くと、2週間と言っていました。
奥さんのブラザーが日本人と結婚したのだと話しました。

英会話は出来ませんが、相手が話すことの50パーセントくらいは理解できます。
兄弟が結婚したと聞き、「コングラチュレーション」の言葉を発すれば良かったと、後から思いました。




この辺り。
紅葉が進んでいます。
道幅があり、シッカリした道です。でも、・・・・・。
落ち葉のジュウタンを踏みしめてと言う感じです。





進んできたら道が無くなってしまいました。
ロープが張って有り、かろうじて道だと判ります。






(10:13)
ガードレールの道に上がります。
あの道。
三度山林道と言うようです。




しげの屋

(10:21)
林道を横切り、峠の頂部に来ました。
しげの屋と言う餅屋が有ります。ここが長野と群馬の県境のようです。

ここは碓氷峠で何軒かの餅屋が有ります。
「みすヾや」「碓氷山荘」「見晴亭」そして「しげの屋」です。
旅人が往来した時代から有る餅屋で、旅人がここで一服したのでしょう。
こんなに餅屋が並んでいるとは思っていませんでした。





峠です。
これから下り坂になります。





(10:44)
落ち葉の坂道です。






安政遠足の標識が設置して有ります。
この道は、和宮道で比較的、歩き易い道です。
私は左の中山道を歩いてきました。
中山道は道幅が狭く、和宮道程歩き易い道では有りません。





(11:06)
江戸側から京に向って来て、右が和宮道。左が中山道へと分かれ道。
ここが陣馬が原です。

陣馬が原へ来る時、後ろから鈴の音がしていました。
抜いて行った男性が現れました。
男性と言葉を交わしました。
男性はこの近くに住んでいると話しました。
今日は軽井沢から横川までを歩くと言っていました。





檜の並木道です。




山中坂

(11:26)
山中坂へ来ました。
またの名を飯喰い坂と言われています。
坂道を登るのに、飯を喰わないと力が発揮できない。そう言うところから別名で呼ばれました。




下っていく坂道。
木が美しく紅葉しています。





(11:52)
江戸側から登った来た男性。
何処から来たのか、聞かなかったのですが、今日は横川から軽井沢までを歩くと言っていました。
既に東海道は踏破したのだそうです。
その時、京都が近付くに連れて、歩けた事を感動したと話しました。
私はあの京都への道で石が敷き詰められ、レールになっていたのが凄いですね。と相槌を打ちました。
中山道は全体を歩くのでなく、掻い摘んで歩くと言っていました。


座頭ころがし

滑り易いところで座頭ころがしと呼ばれている場所です。




外国人の夫婦と出合いました。
彼らも碓氷峠を下って行くのでした。
オーストラリアから来たと言うご夫婦です。
何日、日本に滞在するのか、聞いたら「ワン ウイーク」と2デェイと言いました。




9日間中山道を歩くのでしょう。
ガイドブックを撮影させて貰いました。
下の欄外に「NAKASENDO WEY SELFーGUIDED TOUR」と有ります。

検索したら、こんなのが出ました。
https://www.kimkim.com/c/nakasendo-trail-10-day-self-guided-tour
コレは10日間で旅するものです。
木曽路の馬籠や妻籠。それに奈良井や鳥居峠。
そして、碓氷峠。
街道歩きの好い所取りなのでしよう。
彼が持っていたガイドブックに、ENAの文字が目に留まりました。
恵那の方も歩いたりするのでしょう。

10月16日に自宅へ戻る時塩尻駅で見かけたガイドに案内された外国人のグループが木曽平沢で下車していきました。
外国人たちは木曽路の中の好いところを歩いていると思います。




(12:12)
オーストラリア人夫婦が抜いて行きました。





(12:25)
江戸側から男性が二人歩いてきました。
今日は横川から軽井沢まで歩くと言っていました。
歩いて来て、この先も坂道が続くと、道の状況を話してくれました。






坂本宿が見下ろせる覗まで下りてきました。





(12:40)
覗からの眺めです。
坂本宿が見下ろせます。





(13:09)
碓氷峠の下りの道を降りて来ました。
前方に旧国道18号線が見えます。
そして、左側にあずま屋が見えます。
このあずま屋で遅いお昼にしました。






あずま屋に掲示してあった碓氷峠のコース図です。






旧国道を横切り中山道を歩きました。
歩いて、見えたのがレンガ施設の頭でした。
それで、道から離れて降りたら、トンネルの入口でした。
何と言う名のトンネルだろう。
反対側には線路敷が続いています。
かつては、この難所を列車が往来しました。





(13:39)
坂本宿に入って来ました。






(13:42)
JRバスのバス停が有りました。
毎日の運転でなく、好い季節だけの運転です。
それも、1日に1本だけです。
バス停から去って行くバスを見ました。13時31分のバスだったのだろうか。





(14:12)
運行しているEF63です。


碓氷関所跡

碓氷関所跡に寄りました。





(14:46)
碓氷峠鉄道文化むらの裏側となる場所。
EF63が行ったり来たりしています。




歩いて来て休憩している女性。
この二人と男性1名でした。
碓氷峠を下りてきたのかと聞くと、そうだと言っていました。



碓氷峠鉄道文化むら

碓氷峠鉄道文化むらの正面に来ました。
鉄道文化むらの配置が判ります。



第15中仙道踏切

(15:12)
横川から中山道を歩きます。
後ろから走ってきた列車。
この場所の先は踏切りになって、その先が国道18号線になります。





国道18号線沿いを歩きます。






(15:19)
前方から女性二人 歩いてきました。
今日は松井田町から歩いて来て横川で泊まるのだそうでした。
横浜と千葉から来た彼女達。
もともと、横川で泊まるつもりだったのでしよう。
松井田からは遅く出発していました。





(15:51)
五料の街の中を歩いています。
曲がった道で街道らしさが有ります。




(16:03)
五料の街を過ぎた後の事です。。
この道は、来てはいけない道でしたが、道を間違えて来てしまいました。
坂道の前方。
サルの群れが居たのです。
犬くらいの大きさのボスサルが見えます。
サルと目を合せてはいけないと、足早に歩きました。
緊張からカメラはボケていました。

この後、坂を下って行き、田の中を大回りして鉄道の方に向かいました。

JR西松井田駅

(16:27)
暗くなってきたので西松井田駅で終わりにします。





今日のウオーキングの歩数です。




JR西松井田駅

(16:34)
高崎行きの普通列車が来ました。
この駅から乗車したのは私だけでした。



JR高崎駅

(17:06)
高崎駅で両毛線の列車に乗り、前橋駅を目指します。



JR前橋駅

(18:04)
前橋駅に着きました。
駅の南側に出てみました。
そして、食事の出来そうな場所を探しました。


わん

EKITAの2階。
「わん」です。





注文したのはおでんの盛り合わせ。
焼き鳥。
そして、冷酒です。
おでんのダイコン。1本のほぼ半分の大きさです。
それに、上におぼろ昆布が乗っています。
こんなの食べるのは初めてです。
柔らかく、美味しかったです。




(20:13)
前橋駅の待合室です。
バスの到着時間まで居る場所が無く、駅の待合室に居ました。



前橋駅南口バス停

(22:00)
前橋駅南口のバス停です。
ここでバスが来るのを待ちました。





(22:45)
バスが来ました。
日本中央バスの深夜高速バスで「シルクライナー」と言うバスです。
群馬と名古屋、そして奈良と大阪を結んでいます。

このバス、22時50分発です。
ドライバーが2人乗車しています。
ここで乗車したのは私と、若い男性でした。

前橋からこのバスに乗りました。
でも、このバス。
高崎でも停車しました。
ですから、わざわざ前橋まで来る必要が無かったのです。





(01:20)
バスは上信越自動車道、そして中央自動車道を走行しました。
コレは姥捨SAで休憩した時のモノです。
車内照明が落とされていましたが、SAに停まった時は明るくなりました。



恵那峡SA

(03:23)
恵那峡SAで休憩です。
昼間ならバスが優先で停まるところですが、トラックがズラリ。
トラックに挟まれて、バスが恐縮しているように見えます。





(04:50)
名古屋駅太閤通口のバス停に着きました。
途中から雨が降り出しました。
予定よりも若干、早く到着しました。



JR名古屋駅

早朝の名古屋駅。
こんなに人の居ない名古屋駅を見るのは初めてです。





名古屋駅の中央口です。
列車の時刻を表示していますが、どれも始発列車です。





5番ホームへ回送列車が現れました。
5番線ホームの表示は豊橋行きと大垣行きになっていました。
同じホームで反対方向。
どう言う事だろうと思ったら、列車を分割するのでした。





左が大垣行き。
右が豊橋行きです。
分割して、幌が収められました。


JR岐阜駅

(06:08)
高山線の列車です。
高山側から来ました。
この列車に乗れば自宅はもう直ぐです。


感想
碓氷峠を軽井沢から松井田までを歩き、1つの区切りを持つ事が出来ました。雪が降る前の時期にと思っていたので、ひと段落です。
夜行バスに乗車する。好い体験が出来ました。でも、バスの中では熟睡は出来ませんでした。それに、このバスは高崎駅の東口にも停まるのでしたので、前橋まで行く必要が無かったのです。松井田仲町から前橋に変更しました。もう少し、研究の余地が有りました。
中山道歩きの上手な外国人。
軽井沢から横川へ歩いていてスコットランド人夫婦。そして、オーストラリア人夫婦と出合いました。タマタマ、見かけたオーストラリア人にはガイド本を見せて貰いました。Kオジサンの旅日記の、その20ではガイドに案内されて木曽路を歩く外国人グループを塩尻駅で見かけました。アノ時の人たちは団体でしたし、今日見かけたのは個人です。形態は違えども、中山道を歩く外国人たち。そんな姿を目にしました。日本人でも余り街道歩きを、やらないのに外国人は上手く中山道を歩いていると感じました。

今日の経費

前橋駅南口から名古屋駅太閤通り バス代 7,000円
バス解約手数利用 940円
お握り 342円
飲料水 211円
わん 2,169円
お土産 928円 
マクドナルドコーヒー 100円
JR名古屋駅からJR那加駅 670円
               合計 12,360円


kオジサンの中山道旅日記  その23
12月23日(日) 曇り一時雨 JR西松井田駅からアパホテル高崎駅前 まで  その後に上野へ

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kオジサンの中山道旅日記 その21 JR那加駅からしなの鉄道軽井沢駅 まで

2018-11-04 23:45:09 | Kオジサンの中山道旅日記 

11月04日(日) 晴 JR那加駅からしなの鉄道軽井沢駅 まで

10月13日から15日まで、下諏訪宿から軽井沢宿までの中山道を歩き、軽井沢で終えました。その続きを冬が来る前に、歩きたいと思い自宅から軽井沢へ向いました。
列車の旅です。今日一日、時間を掛けて軽井沢へ向えば好いのでした。特急列車には乗車しないで、ゆっくりと普通列車で向かいました。
軽井沢に行くのは何時の日に出かけても好いのでしたが、11月04日に向うように計画しました。タマタマ出かけた日には臨時列車を運行していましたし、篠ノ井ではお祭りが開かれていました。
自宅の最寄り駅から名古屋経由で篠ノ井駅まで行くとなると、4,750円です。土曜と日曜日に使用できる「青空フリーパス」と木曽平沢から篠ノ井までの乗車券を使うと4,060円で690円安くなります。コンなのは青空フリーパスの効果です。
秋を愛でながら、8時間余りの列車の旅でした。

那加(07:25) ― 岐阜(07:34)   岐阜(07:42) ― 名古屋(08:05)   
  名古屋(08:15) ― 塩尻(11:10)
   塩尻(11:28) ― 松本(11:44)    
    松本(12:12) ― 篠ノ井(13:16)
   篠ノ井(13:57) ― 小諸(14:28) 
     
                     小諸(14:39)  ― 軽井沢(14:58)


左の上が青空フリー切符で、エリア内なら乗り放題です。
エリアの端が木曽平沢です。
木曽平沢の外へ出るので、木曽平沢から目的地の篠ノ井までの乗車券が左下です。
右はしなの鉄道の車内補充券です。
軽井沢まで乗車するのですが、その列車が14時49分となっていました。篠ノ井に着いてから1時間半以上も待ち時間が有ると思い込んでいました。祭りを見て、篠ノ井駅へ戻ってきて、13時57分が小諸行きなのだが軽井沢行きに連絡しているのを知り、急遽57分の列車に乗ろうとしました。駅の窓口で、女性が切符を買い求めていたのですが、要領を得ませんでした。出発時間が迫っている。それで、篠ノ井から乗車したと言う紙片を貰い、57分の列車に乗車しました。


高山線・東海道線

(07:20)   (07:41)
左は高山線の那加駅です。
右は東海道線の岐阜駅。名古屋行きの快速が入線してきました。


中央西線

(08:08)
名古屋駅の7番線ホームです。
私がホームに来たら、臨時列車のナイスホリデー木曽路が既に入線していました。
この列車。6両編成でした。
赤坂線や武豊線で運行している2両で1セットの車両を3セット連結したような構成でした。ですから2両目、4両目、6両目にトイレがついている形態となっていました。




ナイスホリデー木曽路
塩尻行きの表示です。




ナイスホリデー木曽路の車内です。
臨時列車なのですが、ザックを背負った人が多かったです。





(09:35)
中津川駅に到着しました。
多くの人が下車していきました。




列車の車窓から。





(09:50)
南木曽駅に着きました。
ザックを背負った人たちが下車して行きます。




列車の車窓から。
木曽川、そして国道19号線です。




(09:55)
列車の車窓から。
十二兼駅を過ぎた辺り。
中山道を歩く人たちです。




列車の車窓から。
眼下に寝覚めの床が見えます。




(10:15)
上松駅で特急列車をやり過ごします。
停車時間が8分有り、皆が車外に出て来ています。




特急しなのが通過します。




列車の車窓から。
道の駅 木曽福島が見えます。
何か、イベントをしているようです。




(10:39)
列車の車窓から。
宮ノ越駅を過ぎました。
巴が渕が見えます。
紅葉が過ぎて葉が落ちています。



列車の車窓から。
こちらも中山道を歩く人たちです。




(10:43)
薮原でも、多くの人が下車していきました。

後から知ったのですが、この日、「さわやかウオーキング」が開かれていました。
薮原駅がスタートで奈良井駅がゴールとなっていました。




(10:49)
こちらは奈良井駅です。
奈良井宿で皇女和宮のイベントが行われたみたいです。






(10:53)
列車の車窓から。
木曽平沢駅です。
山々が紅葉しています。


篠ノ井線

(11:10)    (11:30)
塩尻駅に着きました。松本行きに乗り換えます。
右は塩尻駅へ入線して来た松本行きの普通列車。
先行する特急列車が遅れていて、少し遅れてやってきました。




(12:01)
松本駅です。
松本行きの列車から長野行きの列車に乗り換えです。
長野行きの普通列車が入線してきました。





松本駅を出発しました。
この列車。
ワンマン運転です。
左は大糸線。右が篠ノ井線で、レールが別れます。





(12:36)
田沢駅です。
特急の通過をやり過ごします。
反対方向の特急しなの12号が通過します。





カーブする線路。





線路が勾配となっていて、登っていくのが判ります。
もう直ぐ姥捨駅となります。





列車の車窓から。
広がる善光寺平。
姨捨駅の景色が三大車窓の1つだと車内放送が流れました。
もう1つが肥薩線の矢岳越えです。
そして、もう一つは何処だろう。





間も無く姥捨駅です。
姥捨駅の手前はスイッチバックになっています。




(13:00)
列車の車窓から。
姨捨駅に来ました。
反対側ホームに人が居ます。
その向こう側に善光寺平の景色が広がります。




列車が動き出しました。
こちらは、運転手が居る反対側です。
無人で列車が動き出し、変な感じがしました。
反対方向に動き出した列車は停止し、逆方向に走り出しました。





列車の車窓から。
坂道を下って行きます。

この後、列車が停まってから運転手に姥捨の勾配はどれ程なのかと聞きましたら、1000分の25パーミルだと応えてくれました。



列車の車窓から。
広がる善光寺平。




間も無く、篠ノ井駅に着きます。




(13:19)
列車が篠ノ井駅に着きました。
しなの鉄道の切符を買っていなかったですし、外へ出るつもりでいました。



篠ノ井のお祭り

篠ノ井駅から見える篠ノ井の街。
今日はお祭りの日でした。




祭りが開かれている通りに来ました。





通りが歩行者天国になっています。




神楽の演技が始まりました。





太鼓と笛の演奏。
演奏に合せて獅子舞が踊られます。






獅子をアップで。





色々の地区の太神楽保存会がありました。





(13:41)
祭りの会場から篠ノ井駅に戻ります。
屋台のおでん屋さん。
鍋に1パイのおでん。
祭り会場に向かう時に見かけましたので、戻る時に買って見ました。




コンビ二で買った日本酒。
おでんで1杯やります。
良く煮込んであるおでん。
カツオの味が効いています。
折角撮影するのだから、袋から出して撮影すれば良かったです。




しなの鉄道

(13:57)
軽井沢行きは14時49分でした。
篠ノ井駅に着いた時、待ち時間が1時間半も有ると思い込んだのです。
でも、篠ノ井駅に戻ってきて、13時57分に乗れば、小諸で軽井沢行きに接続すると知ったのです。
急遽、プラットホームへ降りました。
列車は、直ぐに発車しました。




小諸行きの電車の車内です。




列車が千曲川の橋梁を通過します。






列車の車窓から。
上田駅です。
「ろくもん」と言う特別列車が停車していました。




(14:49)     (14:50)
小諸駅のホームです。
左が乗ってきた小諸行きで、右が軽井沢行きです。



アパホテル 軽井沢荘

(15:33)
軽井沢駅に着き、ホテルへ歩いてきました。


プリンス ショッピングプラザ

(16:32)
ホタルに着いた後、散歩に出かけました。
軽井沢・プリンスショッピングプラザに来ました。




ショッピングプラザの中を歩きました。
そして、目に付いたのが可愛らしいサンタクロースです。




こちらはプラザと言う店です。





カミさん用に吸水ヘアターバンを買いました。




広いショッピングプラザ。





暗くなってきました。




(17:15)
LEDの照明が綺麗です。


感想
今日、1日。列車で移動の日でした。
臨時列車で、ナイスホリデー木曽路に乗る事が出来ました。北に向って走るナイスホリデー木曽路。中津川や薮原では多くの人が下車して行きました。木曽路と名が付いている様に、木曽路のハイキングを楽しむ人たちが乗っているのを見ました。
また、姥捨駅のスイッチバックを体験できました。色々と、鉄道を楽しむ事が出来ました。こう言った事が面白いです。



今日の経費

JR那加駅からJR篠ノ井駅までの片道。
青空フリーパス 2,570円
エリア外の乗車券 1,490円
しなの鉄道 篠ノ井駅から軽井沢駅 1,440円
カップコーヒー 120円
お土産 1,256円 
缶ビール 242円
千曲錦 357円
おでん 200円
ガーリックポテト他 1,438円
おやつ 401円
アパホテル 6,840円

               合計 16,345円


kオジサンの中山道旅日記  その22
11月05日(日) 晴 アパホテル軽井沢荘からJR西松井田駅 まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その20 しなの鉄道軽井沢駅からJR那加駅 まで

2018-10-16 23:25:51 | Kオジサンの中山道旅日記 

10月16日(火) 晴 しなの鉄道軽井沢駅からJR那加駅 まで

下諏訪宿から軽井沢宿までの中山道を10月13日から15日までの3日間で歩きました。今日は自宅へ戻るだけ日です。
自宅は岐阜県です。帰路として、しなの鉄道を使い篠ノ井駅経由にするか小諸駅から小海線に乗るかの何れかとなります。高原を走る小海線に乗ってみたいと思っていたので、小海線を使って帰るコースを選びました。しなの鉄道軽井沢駅を出発するのが7時41分発で、JR高山線の那加駅に到着するのが17時21分着です。途中、塩尻駅で101分も待ち時間が有りましたが、乗ってから降りるまでに10時間近い時間を要しました。
鉄道好きなら何とも感じませんが、鉄道が苦手な人にとっては苦痛となるでしょう。
私は前者の方です。

軽井沢(07:41) ― 小諸(08:05)   小諸(08:16)  ― 小淵沢(10:28)   
   小淵沢(10:31) ― 
塩尻(11:27)  塩尻(13:08) ― 中津川(15:14)   
      中津川(15:20) ― 多治見(15:59)  
多治見(16:21) ― 那加(17:21)

アパホテル軽井沢荘

(06:53)
アパホテル軽井沢荘のレストラン。
朝食会場です。
オープンが7時からでしたが、7時前に開けてくれましたので、助かりました。。




シェフの手作りプリン。
これ。美味しかったです。




チョイスして来た朝食です。
一旦、取ってきて、野菜不足に気がつき付き、再度行って来ました。



軽井沢駅

(07:08)
前方に見える建物。
アレが軽井沢駅です。




軽井沢駅にきました。
まだ、朝が早く人が少ないです。






朝、バタバタと慌てなくても良いように昨日、JRの窓口で買っておいた乗車券です。
経由が小海線・中央東・中央西・太多・高山線と表示しています。
右はしなの鉄道の乗車券です。



しなの鉄道軽井沢駅

しなの鉄道軽井沢駅の改札口です。
7時41分発の小諸行き。
1番線ホームとなっています。





(07:31)
プラットホームに下りてきました。
EF63 2が展示して有ります。
説明に有りますように碓氷峠を行ったり来たりした電機です。
力持ちで「峠のシェルパ」と呼ばれていました。




こちらはアプト式機関車。
レールとレーレの間のラックギヤに車体のギャを利かせて急坂を登りました。




(07:35)
1番線ホームの小諸行きです。




軽井沢駅を発車しました。




(07:45)
車窓から浅間山を見上げます。




(08:06)
小諸駅に到着しました。


JR小諸駅

(08:07)
5番ホームです。
既に小淵沢行きの列車が待っています。




小海線の路線図です。




普通列車の車内。
間も無く、発車です。






(08:31)
佐久平駅に着きました。
右前方に八ヶ岳が見えます。

この場所。北陸新幹線の上階で、高い場所となっています。
右に見えるのが北陸新幹線の架線です。



(08:45)
北中込駅から乗車してきた幼児達。
男性と女性が付き添っていました。
保育園の遠足かと思ったのですが、そうではなかった。
列車に寄る保育園への通園でした。

何処の駅で下車したか不確実ですが、確か八千穂駅で下車していったと思います。
帰りも列車でなると、何分の列車に乗るのだろうか。



中込駅からワンマン運転に変わりました。
中込駅を過ぎた辺りの田園風景です。




次は龍岡城駅です。




(09:15)
馬流駅と小海駅の間の区間。
車窓から見える千曲川です。
この川が千曲川とは分からなかったが地図で調べて判りました。


小海駅

(09:16)
間もなく小海駅に到着です。
既に小諸行きの下り列車が待っています。




先に、小諸行きの下り列車が走り出しました。




(09:25)
松原湖を過ぎた辺りです。
列車の車窓から見える千曲川。
列車が進むに連れて川幅が狭くなり、渓流となってきました。




トンネルの中からの眺め。




(09:36)
S字を描いたレールです。




カーブして行くレール。
肉眼で見ても坂道を登って事が判ります。
スピードメーターは40キロ辺りを指していました。
エンジンが唸りを立てて勾配を登るのでなく、楽に登っていきました。





(09:46)
信濃川上駅です。
この先も登り坂です。
停車中、運転士にどれ位の勾配なのか聞きましたら、1,000分の33パーミルだと応えてくれました。




正面に八ヶ岳の赤岳が見えます。





(09:49)
線路沿いに畑が広がります。




(09:54)
野辺山駅が見えてきました。




野辺山駅でこの列車を撮影する人たち。


野辺山駅

(09:55)
野辺山駅に着きました。
野辺山駅はJRで、一番高い場所にある駅です。
駅の標識を撮影する若い男性です。
この男性も小海線を楽しんでいる人でした。
ユーチューブに取上げたりするのだろうか、車窓からの景色を撮影していました。





八ヶ岳がバッチリ、見えます。





(09:59)
JR最高地点の標識が有る場所です。
ここでも、この列車を撮影する人たちが居ました。
ここを過ぎると長野県から山梨県に入ります。



清里駅

清里駅に停車しました。
見えたのがC56です。
C56機関車は高原のポニーの愛称で呼ばれた機関車です。
この小海線を走っていた機関車だと思います。小海線にはC56が似合っていました。



甲斐大泉駅

(10:12)
甲斐大泉駅に来ると富士山が見えました。
それだけ、この場所が高い場所だと言えます。




(10:27)
大きくカーブするレール。
線路が坂を下っていくのが判ります。
そして、先に見えるのが南アルプスです。

間も無く小淵沢駅です。




まもなく 小淵沢。
2時間余りの時間、小諸から乗車して来ました。



小淵沢駅

(10:29)
前方に小淵沢駅が見えます。
10時34分発の高尾行き列車が待っています。




(10:30)
5番線と4番線が小海線のホームとなっています。
小海線の時刻表が掲示してあります。
一日に10本の列車です。
4番線ホームに着きましたが、11時22分発で折り返して行くのでしょう。


小海線について
小海線を小諸から小淵沢まで、端から端まで乗車しました。
小海線は八ヶ岳の東側に線路が有ります。八ヶ岳を北から東へ。そして中央線で南から眺めました。移り変わる景色を眺めるのも面白かったです。
小海線の車庫が有るのは中込駅だと言う事が判りました。小海線の中心的な駅で、この駅で乗務員が交代しました。ぶっ通しで乗って感じたのは、小海辺りに来ると沿線の景色がガラッと変わると言う事です。それまでは田や畑が多かったのですが、高冷地になってきて高冷地野菜に変わりました。
昭和の時代に流行った「高原列車が行く」と言う曲が有ります。その曲にピッタリの雰囲気なのが小海線です。
歌詞の牧場の乙女が花束投げるでは有りませんが、沿線は牧場でなく高原野菜の供給地になっていました。
高原列車の雰囲気そのままに、沿線で撮影する人を多く見かけました。そんなのも、小海線の魅力なのでしょう。





(10:31)
1番線ホームです。
松本行きの普通列車が待っていました。
この列車、小淵沢駅に10時27分に着いて31分発です。
小海線の列車の到着を待っている。そんな列車ダイヤです。



中央線の路線図です。




(10:34)
列車の車窓から。
南側からの八ヶ岳が見えます。



(11:05)
間も無く上諏訪駅です。
ここまで複線でしたが、単線に変わります。


塩尻駅

(11:29)
もう直ぐ塩尻駅に着きます。
3番線ホームに12時33分発の辰野行きが入線しています。





(12:11)
塩尻駅の待合室です。
ここで、ビールをやり、そばを食べました。




チェック柄の服の女性は外国人のグループを案内してきたガイドです。
食券の自動販売機の前で、そばやうどんの種類を説明し券の買い方を説明していました。
引率されていたのが外国人6~7人でした。
皆さん、全員がザックを背負っていました。
チェック柄の女性にどちらに行くのかと聞いたら、木曽路を歩くと話してくれました。




(12:35)
13時08分発の中津川行きが入線してきました。
発車までに30分余りあります。
こんなに早く来るものだと思いました。
ここで、乗務員の交代です。
ここまでは運転手と車掌が乗務していましたが、この先はワンマン運転に変わりました。




13時08分発中津川行きの車内です。
乗っている人が少ないです。



木曽平沢駅

(13:31)
チェックの服のガイドに引率されて来た外国人達です。
木曽平沢の駅で下車しました。
鳥居峠を越えるのだろうか。となると、この先の奈良井宿までが2キロほどです。そして、峠を越えるとなると遅くなります。
余裕を持っての木曽路歩きなら、この後奈良井で泊まり翌日に踏破。
その後は妻籠宿か大妻籠に泊まり馬籠峠を越えるのではなかろうか。
馬籠峠を越えるコースは外国人に人気が有ります。




奈良井川が見えます。
この堤防を歩き、奈良井宿を目指すのでしょう。




国道19号線が見えます。
アノ場所を歩きました。
吉田洞門です。
車は洞門の中を通過し、歩行者は外側の川沿いを歩きます。




(13:49)
宮ノ越駅を出た辺りです。
中央西線は複線から単線になったり、また、その逆も有ります。





車窓から見える国道19号線です。
左に倉本駅が見えます。





(14:56)(14:59)
坂下駅です。
左は下りのしなのです。
右は上りのしなので追い越されます。

中津川駅

(15:17)
名古屋行きの快速に乗ります。
快速と言っても、多治見駅までは各駅に停車します。


多治見駅

(16:06)
多治見駅の5番線ホームです。
多治見への列車が入線してきます。
この列車。折り返し運転で岐阜行きの列車になります。


那加駅

(17:24)
那加駅に着きました。


感想
10時間ほどの列車の旅でした。長時間の列車の旅は体力勝負です。苦、無く列車に乗ってくる事が出来ました。コレも列車が好きなのだからでしょう。
小海辺りから鉄路と川が並行していました。その時は何川か判らなかったのですが、地図で調べて千曲川だと判りました。次回は千曲川の流れるところを列車で通過しますが、何処から流れてくるのか判っていて、今見ている川とあの時見た川が結びつきます。
木曽路と信濃路を歩いて気が付いた事が有ります。街の中心に火の見やぐらが有る事です。火事を知らせるので、当然街の中心に有るべきなのですが、何箇所も火の見やぐらを見かけました。



今日の経費
JR小諸駅からJR那加駅まで5,400円 。
しなの鉄道 480円
ビール 319円
ピーナツ 134円
駅そば 380円
お土産 972円


               合計 7,685円


kオジサンの中山道旅日記  その21
11月04日(日) 晴 JR那加駅からしなの鉄道軽井沢駅 まで  へ

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