「各務原歩こう会」で熊野古道の八鬼山越えを踏破しました。
熊野古道の入口でバスを降り、準備体操をしていると「ホーホケキョ」とウグイスの鳴き声が聞こえました。
これから歩き出すと言う時なのですが、幸先良く鳴き声が聞こえました。
ウグイスは上手に鳴いていました。
ウグイスの鳴き声を聞いて、春が来たという感じがしました。
この八鬼山越えは西国一番の難所と説明板に有り、巡礼が行き倒れで亡くなっていました。
何を求めて巡礼の旅に出たのでしょうか。資料には4箇所の供養碑が有ると有りました。
巡礼の旅に対する思いは、死を覚悟して出たのでしょう。
八鬼山登り口(9:44) ― 巡礼供養碑(10:03) ― 賀籠立場(10:21~10:26) ―
九木峠(11:45) ― 分岐(12:07) ― さくらの森広場(12:25~13:06) ―
分岐(14:32) ― 賀籠立場(14:38) ― 名柄一里塚(14:55) ― 三木里海岸(15:27)
「熊野古道伊勢路」三重県立熊野古道センター発行より出典。
左手に海が見えます。
バスが海の見える所まで来ました。
歩く前に準備体操をします。
ここが熊野古道八鬼山越えの登り口です。
これから「八鬼山を越え」を三木里まで歩きます。
入口に有った八鬼山越えの石碑。
初めは、勾配が緩く歩き易い道でした。
巡礼の慰霊碑と説明板。
八鬼山越えは、説明板には西国一の難所と有ります。
今回のコースに4箇所の巡礼慰霊碑が有りました。
巡礼に出て行路病死人として亡くなった訳ですが、巡礼に出ると言う事は、生きて帰れないと言う事も覚悟して出かけたのでしょう。
志半ばでなくなった人が気の毒でありますし、碑を建ててまで手厚く葬った地元の人々の心情を尊い思いがします。
石畳の道が続きます。
古道で踏まれそうな場所にスミレが顔を見せていました。
賀籠立場での一休み。
ここで一服しましたが、かつて、ここを往来した人たちもここで休みました。
右側は樹齢300年に及ぶという桧。
この桧は古道を行き来する人々を見下ろしてきました。
人々のどんな姿を見続けきたのでしょうと想像します。
荒神堂の前を通過します。
明治道と江戸道の分岐です。
右に進むと明治道で左に進むと江戸道です。
桜の森広場へ来ました。
広い芝生広場で東屋が設けて有ります。
今回のコースの中で、一番眺望が開ける場所です。
思い思いの場所で昼食を取りました。
広場の前面に熊野灘が広がります。
眼下に九鬼の町が見下ろせます。
狭い土地に軒を重ねるように立ち並ぶ家々。
九鬼は九鬼水軍の本拠地です。沖を行く舟に睨みを利かしていたのでしょう。
眺望の良い場所でしたが、木が繁茂し、手を加えないと絶景が望め無くなってしまいそうです。
ウラジロが密集しています。
ウラジロをグライダーにして飛ばしました。
上昇気流に乗ってスーと飛ぶと、歓声が上がりました。
杉林を下山していきます。
明治道と江戸道が合流します。
杉の木立。
木々に世界遺産反対と書かれています。
賀籠立場まで下りて着ました。
こちらには、椎の大木が有ります。
籠立場の説明板です。
資料では賀籠立場となっています。
どちらが正しいのでしょうね。
三木里の海が見える所まで来ました。
三木里の海水浴場です。
盛夏ともなれば、遊泳客の歓声が聞こえることでしょう。
熊野古道は、この先、三木峠へと続いていきます。
八鬼道の道標です。
全部で63本の道標が設置してあり、どの辺りを通過しているのかがわかりました。
アリの熊野詣でと言う言葉が有ります。
この日の参加者は23名でした。
それこそ、上から見ればアリが歩いているような姿に見えたかも知れません。
スタート地点でのウグイスの鳴き声。
歩いていて、幾度と無く、耳にしましたが、その鳴き声が春なのだという気分を高揚させてくれました。今年、初めてスミレを目にしましたし、歩いていて汗ばむような陽気でした。
沿道の植物には、ウラジロが大きな葉を広げて密集していました。
「椿」や「榊」などの照葉樹が多く、温暖な地であることを感じさせました。
今回のコースで一番、キツかつたのは七曲がりの場所でした。
石畳の登り坂が続きましたが、かつて旅人とが難儀したであろうと想像しながら登りました。
熊野古道は馬越峠を歩いたのに次いで2回目でした。古道の雰囲気を楽しむ事が出来ました。