Kオジサンの新・山歩きの記

山歩き&ウオーキングのサイト

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鈴鹿の山  御在所岳 (1,212m)・国見岳 (1,175.2m)

2014-10-29 23:23:49 | 水曜会

水曜会に参加し、御在所岳・国見岳へ行ってきました。今回はmayuさん企画で、中道から御在所岳と国見岳を経由し、国見尾根を降りてきてから裏道登山口に出てくると言うロングコースでした。山上公園で休憩した後、mayuさんに大黒岩へ案内をして貰いました。
何度か御在所へ来たことが在るのですが、この場所は知りませんでした。大黒岩は目の前をゴンドラが通過して行く場所です。ゴンドラから手を振られ、こちらからも振り返します。御在所の、また違った場所を知ることが出来ました。それに、この大黒岩に向かうコースから一の谷新道や本谷コースが下って行く事を知りました。


旧料金所跡(8:07) ― 中道登山口(8:11)   ― おばれ岩(8:58) ― 地蔵岩(9:30)

 ― 7合目(10:07) ― 8合目(10:41)  ― 富士見岩(11:02~11:05)  ― 

アゼリア前(11:15~11:20)   ― 大黒岩(11:32~11:37)  ― アゼリア前(11:50~12:40)

  ― 国見峠(13:03) ― 国見尾根(13:25) ― 国見岳(13:30~13:42) ― 

国見尾根(13:48)   ― 天狗岩(14:03)  ― 国見中継地(14:47~14:54)   ― 

藤内小屋(15:30~15:44) ― 裏道登山口(16:15)

 
旧料金所跡を出発します。
駐車場として整備して有ります。平日にも関わらず沢山の車が停まっています。三重とか鈴鹿それに名古屋など地元ナンバーがほとんどです。
それにしても、沢山の車。
私たちが駐車場に戻った時は道路に停っている車が残っていました。この状況から車が溢れ道路にまで、注した状況が想像できます。
改めて御在所の人気の凄さに感心しました。




中道登山口です。
平日でも、登る人が沢山います。



地蔵岩の上まで登ってきました。




キレットを下ります。
慎重にと、他の人に声を掛けましたが、その言葉は自分に対してでもあります。




陽が当たる伊勢湾。
海岸線が弧を描いているのが、良く判ります。




富士見岩まで登って来ました。
ここも混雑しています。




山上公園で小休止の後、大黒岩に向かいました。
大黒岩へは一旦下る形になります。
展望の良い場所です。ここで昼食を取るグループもいました。




山上公園に戻り、ランチタイムとしました。




左側はmayuさん特製のうどんです。マイタケや野菜が入っていて美味しかったです。
右は皆が持ち寄った食材です。



隣のテーブルで昼食を取っていたオバちゃんたち。
言葉を交わしましたら、大阪から来たのだそうです。大阪を出発し、京都で拾ってロープウェイで上がって来たと話しました。帰りもロープウェイで下るのだそうです。私は、山は体力に合わせて登れば好いと思いますので、こんなロープウェイでの山登りを否定しません。
ツアーを実施した会社はトラベル日本と言う会社だそうでした。
トラベル日本なら、私も利用した事が在ると話したのです。
全部で28人だそうです。右側はストレッチ体操を済ませ、山頂へ向かっていきました。
ストレッチ体操をしている時、号令が聞こえませんでした。声を発して、周りの人の迷惑にならないようにと、配慮していたのでしょうか。




オバちゃんたちと言葉を交わしたのですが、その山行きを検索してみましたら、こんなのが見つかりました。「わくわく大自然ウォーク」と言うタイトルのツアーでした。
山に行きたくても行けない人にとっては、こう言うツアーは助かることでしょう。帰りはアクアイグナスに寄って汗を流します。
片山温泉となっていますが、片岡温泉が正しいのです。

初対面のオバちゃんたちと言葉を交わしました。大阪弁でなく標準語でした。ですから初めは関西の人とは判りませんでした。このように気軽に言葉を交わせる。これも山の面白さでしょう。


彼らがスキー場を登っていきます。



御在所の上空は航空路となっていました。
霊仙山へ登った時も上空を沢山の飛行機が飛んで行きました。ここ、御在所の上空も多くの飛行機が飛んでいます。空が青く、白い飛行雲が後ろに引いていますので、飛行機の飛んでいるのが良く判り、多くの飛行機が飛んでいるように見えます。




国見峠に向かっていきます。
奈良県から来た男性。
みたらい渓谷と言う言葉が出てきました。行った事が在る・・・・となり、話が弾み中々先へ進めませんでした。




男性と喋っていた時に見えた御嶽山です。
白煙が確認できます。



国見峠まで下り、国見岳に向かって登ります。
振り返ると御在所岳のレーダーが見えます。
ここと同じようなレーダーを車山や蛇峠山でも眼にしました。このようなレーダーが日本の空の気象をカバーしています。
もう、山頂あたりは葉が落ちて冬のようです。



天狗岩まで来ました。天狗と言うよりも、獅子の顔のように見えます。木の葉が落ちて岩全体が見えるようになっています。




中継地にて。
乱丸さんのこさんが下から登ってきました。
午前中、用があり、最初からは一緒できませんでして、遅れて駆けつけてくれました。




藤内小屋方面に向かうサインが表示して有りました。




下山道。
このあたりは道がハッキリしていますが、道が薄くなり、判り難い箇所も有りました。



藤内小屋が見える場所まで降りてきました。




藤内小屋で休憩の後、再び歩き始めました。








集中豪雨で荒れた川。
堰堤工事が終り、巨大なゲートが見えます。
巨大な岩がゴロゴロしています。このような大きな岩が流されてきた。自然の驚異を感じます。




ゲートの下で手を振る。




鈴鹿スカイラインが見える所まで下山して来ました。
伊勢平野が夕陽を浴びています。



秋の御在所岳。
沢山の人で賑わっていました。これ程人が押し寄せるとは、知りませんでした。

中道を登る時は何度も道を譲りました。
国見岳から国見尾根を下る時は誰とも出合いませんでした。
極端な両ルートです。
時間をかけてロングコースを歩きましたが、中腹辺りは紅葉していて、秋の山を楽しめました。



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木曽路を歩く   妻籠宿から馬籠宿へ 

2014-10-20 22:49:14 | 各務原歩こう会

「各務原歩こう会」の10月例会で木曽路を歩いてきました。常時なら山に登るのですが、今回は街道を歩きました。妻籠宿から馬籠宿へ歩くものでしたが、現地へバスで向かいますので、スタート地点は何処にでも設定する事ができました。滅多に渡る事の無い桃介橋を渡るようにするため、天白公園からスタートするようにしました。
途中から雨が降り出したのは、残念ですが、古い街道を歩き江戸時代の旅人気分を味わえました。

天白公園(8:30) ― 桃介橋 ― 南木曽駅(8:44)  ― 上久保の一里塚(9:15~9:17)

 ― 妻籠城址分岐(9:33)  ― 妻籠城址(9:41~9:49) ― 妻籠城址分岐(9:56)  ― 

妻籠宿高札場(10:12) ― 妻籠宿ふれあい会館(10:23~10:43) ― 

妻籠宿第3駐車場(11:25) ― 庚申塚(11:55) ― 一石栃立場茶屋(12:52~13:04) 

 ― 馬籠峠(13:18~13:21) ― 馬籠宿高札場(14:00) ― 馬籠館(14:15) 


今回、私がリーダーを勤めましたが、このコースを木曽11宿ウォークで、12年4月25日と5月29日に歩きました。

中仙道 木曽11宿ウォーク② 馬籠宿 ⇒ 妻籠宿
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/2de912356d5b5a4a75c8b95697bfbf06

中仙道 木曽11宿ウォーク③ 妻籠宿 ⇒ 柿其水路橋
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/933fe07b3b73f16db68f11dec2ef480d


今回歩いたコースの地図です。
http://www.town.nagiso.nagano.jp/data/open/cnt/3/3238/1/tsumagomap02.pdf


天白公園で準備体操をしました。



天白公園の一角に蛇抜けの碑が有ります。
奥に見える大きな岩の上には、悲しめる乙女の像が有り、私が説明しました。
つい、先頃に土石流が流れて、中学生が亡くなると言う災害が発生しましたが、度々災害が繰り返されます。



これから桃介橋に向かいます。



近代化遺産の桃介橋です。こちらでも説明しました。



これから桃介橋を渡ります。



高校生が桃介橋を渡ってきます。
蘇南高校の生徒です。木曽の南の高校なので曽南となるところですが、何故、蘇南高校なのでしょう。



南木曽駅の前を通過します。
この南木曽駅へ来る前に道路の反対側から、女将さんから「どちらから来たね」「橋は渡って来たかね」と声を掛けられました。桃介橋を渡って来たと応えたのですが、桃介橋を愛する気持ちから、このような言葉が投げかけられたのだと思います。



石畳の道を歩きます。
新しく設けられた石畳ですが、昔の街道らしい雰囲気が有ります。



上久保の一里塚に来ました。
この一里塚は道を挟んで、両側に土塁が残っており昔の一里塚の姿が残されています。



妻籠城跡に向かいます。
妻籠城跡へ向かう時、分岐で太った外国人男性とガイドらしき女性が佇んでいました。何処から北のかと聞くとカルフォルニアから来たと応えました。城跡に向かう時、10人ほどの人たちとすれ違いましたが、男性は登るのがキツかったのでしょう皆が戻るのを待っていました。



妻籠城跡は石垣は有りませんが、城跡らしい姿が残っています。
ここから妻籠宿が見下ろせます。



城跡から見える妻籠宿。




柿の重さで枝が垂れています。
こんな様子にも秋を感じます。



地元の人が落ち葉を掃き、掃除をしていました。
誰かが村人と話をしました。
屋根の樋からトマトが伸び2個、実を付けていたのでそうです。
青いトマト。
季節はずれの根性トマトです。
私はトップを歩いていて、話の内容が掴めていませんでしたが、当時のやり取りを教えて貰いました。
地元の人との交流は嬉しいことです。

毎年、11月23日に文化文政風俗絵巻之行列として、人々が宿場役人。武士。浪人。鳥追い女。飛脚姿に虚無僧。文化文政時代に中山道を歩いたであろう。旅人の姿を再現します。
また、馬に乗った花嫁の姿も再現されます。
今回、一緒に歩いた人から、ここの家では、その祭りの時にお茶の接待をして貰えるので、お礼を申したと話していました。
是非、そんな行列を見てみたいものです。



「御宿大吉」
今も宿として営業しているようです。
このようなところに泊れば、江戸時代の旅人気分に浸れるでしょう。


妻籠宿の入口に差し掛かりました。



宿の入り口に高札場が設けてありました。



妻籠宿ふれあい館。
当初の予定では妻籠城跡で昼食を取る予定でしたが、時間的に早かったので、こちらの妻籠宿ふれあい館で取るようにしました。
ふれあい館で昼食とする前に全員の記念写真を撮影しました。
その後は昼食を取り、自由に歩かせ、11時40分までに第3駐車場へ来るようにと、しました。




郵便局ですが、表側は古い佇まいとしています。
局内にはポストなどの郵便資料が展示して有ります。



旧街道らしい雰囲気の中を歩きます。



吊るされた柿や生けられた菊に秋の風情を感じます。



湯屋と言うそばと五平餅の店。
ここで五平餅を買い求めました。皆が、食べ歩きをしていました。

味噌に胡桃が入っているような香ばしい味で美味しかったです。作り置きをしないとのことで、焼きあがるまで少々待たされました。焼き立てを味わうためですので、仕方が無いことです。



旧街道らしい雰囲気の中を歩きます。



山から流れて来る水。
その水を利用して花が生けてあります。そんな様子に目が行きます。



大妻籠宿では何人かの人たちがスケッチに取り組んでいました。



一石栃立場茶屋まで来ました。
ここは宿場と宿場の間の休憩場所です。



一石栃立場茶屋で休憩です。



一石栃立場茶屋の内部です。
外国人が休憩していました。
鈴木さんが話してくれましたが、カップルはスペインから来た人で、こちら側はシンガポールからだと言っていました。


表側で鈴木省吾さんが木曽節を唄ってくれました。



木曽節を唄う鈴木さん。



一石栃立場茶屋の壁に貼られていた新聞記事。
多くの外国人が木曽路を歩いていると、記事にしています。



私は先頭を歩いていたものですから、前方から外国人が歩いて来るのが良く判りました。木曽路を歩いていて、すれ違う人はすべてが外国人でした。妻籠城跡で会ったのはアメリカ人であり、馬籠峠を過ぎたところで会ったのはシンガポール人でした。シンガポール人は中国系だったのですが、風貌からは日本人かと思いました。何処から来たかと聞くと、シンガポールからだと応えてくれました。右下は陽気なオーストラリア人です。カメラを見つけてポーズを取ってくれました。

妻籠宿や馬籠宿では日本人がウロウロしていましたが、街道を歩いていてすれ違ったのは、ほとんどが外国人でした。街道を歩き、昔の旅人気分を味わえます。
「死ぬ前に見るべき千の場所」と言う本が世界で売れているそうです。そんな事から外国人が多くなったのでしょう。



馬籠峠に到着です。
ここまでは登り坂でしたが、登り坂はここまでです。
この峠は長野県と岐阜県の県境で、ロードサインが設置して有りました。



十辺舎一九の歌碑。
字が読み難くなっていますが、栗こわめしの字は読めました。
今、この地方では栗きんとんが有名ですが、江戸のころから栗が名物だったのでしよう。



民家の軒先には柿や切り干し芋が乾されています。
他にも何か赤いモノが乾されています。
家屋の造作が、乾すために軒先が深くなっています。



いよいよ、雨が本格的に振り出しました。



馬籠宿の高札場まで来ました。
ここからは解散し、馬籠館の駐車場に集合することとしました。



自由に店を見ながら歩けるように計らいましたが、本格的な雨で店の中を見る人は少なかったです。
この右側は、藤村記念館です。


馬籠館が見える所まで下ってきました。
マイクロバスが待っています。



妻籠観光協会から送って貰った資料です。
街道は隊列で歩くようにしていましたが、妻籠宿と馬籠宿は解散して、自由に見て歩くようにしました。皆には地図を渡しましたが、地図は妻籠観光協会から送って貰った物であり、どうせ金を落とすのなら妻籠でと、言い添えました。

妻籠観光協会
長野県木曾郡南木曾町吾妻2159-2
0264-57-3123
http://www.tumago.jp/
info@tumago.jp



今回は、12年4月25日と5月29日に歩いたコースを逆に北から南へ歩きました。その時にも外国人を見かけましたが、これ程外国人が多いとは予想していませんでした。この旧街道を歩くと、かつての日本の雰囲気を味わえるということを日本人よりも外国人の方が良く知っているのでは無いかと思いました。
途中から雨が降り出したことは残念でしたが、秋が深まっていく街道筋を歩き江戸の旅人気分を味わえました。

でも、江戸の旅人気分を味わえましたが、今日のような靴でなく草履での旅であり、行路中に体調を崩してしまうことも有ったでしょう。難儀して旅を続けたものだと想像します。

途中の名所に男滝と女滝が有ります。雨がバラつき初めました。滝は街道から下の箇所に有るので、一旦下って再び登ることとなります。仕方なく滝へ向かうのは省略しました。晴れていたら寄るところでしたが寄れなかったのが残念です。

2012年の4月から12月にかけて木曽路を10回に分けて歩きました。その時はカミさんと一緒に参加したのです。
ブログに、第2回と第3回の事を貼りましたが、改めてノートを開いたりアルバムをするような気分で、あの時の模様が甦りました。
あの時の事を思い出し、とっても好い気分に浸る事が出来ました。

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三河の低山を歩く 宮路山脈縦走   宮路山(361m) 五井山(454.4m) 御堂山(363.7m) 砥神山(252m)

2014-10-10 23:24:00 | アウトドア

以前から気になっていた山のコースを歩いてきました。名鉄電車の駅から登山口に向かい、4つの山を縦走して最後の山からはJRの駅を目指しました。途中、眺望が開けた箇所では三河湾の展望を楽しむ事が出来ました。
大空を舞うパラグライダーを見ました。秋の渡り鳥を追いかける男性たちを見かけましたが、これはこの季節ならではのことでした。
単独行で歩きましたが、単独行で歩いたのは、記憶に無いほど昔のことです。

名電赤坂駅(8:03) ― 赤坂宿公園(8:17) ― 宮路山登山口(8:24) ― 宮路山遊歩道入口(8:44)
 ― 第1駐車場(9:11) ― 宮路山山頂(9:37~9:50)  ― 名電長沢T字路(10:46) ― 
五井山山頂(11:08~11:45) ― 国坂峠(12:40) ― 御堂山山頂(13:29~13:36) ― 
分岐(14:14) ― 砥神山東峰(14:16~14:23) ― 分岐(14:25) ― 砥神山西峰(14:28) ― 
砥神山登山口(14:41)  ― JR三河三谷駅(15:40) 


今回歩いたコース。地図が古くなり、コースとは異なって来ています。
出展「三遠信の山歩き」風媒社。



名鉄の名電赤坂駅。
平日とあって、サラリーマン姿の人たちも下車しました。

名電赤坂駅で下車して南へ歩くと国道1号線に当たります。地下歩道を横切ると右手にコンビ二があり、ここでお昼のお握りを調達し元のに道に戻って南へ歩けば、程なく旧東海道の三叉路にブチ当たります。



国道1号線の地下歩道を通り、真っ直ぐに進みます。
これから、あの山々を歩きます。



真っ直ぐに進んだ所は三叉路になっていて両側にポケットパークが設けられ、赤坂宿公園と表示していました。道の両側には赤坂宿の案内表示板が設けて有ります。往時の家の並びや赤坂宿まつりの看板があり、高札場も再現されています。

公園から右に向かうと古い旅籠屋の大橋屋が見えます。
さらに進むと宮路山の登山口となります。
そこから、丸でドライブウェーのようなアスファルトの道を登ります。




宮地山への登山道の入口です。
町道ですが、ドライブウエーのような道路に入ります。




息を切らしながら、坂道を登ってきました。
この先からは軽四トラックが停まっている遊歩道の方角に入ります。




ここからが宮地山遊歩道となります。
整備してある登山道です。




勾配はキツく無く、歩き易い道です。
先ほどのアスファルト道よりも遊歩道の方が歩き易かったです。




遊歩道から、一旦はずれ第一駐車場に来ました。
この駐車場脇にはトイレが完備します。
宮地山への最後のトイレとなると表示していたトイレですが、清潔に管理されていました。
ここで小休止の後、階段を登り山頂を目指しました。




木立の中で前方が明るく開けています。
宮地山に到着です。




眺望が開け、三河湾やこの先に向かう御堂山が見えます。
ゴルフ場のグリーンも見えます。



宮地山から五井山に向かいます。
3組の人たちとすれ違いました。
左側の男性と言葉を交わしましたが、五井山へのピストンだと話していました。



宮地山から五井山へのコースに設置されていた指標です。
指標を頼りに歩けば、五井山に近づいているのが判ります。設置されて歳月が経過しているのでしょう。右上や右下の指標は傷んできています。
宮地山自然遊歩道。音羽町となっています。
旧音羽町が整備したのでしょう。



木立の中から前方が明るくなり、五井山の山頂に着きました。
大きなレンズのカメラを持った人たちが居ました。




五井山の山頂には5人の男性がいて、渡り鳥の観察をしていました。
山頂からは蒲郡の街が見下ろせます。




他の男性から鳥が近づいていると、「上~」と声が掛かりました。
上空を見よということです。
大きな望遠レンズのカメラを構え、撮影していました。

撮影した「作品」を仲間の男性と批評しあいます。




「作品」。
許しを戴いて、写させて貰いました。
撮りの種類は、ツミと言う物だと教えて貰いました。
ハチクマとかサシバの名は聞いた事が有りますが、ツミと聞くのは初めてです。
ツミのサイトが有りました。http://zisama.seya-s.com/?p=851



音も無く、ハンググライダーが飛んでいました。




上空を舞うハンググライダー。
右側の柵は電波塔の跡地です。



ハンググライダーが1機から2機になりました。



3機となったハンググライダー。
男性たちは双眼鏡を持ち、「鳥」を追尾します。
空に旅客機が見えました。高度が低くなってきています。
中部国際空港への進入コースになっているのでしょう。前に1機飛んでいて、すぐ後ろに後続機が飛んでいました。
飛行機と飛行機の間隔が狭すぎではと思いました。




五井山を後にして、林道を降りました。
国坂峠までに4羽も、アサギマダラを確認しました。
留まってくれませんので、ブレています。
空では渡り鳥が西に向かっていましたが、渡りの蝶も西に向かうのでしょう。
ここから衣浦湾を横切り、伊勢湾を横断するのでしょう。
その行動が凄いと思いますし、このあたりの山々が自然を保っているのだと思います。




林道から左の沢道に下ります。





沢道には何箇所か、石仏が祀って有りました。
小さなカエルが跳ねています。カエルが居るということは、ヘビも居る。
小さなヘビでしたが、出会ってしまいました。




沢を下りてきた所にこのプレートが立てて有りました。
右の国坂峠に向かうのですが、右に向かう道は登り坂でした。
左の道は×が着いていますが、下っていく道でしたので、進んでいきましたら行き止まりでした。

五井山から国坂峠を経由して御堂山に向かう道は蒲郡市と豊川市の境界を歩く形となります。
豊川市のところはかつて御津町だった所ですが、行政による登山道の整備が全く、してなくて山の愛好者が自主的にプレートを設けたと言う感じがしました。

旧宝飯郡の音羽町。御津町。今は、合併して豊川市となりました。
旧町時代に、観光行政に取り組む熱意の差からなのか、整備状況に違いがあります。
登山道の整備までは望みませんが、指示標識くらいは整備して欲しいと思います。
登り始めの時、音羽町の宮路山遊歩道はコース指標がしっかりとあったので、余計に強く感じました。
両町が豊川市となり、広域的にも可能となったことですので、整備をして貰いたいものです。




イノシシ除けのフェンスが設置して有ります。
フェンスを空けて通過し、また閉めておきます。




県道を横切ると、御堂山の登山口となります。
登山者用の杖。
使った人が戻しておいたのでしょう。




登山道を息を切らしながら登りました。




歩いていて、振り返ると五井山が見えます。
山頂近くに四角いプラットホームが確認できます。
あのプラットホームからハンググライダーが飛び立ったのだと思えました。




高度が上がって来ると、歩き易い登山道となりました。




御堂山の山頂に到着しました。
ここは丹野城と言う城跡で、石碑が設置して有りました。




御堂山から降りてきて砥神山へ向かいます。
この道は公園の中の道のように整備して有りますが、さがらの森の中の道です。
http://trpla.nrc.gamagori.aichi.jp/kyoiku/sagara/anai/sagara.html
砥神山へ向うのは、どの方向に向かえば良いのか判り難かったです。
駐車場の草刈りをしていた男性に道を尋ね、ここに行けました。
高圧鉄塔の先が砥神山となります。



砥神山の東峰からの眺望。
眼下にラグーナ蒲郡が見下ろせます。




分岐へ戻り、西峰に着きました。




砥神山山頂から砥神神社の奥宮へ向かって下って行きます。
段々高度が低くなるにつれて、ミカン畑が見え出しました。




砥神山登山口の石碑が設置して有りました。
この登山口の先に3本の道が有りました。右側の道にはロープが張っ有りました。
真ん中の道を進みましたら、行き止まりだったのです。引き返し、左側の道で三河三谷の駅を目指しました。
登山口の石碑が設置して有りましたが、駅に向かう道が判りづらかったのですが、大きな道路からここまでコースも判り難いだろうと思ったのです。



左側の道を取り、下山していきます。
道の下にはミカン畑が連なっていました。




途中にコンビ二があり、トイレに入って全身。服装を着替え、サッパリしました。
ここでビールを買い、水分補給しました。
着いたのは三河三谷駅の北側です。
地下歩道をくぐり、表側に向かいます。




15:40
三河三谷駅に着きました。しばらく待つと15時50分の普通列車が来ました。



蒲郡駅で新快速列車に乗り換えです。



感想
久し振りに単独行で歩きました。
途中。2回も道に迷いました。
今は豊川市となってしまった音羽町と御津町を歩きました。
旧町時代、音羽町の部分は遊歩道として整備され、御津町の部分は朽ちたプレートが有ったりするだけのコースでした。踏破して、町の姿勢(スタンス)で観光施設の整備に取り組む熱意の差を感じました。合併して同じ豊川市となったので、コースの整備を望みたいと思いました。
登山道の整備でなく指示標識が整備してあれば途中で迷うことが無いと思います。
蒲郡市も砥神山への指示標識を整備して欲しいと思いました。


山の面白さに自然と触れ合えることがあります。五井山の山頂で鳥の観察をやっていることは、本かネットか、で知っていました。山頂に着き、観察している人達のと出合。撮ったばかりの「ツミ」の画像を見せて貰えました。サシバやハチクマの名は聞いたことが在りましたが、ツミは初めて知った名です。
こんな事を知ることが出来るのも、山登りの面白さです。それにこの山でハンググライダーが飛んでいることは初めて知りました。

五井山の山頂に来ましたら、前面に蒲郡の町が広がっていました。五井山が屏風のように聳えていることを知りませんでした。
今後は、JRの列車の窓の景色から、あの山が五井山だと判ります。それに、盛んなミカン作り。気候的にも地形的にも恵まれていて、蒲郡ミカンが造り出されていることが判りました。

今回は、名鉄の駅からJR駅まで歩きました。五井山への途中で何人かすれ違いましたが、五井山へのピストンも好いのではないかと思いました。


三河湾の展望を眺められるコース。歩いてみて、面白かったです。

最後に。
今回。このコースを踏破するのに、風媒社の「三遠信の山歩き」を参考にしました。

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越美国境の山    冠 山 (1,256.6m)

2014-10-08 23:04:09 | 水曜会

久し振りに水曜会に参加し、冠山へ行ってきました。今回のメンバーはジオンさん。Dolphyさん。あさひさんです。このメンバーと一緒するのは久し振りでしたが、冠山に上るのも、久し振りです。以前に登った登った記憶が薄くなっていまして、新鮮に感じました。

登山口(9:16) ― 冠山壁の下(10:43)   ― 冠山壁の上(11:00) ― 山頂(11:02~12:17)

 ― 冠山壁の上(12:19) ― 冠山壁の下(12:34)   ―  冠平(12:36~12:47)  

― 冠山壁の下(12:49)   ― 登山口(13:50) 


衣冠束帯と言う言葉があります。辞典に寄りますと、束帯は日常の参朝の服で、朝廷の儀式・公事に着用したと在ります。衣冠の冠は冠型の被り物です。冠の形をしているから冠山ですが、他の山では烏帽子と言う言葉で呼ばれる山が多いです。横から見ると冠の形そのもので、切り立った山形をしています。
紅葉が始まる時期の山でしたが、ゆっくりと時間をかけて歩きました。


山と渓谷社。「名古屋周辺の山」より出展。



冠山林道から見えた冠山です。
南側からの眺めですが、切り立った山容をしています。



冠山峠に着きました。
登る準備をして、登山口に向かいます。



大きな「冠山峠」と刻まれた石碑が迎えてくれます。
これから登りを開始します。



樹林が切れ、冠山が見えます。



冠山が近くに見える所まで来ました。



アップダウンが連続します。
急な登りの箇所もあります。


冠山が迫って来る場所まで来ました。



紅葉の始まりです。
ナナカマドが色づき始め、枝に赤い実が着いています。



冠の壁に登ります。
山頂近くとなり、若干、紅葉して来ています。



登っていた人が山頂方向から降りてきます。



下って来た人をやり過ごし、登りに掛かります。



振り返ると冠平が眼下に見えます。
あの場所に居る人は、先程、壁に取りかかる前に言葉を交わした人たちでしょうか。


ロープに掴まり、慎重に登るKオジサンです。



山頂部に上がり、奥美濃の山を同定します。
周囲、360度の眺望は抜群です。雷倉。花房山。小津権現。蕎麦粒などなど、遠くには伊吹山が見えました。。
眼下には満水の徳山ダム湖が見下ろせます。
以前に来た時は徳山ダムが工事中でしたし、また、別の時は湛水を始めた時でした。

こうして、以前に登った山々を同定するのも、山の面白さの1つです。
小津権現山から花房山へ縦走したことを思い出します。
蕎麦粒山はフィールドアスレチックのようなコースで、途中断念した覚えがあります。



冠山の山頂。
360度。周囲を見渡せます。



遠くに白山が望めましたが、残念ながら雲が掛かっています。



左のプレートは2002年5月6日の時のものです。
職場の人間関係で憂鬱になっていた時でした。ここへ次男が一緒に登ってくれたのです。
右は2014年10月8日のものです。歳月の流れに寄り、朽ちてきました。
このプレートの裏に北中山山の会。平成13.8.19と刻まれています。
プレートが風雨に晒されて朽ち、歳月の流れを感じさせます。



ランチを終え、下山を開始しました。


冠の壁を下ります。
下から登ってくる人が有り、道を譲り登って来るのを待ちます。



壁の下に降り、冠平に向かいました。




冠平の遭難者の石碑。
昭和30年11月6日に遭難事故が発生し、その時の状況が記してあります。
まだ、テレビが普及していない時代。
登山の装備も稚拙だった頃でした。
低気圧が急速に発達して、寒気をもたらし悪天候となってしまいました。
歳月の流れと共に、碑の面が汚れ、読み難くなって居ます。


以前、冠山に登った後、岐阜県図書館で当時の新聞をコピーした事が有りました。
昭和30年11月7日(月)
東海夕刊です。
東海夕刊は今の岐阜新聞です。
遭難事故は6日の日曜日に起、7日月曜日に報じたものです。
反対側の岐阜県からも現地に向かったのですが、今のようにアスファルト舗装の林道ではなかったでしょう。岐阜県側から消防車で駆け上ったのでしょうか。



こちらは翌日。11月8日火の岐阜タイムスです。岐阜タイムスも今の岐阜新聞です。天候の急変に寄り、積雪となった事が書かれています。例年より、2週間も早くと有ります。今日のように気象観測が充分になされていない時代であります。



3人の女性たちと談笑。
地元、福井側からだと話していました。
この女性たちは私たちが山頂でランチをしていた時に上がってきたグループです。

初めて顔を合わせても旧知のように話ができる。
これも山の面白さの1つです。



アップダウンの繰り返し。
登山道の両側にブナの大きな木が散見できます。




登って下っての繰り返し。
登山口が近くなってきましたが、遠方に金草山が確認できます。




ゆっくりした速度で登ってきました。
登山口に到着します。




下山後、冠山と向き合うDolphyさん。

何台も駐車できるスペースが有ります。
駐車場で見かけたのは富山石川福井のナンバーでした。
反対に名古屋ナンバーも見かけました。冠山が日本海側と太平洋側の間にあり、両側から登る人が訪れる山となっています。



Dolphyさんたちは少しだけ、金草山への道に踏み込んでみました。
私は、この峠で彼らの帰りを待っていました。
この峠の上を自衛隊機が通過したのです。
C130と言う大型輸送機でした。操縦席が見えるくらいの低空飛行で、あわや激突かと思うような状態でした。現実に突っ込んだら、大事故となっていました。この時は、カメラが手元に有りませんでしたが、上手く撮影していたらと思います。



秋の花々が終期を迎えていました。
リンドウは汚くなっていましたし、ツルリンドウも最後のもので、他の物は実を結んでいました。


久し振りに上った冠山。
楽しむ事が出来ました。




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一宮友歩会・第52回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・境川編Part2  愛知県豊明市を歩く

2014-10-04 23:57:53 | 一宮友歩会

10月例会は名鉄豊明駅から豊明市内を北東へ進み、東郷町に入って祐福寺を目指します。祐福寺からは東へ歩き境川右岸を下ります。途中から境川の左岸を歩き、刈谷市に入ります。伊勢湾岸道路の下を通って南西に向かい、最後は東海道の境橋を渡って豊明市に入り、豊明駅まで戻るコースでした。
豊明駅(9:17)  ― 阿野八劒社(9:27~9:31)  ― 中島公園(9:45~9:50) ― 
大久伝八幡宮(10:07~10:12) ― 長盛院(10:30)  ― 一之御前安産水(10:42~10:44)
― 円福寺(10:50~10:57)  ― 祐福寺(11:38~12:20) ― 境川緑地 ―  見性寺
 ― 草野池  ― 酒井神社 ― 永福寺 ―  豊明駅  

今回は17キロのコースを歩きましたが、参加者は25人でした。何時も、顔を見せる人が居なくて若干寂しいウオーキングとなりました。明日は天気が崩れるという予報が出ています。会長曰く、天気が良くて他の行事と重なって参加者が少なくなったのかな・・・・でした。

カミさんが、足が痛いと言いましたので、途中でリタイヤしました。もう、朝の段階で完歩は無理かも知れないと思っていました。
境川は文字通り国の境を流れる川で、この川はかつては尾張と三河の境でした。今は住宅が立ち並んでいますが、その中にこんもりとした森に包まれた神社が点在しています。そのような神社やお寺は、桶狭間の戦いの頃は前線の砦ではなかったかと想像しました。
今回、境川沿いを歩きましたが、昨年は境川が衣浦湾へ注ぐ下流部分でした。今回はその上流であり、境川の中流部分を歩きました。27年度の計画では、今回の上流部を歩く予定となっています。河口から上流へ遡って行き、川の様子が変わるのが面白いです。


第52回例会の地図です。
田畑は耕地整理で綺麗に整備されています。
点在する農業用の溜池。旱魃の時は農耕に苦労したのでしょう。




豊明駅前での出発式。
ストレッチ体操を行い、ウオーキングの体調作りです。



豊明駅の連絡橋の横を通れ、ウオーキングがスタートしました。



前方の木立の森。
あの場所は阿野八劒社です。



阿野八劒社の境内に入ります。



立派な阿野八劒神社由緒記。
本殿に色々の神様がお祀りして有ります。
神様の中でも、仲の好い神様。仲の悪い神様って、有るのでしょうか。



幕末の時期に寄進された石燈籠。
豊明市の文化財に指定されています。石燈籠は右と左で1対となっていますが、左側の物は木が茂り、正面からは眺めれません。



阿野八劒社の本殿に向かいます。



中島八劒社に向かいます。




神社の境内では、女性たちがグランドゴルフをしていました。
毎日、やっているのでしょう。下見の時もやっていました。



道の横ではコスモスが満開となっています。
花を眺め、秋の風情を感じます。



大久伝八幡宮へ来ました。
この大久伝八幡宮の扁額は池大雅が揮毫したものを欅板に彫ったもので、市の文化財に指定されています。


扁額が市の文化財に指定された由来を説明しています。
右はその扁額で、お拝殿の中に安置して有りました。



お拝殿の中にはお囃子の楽譜がありました。
チャン、チャン、チャラスコなどと書かれています。
調子を合せて練習し、祭りに披露するのでしょうか。



寿がきや食品。本社豊明工場の前を歩きました。。
寿がきやは東海地方を中心に即席めんと調味料を主力とする加工食品メーカーです。寿がきやの小牧工場が小牧市に在ることは知っていましたが、ここ豊明に本社工場が在ることは知りませんでした。
ウオーキングをして、このような場所に寿がきやを見つけました。歩いていて、発見するのも面白い事です。



長盛院に着きました。



前方の小高い山。
木が茂っていますが、一之御前安産水のところです。




泉で水がが湧き出て居たようですが、泉が枯れて居ます。



一之御前安産水の由来が立てられていました。



この仲に泉が有ったのか、確認できませんでした。



次に来たのが、円福時です。



私たちが円福時に着くと、お庫裡さんが中から出てきて、みんなに煎餅をくれました。


戴いた煎餅です。
袋に2枚入りとなっています。焼印で福の字が円く描かれています。



東郷町に入ります。



溜池には睡蓮。別の場所で、池の土手に栗の木があり実を付けていました。



春日社の前を歩きます。
このお宮さんのところもお祭りのようです。
幟旗が立っています。
明日、餅投げが在るのでしょう。棚が作ってありました。


木の茂った場所。
祐福寺が見えてきました。




正面は勅使門で菊の御紋がついています。



右手の山門から境内に入ります。
両側に立派な仁王像が安置して有りました。
こちらの境内を使わせてもらい、昼食を取りました。


昼食を終え、全員の写真を撮り、午後からのコースに出発です。



祐福寺から東に進み、境川の堤防に向かいます。
道路わきの稲に稲穂が実り、頭を垂れています。

実りの秋を迎えたという感じがします。
もう、間も無く稲刈が始まります。
別の田では既に稲刈が始まり、コンバインが忙しそうに走り回っていました。

境川の堤防から河川敷に下ります。



遊歩道として整備してあります。



河川敷が境川緑地として整備してあり、パターゴルフができるようになっています。



ここでリタイヤし、みんなを見送りました。


 

カミさんが、足が痛いと言いましたので、祐福寺でリタイヤしました。でも、何んと言っても、このコースのメインは境川です。列から離れるにせよ、境川だけは見ておきたいと思い、最後に皆さん方を見送りました。
天候に恵まれた秋の日。
稲穂が頭を垂れ、コスモスが満開となっていました。
神社仏閣に寄るだけでなく、秋の雰囲気を感じることが出来ました。
このように秋の雰囲気を感じることが出来るのも、ウオーキングの面白さです。

秋のウオーキングを楽しめました。

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