Kオジサンの新・山歩きの記

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南信州の山    夏 焼 山 (1,503.3m)  兀(ハゲ) 岳 (1,636.6m)

2015-07-21 23:51:46 | 各務原歩こう会

「各務原歩こう会」の7月例会で南信州の夏焼山と兀岳に行ってきました。夏焼山と兀岳は南木曽岳や摺古木山の南側の山で中央アルプスの最南部に位置します。
今回のリーダーはSさんで19人のメンバーです。木曽見茶屋でバスから降りてパノラマコースを夏焼山山頂へ歩き、十字路から展望コースを大平峠広場へ下ってきました。その後は、兀岳だけへのピストンをコースを辿りました。梅雨が明けて高温となり、バテてしまった人が出ました。その人は大平峠広場に留まっていて、残りの人は兀岳に行ってきました。

木曽見茶屋(9:02) ― 登山口(9:05) ― 夏焼山山頂(10:12~10:29)  ― 十字路(10:39)

 ― 大平峠広場(11:01~11:15) ― 兀岳登山口(11:16) ― 町村境界曲折点(11:55) ―

 兀岳山頂(12:32~13:01)  ― 町村境界曲折点(13:31)   ― 兀岳登山口(13:58)

 ― 大平峠広場   


木曽見茶屋の場所に設置して有った大平峠県民の森の案内図です。
この場所から先に夏焼山に登り、その後に兀岳へ登りました。



木曽見茶屋の前は道路がカーブとなっていて、駐車スペースが有ります。
マイクロバスから下車してここから登り始めです。

木曽見茶屋は閉店していて入口を青いシートが覆っていました。



夏焼山への登山口です。
ここから登り始めます。
登山道に入る前。ここには熊除けの鉄パイプが下がっています。
みんな、ここでパイプを叩き音を出してから入山します。



登山道に入ってすぐは、横にスライドして行くような道でした。



そして、すぐに急な登りとなりました。



後尾を歩くKオジサンです。



両側がササの道を登ります。



この辺りは歩き易い登山道でした。



山頂が近くなってきました。
急登を登ります。



パノラマコースと有って、眺望の良い所に出ました。
真正面に南木曽岳が見えます。



南木曽岳をアップで。



夏焼山の山頂に到達です。



山頂にプレートが設けられています。

暑さにやられたのでしょうか。
山頂に向かう途中、Mさんが体調を崩しました。
この後は、下山するだけですので、みんなと一緒に歩けました。




夏焼山頂上からの眺望です。
左に南木曽岳。そして御岳が見えますが、御岳の山頂付近を雲が覆っています。



右に目を転ずれば乗鞍岳が見えます。
残念ながらコチラの山も雲が覆っています。

視界がまったく利かない事を思えば、このような山の姿でも、見えただけで良しとしなければなりません。



指示標識が有りますが、古くなっています。

山を同定するプレートには、穂高あたりも見えるような図が描かれています。
このプレートも風雨で痛んでいます。



夏焼山の山頂から下山を始めました。
十字路に向かいます。



樹間から、次に登る兀岳の姿が見えます。
一旦、下り再びあの山を目指して登ります。



県民の森方面へ下山して行く登山道と大平峠へ下る道のクロスする交差点で十字路になっています。



十字路から先に向かう馬の背コースの道です。このまま進めば県民の森に下山してしまいます。
登山隊はここを真っ直ぐ進んでしまいました。
ここから右に折れて大平峠に向かうので、先頭集団を呼び戻しました。

つい、最近にササが刈り払われたのでしょう。
歩き易いコースとなっています。



大平峠に向かって下山していきます。
下るので好いのですが、ここを登るとなると、少しキツい道です。
この急登を登ったことを思い出しました。



この辺り。
勾配が緩い部分も有ります。



大平峠の広場に下りてきました。
バスが待っています。



峠の東屋のところで休憩です。
体調を崩した、Mさんは兀岳へ向かわずにここに留まりました。
そして、Kさんも登るのを控えました。




15分程の休憩を取った後。
兀岳へ向います。



このプレートは兀岳へ向う案内標識です。
右側と左側。
両面、同じように描かれています。
左が前回登った06.06.03の時の物。右は今回の物です。
10年近い歳月の流れ。コケが生えました。



登山道の両側は肩あたりまでのササヤブとなっています。



一旦下り、そして
また登ります。

何の花か、木に花が咲いています。



町村境界曲折点まできました。
左側は06.6.03の時のプレート。
右は現在のプレートですが、誰かが塗ったのか見難くなっています。

ここから左へ直角に折れて兀岳に向かいます。
右の方へも道がついています。清内路と書かれたプレート。清内路峠に通じているのでしょうか。
ここで、リーダーのSさんも体調が悪くなりました。
それでYさんへバトンタッチしました。




兀岳へ向かう登山道です。
登山口から町村境界曲折店までの部分に比べると、歩き易い道です。



このような姿の植物を始めてみました。
これはギンリョウソウの成れの果ての姿です。
キセルのような姿の花にガクが生えています。



坂道を登りますが、山頂はもうすぐです。



兀岳の頂上に到達です。



兀岳の山頂。
ここでランチタイムとしました。



30分ほどのランチタイムを終え、みんなが去った後です。
再び、ひっそりとした山頂になりました。



下山していきます。



木の間から恵那山が見えます。
恵那山の手前。草原の山が確認できます。
あの山は横川山や富士見台方面でしょう。

一度、登った山がこのように別角度で臨めるというのは、記憶に結び付き、嬉しいものです。



町村境界曲折点からの下り道です。
リーダーのYさんから靴ヒモをしっかりと結びなおすように言われ、みんながしっかり靴ヒモを絞めなおしました。そして、「ここで尻餅ついたら、バスに乗せてもらえないぞー」と言う言葉。
それに、ズボンの裾を捲くった方が良いとも言われました。



足元は水が流れねドロドロの状態です。
転ばぬように慎重に下山していきます。


登山口が見える所まで下山して来ました。



お疲れ様でした。
大平峠の広場で整理体操です。



登山コースには山登りの効果が書かれたプレートが設置して有りました。
森林がくれた7つの恵み。
大きな酸素ボンベや巨大なクーラー。心の安らぎを与えてくれるなど、色々の効果が有ります。



こちらは各所に見られた熊除けの鉄パイプ。
みなさんが叩き、音を出してから進みました。
6箇所ほど見かけました。

大平峠県民の森へ

リーダーのSさんがバスの運転手に大平峠県民へ向かうよう頼んでくれました。
大平峠県民の森は夏焼山の北側となる場所に有ります。大平峠県民の森を案内してくれました。
ここから夏焼山へは馬の背コースやツツジコースで登る事が出来ます。
コチラから夏焼山に登ってみるのも良いでしょう。




県民の森を散策。
ひっそりとしていました。
湿地や木道がが設けて有りますが、今は花の時期では無いようでした。



少ない花の中で目に入ったのがヨツバヒヨドリとオダマキです。

06.06.03にも登りました。
今から9年前です。
その時は、木曽見茶屋より東、低い場所からスタートして旧大平街道を歩き、兀岳へ。
兀岳へピストンしてから夏焼山に登ってパノラマコースを下って木曽見茶屋に戻って来ました。今回とは逆のような歩き方をしました。


あの時はここから出発しました。
大平街道のカーブです。ここはヘアピンカーブで右へ上がっていくと木曽見茶屋でした。
カーブちてんで車が4・5台停めれました。
ここに停めて、旧大平街道を歩き始めました。




旧大平街道を歩きます。
木橋が架かっています。
ここを歩き大平広場に向かいました。

この街道は木曽路と伊那路を結ぶ街道です。
江戸時代の頃。旅人が往来したことを想像しました。

この後大平峠に向かい、兀岳に登ってから夏焼山を登って木曽見茶屋に降りて来ました。



ぐるっと、周回して来て木曽見茶屋まで降りて来ました。

あの頃は、まだ、茶店が開いていました。
暖簾には「おでん」「山菜そば」と書かれています。
こんな茶店で休憩すれば、旅人気分に浸れたことでしょう。



 
正面から見た木曽見茶屋。

今回。夏 焼 山 と兀岳 に登り、忘れていた記憶を思い起こす事が出来ました。
温故知新的な気分です。

あの時。兀岳に登る途中か、登ってきてからか。カップルとすれ違いました。後から判ったのですが、そのすれ違った人。ホームページを立ち上げていました。そして、その人とやり取りが有りました。そん何事が有りましたが、記憶が薄くなっています。


最後に
前回に登った時は、大平峠県民の森について全く知らなく、知識が有りませんでした。今回、Sさんに案内されて、大平峠県民の森を訪ねました。ここから夏焼山に登れることを知らなかったのです。この県民の森側から上ってみるのも面白いのではないかと思いました。
7月例会で夏焼山と兀岳に登ることになっていました。登っていて、気に留めなかったのですが、十字路から大平峠広場に下る時にここを登ったことを思い出しました。
あの時、ここを登ったのだという記憶が蘇りました。
久し振りに登った同じ山ですが、前に登った時の印象に繋がり、面白かったです。

コメント (2)
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一宮友歩会・第57回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・東尾張編Part6 愛知県清須市を歩く

2015-07-04 23:49:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の7月例会が開催されました。今回は名鉄犬山線下小田井駅をスタートして花咲公園に向かい、その後は庄内川の堤防を歩きました。そして美濃路を歩き、その後、清洲公園を訪ねました。清洲城、貝殻山貝塚資料館を回りカルチバ新川と言う施設で一旦は解散とし、希望者がキリンビール名古屋工場に向かいました。

清須市は平成17年7月7日に西枇杷島町、清洲町、新川町が合併して誕生した市で、後日、清須市と春日町が合併して、現在に至っています。今回、歩いたのはその清須市で、清須市の中を美濃路が通っています。美濃路は家康が関が原の合戦の後に、戦に勝利した家康が通ったことから吉例街道と呼ばれています。
古い街道筋。その中では、地元の人達が茅の輪作りに取り組む姿を見ることが出来ました。

 名鉄下小田井駅(9:15) ― 花咲公園(9:26~9:29)  ― にしび夢だいこん(10:06) ― 
問屋記念館(10:19~10:23) ― 松原神社(10:27~10:29) ― 飴茶庵(10:41~10:45)
― 新川開削頌徳碑(10:55)   ― 清洲公園(12:04~12:30)  ― 清洲城(12:37)  ― 
貝殻山貝塚資料館(12:54~13:31)   ― カルチバ新川(13:51) ・・・・キリンビール名古屋工場



第57回のコース地図です。
下小田井駅をスタートして清須市内を時計回りに歩きました。




下小田井駅前の上新公園です。
出発式の後、ウオーキングに備え準備運動をします。


花咲公園

最初に寄ったのが花咲公園です。
この公園には枇杷島町にまつわる琵琶の彫刻が展示して有ります。この琵琶は「恋待白菊」と名付けられていますが、藤原師長が村娘との分かれ際に与えた琵琶が「白菊」と言う琵琶でそれに由来しています。



藤原師長(フジワラ モロナガ)が配流となったときの説明板が2箇所の場所に設けて有りました。
左は名古屋市西区枇杷島の清音寺の門前に設置してある説明板です。右は13.02.02の瑞穂区ウオーキングの際に見かけた説明板です。こちらの説明板は瑞穂区妙音通りの嶋川稲荷の前に設置して有りました。
井戸田学区を歩いた時と言い、枇杷島を歩いた時と言い、歴史的な事柄を関連付けて考察できるのも、歴史的ポイントを歩く面白さです。




庄内川の堤防を歩きます。
後ろには庄内川に掛かる名古屋高速の橋が見えます。







名鉄電車の鉄橋下まで来ました。


にしび夢だいこん

堤防下の近くには、にしび夢だいこんの石造があります。




ポケットパーク的な場所になっています。
石の道標には東西南北の方角が刻まれています。
石碑に刻まれた字は読み難いですが、説明板に解説が有ります。




説明文と絵。
この絵は「尾張名所図会」の絵で、この絵に描かれているだいこんが夢だいこんの石像となりました。


美濃路を歩き始めます

美濃路に入りました。
頭上を新幹線が通過します。



問屋記念館

問屋記念館に着きました。




問屋記念館の内部です。
野菜のサンプルが置かれ、当時の野菜問屋を表現しています。


松原神社へ

美濃路沿いの松原神社へ来ました。




神社では茅の輪造りの真っ最中でした。




珍しい茅の輪造りを見学です。
松原神社の役員の人たちが茅の輪造りに奮闘していました。
少し言葉を交わしましたが、近くの庄内川で「茅」を刈って来たのだそうです。
このような風習。
若い人に伝えていかなければ途絶えてしまいます。
茅の輪造り方。
茅の輪を通る意味をこれからの世代の人に継承して行って欲しいと思います。




力を合わせて茅の輪造りに奮闘しています。
男性の背中は汗がビッショリとなっていました。




松原神社を後にします。
神社を去る時、11日に行われるので、おいでと言われました。


美濃路を歩く

問屋記念館からは自由歩行で飴茶庵へ10時40分に集合となっていました。
ここ、美濃路は自動車の交通量が多く、各自で歩きました。




ここは一球庵です。
屋根に屋根神様が祀って有ります。




屋根の上の屋根神様です。




一休庵の前には笠が下がっています。




一休庵を出ます。




美濃路を歩く皆さん。
バラバラに歩行します。




以前に美濃路を歩いた事が有ります。
そして、事前に下見でも歩きました。
でも、このような銭湯が有ることには気が着きませんでした。




こちらが飴茶庵です。
ここにも屋根神様が祀られています。




飴茶庵の内部です。
中では駄菓子を売っています。
童心に返って駄菓子を買い込みます。




私も駄菓子を買いました。
透明の容器に入っているのは4分の1にカットされたカルメ焼で、1個10円でした。


瑞正寺へ

瑞正寺へ入ります。



瑞正寺には南妙法蓮華経と彫られた宝塔が立っています。
そして、この地の近くに尾張藩の刑場が有りました。
罪人の菩提を弔うと、由来の説明が書かれています。




歴史の権威。丸井さんの説明です。


新川開削頌徳碑の場所で

こちらは河川学会の権威。安井さんです。
ここは新川開削頌徳碑の有るポケットパークです。
この辺りを庄内川や五条川が流れていますが、度重なる水害に悩まされていて、川を開削しました。
新しく造成した川で、新川となりました。



新川が開削された時代背景が説明されて居ます。
度重なる水害で、民百姓が困っていました。そんな窮状を訴え出て・・・・新しい川の開削工事が始まりました。


この場所は新川端のたもとに有り、ポケットパークのような場所です。
そのような所に、新川開削頌徳碑が設けて有ります。



美濃路の説明と旧新川橋の柱です。




地図が面白いです。
その、説明で配られた地図です。
明治24年のモノのとなっています。東海道線が全通したのは明治22年です。この地図には下から左上に向かっていくルートが有ります。まだ工事中なのか、正式な鉄道の地図記号になっていません。
名古屋城の位置は名古屋衛戊となっています。空襲で天守閣が焼けましたので、この時代の時は現存したのでしょう。
地図記号では田の揮毫が載っています。真っ白の所は畑です。畑では野菜が作られ問屋に出されたのでしょう。この辺り。野菜の生産地でした。




長谷院へ

長谷院まで歩いてきました。
この辺りまで来て、雨が振り出しました。




雨の中。
五条川の五条橋を渡ります。




新幹線の五条川橋の下を歩きます。


清洲公園へ

清洲ふるさとやかたに到着です。
ここで昼食の時間を取ります。




晴れていれば清洲公園で昼食となるところでしたが、雨で、ふるさとのやかたの中での昼食です。


清洲城に向かいます

昼食を終え、清洲城へ向かいます。




甲冑武者姿をした人に迎えられました。
柴田勝家の姿をした人です。
橋の上で全員写真を撮りましたが、この方にも加わって貰いました。




城の門に入っていきます。




雨の中、城の下を通過します。
雨中ですが、天守閣に出ている人を見かけました。




清洲城を模した門。



貝殻山貝塚資料館へ

貝殻山貝塚公園へ来ました。




貝殻山貝塚資料館に入ります。



資料館の館内。
学芸員が朝日遺跡について説明してくれました。




資料館には火起こしを体験できる道具が有りました。
棒の先が回転で熱くなり煙が立ちました。



外でも学芸員が説明してくれました。




公園には竪穴式住居が復元してあります。


カルチバ新川で解散式

カルチバ新川に到着です。




カルチバ新川の温室を借りての解散式です。
歩いてきて整理体操を行います。



東海豪雨の痕

左は清須市西枇杷島庁舎が入っているビルです。この辺りも東海豪雨で浸水した場所だそうです。
誰かが言っていましたが、このビルにその時の痕が残っているのだそうです。
右は歩いていて、見かけた東海豪雨での浸水位置を示すものです。
今から15年前の事となりますが、これも歴史の一部だと言えるでしょう。


新川開削頌徳碑に設置してあった東海豪雨の説明板です。
平成12年9月11日から12日にかけて、豪雨が有ったことを説明しています。




今回のウオーキング。
全部で53名の参加者が有りました。
はじめの内は曇天でしたが、途中から降られました。もう少し遅い時間から振り出せばと思いました。何と言っても、今回のメインは美濃路を歩いたことです。古い街道の雰囲気を残す道。関が原の合戦が終わり、その後に家康がこの街道を通ったそうな。
そのような事を想像するのも面白いことです。
今回見かけた花咲公園の大きなブロンズ製の琵琶の彫刻。
以前にウォークした場所の説明板にも琵琶の由来が書かれていました。以前の事と今回の事とが関連付けられる。これもウオーキングで歴史を探求する面白さだと思います。


この後はキリンビール名古屋工場に向かいました。
出来立てのビールを試飲。  キリンビール名古屋工場を見学
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/a41104cb016675f6ce3905424a6bc47f
をご覧下さい。

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