済州島へ行った時の事ですが、「初めての海外の山登り 済州島 城山日出峰(182m)」としてと紹介しました。 http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/6435263e8c39f21841b55664eae62075
今回は、スリランカでシーギリア・ロックに登りましたので、海外の山登りとしては、2山目となります。ただ、長い階段を登って行っただけですから、山登りと言って良いものか、どうかとも思いましたが、山登りとしてアップしました。
シーギリア・ロックは標高約370m、岩頸そのものの高さは約195m、と書かれています。約200mの岩山で、全方位が切り立った崖になっています。約1,200段の階段の山を登ってきました。
山頂からの眺望は良く、視界が広がっていました。
登山口に有る駐車場へバスが着きました。
地元のサポーターが近寄ってきました。サポーターは登る人を手助けし、お金を得るというものです。彼らの収入の糧となるものでして、五月蝿いくらい言い寄ってきました。
ガイドは2,000ルピーくらいの金額だと話し、必要が無いのならキッパリと断るようにと言っていました。
登山口に向かって歩いて行きます。
ガイドが人数分の入場券を買い求めました。
4,260ルピーとなっています。邦貨では3千円余りです。少し高いです。外国人とスリランカ人では、料金が違うようでして、外国人から不満が出ています。
半端な金額ですが、違っているかも知れませんが、30ドルとか。ドルでキリの良い数字なのだと思います。
上から見下ろしたシーギリア・ロックです。
バンダラナイケ空港に着いた時、垂れ下がっていた幕を写したものです。
テーブル状で、山頂辺りは段々となっています。
登山口へ向かっていきます。
これから登るシーギリア・ロックです。
これから登るシーギリア・ロックです。
シーギリア・ロックを大きく。
更に、ズームで。
螺旋階段が見えます。
その左側でシートで覆われたような箇所がシギリア・レディが岩肌に描かれている所です。
絵自体が文化遺産ですが、あの場所へ登っていって仕上げた事が凄いと思います。
ズームレンズを使いました。
最大です。
人は見えませんが、フェンスが見えます。
登山口の階段へ進む途中。
イグアナと猿を見かけました。
イグアナと聞いて、ガラパゴスのイグアナを想像してしまいました。良く考えたら、アチラは海イグアナでした。人の直ぐ近くに居て、逃げようともしませんでした。
右の猿。なんと言う種類の猿か判りません。でも、昨日見かけた猿とは違う種類です。
イグアナが居たり、サルが居たりで、柵の無い動物園に居るような感じがします。
それから、青大将のようなヘビも見かけました。
この時のヘビ。コブラでした。
階段を登り始めました。
地元のサポーターが付きまとってきます。
ガイドは必要なら最初から頼め。2,000ルピーが相場だと言っていました。
必要な人には交渉するつもりだったのでしよう。
途中から頼んだりすると、トラブルが発生する事が、有るようです。
手を差し伸べているのがサポーターです。
頼みもしないのに、手を差し伸べてきます。
この状態の時。要らないとキッパリ言わなくてはなりません。
岩のトンネルをくぐり、進みます。
この場所。
オーディエンス・ホールとなっています。
階段を登って行きます。
階段が磨り減っています。長い年月が経過したと思います。
登って行く様子です。
motaさんが撮ってくれました。
まだまだ、サポーターが居ます。
しつっこいくらい、言い寄ってきます。
その日の収入がかかっているので、必死になるのは、仕方が無いかも知れません。
少し登ってきました。
階段を登っていて、視線を横に移しました。
急な崖が見えます。
まだまだ、階段が続きます。
両側のレンガ。
雨風で、角が丸くなっています。
その事が歴史の古さを想像させます。
登って来ました。
後ろを振り返ると沢山の人が押し寄せ、声が聞こえます。
中国人たちです。
ガイドは中国人で込み合い始める前に、山頂へ行きたいと思っていました。
中国人たちに混じって登るとなると、思うように登る事が出来なくなります。
鉄製の階段を登ります。
階段が続きます。
あの螺旋階段を登ります。
長い通路です。
このコースは登りの一方通行となっています。
右側の岩。
筋の模様が見えます。
シーギリア・ロックは火山だったようです。
溶岩の縞模様なのでしょうか。
螺旋階段を登ります。
螺旋階段は一方通行となっています。
こちら側は上りで、向こう側に下りが有ります。
螺旋階段を登った廊下のような場所にシギリア・レディがありました。
スリランカの国宝に匹敵するものです。
撮影禁止となっていました。
これは旅行パンフから引用しました。
この場所に来るだけでも大変な事です。
このような場所に、良く描き挙げたものだと感心しました。
螺旋階段を降り、更に進みます。
左側が壁のように塀が設けられた所です。
鏡廊下と言う意味でしょうか。
そんな所を通過して行きます。
踊り場のようなところに出ました。
壁が低くなり、眺望が利く場所です。
登山口に向かった時の道が見下ろせます。
踊り場のような場所からは、下界の眺望が広がります。
密林の海。と言った感じがします。
更に進みます。
この辺り。
階段がありますが、横にスライドして行く形で、歩き易いです。
シーギリア・ロックが正面に見えた場所を見下ろします。
あの場所からシーギリア・ロックを見上げました。
右上の隅に小山が見えます。
昨日、見たダンブッラ石窟寺院が有った山だと思います。
横幅が狭く、一方通行の通路です。
フェンス越しに覗くと、怖いような通路です。
またまた、階段が始まりました。
今までは一方通行でしたが、ここからは対面で歩きます。
階段が始まったところです。
これまでが一方通行で、ここかには対面通行で歩きます。
途中。
広場のようなところに着きました。
距離にすると三分の二くらいです。
高さでは半分ほど登ってきました。
ここで、全員が小休止し、息を整えます。
ライオンの両手。
あの場所から再び登るのですが、この場所で小休憩を取りました。
半分の高さまで登って来たのでしてガイドは、登るのが困難な人は、ここで待っていても良いと言っていました。
それでも、全員が再び登り始めました。
柵があり、近寄れませんが、ライオンの足は自然の岩を刻んだようです。
階段を見上げました。
休憩の後、全員が再び登り始めました。
階段を見上げました。
急な階段です。
急な階段です。
まるで、空中を上がっていく。そんな気分になります。
上りの階段と下りの階段が区分けしてあります。
トラピクスのバッジを付けた人達とすれ違いました。どちら方面から来たのと聞きましたら、関西からでした。大阪のオバチャンたちです。「アメちゃん、持っている」?と声を掛けましら、「持っている」と返事が有りました。
それに、「後、3分」と励まされました。
階段を登って進みます。
山頂へ来ました。
みなさん。成し遂げたと言う事で満足そうな表情をしています。
お疲れ様でした。
山頂から隣の山を眺めます。
昨日、ダンブッラ石窟寺院から、シーギリア・ロックの隣に見えた山でしょう。
山頂はこんな様子です。
テーブル状のシーギリア・ロックでも、段々になっていて、この辺りが一番高い場所です。
テッペンで。
motaさん。Oさん。と一緒に記念写真に納まりました。
山頂からの眺望です。
横に白い線が入っています。
海なのだろうかとも思いますが、詳しくは判りません。
ポロンナルワ遺跡の近くの湖かも知れません。
山頂の辺りを歩きます。
左へ向かうと周回できます。
山頂からの眺望です。
良い形をした山が見えます。
山頂辺りの景色です。
麓の方角です。
1本の道が通っています。
先ほど通ってきた道です。
サングラスの男性がガイドです。
この後、山頂周辺を周回しました。
四角い池のようですが、王が使ったプールだそうです。
人々に、下から水を運ばせたのだそうです。
背中にタルを背負って運んだのでしょうか。王は凄い権力を保持していました。
山頂部はこのようななっていました。
下から山頂部を見上げました。
凄い数のレンガが使われています。
レンガを山上で焼くことは無いと思いますので、下で焼き、運び上げたのでしょう。
その労役に従事した人達。
何千人か。
何万人か。
人々の上に絶対権力を保持した王が君臨していました。
玉座です。
君臨した王様が座った場所です。
横の壁に溝が刻んであり、少しでも涼しくなればと水を流したのだと説明してくれました。
ここに座ってはいけない事が判ります。
山頂方面を見上げました。
これから、下山を始めます。
これから下山にかかります。
外国人も登りにきています。
狭い階段を下って行きます。
あの場所が広場です。
左の裸足の人。
地元の人だと思います。
上りと下りが分かれています。
左側。
中国人が登ってきました。
広場を見下ろします。
ビルから下を見下ろしているような感じがします。
高所で怖い感じがします。
スズメバチが襲ってくる事が有るようです。
広場で上に見える細長い建物ですが、ハチから避難する避難所のようです。
季節に寄って活発になったりするのか、私たちの時は何も感じませんでした。
急な階段。
この部分は上りと下りが一緒になった部分です。
上を見上げました。
列になって下って行きますが、後ろはスリランカ人だと思います。
土曜日で多くの人が訪れていると、ガイドが話していました。
上りと下り。
混雑しています。
大岩の凄い壁です。
広場までもう少しです。
人の往来が多く、中々前に進みません。
サングラスの人は中国人です。
広場までもう少しです。
ようやく、ライオンの脚の間まで降りてきました。
広場まで降りてきて、下って来た階段を見上げました。
あの階段を下りてきた。
よく行って来た。
そんな気持ちがしました。
広場から下へ向かっていきます。
下りながら上を見上げました。
あの巨岩のテッペンへ行って来ました。
螺旋階段です。
右側が上りで、左側が下りです。
螺旋階段を登ったところの左側にシギリア・レディの絵が有りました。
ここまで、下りてきました。
この場所にも巨岩があります。
お疲れ様でした。
下まで降りてきました。
下山して来て。
ヘビ使いがコブラを操っていました。
岐阜グループの人がお金を払っていました。500ルピーと言っているのが聞こえました。
感想
今回。21人の人がサポーターを頼まずに、自力で登って来る事が出来ました。みなさん、良く頑張ったと思います。
ガイドはシーギリアロックへ登るのが、今回が99回目だと言っていました。次回は100回で、節目となる回です。何回はどのようなグループだったと覚えているのだろうか。
シーギリア・ロックには古い歴史があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%83%A4
今でこそ、鉄製の階段となっていますが、当時は木で階段を作ったのではないかと想像します。王のプールのために水樽を背負って登った人。沢山のレンガが有りました。生涯、レンガを作り続けた人。想像が膨らみます。
階段の連続する通路。巨岩のシーギリア・ロック。
滅多に来る事が出来ない場所に来る事が出来て良かったです。
格安の海外ツアーに参加しました。3泊4日の日程で、二日目にコースの途中で城山日出峰へ登る時間が設けてあり、山頂まで行って来る事が出来ました。
登山靴を履いての野本格的な登山では無かったのですが、汗をかきながら山頂まで行って来ました。山の高さは182mです。海岸に近く海抜は0メートルに近い所からのスタートとなりますので、登りがいのある山でした。
城山日出峰の地図です。
資料には海底噴火によってできた巨大岩山で済州島を代表する景勝地とあります。
バスの車窓から。
この後、あの城山日出峰に向かいます。
(14:31)
これから、あの山に登ります。
ここはゲートとになっていて、お金を払って入場します。
(14:35)
初めのうちは緩やかな登りです。
石畳になっているのですが、歩き難かったです。
展望台へ来て、後ろを振り返ると、下の風景が見えます。
(14:41)
これからは階段の連続です。
前方に大きく岩の山が広がります。
少し、ピンボケでした。
急な階段を登ってきました。
(14:49)
山頂はもうすぐです。
ここからすぐに、山頂に出ましたが、気分的には、まだ、山頂には到達しないと思いながら登っていました。
(14:53)
あの先が山頂です。
(14:55)
山頂に有った表示板。
こちらの表示は180メートルとなっています。
山頂は、階段状に整備されて居ます。
東に向かって撮影し、繋いで見ました。
クレーター状なのが判ります。
(14:59)
下山を始めました。
急な階段です。
歩き始めたところが見下ろせます。
急な階段。
階段は上りの階段と下りの階段に区分されていました。
こちらは下山用の階段です。
違っているかも知れませんが、多分、ママコノシリヌグイか、その仲間だと思います。
急な階段。
横縞模様の服の女性が写っていました。
登っていくシーンに写っていましたし、山頂でも写っていました。
そして、ここでも。
この女性と同じペースで登り、同じペースで下山して来たことになります。
階段続きが見えます。
登山口が見えます。
(15:07)
下ってきて、勾配が緩くなりました。
緩やかな道となってきました。
この先は、上りの道と下りの道に区別されました。
降りてきて振り返ります。
大きく岩肌が見えます。
(15:16)
下山道から海側を見下ろすと、海女のショーをやっていたのでしょうか。
沢山の人が集まっていました。右上の黒い3つの点は海女たちでした。
ボートに乗せたりしていたようです。
あそこから下ってきました。
下山して来て。
入場券の販売所へきました。
団体料金で1,600ウオンとなっています。
ツアー料金に含まれていますので直接お金を払うことはありませんでしたが、階段や山頂が整備してありました。
このように環境整備に使うのでしたら、嫌な顔をせずに払います。
済州島のあちこちで見かけた水を運ぶ女性像。
ここでも見かけました。
物凄い数のバス。
ほとんどのバスが中国人が乗ってきたものです。
入口には広報館と表示してありました。ビジターセンター的な施設です。ハングル文字で書かれていて読めませんでした。
(15:19)
城山日出峰の名が刻まれた岩。
山頂の標識では180メートルとなっていますが、地図には182メートルとなっていました。初めのうちは緩やかな登りでしたが、展望台辺りからは急な階段の連続でした。下山して来て、腕時計のバロメータ数値を見ましたら、76メートルを表示していました。気圧によって誤差が生じます。山頂は182メートルのハズです。山頂の数値と山麓の数値の違いを知る事が出来たのですが、山頂で高度計を見なかったことを残念に思います。
撮影してきた画像で時間を確認してみました。登りで30分そこそこ。下りは20分程度でした。下から見上げた断崖のような壁。良く登ってきたなと言う印象です。
外国へ来て、この陽に山に登るこてが出来て良かったです。
できることなら、この済州島には韓国で一番高い漢拏山に登ってみたいと思います。
よろしかつたら、格安ツアーの本編をご笑覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/0571b3afb63f2770304e6ed17da6ca3e
前夜、苫小牧港からのフェリーに乗船して、2等寝台で寝ました。朝、目が覚めて時計に目をやると、5時9分でした。ベッドに横になっていてエンジン音や振動が微かに伝わって来ます。海が少し荒れていました。午前中に船内放送で展望浴場の使用を止めると言っていました。
午後になると天候が回復して、海が穏やかになり青空も見えてきました。それに合わせて展望浴場の利用も可能となりました。
船会社は北海道と関西を結ぶ航路を開始して、40年になったとか。それを記念して、ビンゴ大会を催していました。また、5階のシアターで、DVDの鑑賞会を始めるとアナウンスで告げていました。少しでも乗客に楽しんで貰おうとする意図が感じられました。
昼間から風呂に入ったり、ビールを飲んだりする。
時間がゆっくりゆっくり進む。時間に追われることなく、過ごす。考えてみると、このようにゆっくり過ごすことが、最高の贅沢かも知れません。本を持ってくるとか、MDを持参するとか。日本人はこのような時間の過ごし方が下手です。
海が穏やかになりました。
へさき方面を臨む。
サンサンと降り注ぐ太陽。
シャンソンのラ・メールの場面のようだ。
サンセット。
大海原に陽が落ちます。
最後に
今回、一緒したW君は、天候不良などで幌尻岳の登頂を断念しました。また、機会を作って出掛けて欲しいです。
彼だけで行った幌尻岳へは実現しませんでしたが、旭岳、樽前山へは一緒に登ることが出来て良かったです。登山の機会を設けて貰い、改めて感謝します。
樽前山へ
苫小牧のビジネスホテルを出発して恵庭岳に向かいました。登山口に着いて、山登りの支度を終えたら、W君が足の痛みを訴えました。この足の調子だと途中で引き返すことになる。以前に登ったことのある樽前山なら登れると言ったので、急遽、目的地を変更しました。
樽前山の登山道路の入口に到着すると、既に車が3台列を作っていました。苫小牧市の腕章を着けた男性が2人で入山する車を管理規制していました。7合目の駐車場には沢山の車が駐車出来ないので、ここで一旦停めているとの事でした。
7合目駐車場に着くと、多くの車が停まっていました。地元の室蘭、札幌ナンバーは当たり前だが、京都や滋賀ナンバーを見かけました。人気が有る山であることをうかがわせました。
登山口から暫くは林の中の階段を登りました。ルートを外さないように両側にロープが張ってありました。程なくして、視界が広がる場所に出ました。前方に大きな山の姿が聳えていました。振り返ると駐車場が小さく見えました。ここまで上がって来たと言う感じがしました。
高山植物の花が見えだし、すれ違った登山者に花の名前を聞きました。イワブクロと言うのであって、またの名をタルマエソウと呼ぶと教えて貰いました。花の名を知ることが面白いです。さらに進むとガレ場の斜面に差し掛かかりました。
五合目登山口(8:53) ― 七合目駐車場(9:00) ― 西山・東山分岐(9:45) ― 東山(10:01) ―
周回路分岐(10:35) ― 風不死岳分岐(10:54) ― 昼食 ― 七合目駐車場(11:58)
西山・東山分岐は周囲に隔てる物が無く、360度の展望でした。正面には溶岩ドームが大きな姿で横たわっていました。外輪山の周回路を東山に向かって歩きました。時折、ガスが掛かってきました。東山の山頂には樽前山の大きな表示番があり、眺望も良く支笏湖が見下ろせました。さらに北へ進み、周回路を歩きました。登った印象は、火山であり、ミニ富士山みたいなと言う感想でした。
支笏湖沿岸の道路から見た、風不死岳。
この向こう側に樽前山がある。
斜面の階段を一段一段登って行く。
樽前山の山姿。
前方で大きく立ちはだかっているような威容が有った。
登山口に有った表示板の登山コース。
登山者に教えて貰ったイワブクロ。
またの名をタルマエソウと言う。
東山のピーク近くで。
ここまで上がってきて、駐車場が小さく見えた。
遠方には支笏湖が見えた。
大きな溶岩ドーム。
根元では噴火口から煙が上がっていた。
下山の周回路。
雲が低く垂れこめていた。
大雪山 旭岳へ
富良野の民宿を朝早く出発して大雪山旭岳に向かいました。空は雲が低く、今にも降り出しそうな天気でした。麓の駐車場に到着して、7時00分のロープウエイに乗りました。上の姿見駅に着くと風が強く寒かったです。
姿見駅を出ると何本かの遊歩道の散策コースがありまして、姿見ノ池に直行する右手の道へ進みました。
道の両側には高山植物が溢れていました。チングルマが満開になっていました。先日、北アルプスの白馬五竜では花の時期を過ぎて綿毛になっていたのですが、流石に、北の地の花は違うなと思いました。
姿見ノ池の脇に石室の建物が有って、そこでエゾシマリスを一瞬、見ることが出来ました。
この先、いよいよ本格的な登りとなります。正面に大きく峰がそびえます。その姿に圧倒されそうでした。
姿見駅(7:10) ― 姿見ノ池(7:30) ― 6合目(7:50) ― 9合目(8:50) ―
山頂(9:05 ~9:15) ― 6合目(10:10) ― 姿見ノ池(10:30) ― 姿見駅(11:10)
多くの登山者が来ていました。私たちの前に静岡からの21人グループがいました。静岡からでも、飛行機が無いので羽田まで来て、北海道へ来たとの事でした。
昨日は十勝岳を縦走して、今日は旭岳から黒岳に向かうと話してくれました。山では、初対面でも会話が弾みます。
そのグループを追い越して頂上に着くと、7人のグループがいました。そのグループも静岡からでした。21人グループが山頂に到着し、「私も藤枝やよー」と言う言葉が聞こえました。同じ市に住んでいながら、こんな山へ来て顔を合わせることもあるのですね。この7人グループも黒岳に向って行きました。
私たちは、来た道を下山し、姿見ノ池を目指しました。
旭岳が見えて来ました。 ゴンドラから
遊歩道を歩く。 旭岳が迫って見える。
登山道を進む静岡の21人グループ。
山頂から東方面。
黒岳が見えた。
帰路、下山して行きます。
姿見ノ池方面を見降ろします。
朝、一番に「シャトーふらの」を訪ねました。ワイン工場は小高い丘の上にありました。朝が早く、まだ工場は開いていませんでしたが、ふらのワインを外から見ることが出来ました。
この後、向かったのが、麓郷地区の「北の国から 拾って来た家」です。スキー場のゴンドラや電話ボックスなど廃材を活用して建ててありました。上手く外の光を取り入れていました。(テレビシーンでの事で、実際に黒板五郎があの家を建築した訳でない。でも、ここに佇んでいると、そんな気持ちになってしまう。)
捨てられている物を活用して、造り上げたそのデザインや効果が凄いです。その方法に感心させられました。
「物がこんなに 捨てられて行くなら
オイラ、拾って来て 生き返らせてやるー」 黒板 五郎 とありまた。
次に向かいましたのが、「黒板五郎の石の家」です。ドラマで使われた家。周囲の森とマッチして素晴らしかったです。
畑から掘り出した石を1個1個積み重ねて、煙突が出来ていました。家の中には生活用品が並べられ、テレビシーンの写真パネルが展示してありまた。あの時のシーンが脳裏に浮かんできました。
続いて「望郷の森」に行きました。ここにも初期にドラマで使った家屋が残っていました。
この後は、レンタカーを旭川へ返しに行き、富良野線で富良野へ戻りました。
2両編成のワンマンカー。各駅に停車しました。途中、中富良野駅では富良野・美瑛ノロッコ号とすれ違いました。
富良野駅に列車が到着するとホームで「北の家族」のあの曲が流れていました。初めてホームに降り立つと曲が流れ、富良野へ来たーと言う感じがしました。
最後に「北の国から資料館」を訪ねました。
資料館は駅から5分程の近くありました。館内には「北の国から」の台本や小道具、衣装が展示してありました。
館に入って最初に目に留まったのが、出演者の顔写真です。感激で涙が出る程でした。出演者の中には既に亡くなった人もいて、写真に黒いリボンが掛けてありました。
「北の国から`84夏」「北の国から`92巣立ち」とかが順に展示してあり、写真を見て、ドラマのシーンが脳裏に浮かびました。
バスなどの廃物を取り入れて作った家。
屋内にあった関係者のサイン。
五郎の石の家。
外観です。
富良野の郊外の風景です。
列車は1両だけのワンマンカーでした。車内の乗客は12名で、定刻の8時37分に発車しました。
室蘭本線は苫小牧から追分までは完全な複線でした。かつてはこの線路を石炭を満載した貨物列車が走ったのでしよう。線路は一直線です。
岩見沢に列車が到着すると、既に旭川行きがホームに停まっていました。この2149M列車は10時02分に着いて10時31分に出発しました。
また、滝川駅では11時13分に着いて、11時53分出発しました。30分近く停まったり、40分停まったりのスロー列車でした。
この函館本線は、さすがに幹線でロングレールで乗り心地が良かったです。しかし、3両編成なのですが、乗客は数人でした。途中に先生に導かれた保育園児たちが乗ってきました。
旭川でレンタカーを借りて、美瑛に向かいました。美瑛のケン・メリの木の丘やマイルドセブンの丘を廻りました。
上富良野町の日の出公園ラベンダー園に寄りました。ここは昨年見た映画「60歳のラブレター」で登場した場所です。是非、寄ってみたいと思っていた場所です。看板が設置してあって、ここが撮影場所だったことを窺わせます。
ふらのYHに泊りました。宿泊客は、私たち日本人の中年男性が3人。台湾からの若い女性が2人。香港からの女性と子供4人組。そして若い日本人の女性でした。
YHのペアレントに聞きました。最近、ラベンダーの時期は外国人が多くなるとの事です。夏休みになって日本人の家族連れが多くなる・・・・
若い頃にYHを使って旅行をしていましたが、その頃とは明らかに、違ってきていました。
こんなことが有りました。
旭川でOレンタカーを予約してありました。旭川駅で下車して駅の東の方へ向かって、制服を着た若い女性が車へ荷物を積み込んでいたので、Oレンタカーはどっちへ行けばいいのと訊ねたら、丁度、いたのが、Oレンタカーを駅まで呼んだご夫婦でした。
これから、Oレンタカーまで行くので、一緒に乗って行ったらと勧められ、お言葉に甘えさせて貰いました。
後で、話をしていて、そのご夫妻は岐阜市にお住まいでした。私の住んでいる街の隣。何とマーと言った感じでした。
「60歳のラブレターの看板」ここで撮影が行われた。
富良野に向かう途中国道237号線を走っていて虹を見ました。
はじめに
友人のW君は100名山の踏破を続けていて、最後に100山目に幌尻岳を残すだけです。
私は、この険しい山を登る技量を持っていないので、幌尻岳には登らないが、北海道へは一緒させて貰いました。
彼が幌尻岳へ行っていた間は、美瑛と富良野を回りました。
7月7日(水) フェリーで敦賀港から苫小牧東港へ
船室は二等寝台でした。定員20名の部屋で乗客は5名。夏休み前だからだろうか、ガラガラの状態でした。
日本海を北へ航行するフェリーで北海道へ向かいました。船の名は「すいせん」福井県にちなんだ花の名を付けたのだと思います。
微かな振動とエンジン音。部屋の中が静かなので、余計に音が聞こえました。
海は穏やかなのだが、17000トンの船体が上下するのを感じました。
動くホテルと言う言葉は使い古された言葉ですが、この「すいせん」は、そんな感じをさせました。
レストランは勿論有るのですが、コインランドリーの部屋まで完備していました。
航行中に展望大浴場に入りました。大海原を眺めながらの風呂は格別でした。
下船時にパーサーに乗客数を聞きましたら、80人程と話していました。
途中ですれ違った姉妹船のすずらん。
デッキから眺める海。
光がサンサンと降りそそいでいます。
下船の時間が近づきました。
これから飛び立つ「ミツバチ族」たち