弐水会の1月例会です。例年、1月例会は近郊の山に登り、その後に会食を行うのが恒例となっています。今年は岐阜市の小山に登りその後に「しまだ」で会食となりました。
まず、登った山が岐阜市岩田西の兎走山。この山、色々の呼び方が有りますが、とのやまと称するようです。その後に岩田山へ登りました。木々の葉が落ちた時期であり下界の景色を楽しめました。それに山の恵みをゲット出来ました。
岩田西の春日神社です。
ここに登山口が有ります。
鳥居の奥の山が兎走山です。
春日神社の左側です。
ここからスタートします。
兎走山登り口。
手製の表示板が設置して有りました。
左に行くと岩田山で右に行くと兎走山。
分岐点となっています。
先に向かったのが兎走山です。
登り始めは九十九折れの道を進みました。
視界が有りませんでした。
高度が上がってきて視界の良い場所に出ました。
右側の山の斜面の横の山。
巨人が横たわるような姿の山は伊木山です。
その後ろに尖った山が見えますが尾張富士です。
そして右の最奥は猿投山です。
冬の空気が澄んだ時期で遠くの山を確認できます。
山頂まで あと5分の表示。
高度が上がり山頂近くです。
道が水平移動になってきました。
山頂です。
兎走山。
とのやまと読むようです。
下山して行きます。
途中、中電の高圧線鉄塔の下を歩きます。
九十九折れの道。
この辺りは高度が高く、視界が効きますが、この先は視界が効かなくなりました。
分岐点まで降りてきました。
ここから岩田山に向かいます。
まだ、この辺りは緩い勾配です。
途中、鍋坂峠のプレートが下がっている所に来ました。
今日のように道が整備される前の時代は岩田と日野を結ぶ道となっていたのでしょう。
この峠から岩田山を目指します。
登山道の脇に有った倒木です。
ナメコがビッシリと生えていました。
この画像は少ないのですが、もっと沢山生えている個所が有りました。
山頂が近づくにつれて勾配がキツクなりました。
縋るロープが欲しいような場所です。
上まで登ってきて急な登りが終わるところです。
振返ると長良川が見えます。
山頂に到達です。
山頂に下がっていたプレートです。
山頂からの眺望。
南の方角です。
冬の時期で木々の葉が落ちていて、遠くを望めますが、葉が繁る時期に視界は効かないでしょう。
下山を開始しました。
木々の間から藍川橋が見えます。
急な道を木に掴まりながら下山して行きます。
春日神社へのプレートが下がっていました。
春日神社まで戻ってきました。
そして、お参りを済ませました。
しまだ
会食の会場。
「しまだ」に来ました。
口の字型にテーブルが並んでいます。
今年初めての例会です。
会食の前、諸事項の連絡。
今年に登る山の紹介が有りました。
そして、お茶ヶで乾杯。
本日の昼食です。
アルコールは抜きですので、早々にご飯と赤だしが出てきました。
天ぷらは冷めていました。
1人鍋の豆腐。味噌が乗っていて田楽のように感じました。
ナメコ
採って来た山の恵み。
ナメコです。
カミさんがみそ汁に入れてくれました。
最後に
兎走山と岩田山。弐水会として初登りの山でした。
手造りの表示が設けてあり、登り易い山でした。
そして、初登りの後に仲間との会食でした。
美味しい食事。楽しめました。
関市の下之保に日龍峯寺が有ります。本堂の前方が舞台造りで京都の清水寺に似ていることから、美濃清水とも呼ばれ、通称「高沢観音」で親しまれています。このお寺の北側に裏山のように高沢山、大仏山、本城山が続いています。そんな山の山歩きでしたが、岳友タンネの会の登り初めをしてきました。
Nさんから頂いたGPS軌跡図です。
日龍峯寺の駐車場から日龍峯寺へ。その後は裏山の高沢山へ行き、大仏山へ。そして本城山に向かいました。
日龍峯寺の駐車場から山歩きのスタートです。
まだ、松の内で門松が残っています。
日龍峯寺の多宝塔です。
立派な多宝塔。重要文化財に指定されています。
清水寺の舞台造りのような日龍峯寺です。
寺の階段を登って行き、山歩きが始ります。
高沢山の山頂近くです。
山頂近くになると勾配がキツくなりました。
高沢山山頂のプレートです。
山頂でも、眺望は良くありません。
40m先で白山、御嶽山が見えると書いてあります。
40m先の場所での眺望です。
北の方に白山。北東の方角に御嶽山や乗鞍が望めました。
歩いて来て大仏山に来ました。
木々の間から反射板が見えました。
大仏の三権現です。
祠に石碑が安置されていました。
富士山大権現。
立山大権現。
白山大権現。
三大霊場の名が刻まれています。
ここにお参りすれば、三大霊場を参った事になるのだろうか。
本城山に向かう途中に有った指示標柱。
小さな指示標柱ですが、綺麗な字で書かれています。
「富野ふれあいのまちづくり委員会」と表示しています。
想像なのですが委員会のメンバーに、元校長先生が入っているのではなかろうか。
校長先生は生徒の卒業証書に名を書き加えなければならないのです。
筆で達筆な人が多いようです。
ですからこの標柱の文字を見て、元校長先生が加わっているのではなかろうかと想像したのです。
もう直ぐ本城山の山頂です。
本城と言うようにかつてはお城が有った本城山です。
城郭の形を供えていて下から5段、4段、3段と階段状になっており、守りに備えたと言う感じがしました。
山頂に到着です。
大きな岩。
岩の先に山頂からの眺望が開けました。
富野ふれあいのまちづくり委員会による本城山山頂のプレートです。
本城山山頂の眺望です。
肉眼では良く見えるのですがね写真にすると不明瞭です。
白い煙が上がっているのが可児市の大王製紙です。
その右が鳩吹山。右に行って小さく突起した山が尾張富士と本宮山です。
更に右に転じると明王山や金華山が見えました。
山頂から下山して行きます。
真っ直ぐのルートと迂回して行くルートが有りました。
下山ですが真っ直ぐのルートを進みます。
大仏に戻ってきました。
大仏から下山して行きます。
帰路に見た御嶽山です。
白い噴煙が出ているのが判ります。
高澤古道の展望台です。
展望台の看板を設置した時には展望が広がっていたのだろうが、樹木が伸びて視界が狭まっています。
高澤観音まで戻ってきました。
舞台造りの本堂の下です。
五輪塔、そして解説の石碑が有りました。
石碑に取り上げられていた人物は「佐藤才次郎方政(カタマサ)」と言う人です。美濃上有知(コウジツ)と有りますが、現在の美濃市上有知です。この一帯を治めていたのでしょう。
新加納合戦と描かれていますが、新加納は各務原市の那加で、中山道の鵜沼宿と加納宿の間の距離が遠いので間(アイ)の宿でした。旗本坪内氏の菩提寺である少林寺や新加納陣屋が有ります。
金華山の稲葉山城を構えるのが斎藤龍興。対する美濃の制圧を目論む織田信長。両軍が激突したのが新加納合戦です。各務原台地の西端に位置する新加納。台地の端で眺望が良く稲葉山城が見えます。この場所で戦われた新加納合戦。どの辺りで戦が有ったのだろうかと思います。
駐車場へ戻ります。
最後に
楽友タンネの会の新年、最初の山歩きに参加しました。
好天に恵まれ1月にしては、良い陽気でした。
石碑に描かれていた鉈尾山城は美濃市の古城山です。登った事が有る古城山。アノ山と佐藤方政が結びつくことが面白いです。