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kオジサンの中山道旅日記 その25 JR本庄駅からJR熊谷駅 まで 

2018-12-25 23:26:38 | Kオジサンの中山道旅日記 

12月25日(火) 晴 JR本庄駅からJR熊谷駅 まで  

昨日の続きです。ホテルルートイン深谷駅前から深谷駅へ向い、高崎線の列車に乗車しました。この深谷駅。ミニ東京駅と言った感じがするレンガ造りの駅舎でした。ここから本庄駅に向い、昨日の続きのスタートです。
JR本庄駅から北に歩き、本庄駅入口交差点から県道392号線(中山道)を歩きました。暫く歩くと国道17号線と交差するので、渡道橋で越えました。元小山川の新泉橋を渡ると藤田集落に入りました。そして、小山川の滝岡橋を渡ると国道17号線で深谷バイパスへ出ました。中山道からは外れるのですが、道の駅おかべに寄ってみました。
道の駅から再び中山道に向い、深谷宿を目指しました。深谷宿の入口に来ると西の常夜灯がありました。古くからの酒造屋が有ったりする宿場町を抜けると東の常夜灯がありました。そして、宿場の端には見返りの松。この松は深谷宿を去る時に旅人が振り返ったので見返りの松と言われるようになったとか。
籠原駅を過ぎた辺り。玉井地区を歩きます。17号線と離れていた中山道で、ここでも、国道と交差するので、渡道橋で越えました。この辺りは中山道と旧国道17号線。それに国道17号線の深谷バイパスが並行していました。先に進むにしたがって中山道が国道17号となりました。その道を歩き熊谷宿に入っていきました。
今日は本庄宿、深谷宿。そして熊谷宿まで歩きました。中山道がJR熊谷駅前となったところで、今回の街道歩きを終了して大宮駅に向かいました。

JR本庄駅 ― 県道392号線 ― 国道17号線渡道橋 ― 街道沿いの石仏群 ― 宝珠寺 ― 
滝岡橋
 ― 道の駅おかべ ― 中宿古代倉庫群跡 ― 芭蕉句碑 ― 普済寺 ― 瀧宮神社 
― 西の常夜灯 ― 
滝澤酒店 ― 本陣跡 ― 東の常夜灯 ― 見返りの松 ― 熊野大神社 
― 明治天皇御小休所跡碑 ― 
忍領石碑 ― 新島一里塚 ― 秩父道道標 ― 八坂神社 ― 八木橋百貨店 ― 熊谷寺 ― 本陣跡碑 ― 札の辻跡碑 ― 熊谷直実像 ― JR熊谷駅

ホテル ルートイン深谷駅前 朝食場所

(07:29)
ホテル ルートイン深谷駅前の朝食場所、「花茶屋」です。



並んでいる朝食です。
新鮮な野菜も有りました。




チョイスして来た朝食です。




(08:22)
ホテル ルートイン深谷駅前のフロントです。
ルームキーを返却してホテルを出発します。


JR深谷駅

正面から見たレンガ造りの深谷駅です。
駅をこのようなレンガ建ての駅舎にしたのは深谷出身の渋沢栄一が日本煉瓦製造会社を経営していた事に由来するのではなかろうか。





(08:42)
8時42分発の高崎行きが入線してきました。





(08:52)
JR本庄駅に着きました。




(08:58)
JR本庄駅の駅前。
昨日と同じシーンです。
昨日、歩き終えて、その続きを再開します。





本庄駅入口の交差点で右に曲がり、県道392号線を深谷に向って歩き始めました。






(09:34)
元小山川の新泉橋から見えた浅間山。
白く冠雪しています。
北の方には日光の男体山の先っちょが見えました。



カーブして行く中山道。
本庄市藤田地区を歩いています。





(09:39)
中山道沿いに歯医者がありました。
内野家の立派な長屋門が見えました。



街道沿いの石仏群

並んでいる石仏群。
それに祠の中には子育て地蔵。そして庚申塔や賽神が並んでいます。
旅の途中に亡くなった人を供養したりしているのかもしれない。




(09:47)
カーブして行く中山道。
街道沿いにはネギの畑が見えます。


滝岡橋

小山川に架かる滝岡橋を渡りました。
人の気配を感じて、カモが逃げて行きます。




(10:31)
中山道は真っ直ぐ進むのですが、左に折れて深谷バイパス沿いの道を歩きます。
この先に道の駅が有り、寄ってみようと思いました。



道の駅おかべ

道の駅 おかべに寄りました。





情報館の中の展示。
道の駅の近くの宿場。本庄宿、深谷宿、熊谷宿を解説しています。




こちらは物販棟です。
この辺りの特産物や農産物を販売しています。
沢山の人で賑わっていました。




(11:15)
道の駅から歩いてきました。
右が中山道で左が国道17号線です。
大きな1本の木。
その向こうに木が生えています。
そこに芭蕉の句碑が設置して有りました。




(11:27)
国道17号の歩道を歩きます。
ここは国道17号と中山道が重複しているコースです。




西の常夜灯

(12:26)
深谷宿に入って行きます。
宿場の入口に常夜灯が有りました。
この常夜灯の前には呑龍院の鐘楼が見えました。



滝澤酒店

滝澤酒造です。
菊泉と言う銘柄の酒。杉玉が下がっています。



旧大谷藤豊邸

(13:12)
歩いて来て、和洋折衷の立派なお屋敷が見えました。
ネットで検索したら旧大谷藤豊邸である事が判りました。
調べたら昭和の初期の大恐慌期。
多くの人が仕事が無く疲弊していた。
そんな時期に町長であった大谷藤豊が2年、100人の職人を働かせて出来上がったのが、この建物だそうな。
国の重要文化財に指定されています。





ガラス越しに見えたザルや熊手。
Googleで調べたら亀井籠屋と言う場所でした。
主が制作しているのだろうか。
今では余り、見かけなくなった店でした。




歩行者や自転車のためのコースが設けられていました。
説明板には日本煉瓦工場へのかつての引込み線だと有ります。




東の常夜灯

(13:17)
東の常夜灯です。
引込み線の直ぐ横に設置して有りました。



見返りの松

深谷宿のはずれ。
見返りの松がありました。
初代の待つが排気ガスで枯れ、2代目の松になったと説明がありました。





道路沿いで咲いていたスイセン。





(13:30)
松の木が生えていて街道らしさを感じさせます。





道の横の畑。
深谷ネギが育って、収穫できそうになっています。





(13:49)
JAふかやグルメハウスと言う農協の農産物直売所です。
店頭に深谷ネギが積んで有りました。





(14:11)
深谷市の幡羅地区を歩いています。




国道17号線。
熊谷バイパス玉井南交差点から東京方面を望みました。
東京まで72キロとなりました。




(14:56)
こちらも国道17号線です。こちらが本来の17号線なのでしょう。
渡道橋で国道を渡ります。
左が国道で右に分かれて行くのが旧中山道です。
東京までは70キロとなっています。






(15:12)
熊谷市新島地区を歩いています。
曲がりくねった道。
街道らしさが有ります。





忍領石標。
忍藩が領地を示す境界の石柱です。




(15:22)
中山道と国道17号線が一緒になりました。





東京まで68キロとなりました。






(15:47)
右は国道17号線で、左が旧中山道です。
左に向かって行きます。



八木橋百貨店 

八木橋百貨店の西口です。
旧中山道の石柱が立っています。
この百貨店の中を中山道が通り抜けているのでした。
中の通路が中山道となっており、記念のスタンプが押せるようでした。
それに反対側の東口には石碑が設けてあるようでしたが、見落としてしまいました。




(16:14)
国道17号から曲がって熊谷駅へ向かいました。



熊谷直実像


(16:18)
駅の正面に熊谷直実のブロンズ像が設置して有ります。




今日は本庄駅から歩き始めました。
ここ、熊谷駅で街道歩きをお終いにします。
28キロほどを歩きました。


JR熊谷駅

(16:21)
橋上駅の熊谷駅へ上がります。
階段にはラグビーの絵が描かれています。
西の花園(東大阪市)。東の熊谷です。
熊谷市ではラグビーの2019ワールドカップが開かれますが、街全体がラグビー都市となっています。

JR熊谷駅

(16:27)
熊谷駅を16時27分に出る小田原行きが入って来ました。
この列車に乗車します。




(17:06)
大宮駅に着きました。





(18:02)
今夜は高速バスで名古屋へ戻ります。
そのバス停が大宮駅の西口となっていまして、乗車場所を確認しました。
そして、駅西をウロウロして東口に来ました。





立ち呑みの店です。
立ち飲み日高。ここに入りました。





(18:20)
注文したのが中ジョッキにもつ煮込み。
生キャベツ。
それにフライドポテト。
コレだけで1,040円でした。



左の黒く太いペンがスキャナーです。
このペン先でメニューをスキャンして読み取り、数をスキャン。
そして注文をクリックすると注文となりました。
こんなの。
初めての体験でした。
それにしても、安かった。





次に寄ったのが丸亀製麺です。
うどんを注文しました。

この後、バスの時間までには、まだ早かったので、漫画カフェに入りました。


JR熊大宮駅

(22:12)
大宮駅の自由通路を抜けました。
大宮駅を後にします。
大宮駅の上にはデパートが有り、大きな駅でした。





(22:31)
ミルキーウェイEXPのバスが来ました。
若い女性が、このバスストップに来た乗客のチェックをしていました。
今日は2両の運行だと話していました。
それにしても、バスに乗る世代は若かった。
彼女に聞いたらさいたまスーパーアリーナでコンサートが有ったので、乗客が多いのだと話していました。





4列シートのバスの車内です。
私は一番前のシートでした。
座席表では、女性は後ろの方の席が割り当てていました。

バスは22時40分。
定刻に出発し、池袋と東京で乗客を拾って行きました。(私は寝て居たので寄ったのは知らないです。)
睡眠導入剤を服用しましたので、バスの車内でしたが、シッカリ寝れました。



(02:56)
静岡SAで15分の休憩でした。
トラックが沢山停まっていて、バスは恐縮して居ると言う感じです。




(05:42)
名古屋南ささしまライブに到着です。

このバス。
大宮から名古屋まで5,500円でした。
月や日によって値段が違うようです。
上手に利用すれば格安で利用する事が出来ます。


JR名古屋駅

(06:00)
ささじまライブから歩いて来て名古屋駅へきました。
名古屋駅はこれから混雑する時間帯を迎えます。



JR岐阜駅

(06:38)
名古屋駅を6時10分に出た普通列車です。
岐阜駅に着きました。
高山線の列車に乗り換えれば、我家はもう直ぐです。




感想
夜行列車で行き、夜行バスで戻って来るという3日間の街道歩きでした。
今回、北関東を歩いて高崎線が明治16年に開通したのを知りました。東海道線の全通よりも早い時期です。絹製品の輸出で国策的に進められたのでしょう。鉄道史を紐解いた。そんな気がしました。
高崎は大きな町でした。中山道の宿場町としてだけでなく、信越本線。上越線のカナメとして発展してきました。そんな面を見る事が出来たのも街道歩きの面白さです。
本庄宿を出て、橋の上から冠雪の浅間山が見えました。北方には日光の男体山の先っちょが見えました。西には秩父の山々。この場所が関東平野のド真ん中と言うのが良く判りました。ここから浅間山への距離。江戸時代に浅間山が噴火し江戸に灰を降らせた。納得の距離でした。
この3日間。
最初の松井田宿で国道18号線の表示は125キロを現していました。そして、熊谷宿の国道17号では東京までが65キロとなっていました。国道の数字では3日間で60キロ歩いたこととなります。でも、歩数計の数字は3日間分で77キロを表しました。国道は直線的に結びますが、中山道は曲折が有りますので、距離が伸びるたのでしょう。
次回は3月に歩こうと考えています。


今日の経費

JR深谷駅からJR本庄駅 190円
ローソン(茶) 129円
道の駅おかべ 644円
ファミマ(お握り) 242円
JR熊谷駅からJR大宮駅 580円
お土産 540円
焼鳥日高 1,040円
丸亀製麺 290円
漫画カフェ 1,100円
大宮駅西口から名古屋ささしまライブ バス代 5,500円
JR名古屋駅からJR那加駅 670円
                             合計 10,925円


kオジサンの中山道旅日記  その26
3月18日(月) 晴 秩父鉄道石原駅からJR北上尾駅 まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その24  アパホテル高碕駅前からJR本庄駅 まで  

2018-12-24 23:20:29 | Kオジサンの中山道旅日記 

12月24日(月) 晴 アパホテル高碕駅前からJR本庄駅 まで  

昨日の続きです。アパホテル高崎駅前を出発して西に向うと中山道へ出ました。あら町交差点から南に向かいました。国道17号の高架橋の通過して更に進むと倉賀野宿に到達しました。次に訪ねたのが新町宿です。この宿場、明治天皇の行在所が有って、御巡行の際に泊まっています。でも、本陣や脇本陣の跡がなかったのです。(見つける事が出来なかっただけなのかも知れません)宿場が大火にあったのかも知れないと想像しました。
中山道が国道17号と交差したり、国道と一緒になったり離れたりしました。
そして、ついに埼玉県に入りました。計画では深谷宿まで行こうと思っていましたが、日が暮れてきたのと寒くなったので、本庄駅で終わりとしました。
今日は高崎宿、倉賀野宿、新町宿。そして本庄宿まで歩きました。

アパホテル高崎駅前 ― 新町交差点 ― 上信電鉄踏切 ― 上越新幹線高架下 ― 
国道17号線高架下
 ― 旧中山道左道通行道標 ― 安楽寺 ― 倉賀野宿高札場跡
 ― 脇本陣跡 ― 本陣跡 ― 
倉賀野おもてなし館 ― 皇太子殿下降誕記念碑 ― 
倉賀野常夜灯 ― 高崎線渡道橋 ― 岩鼻 ― 
柳瀬歩道橋 ― Unnamed  Road ― 
烏川緑地スポーツ広場 ― 関越自動車道高架下 ― 
スリーデーマーチ発祥地碑 ― 
行在所公園 ― 松島肉店 ― 新町宿高札場跡 ― 新町八坂神社 ― 
新町常夜灯 ―
 神流川橋 ― 庚申塔 ― 金久保 ― 賀美公民館 ― 陽徳寺 ― 金久保神社 ― 
国道17号線 ― 浅間山古墳 ― 金鑽神社 ― 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫 ― JR本庄駅


アパホテル高崎駅前

(07:39)
アパホテル高崎駅前の朝食場所です。
ホテル内の「京都銀ゆば」と言う店が朝食の場所になっています。



並んでいる朝の食事です。





チョイスしてきた朝食です。




アパホテル高崎駅前のフロント。
ホテルから出発します。
ホテル内で何も使っていなければ、カードキーをポストに投入するだけでチェックアウトができます。




(08:57)
高崎駅前に来ました。


新町交差点

信号機の上の表示では、あら町となっていました。
ここから南に向って歩いて行きます。




(09:19)
フィトネスLiveryと言う場所です。
ここはおじいちゃん、おばあちゃんのフィトネスクラブでした。
歩いて来て、暑くなったので、お邪魔して下着を脱がさせてもらいました。


国道17号線高架下

橋の上が国道17号線です。
橋の下を通り抜けます。




(09:44)
カーブして行く道。
この道は、かつての国道17号線だったと思います。
新しいバイパスが出来て県道になりました。



旧中山道左道通行道標

中山道を左側通行でと言う石碑です。



倉賀野宿高札場跡

倉賀野宿の高札場跡です。
この横に高札が建っていましたが、古くなり、字が読めなくなっていました。



倉賀野おもてなし館

(10:30)
かつて、商家だった場所で、休憩が出来るようになっていました。





お相手してくださった二人の女性です。




倉賀野常夜灯

(10:40)
倉賀野の常夜灯です。
倉賀野宿のはずれにありました。
ここから左に向かうと日光へ行けます。




高崎市の指定史跡で解説していました。




常夜灯の直ぐ横に有ったのが閻魔堂です。
建替えたのか、まだ新しいです。
ガラス戸越しに中を覗ったら、閻魔様が睨んでいました。




(10:50)
前方から歩いて来るご夫婦と擦れ違いました。
この辺りの人のようでした。
今日は新町駅から歩いて来たと言っていました。
何処まで歩くか、決めていないと話していました。



中山道の高崎市倉賀野地内、深谷宿に向かって歩きます。
前方に見えるスロープは高崎線の渡道橋です。
今日のKオジサンの後ろ姿です。


高崎線渡道橋

(10:59)
何処行きだろう。
上りの列車が通過していきました。




渡道橋を渡り、坂を下ってきました。
新柳瀬橋北の交差点です。
先に距離表示のボードが見えます。
東京までが99キロ。熊谷までは32キロ、本庄は11キロとなっています。





(11:07)
交差点から左に離れて行きます。
左はかつての17号線。(だと思う)右が中山道です。





宿場間の距離表示ポストが所々に設置して有ります。
少し古くなり、読み難いものも有りました。




(11:16)
烏川へ来ました。
県道13号線に柳瀬橋が架かっています。



柳瀬歩道橋

歩行者用の柳瀬歩道橋を渡ります。





柳瀬歩道橋から下流を眺めました。


Unnamed  Road

(11:23)
名の無い道ですが、堤防道路でウオーキングコースになった道です。
前方からランニングの男性が走ってきました。
そして、橋のたもとでUターンして行きました。



道がカーブして行きます。
本来の中山道はこの道の左です。
堤防の道から降りて県道178号を歩きました。




(12:06)
今まで歩いて来たのは藤岡市で、ここからまた高崎市となります。
この先に新町宿が有りますが、高崎市には高崎宿、倉賀野宿、新町宿が有ります。




JR新町駅への道。
この道を進むと、JR新町駅に当たります。



松島肉店

(12:21)
入口に大きく「まつしま」と表示していますので、まつしまが屋号かと思ったら松島肉店が正しいようです。
歩いて来て、駐車場の「オランダコロッケ」のも字が気に掛かりました。
コロッケを揚げて売っているようなこの店。
肉店に飛び込みました。





肉店に飛び込んでみました。
肉は勿論ですが、ハムカツやカレーパンを揚げて売っていました。
ショーケースの中には色々のモノが並んでいます。
もともと、食べてみたかったオランダコロッケを注文しました。
それに、ハンバーガーなども頼みました。




先ほど寄った、行在所公園に戻りました。
この公園でランチタイムです。
左がオランダコロッケ。ポテトコロッケとクリームコロッケの中間と言った感じでした。
そして、右はフィッシュバーガーです。値段が安かった。
味はこんな、物かと言う印象でした。




(12:42)
この家屋。
歳月が経っていますが、旧蹟として保存してありました。




深谷宿へ向って歩きます。



新町八坂神社

(12:55)
八坂神社へ来て、前方から男性と女性が歩いて来るのに擦れ違いました。
今日は、何処から歩いて来たのかと聞いたら「トキワ」からと言われました。
その時、「トキワ」が何処の場所なのか、判りませんでした。
後から、深谷の常盤と言う場所だと判りました。

お二人は日本橋からスタートして、街道歩きを繰り返しているのだと話してくれました。



新町常夜灯

新町宿のはずれ。
常夜灯のところに来ました。




常夜灯の説明です。





(13:03)
国道17号。
東京まで94キロになりました。


群馬・埼玉県境

群馬と埼玉の県境。
神流川橋の手前に立っていました。





(13:09)
これから神流川橋を渡ります。
橋のたもとに常夜灯のモニュメントが設置して有ります。




橋を渡ると真っ直ぐに進む17号線。
中山道は左に折れて行きます。





(13:29)
歩いて来たのが県道392号線。
賀美公民館の前です。
中山道の説明板が設置して有りました。



県道392号線ですが、歩道が完全に整備して無くて、所々整備していました。




(13:52)
街道らしさが有る道です。



浅間山古墳

(14:10)
途中、道路沿いに有ったのが浅間山古墳です。




(14:45)
392号線が462号線とぶつかり、南西に進みます。
そして、千代田3丁目の交差点南東角に石碑が設置して有りました。
中山道本庄宿の石碑です。


金鑽神社

立派な本殿の金鑽神社です。
この左側には立派な神楽殿が有りました。




旧本庄商業銀行煉瓦倉庫

(15:08)
この赤レンガの建物。
新町宿の八坂神社で擦れ違った時、女性から覗いて見ると好いよと勧められました。
かつて、商業銀行の建物だった場所です。







2階のイベントホールです。
コンサートが開かれていました。



JR本庄駅

(15:38)
本庄宿に入ってきまして、まだ、歩くのを続けようとしましたが、日が暮れて来ましたし、風が冷たいので歩くのを止めて本庄駅へ向かいました。





歩き始めと歩き終りの記録です。
28.8キロ歩きました。国道のキロ数は直線に近い数値ですが、中山道はクネクネとしていて距離が長いです。
体力的には、まだ歩けました。




(15:45)
お昼にハンバーガーを食べて、時間が経ち腹が減ってきました。
丁度、駅に立ち食いのソバ屋が有りましたので、電車の時間も余裕が有り、食べました。




(15:55)
15時55分発の上野東京ライン、小田原行きが入ってきました。




(16:12)
深谷駅に着きました。
この駅はレンガ造りの重厚な建物です。



ルートイン ホテル深谷駅前

ルートインの深谷駅前。
歩いて、直ぐの場所でした。






(16:31)
これからホテルの中にはいります。


感想
旧本庄商業銀行煉瓦倉庫を見て、こんなことを思いました。
この辺りから北関東に掛けて養蚕が盛んでした。
マユを担保に融資を受ける。
そのマユから出来た絹布の輸出へと繋がり、繁盛しました。
鉄道、高崎線が明治16年に開通したと説明に有りました。
東海道線が全通するよりも早い時代です。
ここから絹布が横浜へ運ばれ、海外へ出て行ったのでしょう。
と、なると三渓園を造った原三渓も関係したことでしょう。
知らない事を知るのが面白いです。

 

今日の経費


ペット茶 129円
ハンバーガー他 443円
ファミリーマート 974円 
駅そば 280円
本庄駅から深谷駅 乗車券 190円
ルートインホテル深谷駅前  6,000円
      
               合計 8,016円


kオジサンの中山道旅日記  その25
12月25日(火) 晴 JR本庄駅からJR熊谷駅 まで    へ

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kオジサンの中山道旅日記 その23  JR西松井田駅からアパホテル高崎駅前 まで  その後に上野へ

2018-12-23 23:42:59 | Kオジサンの中山道旅日記 

12月23日(日) 曇り一時雨 JR西松井田駅からアパホテル高崎駅前 まで  その後に上野へ

前回、歩き終わったJR西松井田駅から街道歩きを再開します。今回は松井田宿、安中宿、板鼻宿へ歩き、高崎宿をゴールとしました。
再開する松井田宿は群馬県であり、遠い場所です。それで、現地に向うのに青春18キップを使おうと思っていました。乗車する列車は臨時の快速。「ムーンライトながら」です。この列車、人気がある列車なのですが、乗車するのに座席指定券を買わなくてはなりません。12月16日に指定券を買って来ました。窓口の職員はキャンセルが出て1枚残っていたのだろうと言っていました。指定券をゲットできたのはラッキーでした。
今の時期。上野では「フェルメール展」「ルーベンス展」「ムンク展」が開かれています。今日なら18キップが有効に使えるから何処か、絵画展に行こうと思っていました。

JR西松井田駅 ― 道祖神  ― 新堀・金井本陣跡  ― 松井田仲町  ― 脇本陣跡 
― 国道18号線
 ― 妙義道常夜灯 ― 郷原地区 ― 八本木地蔵堂 ― 
原市町道路元標 ― 
明治天皇小休所碑 ― 杉並木碑 ― 安中市並木配水池 ― 
新島襄旧宅入口 ― 愛宕神社
 ― 便覧舎跡 ― 旧碓氷郡役所 ― 安中宿本陣跡
 ― 久芳橋 ― 庚申塔道標石 ― 鷹之巣橋 
― 板鼻堰用水路 ― 
八坂神社の双対道祖神 ― 板鼻宿本陣跡 ― 双対道祖神 ― 国道18号線

寒念仏橋供養塔 ― 大門屋 ― 藤塚一里塚 ― 上豊岡の茶屋本陣 ― 庚申塔
― 道標 ― 
君が代橋 ― もてなし広場 ― 高崎城跡 ― アパホテル高崎駅前


JR岐阜駅

(22:44)
岐阜駅の1番線ホームです。
ムーンライトながら。臨時快速列車の到着を待ちます。
今は22日で、途中で日にちが変わります。


ムーンライトながら

(22:58)
大垣駅が始発のムーンライトながらが1番ホームに入線してきました。





(22:59)
ムーンライトながらに乗車しました。
10両編成の最後尾です。大垣駅を発車してその次の停車駅が岐阜駅です。
既に何人か乗車しています。
大垣辺りの人でなく、大阪や京都などから快速と普通列車を乗り継いで来た人も居るのではと推測しました。



青春18キップ

岐阜駅を発車して、直ぐに車掌が検札に来ました。
那加駅から豊橋駅までは22日分で1,940円です。
目的地が松井田西駅です。日付が変わってから18キップを使います。
検札に来た車掌が23日のスタンプを押してくれました。
青春18キップを使えば、1枚あたりが2,370円。それに座席指定券の520円を加えた金額で行く事が出来ます。





(23:22)
1号車の車内で、前から3番目のシートでした。





車内のポスター。
石廊崎辺りだと思います。
青く変色してしまっています。
この列車。185系と言うタイプの車両で運行しています。
かつては東京と伊豆を結んでいた花形特急で、「踊り子」として走っていました。運行しだして40年は経っていると思います。
今では、すっかりお婆ちゃんになってしまいました。

臨時快速の「ムーラントながら」として運行しているのだが、何時までこの列車で運行を続けるのだろうか。


JR東京駅

(05:07)
東京駅に着いた「ムーラントながら」。
鉄道ファンが写真に収めています。
ピンボケでした。





私も撮影しました。
もう、既にヘッドマークが回送に変わっています。





(05:12)
5時13分発の山手線、外回りの列車が来ました。



JR上野駅

(05:31)
5時43分発の高崎行きの普通列車が待っています。



JR高崎駅

(07:29)
高崎行きの普通列車が高崎駅に着きました。
前方に横川行きの列車が待っています。
あの列車。7時30分発です。
乗車したら、直ぐに発車しました。




横川行きの車内です。
高崎駅を出た時は10人余りが乗っていましたが、少人数になりました。

 

 





JR松井田西駅

(07:57)
西松井田駅に着きました。
降りたのは、あの男性と私だけでした。




西松井田駅です。
無人駅です。
振返って見ました。



新堀・金井本陣跡

(08:10)
西松井田駅から北に向かい、新堀交差点から中山道を歩き始めました。
黒い塀の建物。
立派な松が見えます。




反対側から見た新堀・金井本陣跡です。
かつては本陣だった建物で、子孫が住んでいるのでしょう。
中山道分間延絵図を公開していると表示して有りました。



松井田の街はサンタが一杯

松井田町の中心部に入ってきました。
何人もサンタが居ました。
私が歩いていて、見かけた町人よりもサンタの方が多かったです。





(08:30)
松井田宿の案内板です。




(08:36)
松井田の仲町と下町の間です。
緩い下り坂の道を歩きます。



国道18号線

(08:59)
中山道が国道18号と一緒になりました。
東京まで125キロとなっています。



(09:18)
国道18号線から分かれて県道216号を歩きました。
高崎方面から男性が歩いてきました。
何処から歩いて来たのかと聞きましたら、安中からで、横川まで歩くと話しました。
時々、この近辺を歩くと言っていました。
この辺りの人なのでしょう。




春の兆し。
菜の花が咲いています。




(10:04)
道がカーブして行きます。
街道らしさを感じさせます。



明治天皇小休所碑

明治天皇がここで休んだので、石碑が建てられています。
奥の説明板には明治11年北陸東海を巡行の際にここで休んだと有ります。
この場所の左には原市高札場跡の立て札が立っていました。


原市杉並木

(10:13)
原市の杉並木に来ました。
大きな杉が並木となっていますが、中には切り倒されて切株だけになったのも有りました。
杉並木を再現するためにも、新しい杉を植えてはと思いました。



安中市並木配水池

(10:20)
Googleに並木配水池と表示しています。
水槽に「安政遠足」が描かれています。
安政遠足は安中藩主が藩士の鍛錬のため走らせた徒歩競争と有ります。
今は春にマラソンが開かれ、仮装した人が参加しているようです。



有田屋

(10:42)
立派な蔵が見えました。
有田屋と言う醤油屋さん。
長く醤油造りを続けている老舗です。



便覧舎跡

有田屋の向かい側です。
便覧舎後の表示がありました。



旧碓氷郡役所

(10:53)
中山道から見えた旧碓氷郡役所です。
先を急ぐので寄りませんでした。


安中宿を後にしました。
安中には安中藩武家長屋や新島襄の生家が有ったりします。
ユックリと訪ねてみたい場所でした。







(11:07)
国道18号の渡道橋に上がりました。
4車線になっている安中バイパスです。
この先、碓氷川に架かる久芳橋となります。


東邦亜鉛安中精錬所

歩いていて見えたのが大きな工場です。
検索しましたら東邦亜鉛安中精錬所となっていました。
山の斜面を活用した大きな工場です。
更に調べましたら、かつてカドミュウムを垂れ流し公害を起した企業でした。



板鼻堰用水路

(11:37)
碓氷川に架かる鷹ノ巣橋を渡り、板鼻宿に入ってきました。
眼に入ったのが用水路です。
説明板には板鼻堰用水路と有りました。
恐らく碓氷川の堰で取水して下流へ流しているのでしょう。

この辺りへ来て、雨がパラパラ降りだしました。
ザックにカバーをかけ、傘を差しました。



八坂神社の双対道祖神

八坂神社の双対道祖神。
神社の境内に有った双対道祖神ですが、コケが生え見づらくなっています。



双対道祖神

(11:53)
3基の石碑が並んでいて中心に双対道祖神が有りました。
こちらの双対道祖神は表情が良く判り、瓢と杯を持っていて、酌み交わしている姿が微笑ましく見えます。


国道18号線

(11:57)
中山道が国道18号と合流しました。
車が沢山通る国道の歩道を歩きます。



大門屋

店先でダルマを乾燥させていた店です。




店先のダルマ。
高崎名物のダルマです。
高崎に来たと言う感じがしました。

この辺りから、カメラの調子が悪くなってきました。
シャッターが下りないのです。
交換レンズを買ったのですが、そのレンズの調子が悪いのです。予備にレンズを持って来ていましたがザックの中で取り出すのが面倒でした。
ここから、しばらく撮影ができなくなりました。





(12:31)
カメラの調子が悪い中で、どうにか撮影しました。
中山道が国道から離れていきます。
左に向かい、豊岡町へ入って行きます。


上豊岡の茶屋本陣

重厚な構えの門が有りました。
「上豊岡の茶屋本陣」の木札が下がっています。




門から中へ立ち寄りました。





中から女性が出てきました。
無料で館内を見学できると言って、入るのを進められましたが、先を急ぐと言って辞しました。


豊岡町を歩いていて、ダルマの工房が何軒も有りました。
この辺り。
高崎ダルマを生産する店が多いところでした。
Gooleを見ていたらダルマ寺が有りました。



道標

(12:53)
左が中山道で右は新しい道です。
下豊岡町の信号交差点へ来ました。
車の往来が多く、道標の文字を読む事が出来ませんでした。


アパホテル高崎駅前

アパホテルに着きました。


ホテルへの正確な到着時間は判らないと思っていたのですが、アパホテルへのチェックインはレシートで13時44分となっていました。
この画像は、チェックインして上野に向うため、ホテルから出て来た時のモノです。




歩き出す前と歩き終わったときのものです。
左は松井田西で、歩き始めた時のモノですが、何故12月22日になっているのか判らないです。
日付的には23日です。
6時間弱の時間で20キロ余りを歩きました。


JR高崎駅

高崎名物の大きな赤いダルマが自由通路の真ん中に設置して有りました。
1月にダルマ市が有ると言うポスターが貼って有ります。







高崎駅の8番線です。
14時24分発の上野東京ラインの伊東行きに乗車します。
この列車の前に14時14分発の新宿湘南ラインの小田原行きが有りました。コレですと赤羽で乗り換えなければなりません。駅員に聞いたら14分で行っても、2分ほどしか違わないと言われました。
でも、14分に乗り、上尾で乗り換えれば15分程早く着けました。



(14:15)
出発を待つ、伊東行きです。




鉄道博物館

車窓から古い列車が見えました。
鉄道博物館です。
もう直ぐ、大宮駅です。



JR上野駅

(16:13)
上野駅に着きました。





上野駅でのミニコンサート。
丁度、演奏が終わったタイミングでした。
そして、聞いていた人たちから拍手が起きました。




(16:18)
上野駅の公園側口に出てきました。
そして、美術館を目指します。




国立西洋美術館

西洋美術館の前です。
ルーベンス展の絵が観客を呼んでいます。
この絵。
エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち。




こちらは入場券売場です。
混雑して来ると入場券を買うにも列となりますが、この時間。スンナリと買えました。
聖アンデレの殉教。




館内で、作品を紹介していました。





(17:37)
美術館の外へ出てきました。
館内に入ったのが16時25分頃でした。
閉館時間が17時30分で1時間ほどいた事になります。
閉館時間が迫ったタイミングでしたが、係りの女性に聞いたら今は空いて来ていると話しました。
日中は沢山の人が来ていたのでしょう。

このルーベンス展。
各地の美術館から持って来た絵が並んでいました。〇〇美術館展とか□□美術館展となると、1館だけで済むのですが、集めるだけでも大変だろうと想像しました。
フランダースの犬の絵に匹敵する絵が並んでいました。





アメ横

(17:50)
美術館から出てきてアメ横をウロウロします。




ブラブラしていて、入った店は「福しん」と言う中華料理の店。
生ビールセットに誘われて入店しました。


JR上野駅

(18:25)
上野駅。
これから高崎へ戻ります。
この列車。籠原行きでした。それで、後から来る列車に乗換え高崎に20時18分に着きました。
通常なら往復3,880円掛かるのですが、18キップを使ったので、0円で済みました。



感想
年の暮れの押し迫った時期でしたが、ムーンライトながらが運行する時期に街道歩きをやりたかったのです。12月22日がムーンライトながらの運行開始日でした。運良く指定券を手に入れる事が出来ました。
松井田宿をスタートして、安中宿、板鼻宿と歩き、高崎宿にゴールしました。上野に向かいたかったので足早な街道歩きでした。振返ってみて、安中市などはユックリ訪ねたい宿場でした。
上野まで足を延ばし、ルーベンス展が見れて良かったです。


今日の経費

那加駅から豊橋駅 乗車券 1,940円
青春18キップ1枚分 2,370円
ムーンライトながら座席指定券 520円
おやつ 466円
お握りパン牛乳等 804円
飲料水 150円
ダルマ等お土産 1,486円
生ビールセット 500円 
乾電池 108円
ルーベンス展 1,600円
アパホテル高崎駅前  7,100円
               合計 17,044円


kオジサンの中山道旅日記  その24
12月24日(月) 晴 アパホテル高碕駅前からJR本庄駅 まで  

コメント (2)
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登り納めの山     金比羅山 (383.0m) ・ 明王山 (380m)

2018-12-20 23:25:03 | かがみの山歩会

かかみの山歩会の例会です。今年、最後の山行に行って来ました。集合場所は「各務原市自然遺産の森」でした。山に登った後で、総会と忘年会を開くことになっていましたので、集合時間は少し早く7時30分でした。
自然の遺産の森に着いたのが7時30分近い時間。
ミンナは、もう出発するような状態でして、急いで仕度をしました。


自然遺産の森を出発します。




トップの人が早い速度で歩きます。
多賀坂林道へ出て、少し休憩。
後ろの方の人から、歩くのが早すぎると声が出たら、寒かったから体を温めるように早く歩いたと喋っていました。





健脚のみちの指示標識です。
ここから階段を登ります。




健脚のみち。
このコース。尾根で各務原市と関市の境界です。





金比羅山です。
山頂に金比羅神社が祀って有ります。
この場所。各務原市で一番高い場所です。




金比羅山から見える明王山のタワー。
この後、あの場所に向かいます。




樹間からタワーが見えます。




明王山に到着です。
久し振りに明王山に来ました。
山頂が整備して有ります。
しっかりした木製のボックスが設置してあり、登山の感想を書くノートが入っていました。





明王山からの眺望です。
ガスが掛かって、眺望は良く有りません。
木曽川、そして伊木山が見えます。




登って来た道を歩かず、周回コースを取り、迫間山の方向に向かいます。





迫間不動に向かう道を下って行きます。
路面が落ち葉のジュータンになっています。




迫間不動の入口。
農産物の販売所に寄りました。
ミンナはここで、思い思いの買物タイム。
白菜が安価になっていました。私はミカンを買いました。



ここから、自然遺産の森へ直行。
そして、解散となりました。



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岐北の山    城 ヶ 峰 (288m)

2018-12-12 23:51:03 | 弐水会

弐水会で岐阜大学の北側の山。城ヶ峰へ行って来ました。もともとは、本巣市の魚金山に行く計画でしたが、昨夜は雨でしたので、登山口へ行く道に雪が積もっているのではないかと言う事で、登る山の変更となりました。
予定の山を変更しました。
急遽、変更できる岐阜県の人は恵まれている。
そう思いました。




JAのおんさい広場から眺めた、城ヶ峰です。
これから、あの山に登ります。




車を停め、寺の入口から入って行きます。




登山口が寺の入り口横に有り、そこから登って行きます。




高圧線の鉄塔が見える所まで登ってきました。





高圧線鉄塔の下です。





高圧線鉄塔から眺望。
昨夜の雨が上がりましたが、少し雲が残っています。
右の山は多度山。
手前の小山は鷺山です。
長良川が横のラインとなっています。その上には横に広がる雲があり、その先に2本の煙突が見えます。
三重県川越町の火力発電所の煙突です。
雲が無かったら、伊勢湾が見えるでしょう。





山頂に着きました。




山頂に設置された山名のプレート。
自己満足的な団体名を表示するのは謹んで貰いたい。




朽ちてしまったプレート。
プレートを設置するという事は山にゴミを残していくと言うになります。




山頂から西に進みます。
稜線を歩くのですが、右が人工林、左が天然林です。
人工林であっても手入れはされていません。




西方の眺望が良い場所に来ました。
この先、あの山を越えて行きます。



城ヶ峰の直ぐ下。
岐阜大学が見下ろせます。
遠くに赤坂の金生山が見えます。
その右の山は池田山です。
ハングクライダーの出発場所が点となって見えます。



石谷の三角点辺りで昼食をとりました。
そして昼食の後、下山を始めました。





下山途中、眺望の良い場所に来ました。
金華山が見えます。
その下のポールは鵜飼大橋のものです。
その先に猿投山が見えます。
展望台のような場所に出たのですが、ここは登山ルートから外れていましたので、正しい道に修正しました。




道路が見える所まで下山して来ました。




下山して来て、下道を歩きます。
ここの左側は東海環状自動車道のトンネル工事現場です。
この工事は平成33年3月30日までかかると表示して有りました。




お疲れ様でした。
駐車した場所に戻って来ました。
この場所は、この先の二階建ての家屋の方の土地です。
私たちが消防車庫の横に停めた時、緊急状態になった時に差し障りが出るから私のところに停めなさいと声を掛けられました。山から降りて来て、お礼の声を掛けましたが、ご不在でした。


感想
手軽に登れる岐阜の山でした。
雨が降った後なので眺望が利きました。
下山の時に落ち葉の上で滑り、尻餅を付いてしまいました。帰宅してから見たら腫れていました。
城ケ峰と言う言葉。かつてはこの山にお城が有ったのだろうか。

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関市寺尾の山   汾 陽 寺 山 (519.5m)

2018-12-06 23:07:59 | かがみの山歩会

かかみの散歩会の12月例会で関市寺尾の汾陽寺山へ向かいました。登り始めようとしたのが、寺尾の千本桜で有名な寺尾からです。しかし、寺尾の登山口を探したのですが、登る人が少なく、登山道が消えてしまったのでしょう。ここから登るのを断念しました。それで、登山口を替えて南側にある汾陽寺の裏手から登り始めました。始めは順調に登っていく事が出来ましたが、高度を上げるに連れて登山道が不明瞭となってしまいました。
まだ、雨は降り始めていませんでしたが途中まで登ったところで、撤退して来ました。



寺尾の千本櫻。
ここから登る計画でありました。
可児からの山旅さんのホームページには、ふれあい橋付近から登るようになっていました。
ふれあい橋はここよりも上手。道路が上り車線と下り車線に分かれたところに橋が有ります。
そちらへ向えば良かったかも知れません。




登山口を替えて、汾陽寺に来ました。
汾陽寺は屋根の葺き替え工事を行っていました。
ここの裏手から登れます。




登り始めです。




この辺りは明瞭な登山道でした。





登山道が薄くなってきました。




登るのを断念して引き返します。
まだ、この時は雨は降り出していません。




撤退して寺の所まで下りてきました。





冬の始まりと言う時期。
モミジの葉が溜まっています。



PEEK-A-BOO

まだ、11時前の時間です。
今ならモーニングに間にあう。
それで、寄ったのがこの喫茶店。
PEEK-A-BOOです。
〒501-2518 岐阜県岐阜市北野西 北野西201−1

この店に行くと言う話しになって、PEEK-A-BOOの名より、「ダンゴ屋」の名の方が親しまれていました。



モーニング。それにダンゴが付いています。
コーヒー代は400円でしたが、今日のメンバーは11名でチケット料金で370円で済んでしまいました。




店内です。
近くのお年寄りが集まってきていました。
まるで、お年寄りの社交場という感じでした。

表に大きく張られた関商工の応援幕。
ウエイトレスのご子息が関商工でラグビーをやっていると話していました。
岐阜県代表で出場する関商工。頑張るようにと一言、声を掛けました。



今日は、山に登るのを途中で断念しましたが、モーニングを味わう事が出来ました。
こう言う事。タマには、好いでしょう。

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一宮友歩会・第77回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編 Part12 名古屋市天白区を歩く

2018-12-01 23:13:05 | 一宮友歩会

一宮友歩会の12月例会に参加しました。今回は名古屋市天白区を歩くもので、地下鉄平針駅が集合場所で地下鉄塩釜口駅がゴールでした。

地下鉄平針駅 - 慈眼寺 - 針名神社 - 農業センター - でこぼこ山 - 
細口池公園 - 
天白公園 - 天白川 - 植田八幡社 - 稲葉山公園 - 
張矢公園 - 地下鉄塩釜口駅



今回のコース地図です。
地下鉄平針駅をスタートして地下鉄塩釜口駅にゴールしました。



集合場所が地下鉄平針駅でした。
階段を上り地上へ出ます。




地下から出てきました。
これからウオーキングが始まります。



慈眼寺への坂道を登ります。





地下鉄の構内は狭く、出発式が出来る状態では有りませんでした。
ここで、出発式。そして、ラジオ体操をしました。




引き続きMさんからの解説です。




今日の資料です。
明治時代の地図です。
左上から右下に伸びているのが平針街道です。
平針が街道の宿場となっていました。そして、岡崎街道と飯田街道に分かれて行きます。
岡崎街道は名古屋と岡崎を結ぶ街道で、家康も通ったそうです。
赤池城とか平針城が表示して有ります。

名古屋の南東部のこの地域。桶狭間の合戦が有ったように重要な戦略地点だったのでしょう。



秋葉山慈恩寺にある墓を眺めます。。
小野田勘六の墓だと言います。
小野田勘六は浪人して平針へ移って来たが評判が悪く村人に追放されたと言う。でも、最後には墓は作らせて貰えたそうな。



名古屋市農業セターに来ました。
広い園内です。



園内で皇帝ダリアが咲いていました。
皇帝ダリアを見ると冬が始まると言う気になります。




ニワトリなどの園舎の前です。
チャボや軍鶏。色々のトリを見る事が出来ました。





孵化展示室です。




孵化したヒヨコが居ました。





農業センターを後にします。





平針住宅に来ました。
団地の中にデコボコ山がありました。






デコボコ山への道を歩きます。




天白公園まで来ました。






ここ、天白公園で昼食の時間を取ります。




昼食時間が終わり、ウオーキングの再開です。




天白川の堤防を歩きます。




植田八幡社まで歩いてきました。




稲葉山公園からの眺望です。
ここから東山タワーが見えます。




張矢公園まで歩いてきました。
お疲れ様でした。
この後、地下鉄塩釜口駅へ向う事となるのですが、駅は狭いので、ここで解散式を行いました。



天白区を歩きました。
かつては原野や田畑だった地域です。それが急速に発展してきました。そんな場所でデコボコ山への道。都会の散策路を歩いたと言う感じがしました。



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