これまで各務原歩こう会に首を突っ込んでいました。会員の高齢化や諸処の理由で退会する人が出て会を継続していく事が困難となり、4月の山行を持って解散となりました。
その後、5月には関市の武儀権現山。6月には各務原市の明王山へ出かけたりしていました。
解散してから、Kさんの努力する姿が有りました。ソレを見ていて、手助けをせずに居れないように見える程、頑張っていました。
一旦、ポシャッた会を再び立ち上げることは、大変な事です。
参加する意思の者に連絡し、会場を押さえ、参加者が集まって新しい会を形成する運びとなって行きました。団体として行動するからには規則も必要ですし、金も必要となっていきます。苦労して、新しい会が発足する段階に漕ぎ着けました。
今日、発足会を開催しました。
これまでの会員。
そして新しく加わってくれた人達。
20名ほどの人数となりました。
当会はバスで目的地の山に向かうのを原則として居ますので、これだけの人数が維持できれば継続していく事が出来ます。
発足会の式次第です。
規約を承認し、役員を決め、今後の山行計画も練られました。
これまでの歩こう会の形は1人に職務が偏っていました。それに、これまでの会は、リーダーの育成に努めて来ませんでした。今後は、山行の時にリーダーとして先頭を歩く人を育てていかなければと思います。これからは、「一人一役」を合言葉を進めていきます。
やっと、階段を2段ほど上がった段階を迎えました。まだまだ、色々と困難な事柄が出てきます。じっくりとやっていければと思います。それにしても、思うことは解散をせずに休会となっていたら、と言う事です。一度、壊けてしまったものを建て直すのは大変な苦労が伴います。
済州島へ行った時の事ですが、「初めての海外の山登り 済州島 城山日出峰(182m)」としてと紹介しました。 http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/6435263e8c39f21841b55664eae62075
今回は、スリランカでシーギリア・ロックに登りましたので、海外の山登りとしては、2山目となります。ただ、長い階段を登って行っただけですから、山登りと言って良いものか、どうかとも思いましたが、山登りとしてアップしました。
シーギリア・ロックは標高約370m、岩頸そのものの高さは約195m、と書かれています。約200mの岩山で、全方位が切り立った崖になっています。約1,200段の階段の山を登ってきました。
山頂からの眺望は良く、視界が広がっていました。
登山口に有る駐車場へバスが着きました。
地元のサポーターが近寄ってきました。サポーターは登る人を手助けし、お金を得るというものです。彼らの収入の糧となるものでして、五月蝿いくらい言い寄ってきました。
ガイドは2,000ルピーくらいの金額だと話し、必要が無いのならキッパリと断るようにと言っていました。
登山口に向かって歩いて行きます。
ガイドが人数分の入場券を買い求めました。
4,260ルピーとなっています。邦貨では3千円余りです。少し高いです。外国人とスリランカ人では、料金が違うようでして、外国人から不満が出ています。
半端な金額ですが、違っているかも知れませんが、30ドルとか。ドルでキリの良い数字なのだと思います。
上から見下ろしたシーギリア・ロックです。
バンダラナイケ空港に着いた時、垂れ下がっていた幕を写したものです。
テーブル状で、山頂辺りは段々となっています。
登山口へ向かっていきます。
これから登るシーギリア・ロックです。
これから登るシーギリア・ロックです。
シーギリア・ロックを大きく。
更に、ズームで。
螺旋階段が見えます。
その左側でシートで覆われたような箇所がシギリア・レディが岩肌に描かれている所です。
絵自体が文化遺産ですが、あの場所へ登っていって仕上げた事が凄いと思います。
ズームレンズを使いました。
最大です。
人は見えませんが、フェンスが見えます。
登山口の階段へ進む途中。
イグアナと猿を見かけました。
イグアナと聞いて、ガラパゴスのイグアナを想像してしまいました。良く考えたら、アチラは海イグアナでした。人の直ぐ近くに居て、逃げようともしませんでした。
右の猿。なんと言う種類の猿か判りません。でも、昨日見かけた猿とは違う種類です。
イグアナが居たり、サルが居たりで、柵の無い動物園に居るような感じがします。
それから、青大将のようなヘビも見かけました。
この時のヘビ。コブラでした。
階段を登り始めました。
地元のサポーターが付きまとってきます。
ガイドは必要なら最初から頼め。2,000ルピーが相場だと言っていました。
必要な人には交渉するつもりだったのでしよう。
途中から頼んだりすると、トラブルが発生する事が、有るようです。
手を差し伸べているのがサポーターです。
頼みもしないのに、手を差し伸べてきます。
この状態の時。要らないとキッパリ言わなくてはなりません。
岩のトンネルをくぐり、進みます。
この場所。
オーディエンス・ホールとなっています。
階段を登って行きます。
階段が磨り減っています。長い年月が経過したと思います。
登って行く様子です。
motaさんが撮ってくれました。
まだまだ、サポーターが居ます。
しつっこいくらい、言い寄ってきます。
その日の収入がかかっているので、必死になるのは、仕方が無いかも知れません。
少し登ってきました。
階段を登っていて、視線を横に移しました。
急な崖が見えます。
まだまだ、階段が続きます。
両側のレンガ。
雨風で、角が丸くなっています。
その事が歴史の古さを想像させます。
登って来ました。
後ろを振り返ると沢山の人が押し寄せ、声が聞こえます。
中国人たちです。
ガイドは中国人で込み合い始める前に、山頂へ行きたいと思っていました。
中国人たちに混じって登るとなると、思うように登る事が出来なくなります。
鉄製の階段を登ります。
階段が続きます。
あの螺旋階段を登ります。
長い通路です。
このコースは登りの一方通行となっています。
右側の岩。
筋の模様が見えます。
シーギリア・ロックは火山だったようです。
溶岩の縞模様なのでしょうか。
螺旋階段を登ります。
螺旋階段は一方通行となっています。
こちら側は上りで、向こう側に下りが有ります。
螺旋階段を登った廊下のような場所にシギリア・レディがありました。
スリランカの国宝に匹敵するものです。
撮影禁止となっていました。
これは旅行パンフから引用しました。
この場所に来るだけでも大変な事です。
このような場所に、良く描き挙げたものだと感心しました。
螺旋階段を降り、更に進みます。
左側が壁のように塀が設けられた所です。
鏡廊下と言う意味でしょうか。
そんな所を通過して行きます。
踊り場のようなところに出ました。
壁が低くなり、眺望が利く場所です。
登山口に向かった時の道が見下ろせます。
踊り場のような場所からは、下界の眺望が広がります。
密林の海。と言った感じがします。
更に進みます。
この辺り。
階段がありますが、横にスライドして行く形で、歩き易いです。
シーギリア・ロックが正面に見えた場所を見下ろします。
あの場所からシーギリア・ロックを見上げました。
右上の隅に小山が見えます。
昨日、見たダンブッラ石窟寺院が有った山だと思います。
横幅が狭く、一方通行の通路です。
フェンス越しに覗くと、怖いような通路です。
またまた、階段が始まりました。
今までは一方通行でしたが、ここからは対面で歩きます。
階段が始まったところです。
これまでが一方通行で、ここかには対面通行で歩きます。
途中。
広場のようなところに着きました。
距離にすると三分の二くらいです。
高さでは半分ほど登ってきました。
ここで、全員が小休止し、息を整えます。
ライオンの両手。
あの場所から再び登るのですが、この場所で小休憩を取りました。
半分の高さまで登って来たのでしてガイドは、登るのが困難な人は、ここで待っていても良いと言っていました。
それでも、全員が再び登り始めました。
柵があり、近寄れませんが、ライオンの足は自然の岩を刻んだようです。
階段を見上げました。
休憩の後、全員が再び登り始めました。
階段を見上げました。
急な階段です。
急な階段です。
まるで、空中を上がっていく。そんな気分になります。
上りの階段と下りの階段が区分けしてあります。
トラピクスのバッジを付けた人達とすれ違いました。どちら方面から来たのと聞きましたら、関西からでした。大阪のオバチャンたちです。「アメちゃん、持っている」?と声を掛けましら、「持っている」と返事が有りました。
それに、「後、3分」と励まされました。
階段を登って進みます。
山頂へ来ました。
みなさん。成し遂げたと言う事で満足そうな表情をしています。
お疲れ様でした。
山頂から隣の山を眺めます。
昨日、ダンブッラ石窟寺院から、シーギリア・ロックの隣に見えた山でしょう。
山頂はこんな様子です。
テーブル状のシーギリア・ロックでも、段々になっていて、この辺りが一番高い場所です。
テッペンで。
motaさん。Oさん。と一緒に記念写真に納まりました。
山頂からの眺望です。
横に白い線が入っています。
海なのだろうかとも思いますが、詳しくは判りません。
ポロンナルワ遺跡の近くの湖かも知れません。
山頂の辺りを歩きます。
左へ向かうと周回できます。
山頂からの眺望です。
良い形をした山が見えます。
山頂辺りの景色です。
麓の方角です。
1本の道が通っています。
先ほど通ってきた道です。
サングラスの男性がガイドです。
この後、山頂周辺を周回しました。
四角い池のようですが、王が使ったプールだそうです。
人々に、下から水を運ばせたのだそうです。
背中にタルを背負って運んだのでしょうか。王は凄い権力を保持していました。
山頂部はこのようななっていました。
下から山頂部を見上げました。
凄い数のレンガが使われています。
レンガを山上で焼くことは無いと思いますので、下で焼き、運び上げたのでしょう。
その労役に従事した人達。
何千人か。
何万人か。
人々の上に絶対権力を保持した王が君臨していました。
玉座です。
君臨した王様が座った場所です。
横の壁に溝が刻んであり、少しでも涼しくなればと水を流したのだと説明してくれました。
ここに座ってはいけない事が判ります。
山頂方面を見上げました。
これから、下山を始めます。
これから下山にかかります。
外国人も登りにきています。
狭い階段を下って行きます。
あの場所が広場です。
左の裸足の人。
地元の人だと思います。
上りと下りが分かれています。
左側。
中国人が登ってきました。
広場を見下ろします。
ビルから下を見下ろしているような感じがします。
高所で怖い感じがします。
スズメバチが襲ってくる事が有るようです。
広場で上に見える細長い建物ですが、ハチから避難する避難所のようです。
季節に寄って活発になったりするのか、私たちの時は何も感じませんでした。
急な階段。
この部分は上りと下りが一緒になった部分です。
上を見上げました。
列になって下って行きますが、後ろはスリランカ人だと思います。
土曜日で多くの人が訪れていると、ガイドが話していました。
上りと下り。
混雑しています。
大岩の凄い壁です。
広場までもう少しです。
人の往来が多く、中々前に進みません。
サングラスの人は中国人です。
広場までもう少しです。
ようやく、ライオンの脚の間まで降りてきました。
広場まで降りてきて、下って来た階段を見上げました。
あの階段を下りてきた。
よく行って来た。
そんな気持ちがしました。
広場から下へ向かっていきます。
下りながら上を見上げました。
あの巨岩のテッペンへ行って来ました。
螺旋階段です。
右側が上りで、左側が下りです。
螺旋階段を登ったところの左側にシギリア・レディの絵が有りました。
ここまで、下りてきました。
この場所にも巨岩があります。
お疲れ様でした。
下まで降りてきました。
下山して来て。
ヘビ使いがコブラを操っていました。
岐阜グループの人がお金を払っていました。500ルピーと言っているのが聞こえました。
感想
今回。21人の人がサポーターを頼まずに、自力で登って来る事が出来ました。みなさん、良く頑張ったと思います。
ガイドはシーギリアロックへ登るのが、今回が99回目だと言っていました。次回は100回で、節目となる回です。何回はどのようなグループだったと覚えているのだろうか。
シーギリア・ロックには古い歴史があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%83%A4
今でこそ、鉄製の階段となっていますが、当時は木で階段を作ったのではないかと想像します。王のプールのために水樽を背負って登った人。沢山のレンガが有りました。生涯、レンガを作り続けた人。想像が膨らみます。
階段の連続する通路。巨岩のシーギリア・ロック。
滅多に来る事が出来ない場所に来る事が出来て良かったです。
4月22日から続いた「自然を楽しむ山歩き」が第6回で、最終の回で閉講式を迎えました。6回の講座の内、4回が現地学習でした。回数が少ないように思われました。市の担当者は5回以上を長期講座、以下を短期講座としていると言っていました。若干物足らない感じがしましたが、これはキッカケとして貰うものであり、これを契機として山登りを始めて欲しいと話しました。
講座の様子です。
机を口の字に並べ、話がし易いようになっています。
受講した感想を述べる受講生。
廣江先生の講義です。
カスマグサの画像です。
この画像の前にスズメノエンドウとカラスノエンドウを映されました。
カスマグサはスズメノエンドウとカラスノエンドウの間の大きさです。カラスのカ。スズメのス。間と言う意味で、マです。
それで、カスマグサ。
タネに成った時、スズメノエンドウ種が2個ほど。カラスノエンドウは10個位で、その中間の大きさでした。
中間でその用になっている事が面白いです。
屋外で見かけたとき、どちらか判らないので、じっくりと観察する事が必要と云われました。
こちらはレブンウスユキソウです。
いわゆる、エーデルワイスの仲間です。
日本にはエーデルワイスが11種類あると話され画像で紹介されました。
今日で最後となりました。
金華山。八曽山などに出かけ自然に触れる事が出来ました。
新しく知る事が多々有り、面白かったです。
一宮友歩会の6月例会が開催されました。今回は大垣駅の北口を出発して大垣市の北部、主に赤坂町辺りを歩きます。その後は、勝山に寄ってから御首神社に参ります。その後は養老鉄道の北大垣駅に戻るというコースの予定でした。
時間が経過したことや会員の疲労度合を勘案して、御首神社で解散式を行いました。そして、全員がJR赤坂線の荒尾駅からワンマンカーに乗車して帰途に着きました。
6月例会です。私、Kオジサンがリーダーを勤めました。
JR大垣駅 ― 日吉神社 ― 荻神社 ― 笠縫の里碑 ― 受円寺 ― 大垣輪中堤
― 赤坂港跡 ― 赤坂本陣公園 ― 旧清水家住宅 ― 妙法寺 ― 金生山化石館 ― 昼飯大塚古墳 ― 旧早野邸セミナーハウス ― お茶屋屋敷跡 ― 御首神社
― JR荒尾駅
第62回ウォーク例会の地図です。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/62map.pdf
JR大垣駅北口です。
出発式で会長の挨拶。その後は準備運動をして、歩き始めました。
歩き初めです。
この辺りは鎌倉街道が通ってたことを想像できる道で、直線の道ではありません。
左は笠縫の里碑。この場所へは第55回例会の時に寄りました。誰かから、「この場所。以前来たこと有るねー」の言葉が出ていました。
右は、その石碑のところに信号機が有り、信号待ちです。
受円寺の門が見えます。
お寺に寄りますので、挨拶をしに先を歩く会長です。
受円寺の境内。ここで休憩です。
水分補給をするようにと、声が掛かっていました。
右は境内で咲いていたショウブです。
受円寺を出て、鎌倉街道を歩きます。
まだ、新しい鎌倉街道の碑が設けて有りました。
国道21号線の下を通過してきて、堤防に上がります。
右はピンボケでした。お許しください。
大垣輪中堤を歩きます。
サクラの古木が有ります。
大垣輪中の水防倉庫があります。
輪中堤防を歩いています。
田植えの準備の整った田を横に歩きます。
後ろの家屋。
4月の下見に来た時は工事中でした。
右は木に包まれた神社です。
こちらの田も準備が整っています。
田に水が入り始めました。
中山道を歩きます。
昔の街道と言う雰囲気がします。
これから赤坂の町。赤坂宿へ入っていきます。
今日のKオジサンの後ろ姿です。
今日はリーダーを勤めていますので、トップを歩いています。
右はリーダーで旗を持ちながら歩く羽島市のKさんです。
大垣市赤坂商工会発行のパンフ。
美濃赤坂から引用させて頂きました。
美濃赤坂駅から北が西濃鉄道で、貨物列車の路線です。
左で大久保や昼飯へも線路が延びていますが、今は廃線となっています。
赤坂宿の入口です。
左側に中山道の浮世絵が掲げて有ります。
赤坂港跡へ来ました。
前方の建物は赤坂港会館です。
右側に川が流れています。
港跡で、かつては、ここから船で物資を運び出していました。
地図を手元に説明するYさん。
Yさんが説明に用いた明治時代の古地図です。
東海道線が敷設された頃のモノです。敷設が完全に終わっていないのでしょうか。鉄道が今のような黒と白の線になっていません。
大垣駅でなく、大垣停車場となっています。
中山道や美濃路が確認できます。
街道で、並木の印がついています。
古い地図ですが、地図を眺めるのが面白いです。
旧清水家住宅です。
外壁が綺麗に整備してあります。
清水家の内部です。
ここに常駐する係員が説明してくれました。
清水家は江戸時代の住宅で、米屋を営んでいて、近代に入ってから医者となったと言っていました。
館内に展示して有った赤坂宿の航空写真。
姿が変わったのが判ります。
赤坂から石灰岩が貨物列車で運び出されると、みんなに、説明しました。
清水家にいた時、踏切を貨物列車が通過しました。
ピーピーと警笛を鳴らしながら空の貨車をディーゼル機関車が引っ張っていきました。
先頭の機関車は見えませんでしたが、貨物列車が通ると教えてくれたのです。
妙法寺の参道です。
赤坂宿のボランティアガイドの方が説明してくれています。
向こう側の二階建てが探訪館です。
赤坂宿は中山道の中でも大きい宿場町です。
皇女和宮の降嫁の際、街道の家々が整備したそうです。
金生山化石館へ向かいます。
登り坂になっていて、歩くのが少しキツイです。
金生山神社の境内で昼食の時間となりました。
思い思いの場所でお昼と成りました。
昼食時間を終え、全員写真の撮影です。
今日の参加者。全員で53名だそうです。
元気な人ばかりです。
撮影を済ませ、化石館に入ります。
館長が説明をしてくれました。
金生山からフズリナなど海の化石が発見されます。
金生山が海底だった訳ですが、この位置で海底だったのでなく、大陸が移動したしたように、赤道近くの南方からこの場所が移ってきたのだそうです。
館内の説明です。
化石館の東側の眺望です。
遠くに岐阜の金華山が見えます。
美濃赤坂駅を見下ろします。
単機。電気機関車が見えます。
金生山から下山して来ました。
昼飯大塚古墳へ来ました。
私たちが来た時に、他の人たちが登っていました。
古墳の階段を登ります。
私たちは歩いてこの古墳へ来ました。
後から、先ほど説明してくれたボランティアガイドの方が来るまで追いかけて来てくれました。
この古墳や関が原の合戦などを説明してくれました。
古墳の解説です。
この昼飯大塚古墳は前方後円墳で、150メートルの長さがあるそうです。
この東海地方では名古屋市の断夫山古墳は151メートルで最大だそうです。
1メートルの差で、2番目の大きさだと言っていました。
昼飯大塚古墳から旧早野邸セミナーハウスへ向かい、その後に勝山に行く計画でした。昼飯大塚古墳で説明してくれたボランティアガイドから勝山は入山が出来ないと言われました。
安楽寺の境内となっていますが、裏側から表側へ通過するだけなのです。勝山を通ろうと思っていましたが、断念しました。
勝山はお勝山と呼ばれ、関が原合戦の時、陣が張られたところです。歴史観点からも価値のあるところなのですが、こり現状なのは惜しい場所です。
勝山に寄らない代わりに、お茶屋屋敷跡に寄りました。
ここは綺麗なボタンが見れるところですが、時期が終わっていました。
歩いて来て、御首神社に来ました。
この神社は平将門に由来する神社です。
http://www.mikubi.or.jp/profile.html
字の如く、首から上の大神様です。
神社の境内で体操を済ませ、解散式を行いました。
神社で解散式が済みましたが、全員がJR荒尾駅から乗車します。
列車の待ち時間。
石灰岩を運ぶ空の貨物列車が美濃赤坂駅へ向かっていきました。
You tebeに石灰岩貨物列車が有ります。
https://www.youtube.com/watch?v=JN-Mk1iOrFI
https://www.youtube.com/watch?v=XOEZbmpRdYg
石灰岩貨物は、日に3本走るそうです。
新日鉄へ運ぶのですが、そのウチに石灰岩が枯渇してしまわないかと思います。
15時43分の大垣行きが来ました。
今日は第62回の例会でした。
今回は大垣市の北部。赤坂地区を中心に歩きました。
毎度、なじみの人達と顔を合わせました。
何れも健脚な人ばかりです。
宿場町の雰囲気を味わうと供に、巨大な前方後円墳を見る事が出来ました。
一緒に歩いたMさんのサイトです。こちらもご覧下さい。
http://www.geocities.jp/jk2unj/62reikai.htm
今日は「自然を楽しむ山歩き」の第5回です。
今回の山は犬山市の八曾自然休養林を周回します。地図では八曾山となっていますが、自然休養林の案内図や山頂に掲げられたプレートは黒平山となっていて、二通りの呼び方がある山です。
現地集合で、モミの木駐車場に集合となっていました。時間に余裕を持って向かいましたが、皆さん集まるのが早く、私が一番最後でした。
今日は欠席者が多く、13人のメンバー。それに先生と二人のサポターです。
モミの木駐車場に設置してあった自然休養林の案内図です。
駐車場を出発して、点線のコースを逆時計周りに歩きました。
モミの木キャンプ場の建物です。
出発前に準備運動をします。
歩き初めです。
この道は東海自然歩道のコースです。
このまま進むと、小牧市へ向かいます。
道の右側。
五条川が流れています。
この川は下流で入鹿池へ注ぎます。
今日のKオジサンの後ろ姿。
列に並んで歩きます。
説明する廣江先生。
この場所は名古屋大学の犬山地震観測所です。
かつては有人だったのが今では無人と成ったようです。
自然歩道を歩いて来て、大きな松の木の下で停まりました。
廣江先生から松の木について説明です。
この松。サンヨウマツと言う松で外来種の松を植えたものだそうでした。右はそのサンヨウマツの松笠を手に取り説明しています。外来種のマツで、普通に見かける日本の松笠よりも大型です。松笠に触ってみた人は「イタィ」と言いました。松笠から棘が出ていました。葉は名の通り、葉が3本となっています。
左下は見上げたサンヨウマツです。右下は落ちた松葉です。道一面に広がっており、フワフワの感触です。
テイカカズラ。
旧八曽キャンプ場まで歩いてきました。
ここは、今はキャンプ場としては利用していませんでした。
バイカツツジです。
途中の道で見かけました。
八曽滝に向かって進みます。
坂を登るのですが、疑木の丸太で階段が整備してあります。
廣江先生に教えて貰いました。
オカタツナミソウではないか、と言う事でした。
この花を見た時、一瞬、ラショウモンカズラかと思いました。でも違っていました。
八曽の滝へに来ました。
この滝、地図では山伏の滝と書かれていました。
同じ滝でも二通りの呼び方があります。
数回、八曽へきていましたが、この滝へ来たのは初めてです。
滝に打たれるお地蔵さん。
誰かがこの場所にお地蔵さんを備え付けました。
人の身長よりも高い場所にです。
私は滝を眺めていて、お地蔵さんに気がつきましたが、お地蔵さんが滝に同化していて、パット見では分からない事が有ります。近くにいた人がそうでした。
ヘリコプターの爆音が頭上から降って着ました。
樹間からヘリが見えます。
八曽の滝から八曽山に向かっています。
時々、ヘリの爆音が聞こえました。
視界の良いところへ来ると、救難訓練をするヘリが見えました。
右側は拡大したものです。
救難訓練なのですが、ホバーリングをして、救助の訓練をやっていました。
ずっと、見ていた訳では無いですが、人を吊り下げ収容して一区切りとなるのでしょう。頭上を旋回していましたのです。収容作業をしては、旋回の繰り返しだったのだと思います。
この時のヘリコプター。愛知県警察航空隊のヘリでした。
下で紹介する愛知県防災航空隊のヘリコプターとは違うようです。機体の形が違い疑問に思いました。愛知県防災航空隊へファックスで問い合わせをしましたところ、愛知県警察航空隊のヘリコプターだと電話で教えて貰いました。
愛知県警察航空隊のサイトで無く、個人サイトですが、愛知県警察航空隊を紹介しています。
http://kaba118.jugem.jp/?eid=66
以前に見かけたヘリと今回のヘリ。明らかに機体の形が異なりました。
これで疑問に思った事が瓦解しました。
愛知県警察航空隊のヘリは警察庁の所管で、愛知県防災航空隊のヘリは自治省の所管だと思います。八曽のヘリポートを訓練の場として使っているのでした。
こちらは八曽山へ登って行く途中、別の角度から見えたものです。
ヘリが見えるシーンです。
広い自然休養林の中でヘリの訓練を遣っています。
八曽山(黒平山)に着きました。
祠が有りますが、朽ちて来ています。
目立たない場所に三角点が有りました。
山頂に有った「宗岳寺」について、と言う説明が下がっています。
この場所が山頂ですが、山頂には石垣が鉢巻状にグルッと築かれていました。
以前に来た時は、このような事に気が付きませんでした。
荒れた状態になっています。
八曽山からパノラマ展望台へ向かいます。
八曽山から6.5.4.3.2.12.13.14.と言う順番で歩き来ました。
ポイントポイントに、このプレートが立てて有ります。オリエンテーリングが出来ます。
今井・八曽野営場線に出てきました。
ここは分岐点です。
ここから砂利の道を歩いて、パノラマ展望台に向かいます。
この先にヘリコプター離着陸場が有り、注意をするようにとの警告の表示があります。
愛知県防災航空隊です。
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/shobohoan/0000085850.html
パノラマ展望台に着きました。
あのあずま屋に行きます。
ヘリポートから見える八曽山。
前方の山は先ほど、登ってきた山です。
ここでお昼の時間となりました。
2008.03.07の八曽自然休養林
カミさんは山へは一緒してくれません。
でも、この2008.03.07の時、一緒に出かけました。黒平山や岩見山に登る予定では無く、遊歩道的な道を周回しようと思っていました。
これから下は、2008.03.07の時のものです。
キャンプ場に有った散策マップ。
今は新しい案内図となっており、これは前代のモノです。
東海自然歩道を歩くカミさんです。
春ですが、まだ小寒い時期でした。
遊歩道を周回してきて、パノラマ展望台ヘリポートの所に向かいます。
あの時の画像ですが、下からあずま屋が見えます。
今は木が伸びて、下からあずま屋が見えなくなっていました。
パノラマ展望台ヘリポートに着きました。
展望台に着くと、ヘリコプターが駐機していました。
歩いていて、先ほどまで、頭上で爆音を上げていたヘリです。
あの時のあずま屋です。
この頃は、今ほど木が繫っていませんので、周囲の眺望が利きました。
あずま屋から見下ろしたヘリです。
「わかしゃち」と言う愛称が付けられた機体です。
駐機していたヘリの内部を私たちに見せてくれると言われました。
ヘリの内部。
操縦席。
沢山の計器が並んでいます。
操縦桿。
それに足元には、ペタルが有ります。
ヘリの外から内部を眺めました。
スライドしたドアです。
機体に「わかしゃち」と描かれています。
円陣を組み、ミーティングする男たち。
カミさんが、見学を勧めてくれた男性と言葉を交わしました。
あの頃の記憶ですが、映画で「海猿」が上映された時期でした。
それで、男性に向かって、彼らのことを海猿みたいですね。と言葉を掛けました。
すると、イイエ、私たちは「空猿」ですよと言う言葉が笑いながら返ってきました。
パノラマ展望台から遊歩道を歩き、モミの木キャンプ場へ戻ります。
2008年の画像はこれで終りとします。
今日の参加者
今日の参加者です。
八曽山をバックにして集合写真を撮影しました。
マテバシイについて説明する廣江先生。
ドングリの実が成ると話していました。
岩見山に到達しました。
前を歩く女性の腕にトンボが停まりました。
オニヤンマだと思います。
1本松に到着です。
1本松は字の如く、松の木が1本建っている場所です。
でも、この松。枯れてきています。
お宮の松のように二代目が必要なのではと思います。
でも、この場所は岩場です。松を植えるのは無理かも知れません。
川に沿って歩きます。
川の中にオタマジャクシが見えました。
後ろ足が出ています。
少し、大型ですので、トノサマガエルのオタマジャクシでは無いと思います。
左は巌頭洞に登るところです。
右は巌頭洞を撮りました。それ程深くない洞穴です。
川を渡ります。
以前来た時は、水害が有った後で荒れていました。
今は整備されています。
こちらの花も廣江先生に教えて貰いました。
シソバナタツナミソウではないか、との事でした。
葉の柄が特徴的な花です。
道の真ん中に咲いていましたが、この花は初めて目にしました。
五段の滝です。
遊歩道から下って、滝の場所に来ました。
遊歩道をモミの木駐車場に向かって歩きます。
モミの木の駐車場に戻ってきました。
自然休養林を歩いて来て、ミーティングです。
感想
今回の八曽自然休養林へは数回行った事が有りました。八曽の滝へは行ったか、行ってないか記憶に有りません。それで、初めて見る滝のように感じます。自然休養林の中に、こんな大きな規模の滝があったのかと言う気がしました。
カミさんと歩いたのは8年前でした。その時が3月で冬の景色だったからかもしれませんが、今は、木々が大きく成長しています。木々の成長したことにも、時の流れを感じます。
サンヨウマツについて教えて貰いました。教えて貰わなかったら、知らずに過ぎていくことですが、外国種の松を知る事が出来たのも、良い機会でした。ソヨゴやテイカカズラを知る事が出来ました。このような事が出来たのも「自然を愉しむ山歩き」に参加できたからです。
知らない事を知るという事が面白いと思いました。
オマケ
帰路、犬山市の市民健康館「さら・さくら」で、登山中の汗を流しました。
http://www.city.inuyama.aichi.jp/kurashi/1000224/1000289/1002613/index.html
〒484-0061 犬山市大字前原字橋爪山15-2
電話:0568-63-3800
私は市外の者ですが、65歳を越えていましたので、300円でお風呂に入る事が出来ました。
入口に券売機が有ります。
自販機で券を買い、入場します。
向うが男湯。手前が女湯となっています。