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kオジサンの中山道旅日記 その3 養老鉄道東赤坂駅からJR柏原駅 まで

2018-02-26 23:42:34 | Kオジサンの中山道旅日記 

2月26日(月)  晴  養老鉄道東赤坂駅からJR柏原駅

前回の続きです。赤坂宿から垂井宿、関が原宿を経て柏原宿まで歩きました。
西へ向って歩いたのですが、段々と標高が上がっていきました。岐阜と滋賀県境近くの今須峠には残雪が有りました。こんな場所に峠があるのを知りませんでした。それに歩いていて、何箇所も一里塚を目にしました。石柱が有るだけのもの。また、こんもりとした塚が残っているものも有りました。色々な形の一里塚が有ることを知りました。

沿道で何箇所も蝋梅の花を見ました。私のところの蝋梅は、既に終わっていますが、今日見た蝋梅は見ごろを迎えていました。この辺り、開花が遅い地域なのだと思いました。自分のところの蝋梅は終わったがこの辺りは見ごろを迎えている。春の訪れが遅い地域。桜の開花も遅いのでしょう。季節の移ろいの違いを感じました。それに、今日。歩いていて伊吹山が段々と近づき、山容を変えて行きました。
こんな事も街道歩きの面白さだと思いました。


今回、歩いたコース地図です。
岐阜県十七宿 散策ガイド。「日本歴史街道」中山道連合から出典しました。

養老鉄道東赤坂駅  ― 青木の一里塚跡  ― 赤坂港跡  ― 赤坂宿脇本陣跡 ― 
小篠竹の塚 ― 青野の一里塚跡 ― 追分の道標 ― 垂井宿 ― 垂井の一里塚 ― 
野上の松並木  ― 関が原駅前
 ― 西首塚  ― 不破の関跡  ― 山中高札場跡 ―
 常盤御前の墓 ― 今須峠 ― 今須の一里塚
 ― 今須の本陣跡 ― 
近江美濃国境碑 ― 楓並木 ― 柏原宿 ― JR柏原駅 



養老鉄道揖斐線の車内から見えた伊吹山です。

養老鉄道東赤坂駅

(08:53)
大垣駅から養老鉄道に乗り、東赤坂駅に着きました。
この電車。3両編成でしたが、車内はガラガラでした。
後部にサイクリングトレインのマークが見えます。
車内に自転車の持ち込みOK。
乗客の利便を図っています。




(09:01)
東赤坂駅の南側に県道230号線が東西に伸びています。
駅から西へ歩きだし、今日のウオーキングの始まりです。
伊吹山が見えますが、電柱が邪魔です。



青木の一里塚跡

民家の横に一里塚の石柱が見えました。
青木の一里塚です。地図には池尻一里塚となっています。


赤坂港跡

(09:18)
赤坂宿に入ってきました。
かつては赤坂港として水運に活用された場所です。
白い建物は赤坂港会館で、岐阜県警察の屯所を復原したものです。


赤坂宿脇本陣跡

赤坂宿の脇本陣跡で公園になっているところです。
左奥に小さく見えるのは所郁太郎のブロンズ像です。
所郁太郎は幕末の志士です。この赤坂宿に生誕地と墓もありました。




公園の横に設置してあった赤坂宿の地図です。




(09:34)
中山道と谷汲街道の分岐点に建てられた道標です。
左に進むと谷汲に向かいます。地図には谷汲巡礼街道と載っていました。
華厳寺への参拝者が通った街道です。






赤坂宿の街の中です。
緩い登り坂で西に向かって行きます。




大垣市青墓から見える伊吹山です。


小篠竹の塚

(10:08)
青墓地内の小篠竹の塚。
圓願寺・芦竹庵の関日が立っていました。
「青墓の芦竹庵」の説明板です。義経がこの地を訪れた際に杖にしてきた芦を地にさしておいたところ、後になって大地に根を張ったと書いて有りました。






(10:10)
青墓のハズレの場所に中山道の標柱が立っていました。
下に青墓宿と書かれています。
青墓は赤坂宿と垂井宿の間の場所です。
ここも、間(アイ)の宿なのでしょう。





(10:22)
前方から男性が歩いてきます。
私と同じ中山道を歩いている人でした。
言葉を交わしました。
東海道を歩き終えたと言っていました。
今日は垂井から歩き始めて、岐阜まで行くと話しました。一期一会の出合いでした。




青野の一里塚跡

(10:24)
青野ケ原一里塚跡。
男性とすれ違って、直ぐの場所に有りました。



追分の道標

(10:55)
垂井の追分。中山道と美濃路の分岐点です。
道標が設置して有ります。





垂井追分道標。
中山道を東に向かって歩いて来た旅人は、東海道を目指す時、ここから美濃路を辿りました。
にぎわったと書かれています。





(10:58)
垂井の相川に架かる相川橋の上からです。
遠くに伊吹山が見えます。
川の両岸。堤防に桜が植わっていて、桜並木となっています。
もう、1ヶ月もすると桜が咲き始めます。
それに、川にロープを張り何匹も鯉のぼりを泳がせます。
残雪の伊吹山をバックに鯉のぼりが泳ぐと言う好いロケーションが目に出来ます。


垂井宿

垂井宿の中に入ってきました。
この先に見える旅館が亀丸屋と言う旅籠です。
この場所。街道筋なのですが、枡形でクランク状になっています。






(11:05)
垂井宿の中心部。
街道を撮影しようとしたら、車が出て来てしまいました。
西に向かって緩い坂になっています。






中山道と東海道線が交差する場所です。
勾配になっていますが、電車はヘッチャラで走って行きます。



垂井の一里塚

(11:26)
コンモリとした塚で往時を想像させる塚です。
塚は道を挟んで、2つの塚でワンセットですが、反対側のモノは取り壊されています。
この左手に茶所が有りました。
説明板には「日守の茶所」。
弘法の札所で、俳句の句詠場所にもなっていたとあります。





こちらは塚の石柱と垂井一里塚の説明です。





民家の庭に咲いていたロウバイです。
歩いていて、このようなロウバイを何本も見かけました。
私の住むあたりではロウバイは終わっていますが、この辺りでは、今花の時期を迎えています。
春の訪れの遅い地域だと思いました。
それだけ標高が高いのでしょう。


野上の松並木

(11:53)
野上の松並木に差し掛かりました。
米原行きの普通列車が軽快に走って行きます。




今日のKオジサンの後ろ姿です。
この先。街道に松が植わっており、松並木になっています。






街道沿いでストラップの無人販売が有りました。
好みのストラップを選び、竹筒に100円を入れました。
感じとして、季節の野菜を無人販売する場所のようにも思えました。
壁に関ケ原のポスターが貼ってあります。
この家屋が古い「イエ」だと説明していました。それにこの家屋の反対側の家ですが、東海道線を走る蒸気機関車の煙突からの火の粉で火事になってしまったという説明も有りました。当時は茅葺きの家屋であり、東海道線は関ケ原の勾配を、黒煙を上げて登ってきます。そんな状況から火事になってしまったのでしょう。
こんな事は歩いてみて知る事が出来る事柄です。





(12:13)
右の土手は東海道線の下り線です。
松が並木になっています。それに、緩い勾配です。






中山道が国道21号線と一緒になります。
国道が関ケ原の町を貫いています。
タマタマ、車の往来が無かっただけで、多くの車が走っていました。
右側に4本のポールが建っている場所が見えます。若宮八幡社です。





(12:20)
若宮八幡社で一休み。
ここで昼食をとりました。




関が原駅前

(12:44)
国道から見える関ヶ原駅です。
弧線橋が見えます。






高木精肉店の看板が目に留まりました。
コロッケが50円。
飛騨牛コロッケは100円でして、こちらの方を選びました。
店内でキョロキョロしなかったので判らなかったのですが、「サソリ」を売っているのを後から気付きました。




西首塚

西首塚に来ました。
説明板には戦で勝利した家康が夥しい数の遺体の処理を命じたと有ります。
それに「馬頭観音」は旅人の安全を願って設置されたものであり、「千手観音」は皆の願いに手を差し伸べると書いて有りました。美江寺宿で千手観音を目にしましたが、1つ賢くなりました。





(13:05)
街道が国道21号線から分かれました。
車の走行が少なく、街道らしさが有ります。



山中高札場跡

関ケ原宿と今須宿の間に山中と言う集落が有ります。
そこで見かけたのが高札場跡の表示です。
間(アイ)の宿(シュ)ク山中と言う文字が見えます。この山中も「あいのしゅく」だったのでしょう。



常盤御前のお墓に寄りました。





頭の隅に有った「常盤御前」と言う言葉。
義経の母だったのですね。



今須峠

(13:55)
今須峠に差し掛かりました。
日陰に雪が残っています。
雪が有ると言う事は、雪が降り易い場所であり、寒くて解けないのでしょう。





国道21号線と東海道線の下り列車。
道路の左に木が繁っています。
その左りの家々、今須地区です。



今須の一里塚

(14:01)
今須の一里塚は国道21号沿いで、今須地区の東端にあります。




(14:06)
今須宿に入ってきました。
この辺りには本陣と脇本陣跡がありました。



近江美濃国境碑

(14:29)
美濃国と近江国の境の石柱です。
歩いて来て、いよいよ滋賀県に入りました。
米原市に入りましたが、この地区は長久寺と言う地区で、寝物語の里と言われています。



楓並木

葉が落ちてしまったモミジ。
街道沿いにモミジが植えられ、並木になっています。





(14:43)
踏み切りを渡って西に進むと柏原宿に入って行きます。



柏原宿

柏原宿に入ってきました。
宿場らしい雰囲気が有ります。




JR柏原駅 

(14:56)
柏原駅に到着です。
列車は30分に1本の割合で有ります。
次の列車は15時14分です。





プラットホームから見える伊吹山です。
はじめはこの山を東から見ていましたが、南から眺める場所まで歩いてきました。





(15:13)
大垣行きの普通列車が入線してきました。





左は東赤坂駅で、右は柏原駅に着いた時のものです。
いきいき情報と通常情報はどう違うのだろう。いきいきの方が感度が鈍いです。
今日の歩数が36,824歩で28.4キロです。妥当な数字でしよう。




関ケ原は歴史の宝庫
関ケ原が合戦場となったことは有名ですが、壬申の乱の舞台となったことは余り知られていません。不破の関跡の近くに大海人皇子の兜石や沓脱石が有りました。この場所が壬申の乱の舞台でも有ったと言う事を知りました。
また、歩く途中に常盤御前の墓があるのも知りました。
発見が面白いです。

間(アイ)の宿(シュ)ク
赤坂宿を出てから伊吹山の見える場所で中山道の標柱を目にしました。根元に青墓宿と書かれていました。また、関が原を出てから途中で間(アイ)の宿(シュ)ク山中と言う標柱を目にしました。六十九宿は正式な宿場なのでしょうが、これらの処も宿場の役目を果たしていたのでしょう。各務原の新加納が間(アイ)の宿だと言う事は知っていましたが、間(アイ)の宿が各所にも有ったようです。こんな事も発見です。発見する事が面白いと思いました。

今回は柏原で終わりにしました。体調的には、まだ歩ける感じがしましたが、次の宿場となると醒ヶ井です。そこまでは遠いので、柏原で終わりとしました。

今日の経費
JR那加駅からJR大垣駅まで  410円
JR大垣駅から東赤坂駅まで 260円
パン   95円
カップ麺 108円
コロッケ  108円
JR柏原駅からJR那加駅まで 760円
          合 計    1,741円


kオジサンの中山道旅日記  その4  
3月7日(水) 晴 JR柏原駅から近江鉄道豊郷駅   へ 

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kオジサンの中山道旅日記 その2 JR岐阜駅から養老鉄道 東赤坂駅 まで

2018-02-21 23:34:48 | Kオジサンの中山道旅日記 

2月21日(水)   曇りのち晴れ   JR岐阜駅から養老鉄道 東赤坂駅まで

今日は中山道を歩き始めて2回目です。
第2回目はJR岐阜駅を出発して鏡島の乙津寺を目指しました。今日は21日で弘法さんの日です。どうせ中山道を歩くのなら弘法さんの日が好いと決めていたのです。それに小紅の渡しで渡ってみたいと思っていました。
計画では樽見鉄道の美江寺駅まで歩くか、養老鉄道の東赤坂駅まで歩くかと考えました。今日の街道歩きを赤坂宿で終えたいと思いましたので、本当は美濃赤坂線のJR美濃赤坂駅から帰れたらと考えたのです。でも、列車の時刻が遅すぎましたので、養老鉄道の東赤坂駅で終了にしました。
美濃赤坂駅を発車する列車の時刻は13時12分の次は16時07分でして、丁度良い時間の列車が無かったのです。


今回、歩いたコース地図です。
岐阜県十七宿 散策ガイド。「日本歴史街道」中山道連合から出典しました。

JR岐阜駅前 ― 鏡島 多羅里八幡神社 ― 鏡島 乙津寺 ― 小紅の渡し ― 
河渡宿 馬頭観音 ― 
本田地蔵堂 ― 美江寺宿 ― 千手観音堂 ― 小簾紅園 ― 
美濃路への道標 ― 養老鉄道東赤坂駅


JR岐阜駅前

(08:41)
JR岐阜駅前を真っ直ぐ南へ来た場所で、月曜日に離脱した場所です。
ここから、街道歩きの再開します。




駅前の道から西に歩いてきました。
街道らしい感じのする道路です。
県道を横切って、更に西へ進みます。
ここまで中山道を歩いて来たと言う感じはしたのですが、交差点から先が中山道なのか判り難かったのです。
この交差点辺りに街道の表示が有ればと思いました。




東海道線、高架橋の南側に有った指示標識。
フェンスが除けてあって、フェンスの後ろ側となっていました。




こちらは高架の北側。
どちらに向かっていけば好いのか、判り難い箇所です。
このような場所に指示標識が設置してあって頼りになります。


鏡島(カガシマ)多羅里八幡神社

(09:23)
鏡島多羅里八幡神社に来ました。
梅の幼木。
正面に向かって左右にあったのですが、左のは開花が遅く、右のは咲いていました。




鏡島多羅里八幡神社に有った中山道案内です。
餅屋が有ったと書いて有ります。
どんな餅だったのでしょう。




鏡島地区に入ってきました。
この辺りも旧街道らしく、曲がりくねった道です。




ここにも中山道の指示標識が設置して有ります。
今までと同じ「本荘まちづくり協議会」のものと思ったのですが、ここのは「鏡島まちづくり協議会」のモノでした。論田川改修記念碑の足元に有りました。この記念碑を白い部分がガードレールで保護していました。ガードレールには川の美しさを守ろうとかのプレートが着けて有りました。この「中山道」もガードレールに付ければ通行人から、良く見えると思ったのです。ガードレールを管理するところから許可を取るのが面倒で、取り付けなかったのでしょうか。


鏡島 乙津寺(オッシンジ)

(09:38)
乙津寺の門前まで来ました。
中山道から外れるのですが、ここで乙津寺に寄ってみます。
それに、乙津寺の裏側に小紅の渡しがあります。
渡し舟に乗ろうと思っていましたし、鏡島弘法を訪ねてみたいと思っていたのです。



門前の道路に露店が並んでいます。
その中の1ツ。
たい焼きの店が目に留まりました。
女性たちの列に並びました。




店主の許しを得て撮影しました。
鉄製の金型に小麦粉を流しこみ、アンコを入れ。そして焼きます。
私の後ろには中国人の若い男性、二人が並びました。




乙津寺への沿道です。
先に見える屋根が乙津寺の門です。




乙津寺の境内に来ました。
境内に、ポツリポツリと露店が並んでいますが、歯抜け状態のように見えました。
想像ですが、最盛期には、もっと沢山の店が並んでいたのではと思えます。
寺に来る人が減ったのか、店を続けていく人が人が減ったのだろうか。
最盛期、寺へお参りに来た善男善女で賑わったのではないかと想像しました。



中国人グループの参拝です。
若い男女です。
観光客なのか、研修生なのか、中国人がグループで参拝に来ていました。
日本人女性が付き添っていて、線香の煙を患部に当てると・・・・・。と教えていました。
それに、このお線香の場所に来る前に、手洗い場所で、お参り前に手を洗って清めるのだと教えていました。





(09:57)
鏡島弘法の本殿の前です。
ここでお参りしました。
お参りの前に大念珠を引っ張りましたら、ガラガラと音がしました。
本殿に進み出る前。前の方でガラガラと音が聞こえました。
この音だったのだと判りました。

小紅の渡し

小紅の渡しは鏡島弘法の北側に有り、長良川を渡ります。
鏡島弘法の社務所で、小紅の渡しの方向に行き方を聞きました。そして、向かうコースを教えてくれたのですが、後から女性が私を追いかけて来てくれ、更に行き方を補足説明してくれました。
ザックを背負った姿の私。
迷ってはいけないと、念を押してくれたのでした。
細やかな心遣いをして貰えたことに感謝します。



乙津寺から小紅の渡しに向かうには、長良川の堤防に上がらなくてはなりません。
階段を上がるのですが、階段の縦の部分に「小紅の渡し↑」のプレートが何枚も貼り付けてあり、この階段を上がれば好いのだと、良く判りました。


対岸から渡し舟が来ます。
今日は鏡島弘法の縁日の日です。
今日でなかったら、こんなに簡単に撮影は出来なかったかも知れません。




(10:10)
舟がこちらに来て、着岸します。
皆さん、救命胴衣を着けています。





渡し舟に乗船しました。
言われなかったのですが、備え付けの救命胴衣を装着しました。
舟に船外機が着いていましたが、静かなエンジン音でした。
川面を渡る風は冷たいですが、アッと言う間の乗船時間でした。

清流長良川。
そして、遠くに金華山が見えます。



(10:14)
一日市場側に着きました。
エンジンを操作していたのは女性だったのです。
夫婦船頭さんかと聞きましたら、違うと言っていました。彼女は、こんなこと聞かれたのは初めてだと言っていました。
夫婦で渡し舟を維持しているとすると、サマになると思ったのです。

この小紅の渡しは県道なのです。
事前にホームページで調べたら、月曜がお休みの日となっていました。




小紅の渡しを後にします。
二人の船頭さんが階段を下りて行きます。
私が乗ってきて、すぐのタイミングでした。
堤防上に小屋があり、対岸に人が来ないか気をつけて見ていたのでしょう。
そして、人が来たのを見るや否や、階段を降りて対岸に向かいました。


河渡宿 馬頭観音

(10:56)
小紅の渡から堤防を歩き、河渡橋を過ぎて、ここに来ました。
ここは河渡宿 馬頭観音です。

この先の中山道。
どちらの方向に向かえば良いのか、判り難かったです。


馬場の道標

交差点の金網の向こう。神仏敬信の石碑が有ります。
この場所。中山道の標識が立っていまして、瑞穂市馬場前畑町と表示しています。
石碑の足元の左面には、左 本田・美江寺ヲ経テ京都二至ル。右 河渡・加納ヲ経テ名古屋二至ルと有ります。
正面側には右高屋・北方ヲ経テ谷汲に至ルと有ります。
石碑が神仏敬信となっていても、道標の役目を務めています。かつては重要な交差点だったのでしょう。
注意深く見ないと、見落としてしまいます。「馬場の道標」とでも名付けて文化財の標柱が有れば見落とさないのではと思いました。
この場所。「馬場のお地蔵さん」と言われる所のようです。でも、表示が無かったように思えます。


本田 地蔵堂

(11:38)
本田の地蔵堂に来ました。
延命地蔵尊が祀ってあります。
お堂の中には石のお地蔵サンが赤い帽子を被った姿で座っていました。





本田松原の交差点で反対方向から来る男性が居ました。
私は右側を歩き、彼は反対側を歩いていました。
信号が変わって、東側に歩いて来た時、「中山道を歩いているのですか」と声を掛けるとニコッと笑顔で、そうだと応えてくれました。
ただ、すれ違っただけなのですが、同志と出会った。
そんな気がしました。



街道を歩いていて、五六川に来ました。
美江寺宿が日本橋から数えて56番目の宿場であり、五六川と名付けられたのだそうです。
曇っていますが、遠くに伊吹山が見えます。



美江寺宿

美江寺宿の入口にまで来ました。
路傍に石の道標が有ります。
左 北方谷汲に至ルと刻まれています。




(12:09)
美江寺宿です。
宿場の東の方には、一里塚の石碑が有りました。





昼食をとるため、美江寺観音に寄りました。
境内に高札場が、高札の一部を取り出してみました。
駄賃、人足賃の定めです。
この他に切支丹を禁止するものなどがありました。





(12:43)
昼食を終え、美江寺観音の境内から出発します。
この場所。
美江神社と美江寺観音が同じ境内となっていました。
ここから南へ歩きます。


千手観音堂

美江寺宿を出てから千手観音のところに来ました。
この観音堂に石の千手観音が安置されていました。





千手観音の辺りから一緒に歩いた男性です。
男性は家の近くの散歩のようでした。
男性は中山道や東海道を歩いたと話していました。
それに奈良の柳生街道や山の辺の道も歩いたと言っていました。




男性と別れて街道を西南に歩きました。
犀川です。
カモが沢山居ました。
人の気配で動き出しました。




(13:03)
大月多目的広場です。
岐阜県下の中山道の17宿石柱が並んでいます。


小簾紅園

(13:39)
小簾紅園(オズコウエン)の一角に皇女和宮の降嫁について、説明板が設置してありました。




(13:43)
小簾紅園を出て、数百メーター来たところで大型観光バスとすれ違いました。
フロントガラスのステッカーに「中山道を歩く 第30回 美江寺宿から今須宿」となっていました。クラブツーリズムのツアーです。

検索しましたら、こんなのが出ました。
https://www.club-t.com/theme/sports/aruku/theme/rekishi/kaido/nakasendo.htm
日本橋を出て、何回も旅を重ねます。はじめのうちは日帰りで4,000円ですが、距離が遠くなると6,000円になります。そして12,000円に。やがて1泊の行程となり34,000円と、高くなっていきます。
今回の美江寺宿から今須宿へは2泊3日で79,800円でした。第31回以降は84,800円となっています。
全体で33回となっていて、回を重ねて歩きます。それで期間が3年近くの歳月になります。総金額も100万円に近いのではないでしょうか。
ヒマと金と体力が無いと参加できないツアーです。催行人員が18名以上となっています。近々催行するコースではキャンセル待ちとなっている状況です。
人気が有るのですネ。




歩いていると後ろから中山道ツアーの人たちがやってきました。
この橋。
平野井川に架かる橋で、神戸町と大垣市の境界の橋となっています。



美濃路への道標

(13:56)
堤防に石の道標が立てられています。
左 木曽路。右 すのまた宿江 と刻まれています。
墨俣宿は美濃路の宿場ですので、ここから美濃路を経て東海道に向かえます。

このツアーの一部の人と言葉を交わしました。
東京の日本橋をスタートして回を重ねて来ていると話していました。
その人は埼玉からの参加だと言っていました。
東京駅か、何処かが集合場所だったのでしよう。
関東一円から集まっているのでしよう。
今回は新幹線で来て美江寺宿から今須宿までを歩き、新幹線で戻ります。
別の回の時には、岐阜城や大垣城に寄っています。
中山道をフルに歩いているのではないと思います。



思い思いに歩く人たち。
私は赤坂宿に向かいますので、分かれました。




中山道に設置してある指示標識です。
坂下町。赤花町。三津屋町と大垣市の北部を歩きます。
赤坂宿を目指して歩きますが、赤坂宿までの距離が段々近付いて行きます。





(14:13)
今日のKオジサンの後ろ姿です。





(14:21)
三津屋町の辺り。
真っ直ぐでなく、街道らしさの有る道です。




(14:46)
養老鉄道の東赤坂駅に到着しました。
列車は52分発となっていますので、間に合いました。




歩いた後の歩数から歩く前の歩数を引くと、26,455歩となりますが、感度が鈍い歩数です。
歩数計の歩数では34,849歩で28.1kmとなっていました。
1割引いて31,364歩25kmは歩いているでしよう。




(14:53)
大垣行きの列車が入ってきました。





初めての鏡島弘法
鏡島弘法へ初めて行きました。お年寄りが参拝に来ていました。境内に露店が店を広げていましたが、かつてはもっと盛況ではなかったのではなかろうかと想像しました。
巣鴨の刺抜き地蔵には及ばないにせよ、凋落だけは食い止めて貰いたいものだと思いました。

道標が面白い
19日に歩いた時、岐阜の安良町の道標に「岐阜、谷汲」と刻まれていました。そして、今日の馬場の道標。美江寺宿の道標にも谷汲の文字が刻まれていました。
今のような交通の便に恵まれていない時代。西国三十三箇寺の巡礼で、満願で華厳寺に向かった人々。そのような人たちが頼りにしたのが道標なのでしよう。
華厳寺の山門の辺りに、今は食事が出来る店が並んでいますが、かつては巡礼者を泊めたのでしよう。想像が膨らみます。

クラブツーリズムのバスツアー。
途中、バスツアーの一行と出合いました。そして東京から京都を目指す、ツアーがあることを知りました。出会わなかったら、こんなツアーが有るのを知らなかったでしょう。



今日の経費
JR那加駅からJR岐阜駅まで 210円
パン   200円
カップ麺 108円
鯛焼   120円
ドラ焼と最中   550円
東赤坂駅からJR大垣駅   260円
JR大垣駅からJR那加駅   410円
          合 計    1,858円


kオジサンの中山道旅日記  その3  
2月26日(月)  晴  養老鉄道東赤坂駅からJR柏原駅  へ

 

 

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kオジサンの中山道旅日記 その1 JR那加駅からJR岐阜駅 まで

2018-02-19 23:10:50 | Kオジサンの中山道旅日記 

2月19日(月)   晴   JR那加駅からJR岐阜駅まで

はじめに
私が住む各務原市を旧中山道が東西に貫いています。この旧街道を歩いてみようと言う気が起きました。キッカケは、ある女性が本を片手に中山道を歩いていた場面に遭遇したからです。中山道は東京の日本橋を起点に京都まで500キロ余りの道のりです。完全踏破できるか否か判りませんが、手始めに西へ向かってみようと、歩くのを開始しました。

美江寺宿千躰寺にて
 
2017年11月29日に一宮友歩会の下下見で美江寺宿を訪ね、千躰寺に寄った時の事です。

寺で休んでいると、ご婦人が寺の前を通られました。そして、「中山道は、こちらに行けば良いですか」と女性が道を尋ねたのです。この女性。中山道を歩いている人でした。
中山道を日本橋から繋ぎ繋ぎで歩いて来たのだそうでした。
いわゆる街道歩きのオバチャンでした。中山道で碓氷峠、和田峠、鳥居峠と歩いて来たそうな。私も木曽路を歩いた事が有りますので、話が盛り上がりました。妻籠宿から馬籠宿に掛けては日本的な雰囲気が味わえる街道です。外国人が多かったでしょうと話し掛けると、外国人ばかりで日本人には、ほとんど合わなかったと話しました。日本人より、外国人の方がそこの良さを知っています。
今日は岐阜から歩いて来て、赤坂宿に向かう。出来れば垂井宿まで行きたいと言っていました。繋ぎ繋ぎとは言え、良く歩くなと感心します。彼女。静岡県の人でして、東海道は踏破したのだそうです。それで次に中山道を歩き始めたと話していました。
僅か、数分の会話。一期一会の出合でした。




参考書

参考にした書籍です。
学研の美濃路をゆく 落合宿~今須宿を参考にしました。




今回、歩いたコース地図です。
岐阜県十七宿 散策ガイド。「日本歴史街道」中山道連合から出典しました。

JR那加駅前 ― 新加納間(アイ)の宿 ― 新加納の一里塚 ― 坂井農園 ― 手力雄神社
 ― 切通陣屋跡 ― 細畑の一里塚
 ― 領下の地蔵堂の道標 ― 関取鏡岩の碑 ― 
南廣江の道標  ― 加納宿脇本陣跡 ― JR岐阜駅前

スタート  JR那加駅前

(9:52)
我家に一番近い駅がJR高山本線の那加駅です。
那加駅の駅前の道が南に伸びています。その道と中山道の接点となる場所です。
ここをスタート地点にして、中山道の旅をはじめました。


新加納間(アイ)の宿

新加納間(アイ)の宿の石碑。
新加納の入口の場所に、石碑が建てられていました。





街道らしさを感じる道。
曲がりくねっています。


新加納間(アイ)の宿

鵜沼宿と加納宿の間が長く、その間に新加納が有り、旅籠も有ったりして旅人が泊まる事が出来ました。中山道69次の宿場の扱いでは有りませんが、新加納は間(アイ)の宿と呼ばれています。
前方の家屋。指物屋なのです。
かつては、この場所に火の見ヤグラが有りましたが、撤去されてしまいました。 右の額縁の絵は、その当時を表した絵です。確か、ここには防火用水も有りました。 火の見ヤグラが撤去され、新加納の解説板が設置されました。




火の見櫓の撤去された場所。
ポケットパーク的な処となっています。
そして解説板が設けられました。絵図で判るようにこの場所は桝形でしたが、交通の利便を良くするためショートカットの道が設けられました。


新加納の一里塚

この場所には対の一里塚の石碑が建てられました。





中山道が桝形となっていて、かつては高札場となっていた場所です。
ここ。今尾医院は旗本の坪内家の御殿医を努めていました。




今尾医院の塀に掲げてある立場の説明板です。




今日のKオジサンの後ろ姿です。


坂井農園

新加納の一番西に来ました。
ここにワインを販売するところが有りました。
前々からこの店でワインを売っているのは知っていましたが、丁度、店が開いていたのです。




ホワイトボードにワインありますと書かれています。
スイッチ!は東海テレビの朝の番組です。取材でここに訪れたのでしょう。
右は買って来たボトルです。SAKAIですが、kが反射して写っていません。
1本。1,000円でした。




店内に入らせて貰い、ワインの樽を写させてもらいました。
ボトルのワインを買ったのですが、名を聞かれました。
税務署に報告しなければならないのだと話していました。
酒税の関係だそうです。




坂井農園の裏手。
南側にブドウ畑が広がっています。

各務原の地ワインです。
もともと、ここでワインを作っていることは知っていましたが、たまたま前を通りかかって買う事が出来ました。




(10:32)
高山本線の普通列車。岐阜行きで西に向かって走ります。
左の高架橋は東海北陸自動車道です。
中山道は、この高架を過ぎると岐阜市に入ります。





長森の高田に入ってきました。
旧街道らしい曲がりくねった道です。





中山道を歩いていて、男性に声を掛けられました。
私の姿を見てでした。
チョッと待って。
岐阜の方に行くのなら、資料をあげると言われたのです。
数分待って、男性がウチから、資料を携えて出てきました。
右の加納宿の名所案内は男性が執筆したものだそうでした。
ザックを背負った私の姿。西に向かっていました。
それで、声を掛けてもらえた事は嬉しい事でした。
加納宿内は桝形の道となっており、地図が役に立ちました。


手力雄神社

(11:01)
中山道からは外れるのですが、蔵前の手力雄神社に寄りました。
この神社。毎年4月の第二土曜日に火祭りが行われます。
材木の高い先から流れ落ちる滝花火。そこにかざり神輿が入って「火」の禊ぎを受けます。
勇壮な男の祭りです。
この火祭。
岐阜県の無形民俗文化財に指定されています。
https://www.youtube.com/watch?v=cUV7JFDcCk0




街道沿いの店。
かつては米だけを商っていたような店なのでしょう。
今は米だけでなく、野菜や花。果物も店先に並べていました。
並んでいたミカン。
8個で300円でしたので、買ってきました。
右の電柱。カラスが巣を掛けていまして、下に木片が落ちてきていました。
おカミさんが木片を拾っていたのですが、動物相手で困っていました。
目の前でおカミサンが木片を拾うのを見かけましたが、アップする段になって電柱にカラス・・・・とあるのに気がつきました。





手力雄神社の石の鳥居です。
明治四十二年八月建立と刻まれています。
この場所。
中山道は右から来て西へ向かっていくという桝形になっています。
この鳥居の左側に兵藤歯科と言う歯医者が有ります。
間違ってい無かったら、この歯医者。水泳の前畑さんのお宅です。
あのオリンピックで「前畑ガンバレ、前畑ガンバレ、・・・・」で話題になったお方。
前畑さんが嫁いで来た所です。
それから、鳥居右側の足元に道標が有るのを見かけました。




鳥居の足元の道標です。
車が当たったのでしょう。
傾いています。
桝形ですので、このコーナーを左に向かいます。



切通陣屋跡

(11:23)
中山道から少し入ったところに切通陣屋跡がありました。
観音堂が有り、石碑が設置して有ります。





切通陣屋跡の説明板です。



細畑の一里塚

南側へ入り、街道側を写しました。
街道を挟み、南側と北側に塚が築かれています。
今でも残っており、珍しい一里塚です。
枝が切り払われており、見落としてしまいました。




細畑の一里塚の説明板です。
設置した年号が29年12月で設置されたばかりです。


領下の地蔵堂の道標

領下の地蔵堂です。
右に進むと岐阜方面。
斜め左に進むと笠松、そして名古屋方面です。
幟旗に南無延命地蔵菩薩と描かれています。
そして、脇に道標が設置して有ります。
左側は一番上が指の矢印で木曽路 上有知 郡上と刻まれています。上有知は美濃市の方です。
右は指の矢印。そして伊勢 名古屋ちかみちと刻まれています。




領下地内にきました。
東海道線が高架となっていて、上を列車が通過して行きます。



関取鏡岩の碑

(12:04)
この辺りから加納宿となりす。
鏡岩と言う相撲取りの話です。
それに道標が有りました。






荒田川の橋の横。
ポケットパークのような場所に成っていて、この石碑が有りました。
加納宿の地図が描かれています。




安良町の道標です。
右に向かうと岐阜の街の中心部に向かいます。
それに、谷汲にも。
反対側は左 西京。そして明治十八年の年号が刻まれていました。
まだ、鉄道が開通していない時代です。
歩く事が交通手段でした。





(12:19)
加納の街の中心部に入って来ました。
岐阜駅北側の建物が見えます。





街道沿いの道標に加納宿の道順が描かれています。
枡形で曲がった道になっています。(今は、真っ直ぐに行ける道が付いています。)



南広江の道標

桝形の場所で道標が設けて有ります。





加納宿高札場跡の表示がありました。




加納城大手門跡の石碑。
加納城はこの先に有ります。
先に進むと城跡で、街道は右に折れる桝形になっています。





加納桜通で見た加納宿の浮世絵。
足元の、石に貼り付けて設置してありました。




(12:34)
西川精肉店です。
店からラードで揚げ物をしている匂いが漂ってきました。
あのラード、独特の匂いです。




匂いに釣られて店の中へ。
コロッケやとんかつを客の要望に応じて揚げてくれるのでした。
注文したのは串カツとハムカツ。2本と2枚づつです。
持ち帰り、今夜のテーブルの上にあがりました。
揚げてくれるのを待ちましたが、客が来たのです。予め電話で頼んでおいた物を取りに来たのでした。




歩き始める前が935歩で終了した時が12,146で、歩いた歩数が11,211となります。
3時間近い歩行でした。
時間には間違いが無いですが、歩数が少ないように感じます。
体の動きに反応してカウントする訳ですが、感度が鈍過ぎるのかも知れません。
歩数は18,920歩で15.1kmとなっています。
この数字は朝から晩までの数字です。
1割カットしても17,000歩。14km程は歩いているでしょう。



JR岐阜駅前

(12:51)
岐阜駅の南側です。
この後、岐阜駅の中で昼食を取り、列車に乗ります。


感想
今日は中山道を歩きだした第一歩の日でした。
市内にワインを製造するところがあるのを知っていましたが、寄ってワインを買ってくる事が出来ました。
たまたま、通りがかって、男性から資料を頂きました。ご親切が有り難いと思いました。
ミカンを買ったり串カツを買ったりしました。こう言う事が出来るのも、街道歩きの面白さです。
今日は歩き出したばかりの日でしたが、色々と体験できました。
それに、地蔵堂などを見ながら歩くのも面白いです。


今日の経費
JR岐阜駅からJR那加駅まで 210円
ワイン  1,000円
ミカン  300円
串カツ ハムカツ   302円
吉野家豚丼   500円
          合 計    2,312円


kオジサンの中山道旅日記  その2 
2月21日(水)   曇りのち晴れ   JR岐阜駅から養老鉄道 東赤坂駅まで  へ


 

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大 野 三 山     大谷山 (356m)   滝谷山 (398.1m)   雁又山 (430m)

2018-02-14 23:38:29 | 弐水会

弐水会で揖斐郡大野町の大野三山に行ってきました。雪が有るだろうと思って登ったのですが、想像した程の深さでは有りませんでした。
運動公園から森林浴コース、こならコース、城跡探索コース。滝谷山からは雁又山へピストンし、滝まわりコースで下山して来ました。
カメラの画像が表示した時刻です。
運動公園(10:05)  ― 立花峠(10:49)  ― 大谷山展望台(11:16)  ― 大谷山山頂(11:26) ― 
滝谷山山頂(11:56~12:27)  ― 御嶽山展望平(12:33)  ― 雁又山山頂(12:59~13:16)
 ― 分岐(13:42) ― 金尾滝(14:24)  ― 運動公園(14:56)

組織について
今月は会長が欠席でした。それで、ピンチヒッターをKサンが務め、Hサンは補佐役でした。昨夕、Hサンから明日車を出して貰えないかと依頼が有りました。月曜日に満タンにして来てあり即、OKしました。会長不在でも会長の代わりを務める人が居る。また、その人を支えてる人が居る。これが会の纏まりだと思います。こう言う事が「会」がうまく運んで行く秘訣ではなかろうか。
お喋りが楽しい
女性を乗せて行きました。車内でのお喋りで話が弾みました。鵜沼のパン屋さん。ゴボウパンが美味しいとか、パチンコ屋の跡で今、工事中の場所はしまむらだと教えて貰いました。
K女の友人の話しです。彼女の友人が洋服のリホームの店を開いているのだそうです。若い女の子がボタン付けの依頼で店に持ち込んだのだそうです。男の子ならとも角、女の子がボタン付けが出来ないと言って持ち込んだのだそうな。商売でやっているのだから応じたそうですが、今時の若い女の子の状況にアキレタ事なのでしょう。
小学生に英語教育がされ始めます。となると、何処かで削る科目が出ます。そんな影響なのかもしれない。
車内でのお喋りが面白いです。


(10:15)
運動公園駐車場を出発して、これから山に向かいます。
左側に獣害対策の金網が見えます。
それに、ここは入口で大野三山の案内図が設置して有りました。




森林散策コース案内。
いろいろのコースが有ります。
右上が滝谷山で、雁又山はその右になります。




森林浴コースを歩き始めました。




木の板の上にスチールの金網が張ってありました。
雪で滑りそうな状態ですが、このようにして貰えて有り難いと思いました。




少し雪が有る坂を進みます。





日当りの良い坂道は雪が消えています。




立花峠に到着です。
ここからは、こならコースを歩きます。




大谷山の展望台に来ました。
眺望の良い場所に展望台が設けて有ります。





展望台からの眺望です。
南東方面が広がっています。
右の小高い山が岐阜の金華山。
左の小高い山は百々ケ峰です。




こちらは南側を望みました。
空気の透明度が悪く、遠方が霞んでいます。
透明度が高ければ伊勢湾が望めるかも知れません。




展望台から大谷山山頂へ。
山頂はすぐ近くです。



大谷山のプレート。





稜線を歩きます。
道はこならコースから城跡探索コースに変わりました。





(11:56)
滝谷山に到着しました。
ここで、ランチタイムです。




ズームレンズで岐阜駅の辺りを見ましたが、近くの枝にピントが合い、ボケています。




昼食を終えて雁叉山へ向かいます。




手作りのプレート。
御嶽山展望平が下がっています。





展望平から御嶽方面を望みました。
木が切り払われていて眺望の良い場所になっています。
条件が良ければ、御岳が望めるのでしょうが、生憎雲に隠れています。





こちらは途中に見えた金華山の方角です。
時間が経ったためか、先ほどよりも、良く見えるようになりました。
左の奥が百々ケ峰で、右へ転じて船伏山。そして金華山です。右に連なって低くなって行きますが、水道山の辺りです。
金華山の手前の小山は鷺山です。左に転じて岐阜大の建物。岐阜大学病芋アノ辺りです。そして、左側が城ヶ峰です。
城ヶ峰の左側にあるのが岐阜刑務所で、監視塔が判ります。




日陰には雪のところも有りました。





雁叉山に到達です。




雁叉山のプレートが設置してありました。





ベンチとテーブルがあり、休憩場所になっています。
それに眺望の良い場所です。




岐阜駅辺りの眺望です。
高層のビルが見えます。




こちらは北側に来たところです。





北方の眺望が開け、小津権現が見えます。




スマホで山々の確認です。
木立で邪魔されて居ますが、北側には妙法ケ岳。そしてその先には能郷白山が有ります。




下山を始めました。
檜の木々の中を進みます。





滝谷山に向かって下山して来て、分岐から滝まわりコースを辿りました。




下山して来て林道に出ました。





下山途中、金尾滝に寄りました。
沢に石を積み上げて造った人工の滝です。





鶏舎が有る所まで出てきました。




この先に運動公園の知友射場が有ります。
前方の山々は周回してきた山です。




今回、歩いたコース。
各所に指示標識が設置して有りました。それも、まだ新しい感じがしました。
歩くモノにとって、このように整備して貰えたのは嬉しい事です。

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一宮友歩会 第72回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・知多編Part2 大府市を歩く

2018-02-03 23:16:25 | 一宮友歩会

一宮友歩会は偶数月に例会を開催しています。ただし、8月だけは暑い時期なので7月に開催しています。一宮友歩会と言っても一宮市の人に限定しているので無く、誰でも参加できます。地元は勿論ですが、名古屋市。江南市や稲沢市、扶桑町など尾張地区全般からの参加者があり、私のように岐阜県から参加しているのは珍しいです。
今年最初の例会である2月例会は大府市を歩くと言うものでした。参加は自由となっており、安城市から6人ほどの初参加者がありました。
大府市のウオーキングトレイルを歩きました。日頃、歩行者がウオーキングできるようにと整備された道でした。一宮友歩会の例会では、お寺や神社に寄ったりするのですが、今回は全く寄る事が無いと言う珍しい例会でした。

JR共和駅(スタート)   ― 上敷公園 (出発式) (9:20)  ― 二ツ池公園 (9:56) ― 北崎大池(11:02)  
― 大府みどり公園(11:09~12:03)  ― 桃山公園(13:07~13:22)  ― 大倉公園(13:28)   ― 
大府市歴史民俗資料館(14:00)   ― JR大府駅(ゴール)(14:14) 



今回の地図です。
JR共和駅を出発して、主に大府市の北側を歩き、JR大府駅へゴールしました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/72map.pdf




出発式です。
出発式を上敷公園で行うことになっていましたが、上敷公園が工事中でした。
急遽、ソフトバンクの駐車場を借りました。




出発しました。




歩き出して、ずぐに目にしたのがこの説明板です。
大府北中学校の敷地内に設置してありました。
追分城跡と言う遺跡。
発掘調査がされておらず、城主や何時の時代の城なのかも判っていない。
でも、古い航空写真からは城址だったことだけが判ると有ります。





春の兆し。
歩いていて、スイセンと菜の花を目にしました。




二ツ池に着きました。




池を眺めながら、親水デッキを歩きます。




飛来してきているカモ。
人の気配に逃げていこうとしました。




桜の蕾が膨らんできています。
説明板が設置してあり、河津桜だという事が判りました。
河津桜はソメイヨシノよりも早く咲きます。
開花が近いことでしょう。






二ツ池公園のウオーキングロードを歩きます。
ウオーキング用に整備された道です。
木々の葉が落ちていますが、森林浴が出来そうな環境でした。





歩道を歩いていますが、この左側。
至学館大学のグランドが有り、野球の練習をしていました。
前方の金網は新幹線敷地のモノです。




歩道として整備して有りますが、ウオーキングトレイルに入って来ました。




ウオーキングトレイルの入口に設置してあったプレート。
土地使用承諾標となっています。
大府市が愛知用水から使用させて貰っているというものです。



土地使用承諾標と並んで設置してあったのがウオーキングトレイル整備事業で、どのような木々が植えられているかを現しています。
この区間は豊田自動織機からの寄付金で植栽されましたと表示しています。
企業メセナのようなものなのでしよう。
大府市には豊田自動織機の工場が三箇所有ります。そんな事から地域に奉仕しようとしているのでしょう。




ウオーキングトレイル沿いに東屋タイプの藤棚が有ります。
この他にトイレも完備していました。





フェンスの向こう側に円筒形のモノが見えます。
金網で遮断されて居ますが、この下が愛知用水なのです。
国土地理院の地図では青い用水路で表示しています。
もともとは、このような状態のところをウオーキングトレイルとして整備したのでしょう。





ウオーキングトレイルを歩きます。
前方に竹林が見えます。





前方に北崎大池が見えてきました。
右の青いネットはブドウ畑のネットです。




大きな北崎大池。
農業用の溜池だと説明板が設置してありました。





大府みどり公園へ入って来ました。
右側はバーベキュー場です。



公園の中央広場に到着しました。




公園の管理人が大府緑公園に着いて説明してくれました。
今は冬でオフシーズンですが、春や夏には沢山の人が訪れると話していました。




大府みどり公園の案内地図です。
芝生広場がありますが、養生中で立入り禁止にしていると言っていました。




公園の遊具。
メカドラゴンです。




子供たちがターザンロープで遊んでいました。





公園から出発します。



歩いていて振り返りました。
新幹線の列車が通過して行きます。




ウオーキングも終盤となってきました。
向かっているのが桃山公園です。
登り坂がキツイです。




振り帰ってみました。
急坂にあえぎあえぎで登っています。





桃山公園に到着です。




桃山公園の風車モニュメント。
展望台となっています。





展望台からの眺望です。
刈谷市方面を望みました。
今の時代で、家々が並んでいますが、戦国時代ならこの辺りは田畑か原野だったのでしよう。
この抜群の眺望の場所。
砦が有ったのではないかと想像しました。




桃山公園から降りてきて大倉公園に来ました。






大倉公園に来ました。
茅葺きの門が見えます。
大倉公園はノリタケカンパニーの初代社長である大倉和親が大正期に建てた「大倉別荘」を中心とした公園です。松が植えられていますが手入れが行き届いていました。
別荘は客人をもてなす離れとして使われており、昭和の始めに皇族が泊まったと解説して有りました。

大倉公園内の見学。それに歴史民俗資料館の見学が有ります。
それで、ここで、30分後の14時に歴史民俗資料館の前に集合すると言う事で、一旦解散しました。




この奥に「大倉別荘」があり、そちらへ向かってみます。




大倉公園の案内図です。
桃山公園から降りてきて大倉公園へ来ましたが、裏側から入って来た形となりました。




大倉公園の離れを外から見た後、歴史民俗資料館へ来ました。



民俗資料館の常設店を見学します。




昔の暮らしを紹介するコーナーです。




こちらは年表が表示して有ります。
お遍路の衣裳が有りますが、知多新四国にちなんだものです。




資料館の表側に集合しました。
駆けつけてくれた安井さんの説明です。



配布された資料ですが、下の部分は尾張名所図会の「延命寺」です。
三本松となっていますが、この辺りでは木々を燃料として採取したのでハゲ山となり、3本が残った図です。
上の部分はこの辺りの地質の解説です。砂や粘土の地質が土砂が流れやすい地質であるとの解説です。





大府駅が見える所まで歩いてきました。




大府駅です。この駅も橋上駅になっています。




感想
 真冬の時期ですが、そんな時期の中でも穏やかな陽気での中でウオーキングが出来ました。今日の参加者は50名だったそうでした。何れも高齢者の域に達しそうな人ばかりですが、みなさん、お元気に12キロを完歩されました。

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岐阜と愛知の山  鳩吹山(313.3m) 天神山(313.5m) 桃 山(168m) 

2018-02-01 23:58:35 | かがみの山歩会

山歩会で可児市と犬山市の山に行って来ました。もともとは山県市の相戸岳へ行く計画でしたが、その方面は雪が有ると言うことで愛知と岐阜の山への転進となりました。
犬山市の桃太郎神社の奥。せせらぎルートから登り、鳩吹尾根を歩いて鳩吹山へ。帰路は西山ルート。北回りルートを辿り、川平ルートへ。そして桃山ルートで下山して来ました。



愛知・岐阜木曽川流域観光圏発行の地図から引用しました。
⑤のせせらぎルートで鳩吹山に向かいました。帰路は③の西山ルート。②の北回りルート。①の川平ルートから②の桃山ルートで下山しました。



桃太郎神社の奥から、せせらぎルートに入りました。




砂防堰堤を迂回して進みます。
前回このコースを辿りましたが、砂防堰堤が有る事に気づきませんでした。




歩き易い、雰囲気の好いコースです。




杉林の中を歩きます。




川沿いに歩いてきましたが、最後には川から離れ、急な登り坂を登って尾根に出ます。



尾根筋を歩きます。




途中の眺望の良い場所です。
はるか、彼方に白山が見えます。




西山休憩舎を過ぎました。
前方に鳩吹山のアンテナが見えます。




鳩吹山頂の東屋に到達です。
早い時間ですが、ここでランチタイムとなりました。



眼下に美濃加茂と可児の街が見えます。
両市の間の木曽川。
中農大橋。太田橋。今渡ダムも見えます。




帰路は西山コースを辿り、北回りコースに向かいました。




アップダウンの激しいコースで、急な登りのところも有ります。




コースの途中、眺望が開けたところに来ました。
木の枝が邪魔ですが、各務原の鵜沼方面です。
左の三角形の山が陰平山。その右が伊木山。そして三井山へと続きます。
横たわる緑の帯は岐阜基地の飛行場です。




天神山に来ました。




天神山からの眺望です。
山頂は木が刈り払われて、眺望が良くなっていました。
山頂に砦のような猿啄城が確認できます。その向こうに高圧線の鉄塔。さして明王山のタワーが見えます。
山の下の道は坂祝バイパスです。




アップダウンの有る道を下山して行きます。




東山ルートと桃山ルートの分岐です。




桃山山頂に到達しました。




桃山コースの下り道です。
眼下に木曽川が見えます。
この辺りは歩き易かったのですが、急な道で、足元が不明瞭な箇所も有りました。



栗栖神社の前に出てきました。




下山して来たコースを振り返ります。
栗栖神社の参道となった道です。



下山して来ました。
前方に見えるのが野外センターです。






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