Kオジサンの新・山歩きの記

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奥浜名湖の山  尉ヶ峰 (433m)  

2013-02-22 11:36:07 | 各務原歩こう会

2月20日に「各務原歩こう会」で尉ヶ峰に行ってきました。
今の時期、南の方なら積雪がないだろうと南へ向かい、奥浜名湖の尉ヶ峰に登りました。
尉ヶ峰には西の風越峠からのコースと南の天浜線佐久米駅や西気賀駅からの佐久米コース。それに東の国民宿舎「奥浜名湖」横の細江公園からの細江ルートがあります。
今回は西気賀駅からの佐久米ルートで登り、細江ルートで細江公園に下山しました。

西気賀駅(9:40) ― 旧姫街道(9:55)  ― 佐久米合流点(11:00) ― あずま屋(11:09~11:18)
 ― 獅子落し ― 尉ヶ峰山頂(11:46~12:20) ― 北大路コレクション(13:00) ― 親子岩(13:53)
 ― 二三月峠(14:15~14:23)  ― おもかる大師(14:38~14:40) ― 細江公園駐車場(14:45)

西気賀駅前でバスから降りて東へ歩き、左折して天浜線の踏切りを渡って西へ歩きます。
すぐに有るミカン山へ登っていく道が登山道です。ハイキングコースのプレートが下がっていましたが、字が消えて解かり難くくなっていました。
ミカン畑を登り広域農道に出て、そこから山の中に入っていきます。

ここからが本格的な登山道となりますが、勾配がキツく無く、登り易い道を進みます。
1時間程で佐久米からのコースと合流しました。こちらが佐久米コースで天竜浜名湖鉄道の佐久米駅からのルートです。
さらに進むと駐車場に出ました。トイレが設置されています。この先が獅子落しで急な岩場となりました。所々にロープが設けて在ります。1箇所だけロープに掴まって、ドッコイショと登るところが有りました。

獅子落しを過ぎると程なく山頂に到達します。
山頂では、コンクリート製の母イノシシと2匹の瓜坊が迎えてくれました。

山頂の南には浜名湖の景色が広がっていました。東名高速の浜名湖橋や舘山寺の山が見下ろせます。
遠くには浜名湖の今切れ口が見え国道1号線の浜名大橋も見えます。今切れ口の向こうには太平洋も見えました。
山頂で昼食を取り全員の記念写真を撮影して、細江コースから下山しました。

 
バスは三ケ日ICで降りて西気賀駅に向かいました。
車窓右側に暖かな奥浜名湖の景色が広がります。



西気賀駅に到着しました。
準備をして、ここから出発です。



天浜線の駅はほとんどが無人駅です。パン屋や喫茶店。そば屋など色々の店と併設となっています。
西気賀駅はグリルで洋食の店となっていました。



西気賀駅を出て東に向かい、天浜線の踏切りを渡ります。



歩いていて、花が目に留まりました。
アロエの赤い花。民家の庭先には水仙。
温暖な場所なので開花が早いです。



東西が姫街道の場所。
ここからミカン畑に入って行きます。
入口には姫街道の石碑が有りました。



温州みかんの時期は終わっていましたが、道の両側には八朔や甘夏が沢山なっていました。



広域農道のところから登山道に入ります。



向こうの奥の山が尉ケ峰の山頂です。
あの山に向かって登って行きます。



登山道を歩いていて左側の展望が開け、みんながカメラを向けました。



こんなパノラマが広がります。
東名高速の浜名湖橋。
遠くには今切れ口や弁天島のマンション群が見えます。



勾配がキツくなく、歩きやすい登山道です。



佐久米駅からのコースとの、合流点に着きました。



あずま屋のある場所に来ました。
ここで小休止です。



鉄製の階段があるので登り易いです。
前に来た時には無かったような印象なのですが、・・・・・・・



佐久米コースで一番の難所。
獅子落しです。



獅子落しにはこんな説明板が設けて有りました。



樹間から小さく富士山が見えました。



写真では判り難いですが、肉眼ならはっきり見えました。



山頂に着きました。



親子の「いのしし」が迎えてくれました。



山頂に3枚のプレートが下げられていました。
地図では標高が433となっています。
山に登った人が、間違った数字のプレートを残して行くことは、迷惑なことです。



山頂からの眺め。
木が伸びて視界を遮るようになってしまいました。



記念写真の撮影後に細江ルートで下山を開始しました。



尉ヶ峰 は人気のある山です。
2組が訪れていました。



縦走路から見えた景色です。
山の中に観覧車が有り、眼下に第二東名が見えます。



コースの各所にこのような解説板が設けて有りました。
手元の本の地図では奥浜名湖スカイラインとなっていますが、この地図では尉ケ峰スカイラインとなっています。
何時、名が変わったのでしょうね。



細江ルートは民有地の中を通過しているのです。
横から道が有って交差しています。
迷わないようにと、このような指示標識が5本立っていました。



コースの途中に石仏がゴロゴロと置かれた場所を通過します。看板には北大路コレクションと書かれていました。このような山を歩いていて異様な雰囲気を目にし、不快だと書かれたホームページが有りました。
でも、この場所は個人所有の土地で、その場所を通らせて貰っていたのです。
何も知らずに一方的に立腹していたようですが、地主の好意で通らせて貰っているのですから感謝されても文句を言われる筋合いは無いと言われるでしよう。



暖かい地とあって、梅が満開になっていました。



二三峠に展望台がありました。
展望台の上からは南東には浜松の中心地のアクトタワーが見えました。
白く冠雪した富士山も確認できました。南東の下にこれから向かっ行く、国民宿舎が見下ろせました。
ゴールはもうすぐです。



二三峠の展望台からの眺望です。
光る浜名湖方面。
東名高速の浜名湖橋が見えます。



ズームで見ると。



浜松方面の景色です。



ズームで見ると。



東には富士山が見えます。



尉ケ峰スカイラインを歩きます。



おもかる大師に寄りました。



国民宿舎「奥浜名湖」が見えます。
ゴールはもうすぐです。



バスが待っているところまで下山してきました。



お疲れ様でした。
体操をして、終わりとなります。




各所に立っていた案内プレート。
一番上の物は西気賀駅の北側に有った物で、風雨で読めなくなっています。
三番目は字が薄くなったので誰かが加筆したのでしょう。入口と描くところが人口となっています。
一番下のは、汚れてきています。
新しく指示標識が設けられたのですから古いのは撤去すればと思います。


最後に
07.03.12に尉ヶ峰へ登ったことがあります。
その時はまだ、獅子落しの南側の鉄製階段は無かったのではと思います。二三月峠の展望台も有りませんでした。コースの途中、随所に支持標識が新しく設置され、とても整備されています。
その日は列車で出かけ来ました。天浜線佐久米駅から登り、細江ルートを歩いて、国民宿舎で汗を流してから気賀駅に向かって下ってきました。
車なら佐久米駅に停めて天浜線で気賀駅まで行って戻って来るとか、気賀駅近くの旧役場に停め天浜線で移動し佐久米駅からのルート。細江ルートで戻るのも可能です。
登ってから天浜線に乗るか、下山してから天浜線に乗るか。天浜線を使えば面白いコースが取れるでしょう。

尉ヶ峰。(ジョウガミネ)の尉の字は読み難い字です。軍隊では階級を表す字ですが、テレビの遠山の金さんで、奉行が登場して来るあのシーンを思い浮かべてください。
トオヤマ、サエモンノジョウ様のお成り~~で奉行が出て来る。
そのジョウ様のジョウの字が尉です。

今回は佐久米コースから登り細江ルートに下山して来ました。
バスで行く山登りで一番良い事は、登山口でバスから降ろして貰い、下山口でバスに拾って貰えることです。登るコースと下るコースを別にして、楽しむことが出来ました。

この奥浜名湖地方は私たちの住む所よりも2.3度は平均気温が高いのではと思いました。歩き始めにはアロエの赤い花を目にし、途中では梅が満開状態になっていました。
ハイキングコースとプレートに書かれているように歩きやすい好いコースです。


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岐阜の里山  芥見権現山 (316.5m) 

2013-02-14 21:03:59 | ミツルのテントサイト

ミツルのテントサイトで、ジオンさん企画の芥見権現山へ行ってきました。
芥見権現山は岐阜市の北東の山で、登りやすく面白い山でした。
メンバーはジオンさん、Boggyさん、楽遊さん、私、Kオジサンです。

大洞光輪公園登山口(8:40) ― 芳野神社(9:31~9:40) ― リフレ芥見登山口(10:15) 

― 涸沢新道登山口(10:24) ―  縦走路出会い(11:08) ― 

芥見権現山山頂(11:20~11:26) ― 山頂の東で食事(11:29~12:24) ― 

展望岩(12:39) ― 大洞光輪公園登山口(13:32)

 登って下って、また登り、そして降りて来ました。
大洞光輪公園から西へ歩き、林道を南に進み山へ向かいます。荒神様の石碑があり、ここからが登山道となります。
登り易い登山道を上がって行くと30分程で縦走路に当たります。ここから西に向かうと芳野神社に着きます。
芳野神社で小休止してから南へ登山道を下っていきました。前方の視界が広がり岐阜の町が見下ろせます。更に進むとリフレ芥見の前へ出ました。
この場所がリフレ芥見からの登山口です。登山口の標識が無くわかり難いのですが、手づくのプレートと登山者用の杖が何本か横に置いてありました。
ここからは東へスライドしていきます。この道は東海自然歩道で車道の横に整備されています。
少し進むとコンクリート階段の場所で、涸沢新道登山口があります。
誰が名付けたのか涸沢新道と言うのが面白いです。普段なら涸沢で水が無いのでしょうが、この時は水が流れていました。
ショウジョウバカマが蕾を膨らませ、咲く準備をしていました。
縦走路に出て東に歩けば山頂です。ここには芥見権現山を愛する人のプレートやコース地図が掲げてありました。
コースの途中に所々プレートが下がっていましたが、この山への愛着の現れでしょう。
山頂は手作り上屋があったりしましたが、風が強く風邪を避けるため、少し東へ非難して風邪が当たらない場所でランチにしました。
お昼を終えて展望岩に向かい、後は大洞光輪公園へ下山しました。



大洞光輪公園の駐車場です。
山に登る仕度をして出かけます。



畑の横を歩き、林道へ向かいます。



林道を南に向かいます。



途中。地図で向かう方向を確認しました。



荒神様の石柱が有ります。
そして登山者用の杖も。
ここからが本格的な登山道となります。



縦走路に向かって登っていきます。



縦走路の途中にはこんなプレートが下げられていました。



芥見権現山 を愛する人の手作りプレートです。




西に向かい、吉野神社を目指します。



吉野神社に到着です。
かつては、ここお城が有ったようです。



長山城跡・芳野神社のプレート。
風雨により、傷んできています。



吉野神社からリフレ芥見を目指し、下って行きます。
前方には岐阜の町の広がります。
先の山は金華山で、その右の川は長良川です。
山頂に城が見えます。



地元の人の手作りのベンチ。
視界が良く、登ってきてイップクするのに持って来いの場所です。



急な下りとなり、「下山足元注意」のプレートが下がっていました。



平成14年4月の山火事で全山が焼山となってしまいました。
およそ、10年が経ち、少しづつ緑が回復してきました。
このように緑が復活してきたのは、地元新聞の提唱により、みんなの力添えが有ったからです。



リフレ芥見の登山口に下りて来ました。



こちらにも手作りのプレートが有りました。



木の葉が落ちていて、今の時期なら登山口が判りますが、緑が繁る時期だと判り難いでしょう。
ここにも、手作りの登山口の表示が有りました。


東海自然歩道になっている道です。
リフレ登山口から東に向かいます。



涸沢新道の登山口です。
コンクリートの階段が有ります。


雰囲気の良い涸沢新道を登って行きます。



ショウジョウバカマが蕾を膨らませていました。



高度を稼ぎここまで来ました。
もうすぐ山頂です。



山頂の手作りプレート。



山頂にも手作りのプレートが下がっていました。



山頂から各務原方面。
白く光るのは芋ケ瀬池。大仏が寝そべつているような形の山は伊木山です。
小さく尖っているのは尾張富士です。



boggyさんのリゾット。ジオンさんのぜんざい。
美味しかったです。ご馳走様でした。



南の眺望。
各務原方面で、横に連なる緑は航空自衛隊岐阜基地の飛行場です。



これから下って行く大洞光輪公園の墓地公園が見下ろせます。



光輪公園に戻って来ました。



下山して来た登山口です。
標識が無く、登山口だと判り難いです。


芥見権現山の良い点は、岐阜の町から近いことです。そして登山路が色々と変化に富んでいることです。
標高が300メートルあまりと、キツく有りません。
今回は大洞光輪公園からの往復でしたが、リフレ芥見から登り老洞峠を下りるなど色々のコースを楽しめます。
それに地元の人達が情熱を持って芥見権現山の保全に取り組んでいることです。
平成14年4月の山火事で全山が焼山となってしまいましたが、徐々に緑が復活してきました。
今回。登ってみて涸沢新道が変化に富んでいて面白いコースだと思いました。
市街地から近く手近かに楽しめる好い山です。




一緒したジオンさんのホームページ。
http://www.ogaki-tv.ne.jp/~koike/

boggyさんのホームページ。
http://quinel.blog101.fc2.com/

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鈴鹿山系最南端の山  小平山(717m)  旗山(649m)

2013-02-12 21:40:36 | アウトドア


三重県の小平山と旗山に行ってきました。これらの山は伊賀市にあり、滋賀県境に近く位置しています。
山友の山たまごさん。Motaさんのホームページを参考にしました。
山たまごさんのホームページ。旗山・烏山(小平山) 649m・717m/三重県伊賀市
http://www.geocities.jp/tokaigakko/page-351.karasu.html
 
Motaさんのホームページ。小平山・旗山
http://www.katch.ne.jp/~mota/tozan80.html

今回はMotaさんの足跡を辿りました。
奥余野公園登山口(9:21) ― ぞろ峠(10:01)~(10:07) ―  北打山(10:57) ―   

小平山分岐(11:05)  ― 小平山山頂(11:28)~(12:00)  ―  小平山分岐(12:18) ― 

旗山(12:35) ― 東海自然歩道(13:38)  ― 柘植駅・余野公園分岐(13:50)  ― 

余野公園分岐(13:56)  ― 奥余野公園登山口 (14:06)


山に登る仕度をして、登りにかかります。
路面は前夜に降った雪で白くなっていました。


名古屋ナンバーのバンと福井ナンバーのRV。
福井の人たちは、私たちがここへ到着した時に登り始めました。


余野公園の駐車場に着くと男性2人女性2人の組が仕度を終えてこれから登り始める時でした。言葉を交わすと、福井から来たと言っていました。福井から南に向かえば雪の無い山に登れる。そんな期待感から来たのでしようか。彼らは油日岳に向かうと言って、先に登って行きました。


登山口からぞろ峠までは東海自然歩道になっていて歩きやすいと思っていました。
まだ、この辺りの雪は深くないですが、前夜からの雪が有って簡単に登れない山でした。


登山口からぞろ峠までは東海自然歩道を歩きます。
谷沿いの道を歩きましたが、その場所にはこんなプレートが設置して有りました。


ぞろ峠まで登って着ました。
小平山へは、ここから右に向かいます。
左へ向かうと油日岳、倉部岳方面です。このまま、峠を越えて進むとJR加太駅に向かいます。



峠で一休みしました。
木の枝に樹氷の赤ちゃんがついています。


迷ったりすることの無い道ですが、両側に潅木が密集しています。


鞍部に出て後ろを振り返ると視界が広がりました。
前方が油日岳方面です。



雪が有り、踏ん張って登って行く私です。



急な登りなのですが、右手に視界が広がります。


この先のピークが北打山の山頂となります。

ぞろ峠から先の道は歩き難い登山道となりました。
北打山の山頂を過ぎて反対方向から男性2人女性2人の組が向かって来ました。
どちらから来たの、と聞くと愛知県の長久手から来たと話し、先に進むのが困難だと判断して引き返して来たのだと言っていました。
言葉を交わし、ご夫婦ですかと聞いたらそれぞれが単独ですと返事でした。

先に進みました。
まだ、小平山分岐に達していませんでしたが、先程の彼らの様子を見て引き返したい気持ちが起きてきました。予定では小平山分岐から小平山へ進み、戻って来て旗山へ向かうコースですので、このまま進まなければなりませんでした。

少し弱気が起きたのです。



更に進み、小平山分岐まで着ました。


小平山山頂に到着しました。
ここは視界がl利かない場所でしたが、お昼近い時間でしたので昼食を取りました。


昼食を終えて小平山分岐まで戻り、旗山方向に向かいました。


前方に視界が広がります。
三角形の特徴的な近江富士が見えます。
白い横線は第二名神です。



旗山の山頂に着きました。

旗山から熊鷹神社に降りていくコースを辿っていまして、旗山山頂から階段を下りていきましたが、途中、道を間違えコースを外れてしまいました。
杉林の中を下へ下へ降りて行き、アスファルトの道に出ることが出来ました。
頭上の高圧線で、先に鉄塔が見えていて進む方向を確認していたのですが、何処から外れたのか解かりません。結果的にはコースをショートカットした形になりました。



旗山から階段を降りて行きました。
でも、途中で道を誤ってしまいました。


降りて来て、前方に道路が見えました。



杉の葉が落とされ、アスファルトが見えない状態です。
そんなアスファルト舗装された道を歩きます。



東海自然歩道分岐に出てきました。



後ろを振り返ります。
こんな道を歩いて来ました。



東海自然歩道のプレートが設置して有りました。


杉林の中を歩きます。



この道は東海自然歩道になっていますので、こんな標識が設けて有りました。
JR加太駅からJR柘植駅まで、東海自然歩道を歩いてみるのも良いでしょう。
ただ、関西本線は、列車の本数が少なく、注意を要します。



登山口の駐車場に戻って着ました。
朝の雪はすっかり、消えていました。



亀山市総合福祉センターに「白鳥の湯」があります。
ここは150円でお風呂に入ることが出来ます。

帰りにここへ寄って、汗を流してきました。

ここで思いがけない人に会いました。
「山ねずみ」さんです。

彼とは03.12.23に鳩吹山オフ会で一緒に登ったのです。
その時、登り始める前は、サンタクロースの姿をしていました。
10年近くの歳月が流れ、久しぶりの再開となりました。


下山していて道を誤ってしまいましたが、鈴鹿最南端の山を楽しむ事が出来ました。
今回は雪の後で最悪のコンディションでしたが良い季節に歩いてみるのも好いでしょう。



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一宮友歩会 第42回例会  史跡巡りシリーズ 名古屋編Part1  名古屋市瑞穂区を歩く  

2013-02-03 07:40:41 | 一宮友歩会


一宮友歩会の例会で、今回は瑞穂区を時計回りにぐるっと歩くコースでした。
また、名古屋城の東南に位置し、戦国時代には攻防が繰り広げられた処でもあります。
週間天気予報では土曜日が雨の予報でした。金曜の夜から雨が振り出し、土曜の朝は若干残っていると言った感じでしたが、大したことはありませんでした。


惣作公園(9:25) ― 秋月院(9:42) ― 田光八幡社(9:46~9:51) ― 大喜寺 ― 
津賀田神社(10:14~10:17) ― 地下鉄瑞穂運動公園西(10:31~10:35) ― 村上社(10:53) 
― 大曲輪貝塚(11:20) ― 瑞穂球場(11:25~11:55) ― あゆちの水(12:10) ― 
西八幡社(12:41~12:58)― 地下鉄新瑞橋 ― 師長公謫居跡(13:47~13:50)  ― 
龍泉寺(13:56) ― 為麿塚(14:08) ― 惣作公園(14:12)



今回歩いたコース地図。
名古屋市瑞穂区を時計回りに回りました。





惣作公園での出発式。
会長挨拶の後に体操をして出発です。
前夜からの雨は止んでいました。


私は以前からウオーキングリーダーをと、言われていました。
当日、カミさんは、アンカーをやってと急に言われました。
それで、夫婦で先頭と最後尾を歩くこととなりました。


秋月院の説明板を読みます。
この時、少し雨がパラ着きました。


田光八幡社の大クスノキです。
大クスノキは御神木で幹は凄い太さがあります。


会長が先頭で津賀田神社へ向かいます。
津賀田神社は前方後円墳で、この地方の前方後円墳では最大級に近い規模ですが、表土が流れてしまっています。


津賀田神社のお拝殿。
大きな規模で、この場所が前方後円墳だったと言われると、頷けます。



地下鉄瑞穂運動場西駅でトイレタイムを取りました。


村上社です。
小高い山の上に祠が有りますが、ここは円墳で、費用度が流失しています。
一段、高くなっていて円墳だと言われれは、そのように思えます。
大きな木が有ったのですが、切り倒され、切株になってしまっています。


山崎川沿いを歩きます。
桜の時期なら素晴らしい眺めでしょう。


瑞穂運動公園の一角に大曲輪貝塚がありました。


予定では、東児童公園で昼食を取る予定でしたが、雨が上がったと言うものの、地面が濡れていていましたので、瑞穂運動公園の競技場で食べる予定でした。
会長が管理事務所へ軒先を借りると言いに行った所、事務所の計らいで瑞穂球場の会議室をお借りできることとなりました。


会議室を借りての昼食です。
後ろから見ると、会議をしているように見えます。


バックネット裏の部屋です。
雨の後であり、ホームにシートが被せてあります。
このような所から野球場を眺めることは、滅多に出来ないことです。


西八幡社に到着です。
八幡社は小高い場所となっていて、歩いて来た後で、階段をのぼるのがキツく感じます。
(私には、何とも無かったです。)


八幡社の境内で説明が続きます。
南東の視界が広がりますが、家が一杯に並んでいます。
戦国時代は今のように家屋が無く、視界が広がっていました。


明治24年の古地図。
戦国時代。中根三城がありました。
城と言うよりも、砦のような物です。
この南東に桶狭間が有り、つばぜり合いが有ったのです。
言うならば前線基地です。

山崎川にかかる名鉄本線の鉄橋。
こんな説明がありました。
川の護岸が高くなりましたが、線路の高さはそのままです。
川の両岸を擁壁で高くしています。山崎川の水面が洪水で高くなると水色の水門を閉めます。
そのため、名鉄本線は不通となってしまうのだそうです。


師長公謫居跡



龍泉寺境内の歯痛地蔵です。
太平洋戦争の時爆風で顔半分がフッ飛んでしまいました。


鎌倉街道。
とても幅の狭い道です。
いざ、火事と言うときには消防車が入ってこれません。
この辺りは昔から、住家が有った場所です。
昔ながらの街道を残すか、開発で道路幅を広げるか、考えてみる必要があるのではないでしょうか。




ゴールが近づいてきました。


民家の庭先に蝋梅が咲いていて芳香を放っていました。山崎川では水仙が咲き始めていました。
上手く撮影できなかったのですが、生垣にはサザンカが咲き、花びらを落としていましたし、ボケも咲き始めていました。
小さい秋ならぬ、小さい春を見つけ、春の足音が聞こえると言った感じがしました。


今回、回ったコースでポイント、ポイントに標識が設置してありました。

歩いてきて、コースを振り返り面白いことに気が付きました。
歩いたコースの中で大喜寺付近や龍泉寺の裏あたりの道はとても狭かったのです。
幅が狭く軽四自動車がやっとと折れるくらいの幅しかありませんでした。
こういった場所が江戸時代の頃に人が生活していた所で、真っ直ぐの道になっている所は田んぼだったのです。
田んぼは道が造り易く改良されましたが、人が住んでいた地域は昔のままの道幅しかありません。
今のままにしておくのか、開発するのか分かれ道となります。

初めてのコースリーダーでした。
結果的に、津賀田神社へ着くとか瑞穂通りに出るとかが、出来ましたが道を間違えてしまいました。

今回、歩いてみて、西八幡社の南東の景色。今は住宅が立ち並んでいましたが、昔の風景が想像できました。
そして、大喜寺周りや龍泉寺の北側あたり。あの狭い道の部分が昔から人が住み続けた場所で、弥富通りや瑞穂通り、妙音通りなど真っ直ぐの道が有る所は田や畑だったのだということが分かりました。

こんなことに気づかせてくれる事がウオーキングの面白さです。
道端で蝋梅が芳香を放っていました。生垣のサザンカが咲いていました。
微かですが、春の足音を感じることが出来ました。

改めてウオーキングの面白さを感じています。



 

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